第七話
重季は、紀平治の死体を敷いてあったゴザで包み、肩に担ぎ上げ、反対の手で転がっていた酒瓶を持ち、為朝たちが住む屋敷へ帰った。
門をたたき、使用人の豆造さんに戸を開けてもらい、驚く豆造さんを尻目に門をくぐり、庭に紀平治の死体を降ろした。
死体を降ろすと包んでいたゴザは自然に解け、仰向けになった紀平治の死体が、縁側で横臥していた為朝の目にも入った。
「ん、今日はずいぶん大きな獲物だな……! これは……、紀平治か?」
「はい。もうじき紀平治との約束の時候です。我らを島から逃がすため、島で潜伏を始めてくれていたのやも知れませぬ。」
「誰の仕業か?」
「私が発見したときはすでにこのゴザの上に倒れておりました。港の近くでした。普段は人通りの多いところですが、今日は大雨ゆえ人影はありませんでした。殺しの現場を見た者がいるかどうかも分かりません。」
重季が説明する間にも、為朝は紀平治の死体の傷を細かく調べている。
「傷は総じて五つ、切り傷が二つに刺し傷が三つ、背中の傷が最も大きくて深いな。それから心臓への一突きでとどめを刺されたか。得物は太刀か脇差で三人以上で取り囲んで襲ったものじゃな。紀平治もなかなかの手練れだったが……、殺したのはやはり代官の手の者か?」
「どうでしょう。紀平治が来ているということは、密貿易の船も近くまで来ているということでしょうから、そちらの手の者と揉め事になったのかも知れませぬ。若しくは都の方で何か異変があり、八郎様のお命を狙う者が現れたのか……、肝要なことは、これで我等のこの島からの脱出の手立てが断たれた、ということです。その結果から考えると、最もあり得るのは、我等をこの島に閉じ込める役目を仰せつかる代官の島忠重の手の者の仕業でしょうか。」
すると突然、表の戸をドンドンとけたたましく叩く音がした。
「泉太郎昌綱、代官島三郎太夫忠重の名代として、お役目で参りました! 戸をお開けくださいませ!」との叫び声が聞こえる。
正に、噂をすれば、であった。
為朝たちは声のする門の方を向いて立ち上がり、為朝が豆造に言いつけ、戸を開けさせた。
すると、泉昌綱が、二人の伴を引き連れゆったりと大股で入ってきた。そして、為朝たちへの挨拶もそこそこに、死体の方へ向かっていった。
「やはりここでしたか。屋敷に島民から死体が転がっているとの知らせを受けて、検分しようかと現場へ向かったところ、血が落ちているばかりで、よく見ると血が続いているので、生きていたかと血の跡をつけて来たら、ここへたどり着きました。」
昌綱はそう言いながら、死体の側へしゃがみこんだ。
「へぇ、確かに死んでますな。心の臓を見事に一突きしている。これでは生きている訳はありませんな。この死体はお二方がここまで運ばれたんですかぃ?」
「私が運んだ。」重季が立ったまま答える。
「それは困りますなぁ。勝手に死体を動かされては、下手人を捕まえる手掛かりが減ってしまいます。お二方のお知り合いですかぃ?」
「この者の名は八町礫紀平治、儂の家臣じゃ。この者はここにいる九郎の次に長いこと儂に仕えておった。」今度は為朝が答える。
すると昌綱が為朝の方に向き直って立ち上がり、言った。
「そのようなお方がなぜこの島に? 為朝様に何か新たな御沙汰でも下されたのですかぇ? 正式な使いか何かでしたら代官を通して頂かないといけないのに、殺されてしまってはどのような御沙汰だったかも分からなくなりました。本当に困りましたなぁ。」
「正式でも使いでもない! 紀平治は我等をこの島から逃がしに来たのじゃ!」
昌綱のとぼけた口調に、為朝が怒気を含みつつ答える。
すると昌綱は、こみ上げる笑いを隠すかのように、わざとらしく目を大きく剥き出し、言った。
「いやそれは残念、残念! しかし我等からすれば、その下手人たちには感謝しきれませぬ、褒美でも出さねばなりませんなぁ。お二方を逃がしてしまうと、我等の首がすっ飛んでしまいますからな。」
昌綱は自らの首に手刀を当てて切る動きをし、お道化て見せた。
「お二方もせいぜいお気を付けくだせぇ。忠臣を装ってお二方を陥れようとする輩もおりますからな。変な気ぃを起さずに、この島で恩赦が下るまでおとなしく暮らしてなせぇ。そうすれば、余計な死者も出ねぇことだし、お二方も罪を重ねずに済むし、我等も罰されずに済みます。」
昌綱は自ら興に乗ってきたのか、なおも語り続けた。
「お二方の今の暮らしは、とても良いものじゃあありませんか。食事は召使が作ってくれ、雨の日は屋敷でゴロゴロし、晴れたら魚釣りをし、子供たちと遊び、働く必要もないし、戦に駆り出されて命を張る必要もない。我等のような平民には、そんな暮らしは到底望めませんよ。某からすれば、脱出しようなど愚か者のすることですな。ましてやそれを煽る自称忠臣などは愚か者の極みですわい。ああ、羨ましい、某も働かずに暮らしたい。」
昌綱の言は、道理が含まれていないこともなかったが、後の言葉は紀平治の死をあからさまに侮辱するものだった。
「お二方の逃亡を謀ったということは、この者は罪人ですから、死体はこちらで引き取らせてもらいます。死体とはいえ刑は下さないとなりませんからな。鞭で百回叩き、首を切って市の前に晒しましょう。我々を職務不手際の罪に陥れ、お二方にも脱走の罪に陥れさせるところだったのだから、その罪は重いでしょう。」
昌綱は二人の従者に命じ、用意していた担架を取り出させた。
そして死体を運ぶため、紀平治が横たわる横に従者たちが腰を屈めて担架を置き、遺体を担架に載せようとした。
すると、紀平治の頭側に来た者の頭に、重季の膝頭が飛び、その従者の顎を砕いた。
足側に来た従者がそれを見て刀を抜こうと柄に手をかけたところ、為朝の左手が伸びて来て、その者の頭蓋を鷲掴みにし、そのまま昌綱へと放り投げた。
従者は見事昌綱に当たり、当てられた昌綱は従者を支えかねて三歩後ずさったが、どうにか耐えた。
そして、為朝は大声で言い放った。
「紀平治は連れて行かせん! この為朝が大事に弔う。紀平治を連れて行きたかったら、今より千倍の兵を連れて来い! そして、我等の死骸と共に連れて行くがよい!」
昌綱は、重季と為朝が従者を傷つける動作の逡巡のなさを見て、恐れを抱いた。
「……じゃあ、その罪人の処分はお任せしやしょう。それから、脱出を企てたのは立派な反乱ですから、何か沙汰が下るだろうから、せいぜい怯えることです。」
昌綱は、持ってきた担架も置き忘れたまま、二人の従者の背中を押して門に向かいつつ、首だけ振り返りこんな捨て台詞を吐き、門を出て行った。
為朝には、昌綱の捨て台詞は全く頭に入ってこなかった。
この三人を殴り殺してやりたい気持ちを押さえるので精一杯だった。
昌綱たちが引き上げた後、為朝主従は、屋敷の裏手に穴を掘り続けた。
その間も雨は降り続いている。
雨水を吸って柔らかくなった土だったので、半刻ほどで掘れた。
そこに、紀平治の死体を前後から持って、投げ入れた。
墓穴に入った紀平治は、肩が窮屈そうで、髪も乱れたので、二人で直してやった。
直しだすと、頭の下の土をもう少し高くしてやった方が寝やすいだろうとか、両手は下に伸ばすより少し組んだ方が格好がよいだろうとか、気になりだして、二人は延々と死体をいじっていた。
そのうちに、背後から、ごにょごにょと何かを唱える声が聞こえ、二人は我に返り、後ろを振り返った。
使用人の豆造さんとハルさんが、お経を上げてくれていた。
お経といっても、彼らも詳しくは知らないので、目をつぶって両手をすり合わせ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、と繰り返すだけだった。
二人はようやく墓穴から身を起こし、やはり、なんまんだぶ、なんまんだぶ、と呟きながら、一心不乱に土をかけ始めた。
墓穴はほどなく埋まり、その上にさらに土を盛り、墓標を立てた。
墓標には、為朝が「日本一之忠臣紀平治之墓」と書いた。
「日本一ですか。」それを見て、重季が聞いた。
「日本一の武士である儂の第一の忠臣なのだから、当然日本一の忠臣じゃ。」為朝は淡々と答えた。
「紀平治は、儂によく狩りを教えてくれた。」
「そうですね、それで八郎様が狩りばかりするようになり、武術の稽古がおろそかになって、私はよく怒ってましたね。」
「そうは言うが、狩りだって、戦の役に立つのだ。獣の癖を覚えたり、気づかれずに風下に立つようにしたり、足跡を見つけて待ち伏せしてみたり、戦に通ずるな、と感じることも多かった。」
「八郎様は、獣がこちらを見つける前に遠くから矢を放って獣を射殺してしまうので、関係ないでしょう。」
「いつもこんな話をしてたな。するといつも紀平治が、坊っちゃんは特別だからいいんだ、とか、戦でも使えるものは何でも使うのが正しいのだ、とか、儂を庇ってくれたな。」
「紀平治は、八郎様に甘すぎです。子ども扱いしてたんですよ。我等と最後に話した言葉なんて、子を案ずる親みたいな、小言みたいに、気を付けろだとか言って、その相手に自分がやられて、どうしようもない、どうしようもないバカ親です……」
重季は、乱れてきた自分の感情を隠すかのように、この日外に出る際に懐に入れておいた、以前紀平治から貰った銅銭を全て取り出し、そして、紀平治の墓標の前に投げ捨てて、言った。
「地獄の沙汰も金次第、と言いますから、この程度で役に立つかは分かりませんが。」
為朝は投げ捨てられた銅銭たちを、墓標の前に一枚一枚丁寧に一列に並べた。
そしてその並べられた五枚の銅銭をじっと見て、言った。
「これで何かの足しになるのか? 三途の川も渡れないんじゃ?」
「三途の川の渡し賃の相場なんて、誰も分かりませんよ。」重季は正直に言った。
「それでは、足りない分は、下手人どもの血を以て補おう。」為朝は言った。
重季が為朝の顔をちらりと見ると、為朝はじっとその五枚の銅銭を見つめ、離れようとしなかった。
その視線は、銅銭たちをも押しつぶしてしまうかのように、重く、そして強いものであった。