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弓張月は再び輝く  作者: 雀舌一壺
第二章
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第二十一話

 吉祥丸は、平忠景やクインの思いとは裏腹に、大洋からの風を帆全幅に受け、文字通り順風満帆に航海を重ね、数日後には薩摩半島が見えるところまでたどり着いた。

 昼過ぎには坊之岬を大きく迂回し、進路を北に変えると帆を畳み、櫓漕ぎに移った。


 薩摩半島の容貌は、坊之岬を過ぎると大きく変わった。

 太古の火山の噴火により堆積した岩が荒々しくむき出しで海岸にそびえ、来る者を拒絶するかのような禍々しさを抱かせる。

 吉祥丸は、そんな険しい岩の間を、舵と櫓を巧みに操り進んでいき、やがて岩の合間から坊津港が姿を見せた。

 為朝と重季は、坊津港に入るのは初めてで、薩摩半島が見えたときから甲板に出ずっぱりで、海岸に聳える奇岩の数々に感嘆したり、船尾の舵の動きを観察したり、人足が帆を上げるのを応援したり、船が岩の間を縫ってゆく様に興奮したりと、休む暇がなかった。


 港に入ると波は静かで、水深は深く、大小の船が穏やかに停泊できる天然の良港であった。

 港の周囲は、所々刀剣のように鋭い岩が厳峻として屹立し、港に入る者に人外の異境に踏み入れるが如き思いを抱かせ、また港の存在を外界から隔離し、外海の荒波から港を守っている。

 港には、吉祥丸と同じ様な大きさの船が四、五艘停泊しており、蔵が幾棟も立ち並び、港の繁栄をうかがわせた。

 港の奥には五町四方あまりの平地が広がり、平地には民家や商家が所狭しと並んでおり、その後ろは急な崖により交通が阻まれており、その上にはいわゆるシラス台地と言われる不毛の地が広がっていた。

 港の真ん中には川が流れ、川沿いの道を通じてのみ陸路で外界に出ることができた。



 そもそもこの坊津港は、後年『三国名勝図会』において、「古昔漢土、及び海外諸蕃の徒通商互市する者、皆此津に輻湊す。」と謳われる港であった。

 さらに明代の歴史書『武備志・日本国考』では、「日本国三津」の一つとして紹介されており、特に坊津港は、「三津は坊津唯みを総てのみちとし、客船の往返は必ず之に由る。」とされ、最も重要な港に位置づけられている。

 また、これより四百年の昔には、鑑真和尚が唐の国より船で入国した港だとも伝えられており、少なくとも千年の間栄えていた、日本でも有数の港であった。



 船がもやぐいに繋ぎとめられ、橋桁が渡されると、荷物が刀一つしかない為朝主従は、桟橋に一番手に踊り渡り、上陸した。

 背後にはクインがくっついている。

 船内の作業はないのかと為朝が聞くと、行きの時にここで売る荷は売ってあるので、蔵に預けてある仕入の品を積み上げるだけだから、船内の作業はない、という。


「じゃあ何だ、この港を案内でもしてくれるのか?」


 為朝が珍しく空気を読むようなことを言う。


「冗談言ってる場合かよ! 何か雰囲気がいつもの港と違うぞ。」


 クインがそう言いながら桟橋の行く手を指差す。

 為朝たちが振り返ると、同じ家紋で揃った直垂に身をつつみ、刀を提げた物々しい一団百人あまりが、桟橋の根元にたむろっていた。

 その一団の中の一人が進み出てきて、朗々と響く声で言葉を発した。


「拙者は、薩摩荘官さつまのしょうかん平忠景たいらのただかげが郎党、山川主馬介景信やまかわしゅめのすけかげのぶと申す者。鎮西総追捕使源為朝ちんぜいそうついぶしみなもとのためとも様と御見受け致します。主の命により、御同道願いたく、参上仕りました。」


 その男はこう言うと恭しく頭を下げた。

 為朝たちは、自分たちの動きが知られていたこと、さらに同道させるという言葉に、やや緊張する。

 そして、重季が為朝を庇う様に前に出て、相手に負けぬ大きな声で言った。


「わざわざのお出迎えかたじけなく存じます。然し、我らは為朝様のお義父上である平忠国たいらのただくに様の下に赴くため急がねばなりませぬ。同道するにもその理由をお伺いしたい。」


 重季は言いながら、周りの状況を観察する。

 桟橋は分岐がなく大人四人ほどが通れる一本が陸に繋がっており、桟橋の付け根を百人余りが囲っており、主馬介とかいう男の後ろにも十人ほどの男が控えている。そしてそれらのそれぞれが、刀を携え、首周りや指の節々などを見ても相当な鍛錬を積んでいる様が見て取れる。

 この陣を力ずくで突破するのは容易ではなさそうだった。

 しかし、主馬介は柔らかい態度で、為朝たちの緊張をなだめた。


「いえ、どちらかにお連れしようということでは決して御座いませぬ。我が主が直に参り、直々に鎮西様を歓待したいと仰せ故、それまで当家の用意した宿でゆるりと船旅の疲れをお取りいただければ、という由に御座います。」


 重季はこの言葉にもきな臭さを感じた。

 歓待するつもりなら、このように人数を揃えて待ち伏せするような真似をする必要はないのだ。

 なので、さらに質問を返そうとしたが、為朝が先に言葉を発してしまった。


「おぅ、伯父上が会いに来てくれるのか、それは有り難い、儂も久々に会いたかった。それでは案内を受けることと致そう。」


 為朝は、疑う様子もなく快活に返事をする。

 為朝は伯父の平忠景に対して悪い印象を持っていなかった。

 会った回数こそ三度ほどであったが、為朝を恐れも敬いもせずに、少年として年相応に扱ってくれた、数少ない大人であった。

 重季は疑いを晴らしていなかったが、主がそう言うなら仕方がない、とりあえず様子を見よう、と考えを変えた。


「じゃあ、俺らは関係ないな? 蔵から積荷を積み上げる作業をしないといけないのだが?」


 クインが問いかける。

 髪を結って船乗りの平服を着た姿は、男の若武者にしか見えない。


「しばし待て。お主らの船は港奉行の監察を行い、積荷をあらためる。船に戻って積荷の台帳を用意して沙汰を待て。」


 男のこの言葉にクインは狼狽する。


「え、そんな! うちら変な荷は積んでないよ、真っ当な値で買い入れた真っ当な品ばかりだよ!」


 伊豆大島の代官のところで積んだ品は、代金こそ払っていないが、台帳ごと奪ってきたので大丈夫なはずだった。

 クインが狼狽したのは、荷を検められると払わねばならない貢租が増えるためである。

 主馬にして見れば、為朝を確保した以上は船には用はないのだが、もののついでで貰えるものは貰っておく心積もりだ。

 つまるところ、船長になりたての娘に、その倍ほども生きている壮年の役人を煙に巻けるわけもなく、監察を受け入れるしかなかった。



 為朝主従は、泡を食って船に戻ってゆくクインと別れ、口を聞く間もなく主馬とその部下に前後を挟まれ連れられて、宿が連なる通りの一番端の、川沿いで見晴らしのよい宿に案内された。

 主馬は二人を宿の主人に引き渡すと一礼して素早く去って行き、為朝たちが疑問を挟む間もなく宿の主人どもの歓待を受け、一番奥の二室に通された。


 一番奥の部屋は、白地に控えめな花柄を誂えた上品な襖を開けると、畳が八畳敷かれ、床の間には菊の花を挿した花瓶が飾られている。

 奥の襖を開けると松などを植えた簡単な庭があり、壁を隔てた向こうには川が流れ、そのせせらぎが聞こえてくる。


 為朝主従がしばし部屋に佇んでいると、失礼します、と襖の向こうから女の声が聞こえ、ゴトゴトと音を立てて襖が開き、女どもがお膳を二つと酒を運んできた。

 お膳に載って運ばれてきたのは、白米と魚の煮付けに野菜の煮物に漬物に汁物と、貴族が食す普通の食事だったが、二人は、半月以上も船の上で、小麦粉を固めたような餅や漬物やらという味気ない食事ばかりだったので、これでもご馳走に感じられた。


 食事が済んで腹が落ち着くと、為朝主従は四方山話を語らった。

 いろいろ話す中で、昔のことや伊豆大島に流されてより今日までのことも語り、これからどうするかについても話し合った。



 今の境遇を大まかに振り返ると、都での戦に負けて肘の腱を切られて伊豆大島に流され、その一年後に伊豆大島の代官を始末し、船に乗って坊津まで来たのだった。

 代官については、不正を見つけて追求したら抵抗したので成敗した、という言い訳もできるが、後始末を請け負った網之上源吾が本土にどう報告してるか、にも係っている。

 しかし、代官を始末したその晩に足の速い船に乗って来ており、その知らせはここまでは届いてないはずなので、ここ九州の者たちは、今の時点では二人を只の脱走者としか考えていないはずだった。


 それから、為朝の舅である忠国と、その娘であり為朝の嫁である白縫に会うのが当面の目標だ。

 紀平治には、忠国が為朝に領地を守るための旗頭になって欲しがっている、ということしか聞けずじまいで、具体的に何をするか、急ぎなのか、など分からないことだらけなので、出来れば急いで会いに行きたい。

 しかし、忠国の用件がとんでもなくくだらない、為朝のやる気が起きないことだったら、また薩摩に戻ってきてしばらく忠景の食客となるのでもよいか、という風にも為朝は考えていた。

 忠国の下で日がな一日田畑や馬の世話などやってるよりも、薩摩の港で貿易船を眺めている方が未来が開けそうな気がした。

 いずれにしても忠景の縄張りを抜けないと舅のいる肥後国にはたどり着けないわけで、伯父である忠景と喧嘩をしてまで急ぐ意味はなかった。


「白縫姫様のことはどうでもよいので?」


 嫁の話を出さない為朝に、重季が思わず聞いた。


「――うむ、まあ……私事は後で考えようと思ったまでだが……」


 舅の忠国はどうでもよいが、白縫は純粋な箱入りのお姫様だった。

 都の華美なものや優雅な雰囲気に憧れ、為朝のことも、都の優雅な貴族で且つ武勇の誉れ高き勇者として純真な崇拝の目で見てきた。

 そんな白縫には、出来ることなら都で華々しい手柄を立てて阿蘇へ派手に凱旋し、彼女の思い描く為朝でいてあげたかったが、実際のところは、戦に敗れて島流しに遭い、そこから代官を殺して脱走して帰ることとなった。

 白縫は果たして今の自分をどんな顔で迎え入れるのかと思うと、実に気が滅入った。


「……ほら、代官を殺して逃げてきたなんぞと言ったら、卒倒しかねんからな、あの女は。」


 重季は、白縫の純真な真っ直ぐな目を思い出し、それもそうかもな、と納得させられた。


 そうこう話しているうちに長旅の疲れが出て、眠くなってきたので話を切り上げ、二人で代わる代わる見張りに立って湯浴みをし、上がったらすぐにそれぞれの部屋で床に就き、深く寝入ったのだった。


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