57話 諏訪久のいちばん長い日 一七二〇の心情
その日ボクは莉夢に呼び出され件の会議室で二人並んで貴い方々をお待ちしていた。
あの日以降、直接ボクの目も見られず自ら声も掛けて来られなかった莉夢の表情は明らかに憔悴し、今もじっと目を瞑っている。ボクも何て声を掛けたらいいのか分からないのでやっぱり黙っている。
でも、だいじょうぶ相棒判っているよ何か事情があってのことだろう?貴族家の思惑の絡むことだから庶民にとって解せないことだってあることくらいは予測は立つ。
そういや先日のイナヅマの狼狽えっぷりに対する詰問もまだだった、みんな色々事情を抱えてるんだなぁ。
やがて、静かに扉が開き。
奥様、お嬢様そして家令様が入室され女性お二人は上座に着かれ。家令様は定位置の司会席へ着座された。
「諏訪久、莉夢着座なさい」
家令様のお言葉にボク達は腰を下ろした。
何があったのか…。お二人ともいつも着ていらっしゃる動きやすい略式服とか洋装じゃなくて奥様は黒留袖、お嬢様は緋色の振袖で正装した上にきちんと髪を結い簪やら笄やらで飾りつけ化粧までしている、懐に守りの小刀まで差して。
まるで貴族様の集まりにご招待された時みたいじゃないですか。奥様ももちろんだけれどこうしてみるとやっぱりお嬢様は誰よりもお美しい方なんだと再認識する。はぁ 眼福です。
「諏訪久これからここでする話は全て守秘義務の範疇だということを宣言しておく」
そうおっしゃる家令様の服装も何時もの執事服ではなく羽織袴に儀礼刀を帯剣されている。それ、たしか庶民以下無礼打ち可能な刀ですよね?
何かとてつもなくヤバいことが起ころうとしている事を確信する。
そして家令様の宣言に莉夢の名が入っていないということは、莉夢は既にそっち側の立場であることを示唆していた。
「諏訪久、今日ここから先の話を聞いてしまったら決して後戻りはできない、もし、今の庶民の生活から離れたくないというのなら話はここで終わりだ」
へっ?
「ただし君に教えられることは何もない。
今回の男爵家の事で君が疑問に思った事柄は全てその疑問のまま飲み込んで欲しい。それならまだ大丈夫だ。美都莉愛お嬢様の従者も解任する、退職金は十二分に用意する、口止め料も込みと言うことになるが」
家令様?
何時もの感じの軽い気さくな家令様じゃぁない。今ここにおわすのは、貴族麗芙鄭・有手倉騎士爵令息。
お父上の袰瓦・有手倉卿が引退していないから正式には綬爵していないのだけれど現段階で御父上が急逝されたとしても問題なく継爵されるほどの功績を積まれている方は将来の爵位を先取りし扱われる慣例だ。
「もし、そうしたいならば。今日明日中に荷物を実家へ移し、学校が始まったら以前の通りに通い、卒業後は吏員試験を受けても良い、君なら今のままでも十分合格するだろう、ただし通常の吏員の業務以外の事には関われないのは承知しているね?」
何を、何を言われているのです?ボク。
「魔法の恩恵技能がある事は判っているから県立の魔導学校へ庶民枠での推薦も可能だ、試験は君の努力次第だがこちらも君の今の学力なら問題ないと思う。
魔導学校を卒業すれば官吏試験を受けて県や国の役人になる道も開ける。成績次第では国の魔導院への勧誘もあるかもしれない、こちらは卒業すれば官僚になれる道もある。
そこまで行けば全国の貴族家から婚姻婿養子の話が引く手数多だろうな、国家の中枢に携わる仕事に就くというのも男子の本懐といえるがそこまでの志があるならば是非この後の話も聞いて欲しい、だが、この後の話を聞いてしまった場合は、君の自由意思は制限されるものになると覚悟して貰いたい」
こ、こ、こ、怖い!たぶんボクの顔は真っ青になっているに違いない。ああああ、こんなときなんでイナヅマは助言してくれないの!!
『諏訪久、多分君は今”何故イナヅマは何もアドバイスしてくれないのか?”と思っているのではないかね?』
『そうだよ!こんないきなり人生の決断しろだなんてボクには無理だよ』
『いいかね?諏訪久、人生において本当に決断しなければならない場面というものは大概突然やってくるものなのだよ、でも君は今までだってずっと決断してきたじゃないか』
『え?』
『流民の子供と鄭湛の【火球】との間に飛び込んだ時。得体のしれない”窓”と会話しようと決めたとき。女の子達を逃がすため一人で【黒大躯】の元に残ると決めたとき』
『あ…』
『そうは言っても今の君の気持ちもわかる、そして、私が男爵家の人間に存在を知られたくない理由もそこにある』
『?』
『もし、千年もの間、初代のご先祖からずっと自分たちを見守って来た存在があったとしよう、そんな存在と常日頃相談できるとしたらどうなる』
イナヅマの言いたいことが判った。
『…今の僕みたいに、何でもイナヅマに頼りたくなる…?』
『そうだ、他の魔動騎達は人の理に深く係わることは本質的に不可能な設計がなされている、だが、英雄騎である私は、複数の魔動騎を統率誘導しなければならない指揮官騎の私の設計は…いや、人間の心を持つ原初の一を内包している私だからか?私はそう設計されていない。
皆を助けたい、相談には真摯に対応し回答してやりたいと強く思うのだ、だが、私も完全な存在ではない、時には誤り、間違えるときもあるだろう、そしてその間違いが致命的な事象を引き起こした時…私はそれが怖いのだ』
『へ?』
『人間は弱い、頼れる存在があった場合いつしかそれに頼ることが普通となる、そしていつか大きく誤る時が来るだろう、私はその時が来るのがとてつもなく恐ろしいのだ、私も人間と同じ弱い存在なのかもしれない』
イナヅマ…
『それでも、人間には失敗し心に傷を負ったとしてもいつしか忘れ去ることもできる。そして最後には”死”という救いがある。
私には忘却も死も許されてはいない、魔動騎の中核をなす魔核が破壊されぬ限り何度でも再生し蘇る。
愛すべき九郎守や州鄭流の子供らが私の拙い助言により不幸を齎したことを存在し続ける限り忘却することが許されないとしたら。
それは私にとっての”永遠の地獄”ではないのか?現に十七代目”亜露威”は私の中でその命の灯を消した、助けてやる事が出来なかった、なのに私には泣くことさえ許されなかった!なぜだ!機能が無いからだ!!いくらエーテル亜空間に巨大な質量を保存しその制―――』
『イナヅマ!?こめんよ!イナヅマ!だいじょうぶ?』
『―――很好…素晴らしい…総括タイプの魔導知能はここまで人間の感情をトレースすることが可能なのか…こりゃ一七二〇の中に封じ込めてくれた”九番目”に感謝しなきゃ』
『…羽生さん?』
『はぁい!羽生さんはここですよぅ』
『もぅ…ふざけないでよ羽生さん、イナヅマは大丈夫?』
『ああ、今偽装人格…一七二〇は強制停止からの再起動中だ、流石に千年も人間を観察していると疑似感情もかなり人間に近いものになるんだねぇ。こりゃオーバーリミッターを装備したほうが良いかもだねぇもし次に魔導知能を設計する機会があったときは課題としよう』
『…羽生さん、何かその言い方、好きじゃない』
『ゴメンヨ諏訪久、久しぶりに研究者としての血が騒いでしまった。実はね、原初の一である所の僕が一七二〇無しで表に出てしまっている今の状態は色々な意味で好ましくないんだ、だから僕も冬眠状態に移行する、よってその間君のフォローはできなくなる』
『え、どういうこと?』
『ごめん、あまり時間が無い、僕たちのどちらかが戻ってくるまで無茶はするな、それと、僕の意見も一七二〇と一緒、君の行く道は君が決めるしかない、迷わず行けよ行けばわかるさ、健闘を祈る』
『ちょっ!羽生さん!羽生さんてば…!』
…気が付けば相当の時間が過ぎていたようだった。頬に残るのは涙の乾いた後の感触、ボクは泣いていたのか?
莉夢が心配そうに僕の顔を覗き込んでいる。
奥様も家令様も、この会合が始まったときの表情のまま優しさを湛えて静かに揺蕩っていらっしゃる。ずっと、ボクが落ち着く迄ずっと待っていてくれたのですね?
お嬢様。お嬢様は心配そうにそれでいてどこか不安そうな目でじっとボクを見つめている。お美しい、一枚の絵画の様だ。
ごしごしと目をこすり残った雫をこすり落とす。
「すみません、家令様」
「何だい?諏訪久」
ボクは質問を投げた。
「もし、お話を聞いた後、ボクがどうしてもイヤだと言ったらどうなりますか?」
本当は判っているんだけれど、聞かずには居られなかった。
軽くため息をつきながら、家令様は答えてくれた。
「…諏訪久、君とももう半年程の付き合いだ、元々私を慕って来てくれた君に情も沸いて無いわけではない、だがね、私も貴族の端くれなんだよ、やらなければならないことをやらないという選択肢はない。
静かにしていてくれるなら決して無駄に苦しませはしない」
デスヨネー




