第五話
為朝と重季は、亥の刻に屋敷を出た。
幸いにしてこの日は雲も少なく、満月に近い月明かりで、松明がなくとも道はじゅうぶんに明るかった。
大島には神社は、山麓の登山口に一社あるだけである。距離も遠くない。
指定された時刻より一刻も前に出たのは、相手よりも早く着いて、相手の人数や武器などを観察するためであった。
神社には四半刻もかからずに着き、二人は林の中の神社の入口が見える位置に潜伏した。
為朝は豆造さんから鉈を借り、帯の後ろに差して隠している。重季は丸腰である。
一刻あまり経ち、神社の境内から一人の男が現れた。
男は神社の入口まで近づき、周りを窺った。
為朝には及ばないがなかなかの大柄で、歩く様も隙がなく、到底百姓とは思えなかった。
相手はとうに来ていたか、と二人はさらに警戒した。
そしてその男がこちら側を向いたときに、月明かりに照らされたその顔を見て、二人は思わず、あっ、と声を上げた。
「紀平治!」
その男は八町礫紀平治といい、為朝が九州で暴れていた時代から、重季に次いで長く為朝につき従っており、前年の京での戦で生き別れになっていた。
為朝主従は紀平治に奔り寄り、紀平治は二人の声を聞き、二人の姿を認め、二人に勝るとも劣らぬ満面の笑顔で、二人より速く走って来て、二人の前まで来ると腰を落とし片膝をついて頭を下げた。
為朝と重季の二人もしゃがみ込んで、お互いに、元気だったか、どうしてた、と無我夢中に話し、話の途中で感極まって三人とも泣き始めた。
そこで一旦気も落ち着いて、付近に民家がないとは言え深夜に大声で話しているのもまずいと気付き、ひとまず為朝たちの屋敷に移動し、お互いの経緯について話し合うことにした。
「しかし、手紙の主が紀平治だと分かっておったら、酒は飲まずに残しておくのだったな、おぬしに貰った酒は先ほど夕飯のときに全て飲んでしもうた。」
「や、坊っちゃん、九州の酒ん味ばお忘れになりよったんですか? お忘れになってなければ私か九州の郎党の誰かと分かりそうなもんですぜ。酒はもうあれ一本きりです。」
「紀平治、あの酒は油紙が浸みて味が変わっておったのではないか? その謎かけでは八郎様のような鈍い方はともかく、私でも分からんぞ。」
「聞いたか、紀平治、こやつは今だに儂をばかにしよる。」
三人は屋敷へ歩きながらそんな話をし、紀平治は、辛い境遇だろうに昔と変わらない二人の会話を聞いて、また泣きそうになるのであった。
屋敷に着いた為朝たち三人は、重季の寝間である茶の間に上がり込み、燈台に火をつけ、車座に座って、これまでの経緯を報告しあった。
紀平治は、戦場で為朝と離れ離れになり、京に戻り、敗戦の知らせと敗者の処分の行方を聞いた後、一旦九州に戻り、為朝が嫁を娶った平忠国の元を頼り、京での戦とその結果、権力争いの行方、などを話した。
忠国とその娘で為朝の嫁の白縫は、その知らせを聞き大いに悲しんでいたが、罪人の外戚になっている今の状況により不安を感じているようであった。
紀平治の報告はこんな内容だった。
為朝たちについては、報告するようなことは何もない。
戦で敗けて捕まって伊豆に運ばれ弓を封じられ伊豆大島にいる、などという消息は、今や京では子どもでも知っていることであった。
付け加えることは、この島ではどんな魚や作物が取れるとか、火山灰で掃除の手間がかかるとか、使用人の老夫婦についての話とか、緊張感のない話ばかりであった。
「それから、この島の代官に会った。公家のような出で立ちで、何を考えてるのかよく分からない奴だったが、何やら隠し事があるようじゃった。」
紀平治は、代官に話が及ぶと、顔をやや引き締め、話を切り出した。
「坊っちゃん、そろそろこん島での生活も飽きよったんではありませんか? 外に出てみたくはありませんか?」
「出来るのか?」
「手配しました。」
紀平治は言い切った。
それは、こういうからくりだった。
この島の代官は実は密貿易に携わっていて、その船が年で四度ほどこの島の港に立ち寄る。
その船は大島を出て、外海を航海しながら港に幾つか立ち寄り、最後は九州の薩摩坊津に立ち寄り、それから異国に向かうということだった。
その船にこっそり乗せてもらい、坊津まで運んでもらい、坊津から九州本土を北上し、義父の忠国や白縫と合流する、という計画だった。
「でもどうするのだ。代官がよしという訳はあるまい。」
「代官の手下の荷ば船に積み終わって、船が出たら、沖合いで暫く停まるけん、うちらはそこまで小船ば漕いで、乗せてもらう手はずになっちょります。」
「代官にばれないのか?」
「代官も本土側にばれるんが怖いで、夜中に荷ば積むっち聞いておりやす。うちらの小船ば漕いで来るんも夜なんで、ばれたりはしません。」
その船では人を商品として扱ったりもしてるので、見知らぬ人が乗ってても怪しまれることはない、ということだった。
その密貿易の一団には既に話をつけ、前金も支払い、次に大島に立ち寄る時に二人を乗せてくれる、という。
「その次とはいつだ。」
「九月くらいです。」今から二ヶ月くらい先であった。
「私は一旦島ば出ます。頃合になりよったらまた酒ば売りに戻ってきます。」
「分かった。頃合になったらまた来てくれ。」
そこで、重季が口を開いた。
「紀平治、少し聞いておきたいのだが。そやつらに金を払ったのは誰だ。それから、お主の先ほどの報告を聞いた限りでは、九州の豪族たちも様子見しているようではないか。是非とも八郎様をお救いしたい、という態度ではないようだったが。何ぞ目論見でもあるのか。」
それに対する紀平治の返事は要領を得ないものだったが、要約するとこういうことだった。
昨年の戦で後鳥羽天皇側が勝利すると、対立派閥を排除し、全国的な改革を推し進めるとかで、地方豪族の荘園の揉め事にも口を出すようになり、揉め事を調停しないばかりか、何か理由を付けては現朝廷の没収地としようと動いているらしい。九州の豪族たちも被害に遭い始めていて、このままでは現朝廷のいい様にやられているばかりなので、強力な旗頭を建てて現朝廷に対抗したい、というような話であるらしい。
為朝たちの輸送費用は、為朝の舅である平忠国が中心となって、数家で出し合ったのだという。
確かに、為朝ならば血筋も名声も容姿も十分な資格があり、加えて適度に馬鹿なので担ぎやすい、と思われているだろう。
重季が思うに、話の内容は限りなく真実だと感じられた。
為朝にしてみたら、紀平治が持ってきた話なのだから、真偽はそもそも確認する必要はない。
それよりも、この島での平穏な隠遁生活にも退屈してきたところなので、島を出る、という一点だけで十分行動に値した。
何やらまた神輿に担ぎ上げられるような様子で、その企て自体はよく分からないが、何であろうと関係なかった。
旧知の皆でまた何か大きなことをやろうという大雑把な話の雰囲気だけを感じ取り、心が躍った。
日の本一の強者であっても、為朝もまだ二十歳にも満たない若者である。
島での隠居生活よりも、危険を伴う冒険を選ぶのは当然であった。
そういうわけで、為朝たちはこれより二ヵ月後に島を脱出することとなった。
三人の話はまだまだ尽きなかったが、東の空が明らんできており、まだ暗く人目のないうちに紀平治を帰らせなければならなかった。
紀平治は最後に言った。
「代官の野郎にはくれぐれもお気ばお付けくだせぇ。奴は、裏では相当のワルで、島民から召し上げたお上への倶物ばちょろまかしたり、人ば騙して売っぱらって、悪どい金をかなり稼ぎよるちゅうことです。そんほかにも、かなり悪どい事ばしよるちゅうことです。悪党だけにそっちの勘は働くでしょうから、奴にだけは気取られないようお気ばお付けくだせぇ。」
紀平治ももう三十である。
自分よりひと回りも若い二人を見てると、何か言い足したくなるのだ。
為朝たちは屋敷の門のところで、紀平治に礼を述べ、そして三人は次の再会と脱出の成功を固く誓い、別れた。