第三話
代官の屋敷では、昼間と同じ大広間に通された。
広間の様子は昼間とは全く様変わりし、風景を描いた屏風絵や珊瑚や白磁青磁の類が整然と並べられていた。
そして一番奥の主座には、代官の島忠重が、細かく彫刻された紫檀の肘掛に体を預けて寛いでいた。
島忠重は、為朝たちの姿を認めると、昼間と変わらぬ慇懃さで、為朝たちを迎え入れた。
「昼は、国司のお役目の方がいらしたため、殺風景な部屋で大したおもてなしも出来ず、大変心苦しく思っておりました。」
島忠重は余裕を感じさせる語気で為朝たちを招き入れ、広間の奥へと案内した。
宴は、昼間の会見の時とは打って変わり、魚の姿煮や鶏の蒸し物や汁物やその他様々な贅を尽くした料理の数々が、また美しい器に盛られて次々と出てきた。
為朝主従は、蟄居の身分でこのような贅沢にありつけることに驚き喜び、大いに食らった。
為朝は右手が使えないため、侍女が始終傅き、一つ一つを箸で摘んで口に運んでくれるという歓待ぶりだった。
そして、忠重にその奥方や三、四名の従者を紹介され、上機嫌で挨拶し、新鮮な魚を肴に旨い酒を飲み、忠重の好きな都の貴族の噂話やら珍しい工芸品の話やらで話に華を咲かせた。
「いやしかし、島殿の所蔵される品々は、どれもみな見事なものばかりですな。」
自らの収蔵品を褒めてほしい態度を隠さぬ忠重を見かねて、重季が褒めた。
すると忠重は、待ってましたとばかりに、一つ一つの作品について、表現や技術の素晴らしさから始まり、絵の落款やら陶器の窯元に関する蘊蓄までを語りだした。
――この孤島で何年も暮らすと、退屈紛れに工芸品を集めだすものなのかな、かような地での任官など、この者も不憫ではある。しかし、この地で何年も暮らすと、儂もこうなるのかな。
為朝は、そんなことを考えながら、流石に上流貴族との付き合いで鍛えられてきたため、退屈を隠し、聞くふりをして酒と肴を楽しんだ。
そんな為朝を忠重は目ざとく捉え、実はまだまだ御座います、お武家様のお好きな武具も沢山御座います、と水を向けた。
武具、という言葉に為朝が思わず顔を上げると、忠重は、待ってましたとばかりに奥から様々な武器を持ってこさせた。
そこには、見慣れた刀や薙刀の他、直剣や曲刀や棍や戟など、日本ではなかなか見かけないものも多かった。
そこで為朝は、初めて自ら腰を上げ、それらの武器を傍でつぶさに見た。
柄や刀身に美しい文様の入った派手なものが多かったが、総じて刃に厚みや鋭さがなく、実際の戦で使いたいとは為朝は思わなかった。
「宋国や暹羅国や大食国など、遠国から船にて取り寄せた、貴重なものばかりです。どれもとても美しいでしょう。しかし、実際の戦になると、日本の刀には敵いますまい。」
為朝は、初めて考えが合ったとばかりに、目を輝かせて忠重の話に耳を貸し、それを受けて忠重は、日本刀の強さや美しさや、仕舞いには日本刀が海外で如何に高値で売れるかなどを話し出した。
「お近づきの印に、宜しければひとついかがでしょう。」
忠重は、伴の者にまた奥よりひと振りの日本刀を持ってこさせた。
「名匠宗近の業物です。」
忠重が差し出した刀を重季が受け取り、為朝に代わり鞘から抜いてみると、それは誠に偽りなき名工の作というべき光沢と刃紋を浮かべていた。
為朝は、見事な刀身に魅入られ、思わず左手を出そうとしたが、痛む右肘がそれを押しとどめた。
刀を貰い受けても、それを抜く右手が使えぬ今となっては、このような業物を傍らに置いておくだけ辛さが増すものと思われた。
「申し出は有難いが、儂は配流の身ゆえ、かような宝物を貰い受けるわけには参らぬ。このような宝物を儂に譲ったことが万一都にまで伝え聞こえたときには、島殿にまで害が及びますぞ。」
為朝の生涯でも数少ない殊勝な理由をつけて、為朝は忠重の贈り物を断った。
忠重は、まあまあそうおっしゃらずにと食い下がったが、頑なに拒む為朝に見るからに残念そうな表情を作って引き下がった。
それからはまた、宴は元の雰囲気に戻り、互いに愉快な気持ちになって終えた。
帰り道はすっかりと日が落ちて真っ暗だったので、無口な漁師顔の網之上源吾がまた松明の明かりで屋敷まで先導してくれた。
海の方から涼しい風が心地よく吹き、中空の三日月が遠くの林を薄く照らす中、虫たちの鳴き声を聞きながらほろ酔いでふらふらと屋敷へ帰る為朝主従であった。
忠重は、屋敷の門まで為朝主従を案内し、挨拶を交わして見送ると、それまで顔に貼り付け続けていた笑顔を解いた。好きも嫌いもなく、ただ面倒な仕事を終えて疲れた男の顔だった。
傍らに控えていた従者が、忠重に話しかける。
「鬼神やら魔物やらと恐ろしげな噂ばかり聞こえて来ていたが、図体がでかいだけのただの若造でしたな。あんな男はこの島でも十人はいる。」
従者の様子は、二十代半ばのやや背が高い若者で、主人とは反対に色は黒く、細身だが引き締まった筋肉を、日に焼けて色が薄まった直垂で包んでいた。
「噂というのは尾ひれの付くものだからの。贈り物も受け取らぬし、存外素朴な若者やもしれぬな。」
忠重は、暗闇の向こうに小さくなってゆく松明の光を目で追いながら、低く呟いた。
「やんごとなきお家柄というんですかい、育ちがいいんでしょうかね、いずれにしても大した器じゃなさそうですぜ。」
従者のほうは、本土からの新参者の為朝を、名声と図体だけが大きい木偶の坊と侮った。
「じゃが昌綱よ、あやつの清和天皇から代々引き継いだ血筋は本物じゃ。さらに今は京の都も乱れておると聞く。先頃、崇徳上皇が敗れ、後白河天皇側が権力を手にしたため、崇徳上皇に味方したあやつも流刑に処せられているが、先は読めぬ。後白河から他の者に権力が移ったり、恩赦が下されたりした場合には、赦されて都へ舞い戻ることも大いにある。そうなれば、その血の力で瞬く間に日の本中の武家を統べる地位に就くことになるだろう。」
昌綱と呼ばれた従者は、長々と続く忠重の長話を、また始まったかという風に聞き流した。
忠重は話し始めると興が乗り、気が昂ぶるに任せ話し続ける。
「あやつを味方につけるのは、我らの商いにとっても、大いに利のあることじゃ。あやつの名声が加われば、貴族への売り込みも容易くなろう。ややもすると本土に荘園を得ることも出来るかもしれぬ。その暁には都へ上って貴族の栄誉に与り、ゆくゆくは参内も叶うやもしれぬな。」
「今日は、贈り物すら無下に断られ、商いに誘うどころではありませんでしたな。」
忠重がついに将来の夢を語り始めたので、昌綱はさすがに言葉を差し挟んだ。
忠重は昌綱に話の腰を折られても意に介さず、それを引き継いで話し続けた。
「まだこの島に来て初日、先は長いぞ。都落ちしてきた貴族たちは皆そうじゃ、初めは誇りを捨てられないが、三月も経ってみよ、都での贅沢が忘れられず、それが今日の宴の思い出へと繋がり、向こうから頭を垂れてくるものよ。」
忠重は少し愉快そうに軽く息を漏らした。
「そのときに奴がどんな面下げて訪ねてくるか、今から楽しみですな。」
昌綱が、こちらは真に楽しげに高笑いした。
「それまで遠くから見張っておったらよいわい。いずれは味方に引き込まんとな。それまでお主らは余計な諍いを起こすなよ。好きなようにさせよ。島から出しさえすればよい。」
「気にくわねえ、都から来た貴族のお坊ちゃんをこの島ででかい顔されて歩かせるんですかぃ。」
忠重は自らの従者のそんな不満げな態度にも意に介した様子がない。
「まあそう毒づくな。それから、見張りはつけておけ。やんごとなき御方に下賎な百姓どもが無礼を働かないとも限らんからの。」
そう言うと、忠重は左頬の筋肉をわずかに上に上げた。
為朝主従は夜空の下、網之上源吾のかざす明かりを頼りに、元来た橋を戻り、農村を抜けて山の方へ歩いた。
網之上は相変わらず一言も口を利かずに前を進む。為朝たちは退屈になり、先ほどの代官たちとの宴の感想を言い合い始めた。
「九郎よ、あの島忠重、あれは武家とも代官とも掛け離れておったな。」
「商人か何かのような話しぶりでしたな。」
「あの年にして、島暮らしに似合わぬ肌の白さだった。話の中でも、都の様子やら貴族の趣味嗜好なんぞにやたらと興味を示しておった。この鎮西八郎の武勇伝などには、相槌ばかりちゃんとして、勘所を外してばかりじゃった。」
「あの刀はとても見事な品でしたね。八郎様ももう少しで手が出そうでしたが。」
「今のこの体たらくでは、貰っても刀に申し訳ないわい。抜くどころか手入れも出来ず、使わぬうちに錆び付かせてしまうわ。」
為朝は、三角巾で吊した右腕を叩いて快活に言った。
重季は、そんな柄にもない自虐を言う主人を少し不憫に感じ、自らを責めて少し暗い気持ちになったが、この方に再び刀を握ってもらおうと意欲を新たにし、話を他に移した。
「……まあ、タダより高き物はなしと言いますし、貰わぬが吉でしょうか。それより私は、あの屋敷の中に武士でも役人でもない雰囲気を纏った者達が何人もまぎれているのが気になりました。」
「ああ、そう言えば門での見送りのときに忠重の隣で控えていた若造は、見事なならず者だったな。」
忠重の隣で為朝を不遜な目つきでずっと睨んでいたため、昌綱は為朝の印象にも多少は残ることができていた。
「事も無げに飾られていた屏風絵や焼き物の数々も、やはり舶来物でしょうか、京でもなかなか見られぬ見事な物でしたね。田舎の一代官にあそこまで揃えられるものなのでしょうか。あの者達には何か裏があるのかも知れませんな。」
「どうじゃな、網之上殿?」
「へぇ?」
突然話しかけられた網之上は少し驚いたのか、間抜けな声を上げて振り返った。
「おぬしの主人は小役人稼業に飽き足らず陰で何か悪いことでもしておるのか?」
「存じ上げませぬ。」
網之上の表情は既に無に戻っており、知らぬ存ぜぬ以外には口を開く様子はなくなっていた。
「左様か。」
為朝も深く追求する気は端からない。
そもそも人の悪巧みなどどうでもよく、興味を引くことではなかった。むしろ網之上の間抜けた顔が見られて、それに満足した。
屋敷に帰ると、使用人の老夫婦がまだ明かりをつけて起きて為朝たちの帰りを待ってくれており、湯で汗を流し、用意してあった布団で寝た。
見張りもおらず、虫の音しか聞こえない安穏な寝間で、久方ぶりの熟睡を堪能した為朝であった。