2話 若様の怒り
「はっ!」
熱を帯びた怒気に当てられ肌がビリビリと震えている。
走馬灯の世界から帰ってきても激昂し真っ赤に染まった若様の鬼のような形相は憤怒そのものだった。
あまりの恐怖にまた気が遠くなりそうだよ。
ど、ど、ど、どう゛じよ゛う゛。
左手一本で手綱を操る若様の肩口にかかげられた、掌の上でメラメラと燃え盛る炎の塊。
あれが当たったら火傷なんかじゃ済まない。
腰が抜け、しりもちをついている。
体が強張ってうまく動けない。
がくがくと膝が震える。
馬上から見下ろす若様の右手がスイと持ち上がる。
これで終わりだ、とばかりに。
ぎゅっと目をつぶる。
炎塊の熱風、その圧力に押しつぶされる。
迫り来る炎を思わず払いのけて。
……。
…………。
――――あれ?熱くない。
そおっと薄目を開けると、若様の掲げた掌の炎は消えていた。
両眼を見開き強張った顔でこちらを見ている若様。
気のせいか顔色が青白い。
「も、申し訳ございませんっ」
大きな手に首根っこをつかみあげられ、ふわりと浮いたと思ったらオデコが”ごちん”目の中に”バチン”と白い火花が飛んだ。
往来の真ん中で貴人の行列を遮るという”そそう”をした少年の額を石畳に付け一緒に土下座しているおじさんが謝罪の悲鳴を上げた。
◇
「いやはや、鄭湛殿、聞きしに勝る武勇!誠にあっぱれ」
貴人牛車の脇からこれまた精悍な馬に跨った若武者が進み出るとかんらかんらと笑いながら、鄭湛を誉めそやす。はらはらと事の成り行きを見守っていた民衆は絢爛なる装束の偉丈夫に目を奪われた。
鄭湛は早々馬から飛び降り片膝をついて謝意を表した。
「恐れ入ります、壬玲殿。我が領の者が列乱しましたるや誠に遺憾に存じます、即座に成敗いたします故、暫しご容赦願いますよう」
すっかり恐縮する鄭湛に壬玲が返す。
「我らが姫君、この雄大なる御領地の山河に見惚れ暫しの間歩みを留め風流を所望致したいとのことにございます。道の端の鵯小雀共が囀りに耳を傾けるもまた趣あるものでございます由。一首詠む程に参りましょう」
(意訳:慮外者と言っても子供ですので穏便に、少し景色を見てる間に除けてくださいな)
なるほど、若くして県太守令嬢の護衛を任されるほどの人物である。
「は、ご厚情誠に忝く」
鄭湛は一礼し馬上へ戻ると、先の露払いの位置へと進んでいった。
隣県太守の令嬢を自県の留学先まで送り届ける、その道中露払いを命じられるなど、田舎領主の子息とすれば望外の誉であった。
もちろん、件の少年は土下座をさせた男……道中の安全を図る為配置した配下の者と共に通りから姿を消している。
本日は隣領の宿まで移動し、明日そのまま留学先の県中央まで付き従うこととなる。
「……」
ゆるゆると馬を歩ませながら、鄭湛はじっと自分の右の掌を見つめていた。
隊列を遮った少年とそれを助けた男の姿が、どこへ行ったものか。
気にかける者はもう居なかった。