第四話
「九郎、腹が減った、足らん、何とかしろ。」
為朝が駄々をこねる。
「我々は蟄居の身です。出されたものに贅沢が言える身分ではありません。さらに食料と交換できる手持ちの財産もありません。」
重季が宥める。
このところ毎食こういうやり取りがある。
食事は一日二食、麦飯一膳に大豆やら大根やらの煮付けが少々、これが普段の為朝主従の食事である。重季の言うのは正論だが、二人ともまだ十代の育ち盛りであり、重季も心中では足りないと思っている。
為朝は特に体が大きく、さらには右肘の腱が切られたため利き腕の右手が使えず、匙を用意してもらい左手で食べるのだが、それでも痛快に掻き込んで食べるというわけにはいかず、イライラが割り増しされることになる。
為朝主従が大島に流れてきてもう一か月が経っている。その間ずっとこういう食事が続いている。
こんな食事では栄養が足らず、良くなるはずの肘もよくならない、と為朝は考えている。
大島の代官、島忠重に直接掛け合う、と為朝は息巻くが、日本の武士の棟梁たる血筋のお方に食事を改善せよという交渉をさせるのはさすがに憚られ、重季が使いに出るが、代官の屋敷に行っても主人は不在と言われるか、会えても、流罪になった者の食事はあのように決められております、の一点張りで、手の施しようがない。
路上で見る島民たちは、為朝や重季を見ると地面に平伏し、平伏する間がない場合でも決して目を合わさず、取り付く島もない。
重季は再度忠重に食い下がり、通常島流しに会うのは年寄りであり、我らは若い、同じ決まりを当てはめられれば当然食事は足りぬ、と主張するものの、左様なお定めにて、の一言で、忠重は為朝たちの食事を増やすのを断り続けていた。
こういうわけで、為朝主従が空腹を我慢して過ごす日々が続いている。
ある日、為朝主従の毎回のやり取りを見かねた使用人老夫婦のハルさんが、釣竿をくれた。
この釣竿で、自分で魚を釣って食え、という意味だ。
為朝主従が大島で暮らしている屋敷の離れに住んで、屋敷を手入れしたり為朝たち二人の食事を用意したりしてくれているのがこの老夫婦である。夫の名を豆造、妻の名をハルという。
夫婦は以前安房の国に住んでいたが、今より五十年前くらいにこの島で大噴火があったらしく、その噴火で壊滅した島村を復興するための移民に応募し、この島に移住したのだという。
昔は波止場で人足などをして生計を立てていたが、年をとっても夫婦には子ができず、孫も居ないため、生活が困難になり、この屋敷の手入れなどをして細々と食いつないでいるということであった。
そんな貧乏所帯の為朝一家であったが、ハルさんがどこで手に入れたか釣竿をくれ、とりあえず重季が、朝食のおかずの豆を何粒かとっておき、それをえさに海岸で魚を釣ることにした。
午前中いっぱい釣り糸を垂らしていたが、最初の三日間は全く釣れず、えさが悪いのではと考えて四日目には海岸でイモムシを捕まえそれをえさにして釣りを始めると、引きが出始めた。
その日は小さめの魚を五尾釣り上げ、老夫婦に二尾分け与え、重季たちの食卓にも、大根やら芋やらのいつものおかずに魚が加わり、大いに賑わった。
その次の日からは為朝も一緒に釣りに出るようになり、ほどなく魚釣りに出るのは主に為朝の役割になった。
左手一本でできる、というのが主な理由だったが、為朝は釣りそのものも好きになった。
なぜなら、為朝は周りが思っているほど悩みがないわけではない。むしろ、抱えている悩みは同じ年頃の若者より多い。
釣りをしているとそれが紛れるのだ。
為朝は二十に達する前に、自ら最も得意とする武芸を廃せられ、島流しにされた。
小さいころに親に勘当されたが、その後九州に渡ってからは、源氏の御曹司として各地で持て囃され、戦で勇名を馳せ、鎮西総追捕使を称し、都に戻ってもその勇名を更に輝かせ、武神と崇められた。
それが一度戦に負けると一転してこのような境遇に落ちぶれてしまった。
源氏の棟梁の家に生まれ、人並みはずれた膂力を授かり、武功を立てた結果がこれか、と為朝は悩んだ。
俺をこの世に下したのは両親なのか、一族の主神である八幡大菩薩なのか、分かりはせぬが、一体俺にこの世で何をさせたかったのか?
これで俺の一生が終わりになるんだったら、そもそもこんな力はいらなかったのではないか?
普通の力しかなかったらもっと普通に暮らせていたのではないか?
そしてこうも考える。
そもそも九州に留まり、上洛しなければ幸せに暮らせていたのではないか?
俺は別に都で名声を欲していたわけではなかった。呼び出しをくらい、親父や家族にも会いたかったので上洛したまでだ。
それから、子としては親父の味方になるのが当然だと思って、戦に参加した。何も人として間違っちゃいない。
しかし兄の義朝は敵方につき、父に敵対したばかりか、自らその父を討ち滅ぼし、今は源氏の棟梁に収まっている。さらに聞くところでは、最期に父の首を刎ねたのは、その兄者だという。兄者にも事情があるだろうから、恨みやしない。兄者だって、俺の今の境遇を笑いやしないだろう。
だが、その兄者を取り巻く連中はどうだ。俺が上洛した時は武神だ何だとさんざん持て囃して、今は兄者を持ち上げて媚びへつらっている。
そればかりか、自身が義朝になったような気になり、敗者である俺の境遇を見て嘲笑っていることだろう。
風見鶏が風向きで方向を変えただけのくせに、その風見鶏たちが一番得意げにパタパタと羽音を立ててはしゃいでいる。
為朝は、そんな自分が見てもいない兄の側の小人たちを想像し、殺してやりたいとまで思う。
目の前に広がる青い海を見ながら。
この孤島で考えていても意味のないことを反芻し、気持ちが暗く落ちていきそうなところで、竿を伝って餌に食らいついた感触が為朝の手に伝わり、為朝は目が覚めたかのように現実へ舞い戻り、竿に意識を集中する。
すっと海底に糸が引っ張られる拍子に為朝は素早く竿を上げ、それから魚との暫しの格闘があり、釣り上げた。
なかなかの大物だった。
すると為朝は、その日の食卓でその魚が焼かれてホクホクの白身を目の前で晒している姿を早くも思い浮かべ、これで今日の夕飯が楽しみになった、クサクサした気分も忘れさせてくれ、魚には感謝しかない、魚は最高の友だ、でもその魚を食べちゃうんだよな、美味しいんだよな、めでたし、めでたし、と喜びのあまり、自分本位な魚への感謝と友情を宣言する。
為朝の頭の中からは、それまでの煩悶が綺麗さっぱりと消え失せている。
魚たちにとっては災難でしかなかった。
そんな、釣果に一喜一憂するだけの平穏無事な毎日を、為朝主従はこの孤島で送った。
魚がたくさん取れた日は、豆造さんが港近くに出てゴザを敷いてその魚たちを並べ、他の食材と交換してきてくれた。塩や豆腐、時には少しの酒までもが手に入り、そんな日は為朝は豆造さんに抱きつかんばかりに喜んだ。
この島で過ごす時間は、本土で戦さや権力争いに明け暮れる日々を送っていた彼らには、質素ながらも安らかなものだった。
四人だけの質素な食卓にも慣れ、戦さに破れ島流しに遭った無念な出来事も、思い出へと変わりつつあった。
そして、秋が過ぎ、年が明け、冬からまた暖かい季節になり、同じような毎日を淡々と送る日々が続いた。
そんなある日……
年は明けてはや保元二年(1157年)の七月、梅雨も明け、麦畑は青々と茂り、セミの声が喧しい、そんな頃になっていた。
為朝たちは相変わらず、食べて、釣って、稽古して、という隠居生活を送っていた。
ある日の夕刻、為朝と重季が使用人のハルさんを手伝い、竈に枯れ木をくべていると、港に魚を売りに行っていた豆造さんが、右手に風呂敷包みを提げて帰ってきた。
獲物が少ないな、と為朝は思い、ここぞとばかり竈の手伝いを切り上げ、豆造さんと風呂敷包みに寄って行った。
包みの中は、数枚の銅貨と一本の酒瓶が出てきた。
そして豆造さんは、こんな話をした。
余った魚を売ろうと、いつものように港の近くでゴザを敷いて、魚を並べて座っていたら、ほどなく一人の男が話しかけてきた。
男は百姓の格好をしていた。そして並べてある魚についてひとしきり褒めた後、どこに住んでるとか屋敷には誰がいるとか、色々聞いてきた。
そして、並べていた魚を全て買おうと言い出し、懐から銅貨を取り出し、さらに手に提げていた酒瓶も差し出し、これと交換でどうだと聞いてきた。
豆造は、銅貨の価値は知らないし、この島で銅貨を持っていても意味がないので断ろうと思ったが、酒は八郎様が好きだし、持ってみたら量もたくさん入っていそうだったので、交換に応じた、ということだった。
話を終えると、豆造さんはハルさんの手伝いを重季と交代しに行った。
港での交易で銅貨を得るのは初めてのことだった。
この島では貨幣は流通しておらず、物々交換で交易していた。というよりも貨幣が流通している地域の方が少なかった。
京の都や地方の交易が盛んな一部の町でのみ流通し、その他では物々交換が基本であった。
つまり、その男は、明らかに島の住人ではなく、旅慣れてもいない都会人か、若しくは他に意図を持って接触してきた者であった。
そんなことよりも、と為朝は考える。
都会から来たということは、酒も上等のものではないか、と思い、為朝は酒瓶の封を勢いよく取った。
すると熟成した穀物のほんのり甘い香りと、雑味のない酒精の芳しい匂いがあふれ出てきて、もはや我慢がならず、酒瓶を持ち上げ逆さにして口をつけ、一気に飲み始めた。
すると、酒瓶の中から唇に何かがあたりチクリとする感覚を覚えた。
何かと思い酒瓶の中をよく覗くと、何かが入っている。
為朝は重季に声をかけ、箸を持ってこさせ、酒瓶の中の何かを箸でつまみ出させた。
為朝は一年ほど前に利き腕の右腕の腱を切られ、だいぶ治ってきてはいるものの、箸など細かく指先を使う動きは今だに不自由だった。
酒瓶から出てきたものは、油紙で包まれた紙だった。
重季が油紙を取り除いて紙を広げてみると、それは手紙で、『今晩子の刻に神社にて待ち申し候、』という簡潔な内容だった。
「どう思う。」為朝は重季に聞いた。
「分かりません。我々を殺しに来たにしても、我々二人を暗殺できる戦力を整えられるなら、直接この屋敷を不意打ちすればよいわけで、わざわざ夜中に呼び出して殺すことはありません。よい知らせであったら、やはり素直に豆造さんと一緒にこちらに来ればよいことで、夜半に呼び出す意味はありません。何かあるにしても碌な用事ではない予感がします。」
「行かなきゃこの酒を飲んでそれで終いか。それもつまらんな。」
為朝は結局行きたいのである。
この大島での蟄居生活に退屈を感じていたのだろう、危険を求めていた。