第六話
島を脱出する算段がついた為朝主従だったが、この島にもそれなりに馴染み、心残りがないわけではなかった。
一つは、屋敷の手入れや食事の支度などをしてくれる、豆造とハルの老夫婦だった。
もう一つは、村人たちが、相変わらず平伏するばかりの者も多いが、話をしてくれる者も数人ばかり出てきたことだ。
きっかけは、釣りだった。
為朝たちが釣りをする午前中は、大人達は大抵畑仕事や漁に出ていて、子ども達は学校も塾もないので、親の手伝いか遊ぶことしかやることがなく、面白いことがないかといつも退屈にしていた。
そんな子ども達が遊ぶ姿は、為朝たちの目に入っていたのだが、ある日の午前中、重季が釣り糸を垂れていると、八歳から十歳くらいの女の子が二、三人寄ってきて、魚籠に入った魚を覗いてきた。
重季がそちらをちらっと見ると、その娘たちはキャーキャー言って逃げ、手招きするとまた寄ってきたので、魚籠から魚を出して見せてやった。
わー、とか、すごーい、とか言うわりに意外に反応が薄く、一人の娘が、なんでいつも釣りしてるの? と聞いてきて、重季が自分のことを話し出したら、そちらの方が興味津々だった。
しかし重季も一家の夕食のおかずがかかっていて、つりにも集中しないといけないので、いい加減で話を切り上げ、釣りに戻った。
女の子たちはそのまま側に居ついて、おしゃべりしたり小石でおはじきしたりして、魚がかかると、後ろで応援したり、引け、待って、など指示を出してくれたりしていた。
そんな風でも退屈ではなかったようで、重季が釣りに出ると次から女の子たちが寄って来るようになった。
重季は、為朝と違い、幼い頃から女にはよく好かれるので、女の子たちに囲まれて釣りをすることも苦にならなかった。
為朝はというと、重季が女の子たちを侍らせて釣りをするようになってから数日後、為朝が釣りに出ると、八歳から十二歳くらいまでの男の子数名が遠くから様子を窺っていて、しばらくすると、その中で一番小さな男の子が寄って来て、泥団子を為朝の背中にぶつけてきた。
為朝はその子の方を向き、ガーッと熊のまねをして牙を剥いた。
その子は悲鳴を上げて一目散に逃げ出したが、為朝が釣りを続けていると、今度は三人寄って来て、泥団子を投げつけてきた。
為朝は釣竿を置き、逃げる子ども達を追いかけ、両脇に二人ずつ抱え、子ども達が泥団子を作っていたため池に走り出し、目ぇつぶれー、と呼びかけつつ、ため池に飛び込んだ。
それで子ども達が泥まみれになったところに、その顔にさらに泥を塗りたくった。
子ども達の泥まみれの顔を見て、為朝は可笑しくなって笑い出した。
泣き出す子もいれば、負けん気が強く為朝に泥水をかけてくる子もいた。
為朝が意外に反撃してこないのを見ると、子ども達は攻撃に転じ、為朝に泥団子を投げたり、為朝の顔に直接泥を塗ったりしてきた。
一番最初に泥を投げてきた小柄な子などは、為朝の頭に体ごと組みつき、自分の体ごと為朝の頭を泥水に沈めようとしてきた。
それに抵抗できない訳がないが、為朝は大人しく従って自分の顔を泥水に沈めて、それからまた水中から泥だらけの顔を出すと、子ども達はキャーキャー喜んだ。
皆がみな前身泥だらけになり、子ども達も為朝もこのまま帰っては家で怒られるので、皆で海で水を浴びることにした。
そこでまた水を掛け合ったり、鬼ごっこをしたりして遊んで、気がつくと日が真上から西に傾いてきていた。
その日の為朝の魚の収穫はなかった。
しかしそれから為朝が釣りに出ると、男の子たちが寄って来て、魚籠の魚にちょっかいを出したり、為朝の体によじ登ってきたりするようになった。
魚釣りもやりたいようなので、収穫が十分にあったときには、代わりにやらせたりもする。
そんな風に親しくなると、為朝自身のことも聞いてくるので、自身の武勇伝を話して聞かせてやったりもした。
為朝の武勇伝は、三十人余りで千人と戦ったり、一本の矢で二人を串刺しにしたり、大蛇を退治したり、狼を子分にしたりと、常識外れなため、子ども達は面白がった。
子ども達が自分で釣った魚をたまに家に持って帰るので、礼を言いに来る親も現れた。
それから、その親たちともたまに話をするようになっていた。
為朝には男の子、重季には女の子と、はっきりと別れていたが、為朝のところに来る女の子もいないではなかった。
一番小さな気の強い男の子は、名をコウタといい、彼には姉がいて、心配になるのか昼頃になるといつも迎えに来ていた。
その娘の歳は十四、十五くらいで、都で綺麗な娘をさんざん見てきた為朝にしてみれば、可愛らしいくらいの容姿だったが、片田舎の離島では、親からしてみれば、島一番の美人、と自慢してもおかしくないくらいだった。
娘は、最初のうちは、すいません、と頭を下げてコウタを引き取っていくだけだったが、弟の様子はどうだったか聞いてきたり、自分のことも話したり、為朝も自分のことを話したり、次第に話すことが増えていった。
子ども達が皆帰ろうというときになっても、弟を迎えに来たはずの娘がそのまま為朝の側を離れず、子ども達が気を遣って先に帰る、ということも何度かあった。
そんな折、為朝の下に紀平治が島脱出の話を持ちかけてきたので、脱出することに迷いはないが心残りもある、というのは、こういうことだった。
脱出の件は決して口外できないので、我等がある日突然消えることになれば、子ども達が悲しむだろうと。
為朝たちの大島脱出がいよいよあと十日くらいに迫っていたであろう頃、ちょっとした出来事があった。
コウタが何日も遊びに来ない。他の子に聞くと、どうやら病気らしいという。
どういう病気か聞くと、何やら姉が神隠しにあったらしいという。
火山を鎮める生贄にでもされたのか、と聞くと、何それ? と逆に聞かれた。
午後屋敷に帰り、神隠しについてハルさんに聞いてみると、この島では以前も、鬼に攫われた、と噂される人が何人かいるらしい、という話をされた。
ちなみに生贄については、そんな風習はないらしい。
最後に、大方崖から落ちて海にでも攫われたのでしょう、という至極当たり前な答えが返ってきた。
それから三日間は、雨が降り続き、為朝たちは外に出ることができなかった。
四日目にも雨が続いたが、雨も小降りに転じ、為朝が魚を食べたいと駄々をこねたため、重季は蓑を着て笠をかぶり、魚を釣りに出た。
一刻あまり釣り糸を垂らしていたが、海も荒れており、エサが波に流され、一向に魚がかからなかった。
今日は無理かと重季は魚を諦め、それでは為朝がごねると思い、港近くに行けば店も出てるかもしれない、懐には先日紀平治から貰った銅銭が使い処なく入っているが、店が出ててもこの雨ではろくに売れないだろうから、余りものでも強引に分けてもらおう、と考え、港に向かった。
重季の期待に反して、港近くに来ても人気はなく、やはりこの雨ではゴザを敷いて店を出している者などおらぬか、と半ば諦めたところ、ゴザを敷いてその上でうつ伏せに寝ている者が一人いた。
この雨の中わざわざ外で寝るとは異なことと、重季は慎重に近づいていくと、その者はやはりピクリとも動かず、近くで見るとゴザの上には血が飛び散り、その者が着ている百姓風の衣服がところどころ裂けていることが分かった。
重季は戦場で散々死体を見慣れていたが、平和な町中で、それもこの辺鄙な孤島で、斬殺された死体があるという状況が異常であることを感じ、多少心を乱しながら、代官に届け出るべきかと、死体を確認するために近づいた。
そして、うつ伏せの死体を表に返し、顔を見たところで、重季の驚きは頂点に達した。
――それはなんと、為朝の股肱の臣、紀平治の顔だった。
その傍らには、酒瓶が一本転がっており、強まっていく雨にただ打たれ続けていた。