56話 諏訪久はかく語りき
なに今の!【魔狼】も魔物語しゃべるん?!
ばったりと床に倒れ横たわる【魔狼】。
床から天井へと突きぬけた【光矢】は完全に体内の魔石を破壊した様子で、床をずりずりと恐る恐る近づき、つま先で【魔狼】の鼻先をつんつんしたがピクリとも反応しなかった。そのうちこいつも魔素に戻るのだろう。
どやどやとなだれ込んで来た領兵さん達が赤ン坊や母親たちの救助活動を始め【魔狼】の死骸を運び出していった。
興奮した様子のお嬢様が
「諏訪久!今のどうなってんの!」
それはこちらの台詞です。
まさかとは思いますが、ぶっつけ本番?…どうやらそんな顔してますね…。
『うああああ…!具現対象の自動推進、軌道操作まで…聞いただけで実行できるなんて…これでは千年前の魔導士が再来してしまう……』
イナズマさんは後でちょっと絞り上げる必要がありそうです。守護神だから加減はするけど。
胸の中の仁芙瑠を両腕で抱き上げる。
気を失っている仁芙瑠の胸に搔き抱かれた赤ン坊はすやすやと寝息を立てていた。
「すまん、すぼぅく、本当に、すまん」
涙と鼻水でぐちょぐちゃになりながらしゃくりあげる相棒従者殿を促しその腕に仁芙瑠を預ける。
その場に座り込み、ひしと仁芙瑠を抱きしめながら嗚咽を漏らす莉夢。…なるほど、そういうことか。
仁芙瑠から預かったおくるみの赤ン坊をお嬢様に引き渡す。
先の赤ン坊は二人共に奥様に抱かれている、母娘共に莉夢仁芙瑠姉妹の姿に愛し気な眼差しを送っていた。
お嬢様は囁かれた。
「…後でね」
承知しました私の主君
◇
不幸中の幸いではあるけれど施療院でも死者は一人も出なかった。
神官様達や待合にいた怪我人も奥様の【治癒】のお陰で大事に至らず、結果的に一番の重症だったのは【魔狼】の宿り主、元永遠の尊多所属冒険者であったということだ。
不可抗力だったとはいえ不羅毘や奈原街のお姉さま方を見捨てた報いとも言えよう。同情する気にはあまりなれない。
今回の女性集団失踪事件の重要な証言者である”ボチャ”こと鳫間は、ボクが文卓の下へ押し込んだ時の擦り傷と腰を抜かして智生のズボン(胴回りが合うのが智生しかいなかった)を借りた程度の被害だった。
一応、施療院へ運ばれたが様子を見て一両日中には領主館へ戻り保護される予定。
尊多商会に勤める父親は庶民ながら隣領富嶽和の領主尊多準男爵家の末席に連なる家柄であったため本人の希望もあり家族も含めそのまま現行の自宅へ住まう形となった、ただし事が落ち着く迄は護衛の領兵が付くとのこと。
自分の息子が本家主の甥っ子を売った形なのだからさぞかし肩身が狭かろうとは思う。
領軍による大々的な女性行方不明者の捜索は難航を極め”七曲り”地点から一日程魔物の森を進んだところで、少し広めに草木下生えがなぎ倒され、野営場所らしき痕跡が認められたもののその周辺では主な発見は無かった。
ポチャの証言を受け、途中で女性集団失踪事件から魔物による誘拐事件疑いに切り替えられ、領兵を増員しさらに森の奥へと探索を進めたものの”疲れ知らず”と言われる魔物に担がれての移動を二日以上追跡することは難しかったらしい。
なにしろ魔物の筋力や跳躍力でなければ登れない岩場や谷間が随所にあり、人間が通れる場所を探すのにぐるりと遠回りしなければならない所ばかりだったそうで…大変ご苦労様でした。
ただ、魔物達が向かったであろう先が、領兵さん達の隠語で”奈落”と呼ばれる魔物の森最奥地で相当規模の魔物の発生点があると考えられている場所ではないのか?という当たりは付けられたのだそうで。
そうなると、【小鬼】や【魔狼】はおろか【大躯】や【王牙】、【単眼巨鬼】諸々ひいては各種”竜種”等の中級から上級、最上級の魔物との邂逅を想定せねばならず。
当然、通常の捜索ではなく”魔導騎”様を中核とした”騎甲師団”を編成する必要が出てくる。
これは”戦争”をすると言うことだ。
防衛以外に”戦争”を行うとなれば県を通して国へ宣戦許可を得なけれならない、当然今日の明日で出陣できるはずもなく。
魔動騎様の随伴訓練と言う名の領軍上げての大々的な魔物狩りは年に数度定期的に行われているけれど、それは年間計画として国に申請し許可を得て行っているものであり。残念ながら近々には予定日は無く、臨時で行うならば新規申請として国に指示を仰がねばならない。
事件は長期戦の様相を漂わせ始めた。
明日をも知れぬ不羅毘達にとってこれは死刑宣告に等しかった。
今回の【魔狼】町中出現事件で領軍の”奈落”派遣の必要性が多少増したとしても。
主として生存のほぼ見込めない十名の庶民…しかも身寄りの殆どない冒険者と奈原街の夜の蝶達。所謂準領民と言った存在の彼女ら捜索の為に領兵に生死の危険を伴う派兵を行うべきか。
出兵するとなれば人件費、糧秣、装備損耗。それだけの費用負担をどうするのか。
これは物議を醸した。
冷たい様だけどこれ現実なのよね。
この現実は上慎にとっては追い風となった。
不羅毘達が上慎によって魔物に売られたというのはポチャと三人の永遠の尊多元構成員による証言だけで。これが事実であるという証拠を示す為には魔物の領域から不羅毘達を助け出し証言を得なければならない。
事実上それは不可能になった。
遺体が街道や近隣の森ででも発見されれば魔石強盗殺害の容疑で取り調べられるけれど、不羅毘達の遺体なりが見つからない、または魔物の領域から発見されたというだけでは。
上慎の証言であるところの。
・不羅毘達は命令無視をして魔物を深追いし返り討ちに会った。
・奈原街の女性たちは自ら森奥へ向かい遭難した。
どんなに莫迦らしい理由であろうとも可能性が少しでもあるなれば上慎の罪を完全には追求するのは難しくなるだろう。
隣領富嶽和の尊多準男爵も全力で擁護するに違いない。
故意の準殺人行為でもなければせいぜい監督不行き届きで罰金、木ノ楊出流領所払いが良い所だ。
隣領富嶽和辺りで暮らせば上慎にとっては何の痛痒もない。
無罪と一緒だ。
神は死んだ。少なくとも不羅毘含む十名の女達にとっては。
おまたせしました。
今回は六話更新予定です。




