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弓張月は再び輝く  作者: 雀舌一壺
第一章
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第九話

 コウタは拘束を解かれ、口と体の凝りをほぐしていたが、父親に手を引かれ、父親の隣に正座させられ、頭を後ろから床板に押し付けられ、平伏させられた。


「よいから、頭を上げよ。話も碌にできん。それから、その魚は何か手土産にと持って来た。好きに食え。……何なのだ、この島は。へりくだり過ぎじゃ。九州でもこのようではなかったぞ。まさか東国では曽祖父である八幡太郎義家公の御威光がまだ生きていて、ここまで敬われるものなのか? いや、この島に渡るまではここまでではなかったはずだが……」


 コウタと父親は、素直に頭を上げ、為朝がひとり言のようにしゃべり続けるのを聞いていたが、ここまで聞いて、父親が口を開いた。


「都の方では、尊いお方々の前では、平伏しなければならないし、目を合わせてもならない、と聞いておりましたが。」


「確かにそういう時もあるが、普段はやらんし、当人が構わんと言えば構わんのじゃ。大体人が通るたびにいちいちそんなことをしていては、服も汚れるし、人の往来も滞る。」


 するとコウタが、小さな腕で父親の胴を何度もぶちながら、言った。


「だから代官がおかしいんだって言ってんじゃん。母ちゃんだって、おかしいと思っているから、代官に掛け合いに行ったんじゃんか。父ちゃんは、代官が怖いだけだろ! 臆病者が!」


 遠くの方でまた雷の音がする。

 息子に臆病者と罵られた父親は、ぶってくるコウタの腕を掴み、このガキが、とコウタを睨み付けるが、為朝の視線を感じ、それ以上のことはできない。

 為朝は、二人に聞いた。


「そう言えば、奥方の姿は? それから、姉の方が何やら神隠しにあったとか聞いてきたが、姿が見えぬが、まさか本当なのか?」


「八郎、何だよ、姉のほうって。姉ちゃんの名前まさか知らねえのかよ!」


 父親に横から、様をつけろ、と叱られる。


「聞いてやれよ! 本当にひでぇ奴だな、姉ちゃん、家に帰ってくると、今日はこんな話を八郎様とした、って、すごい嬉しそうに母ちゃんにしゃべってんだぞ!」


 これは、父親も知らない話だ。

 しかしこの父親は、娘の恋心よりも目の前の危険を避けることを大事にする。


「も、申し訳ございません、娘が、恐れ多くも、八郎様に、まさか、け、懸想などと…」


「気にしておらん。我等のような都の者の話はもの珍しかろう。コウタなどは儂の武勇伝をとても喜んで沢山聞いてくれるぞ。」


 コウタの姉の好意は為朝には全く届いていないようだった。

 コウタとしては、姉を取られないのは嬉しいが、とても綺麗でよく出来ている姉が相手にされないのはとても不満だ。

 しかしその姉より自分の方が重く見られているようなので、負けん気の強いコウタは、姉に勝った、という気がして、不満は帳消しになる。


「それで、どうなのだ、神隠しに遭ったのか?」


 為朝が聞くと、父親は話を始めた。



 父親の話では、こういうことだった。

 今より八日前、代官の手の者がこの家に来て、コウタの姉を連れ去っていった。

 理由は、皇族に対して無礼を働いた、というものであった。皇族とは、為朝の事なのだそうだ。

 平伏しないばかりか横に並んで話をするのは大いなる不敬だ、という。

 それで、吟味したうえで沙汰を下す、と言って、連れ去った。


 ここまで聞いただけで、為朝は腸が煮えくり返った。

 当の本人が無礼だとも思っていないのに、さらにそもそも皇族でもない。

 為朝は元々こういう話が嫌いだった。

 他人の威光を笠に着て、本人の意思を無視して勝手なことをする。男だったら自らの力で勝負しろ、と思うのである。


 しかし、話はまだ続きがある。

 それで、その現場でコウタの母親がかなりな抵抗をしたが、コウタの姉は連れ去られてしまい、我慢できず、次の日も、その次の日も、代官の屋敷に押しかけ、娘を返してくれるよう、嘆願に行き、門前払いされ続けたという。

 そして、嘆願が四日目になり、その日以降母親も家に帰っていない、という。

 そしたら次にはコウタが、代官の屋敷に殴り込みに行く、と言っていうことを聞かない。

 だから父親は、漁に行くときには今みたいにコウタを柱に縛り付け、寝るときもコウタと自分をひもで縛って寝る、ということであった。

 そんな生活が続き、今日で四日になるらしい。



 コウタの父親の話を為朝はじっと聞いていた。

 屋根からは相変わらず雨が叩く音が響いてくる。

 父親が話を終えると、為朝は言った。


「それでは、姉は神隠しに遭ったのではなく、代官に連れ去られたのじゃな? そして、お主の妻も代官屋敷に行ったきり帰らない、と。二人とも代官の屋敷に今もいる、ということか?」


「絶対そうだよ!」コウタは断言するが、根拠はない。


「そう思います。」父親も同じ意見だった。


 コウタはともかくこの父親がこう断言したことに、為朝は少し腹が立った。


「そう思うなら、なぜコウタを縛る? なぜコウタを止める? なぜ自ら代官に抗議しない?」


「……返す言葉もございません、ただ、良かったら聞いてくだせぇ。」


 そう言うと、コウタの父親は話し出した。



 自分は昔、漁師をする傍ら、港で人足をしていた。

 人足の仕事は、荷物の積み下ろし、運搬等が主だったが、三か月に一回特別な仕事があって、それが密貿易だった。

 密貿易の荷物運びは、深夜まで働かされるが、格別に日当がよかった。

 密貿易の荷は、刀や布や鉱物や珊瑚など様々であった。

 時には女子供も船に乗せられていった。


「だから、あいつらが攫った女は密貿易の商売道具ですから、攫った女を殺すことはありません。密貿易船はまだ港に入ってきていませんから、娘たちはまだ代官の屋敷の中にいるはずです。」


「なるほど、理に適うかもな。それで、密貿易船がまだ荷を積み去っていないという根拠は?」


「代官と密貿易船の間には、秘密の合図がありやす。その合図がまだ出ていないので、積荷もまだ積み出されていないはずです。」


「船に送る合図とは、どのようなものだ?」


「代官の屋敷から烽火が上がりやす。烽火の色とか符丁とかはすいませんが分かりません。時刻は大体昼過ぎに上がることが多いです。」


「烽火が上がればその日の夜に船は港に入るわけか。」


「間違いありやせん。」


「そうか……、人が鬼に攫われるとかいう話も聞いておったが、その鬼は代官だった、というわけじゃな……」


 為朝は、何やら思いついたか、にやにやとしだした。


「相分かった。その鬼、儂が退治して見せよう。烽火が上がったら、お主等二人共儂の屋敷へ知らせに来い。いいもの見せてやる。」


「へぇ。」「わかった!」


 コウタ親子は驚きと喜びで声を上げた。

 困惑しているのが親で、喜んでいるのが子である。


 為朝がコウタ親子と話を終え、家を出ると、雨はいつの間にか上がり、晴れた空より日が落ちかけていた。

 為朝は、夕飯の支度に間に合わぬ、と急ぎ足で屋敷に歩いた。

 為朝の向かうはるか先の空には、大きな虹が掛かっていた。




 為朝が屋敷へ着くと、食事の支度はもう済んでいた。


 雨道で汚れた足を洗って座敷へ上がると、使用人のハルさんが早速お膳を運んできてくれたので、早速飯を食べ始めた。

 今日は大漁だったので、焼き魚と、豆造さんが物々交換で得た豆腐が付いている。

 為朝は右肘の腱を切られた影響で相変わらず箸をうまく使えなかったため、為朝の焼き魚はハルさんが小骨を取ってほぐしてある。


 為朝は、腹が減っていたので黙々と食事を取った。

 部屋の中には食器の当たる音や口の中で噛む音、それから庭の方から聞こえる虫たちの鳴声だけがする。

 七分方食べ終わったところで、為朝は向かい合わせで食べていた重季に声をかけ、今日のコウタの家での出来事を話し始める。


「それでは、コウタ親子が烽火の合図を知らせに来たら、代官の屋敷に押し込み、代官たちを始末して女どもを開放し、夜になって港に入ってきた船に乗り込む、という手筈ですか。」


「そうだ!」為朝は得意げに答える。


「押し込むって、我等二人で? 白昼堂々と? それに、押し込みがうまく行ったとしても、船がそれに気付いて港に入ってこなかったら?」


 少し不安になり、重季は聞いた。


「大丈夫、うまく行く。我等の新たな門出じゃ、ぱあっと派手に行こうではないか。うまく行かなかったらその時はその時じゃ。紀平治とともに我等がこの島で土に埋まれば紀平治も寂しくあるまい。」


 為朝は平然と答えた。


 そこで、重季は思い出す。

 今までもいい加減な作戦を立てながら、八郎様の蛮勇で何とかなってきた。

 加えて我等従者が命を捨てる覚悟で向かっていけば、相手方はひるんで、勢いを作ったら後は一方的になる。

 最後の戦は、八郎様の兄上義朝公の軍勢千騎なので、相手が悪かった。

 代官の部下には手錬れはいなさそうだし、何とかなりそうかな、と、自分で思ってみたら、本当にそう思えてきた。

 しかし、その主人がやけに元気で妙に張り切っている様子を見ると、また何か奇妙な思いつきをしているに違いない、と嫌な予感しかしなかった。


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