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弓張月は再び輝く  作者: 雀舌一壺
第一章
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第一話

 十二世紀の日本。


 貴族や武家や寺社勢力の葛藤が表面化し、爆発した時代だった。

 貴族は荘園を囲い私財を蓄えることに勤しみ、盗賊や海賊の跳梁跋扈ちょうりょうばっこを野放しし、寺社勢力は私兵を囲い、強訴ごうそと称して町を荒らし回り、飢饉や干ばつなどの天災には大した関心を払わなかった。

 日本全体が機能不全に陥っていたのか、様々な荒事が常に横行し、実力行使でしか物事を解決できない時代となっていた。

 このような時代の流れは、武士の勃興と共に、やがて国の支配の在り方自体を大きく変えていくこととなる。


 そして、武士の時代の到来を告げる戦さ――保元の乱にて、最も強く輝き、数々の伝説を残し、日本一の強者とうたわれた怪物がいた。

 いや、怪物というより、怪童という方が相応しいかも知れない。

 彼は、十三の若さで勘当されて単身九州に渡り、弱冠十五歳で九州全土を手中に収め、十七で京に凱旋し、日本の行く末を決める大戦に参戦し、赫赫かくかくたる武勲を挙げている。

 敵方の首領格の一人である平清盛たいらのきよもりの軍勢を、僅か二十八騎で散々に打ち破り、清盛を恐怖に震い上がらせたという。


 彼の名は、源為朝みなもとのためともという。

 清和源氏の嫡流である源為義みなもとのためよしの八男という貴種ながら、あまりの腕白振りに為義に勘当されて九州へ落ち延びたものの、かえって九州全土を武力で切り従え、鎮西惣追捕使ちんぜいそうついぶしという架空の役職を自称する、という型破りな男だった。



 為朝は今、京から遥かに東、伊豆半島の東岸の小さな港の砂浜で、茫漠とした大洋に目をやっている。

 七尺の大男が、九月のまだ強い陽射しを受けて凶悪な表情で水平線を見やる様は、傍らで出船の準備をする年老いた船頭を畏怖させるに十分だった。

 為朝の傍らには、眉目秀麗な若者が為朝と同じ姿勢で大洋を見やっている。


 彼の名は、須藤重季すとうしげすえという。

 重季は、幼名を九郎と言い、幼少の頃から為朝と共に育ち、同じ乳母の乳で育ち、また為朝が九州へ落ちて行ったときも唯一付き従った郎党だった。

 為朝と重季は、主従でありながら、血を分けた兄弟より近しい間柄であった。

 眩しげに水平線を見やるその涼やかな有様で、縮み上がった船頭の心胆は、彼を見てようやく落ち着く。



 主従二人は、直垂に旅笠という出で立ちで、当時の武家の旅姿であったが、京の都から着の身着のまま旅を続けてきたためか、シワや汚れが目立つ。

 加えて主人のほうは、三角巾で右腕を吊っており、筋骨隆々の堂々たる体躯との対比で、余計痛々しく感じられた。


 二人は、出船の準備中、砂浜に無言でただ立ち尽くし、水平線を見つめていた。

 砂浜の奥の松林の木陰には、鎧を着込んだ大勢の武士が、為朝たちに向かい槍衾やりぶすまを作っていた。

 彼らの構える槍たちは、日の光を受けて時折凶暴にその刃を輝かした。

 まるで熊や虎などの猛獣を追い立てるかのようで、武器を持たぬ人間に対しては行き過ぎた警戒だった。


――俺はもはや人でもないのか、何とも無体な扱いよ。


 為朝は心の中で愚痴りつつ、その様はつゆも見せず、海を見続ける。

 目の前の砂浜にはみすぼらしい小舟がただ一艘のみ。

 京での大戦おおいくさに破れて捕まり、武力を奪われ、罪人として護送され、ついに東の果ての海のきわまで追い込まれた。

 これからこの海の向こうの流刑地で、隠居生活を送らなければならない。

 為朝の視線の先の水平線には、陸地がボンヤリといくつか見える。


――この何れかが俺のついの住処となるのか、この人生は二十歳も過ぎない内に終わるのか。


 目の前にはみすぼらしい小舟がただ一艘。

 今のお前にはこのボロ船で充分だ、と言われているような気がした。


「船出の用意が出来ました。お乗りくだせぇ。」


 船頭が、為朝に怯えきっているのか、枯れた細い声で言った。

 為朝が改めて船を見やると、五人乗れるかどうかも分からぬような、酷くみすぼらしい小舟だった。


 為朝は、負けるものかと気を奮い立たせ、大股を広げ、一跨ぎに船に飛び乗った。

 ところが小舟は為朝の大きな体軀を受け止めかねて大きく傾き、為朝は船縁ふなべりを掴んで何とかこらえようとし、咄嗟とっさに右腕を出そうとしたが、右肘から先が全くいうことを聞かず、小舟はひっくり返り、頭から海にザンブと落とされた。

 為朝は、戦に敗けて右肘の腱を切られ、全く動かせないのを忘れていた。


 為朝は若くして弓の名手で、かつては大人が五人掛りで張った弓を悠々と引き、戦場では一つの矢で鎧武者二人を串刺しに射殺したというほどの強弓の使い手であり、それを恐れた戦勝者たちが、為朝が二度と弓を引けぬように、腱を切ったのだという。


 為朝は、健常な時の感覚が未だ抜けず、思わず右腕を出そうとしてしまったのだった。

 海に浸かると、九月の海の冷たさもさることながら、右肘の腱を切られた時の傷が未だに癒えず、海の潮水がその傷口に殊更ことさら染みた。


「あはは、八郎様、お船に嫌われましたね、そんな巨体で乱暴に乗るからですよ。」


 重季が海に倒れた為朝を助け起こしながら、軽口を言う。

 為朝と重季は、主従でありながら、幼子の頃より一緒に育てられたため、今でも幼名の通り八郎九郎と呼び合っていて、主従ながら悪口も平気で言い合える仲である。

 為朝は重季をひと睨みし、さらにその奥に控える護送役の役人を睨みつける。

 その護送役は、笑いも驚きもせずに、ただ不機嫌そうに海の向こうを見ていた。

 為朝はひとつ舌打ちし、再び小舟に乗り込む。

 今度は、重季も船頭とともに舟を支え、為朝も優しく乗り込んだため、無事乗ることができた。



 二人が舟に乗り腰を落ち着けると、護送役が乗り込み、続いて船頭が舟に飛び乗った。

 小舟は、船頭の熟練の櫂捌きで、静かな海をゆっくりと沖へ進んだ。

 陸地からは、はなむけの言葉や喚声は全くなく、兵たちからはただ感情のない視線を送られた。


――人の心の移り変わりとは、かくもはかないものか。


 為朝ほど若くして浮世の頂天と奈落を味わった人は、この時代でも少ないのではないか。

 九州を征服し、郎党を従えて京の都へ凱旋したときは、日の本一の強者よ、義家よしいえ公の再来よ、と誰もが為朝を称え、為朝がひとたび弓の技を披露しようとすれば、ひと目見ようとする野次馬たちが群がって、あっという間に鴨川の河原が人で溢れかえった。

 それが戦に敗けると、縄目の辱めを受け、先に捕まり処刑された父為義の首の前で、野次馬たちに罵られながら、自らの右肘の腱を切られた。

 そして今では、本土を離れる最後の瞬間でさえ、雑兵にすら微動だにされない有様である。



 舟が岸から刻一刻と離れていくにつれ、為朝の心には否応なく寂寥せきりょうの念が募ってきた。

 九州から共に上洛した二十八人の仲間たちは、ほとんどが戦で死に絶え生き分かれて、残るはこの九郎重季ただ一人となっている。

 さらに九州には、阿蘇の地に妻の白縫しらぬいを残して来ている。


――白縫にもこの世で二度と会えることはないのか、いや何の面目あって九州の地を踏めようか。


 為朝を慕って付いてきた二十余名の郎党たちの家族にどの面下げて会うのか、自分だけおめおめと生きて帰り妻に会いに行くなどは、日の本一の武士もののふを自負する若い為朝には到底できないことだった。


「あれ、伊豆の地がもうあんなに離れましたぞ。琵琶でもあれば、寂しさも紛れますものを……」


 重季がそんな為朝の心を知ってか知らずか、似たような感情を漏らした。

 重季は、為朝の一郎党ながら、右腕が使えない為朝を助けるために特に願い出て、敵方の大将であり為朝の兄の源義朝みなもとのよしともの格別の計らいにより、配流先の伊豆大島への同行を許されたのだった。

 たかが郎党の身分なのだから、義朝なり新たな主人に鞍替えすれば無事に済むものを、敗者に付き添い配流の憂き目を共にし、恨み言の一つも言わない重季だったが、本土の土を二度と踏めぬかもというこの時には、流石に名残惜しさが口から漏れ出た。


「お前まで儂に付き合うこともあるまい。今からでも舟を陸に返そうか。実家で大人しくほとぼりが冷めるのを待てば良い。」


 為朝は重季の寂し気な様を見て、思わず情けをかけた。

 重季は、為朝に付き添って十三で九州へ渡り、それからは転戦に明け暮れる日々を強いられたお陰で、十八歳の今まで独り者だったので、戻る家が実家しかなかった。


「義朝様方には我が須藤家の長兄が付いております。もう家に戻っても、私の居場所はございますまい。もっとも、乳飲み子の時に八郎様の下に送り出された時点で、私は須藤家から捨てられていたのかもしれませぬが……。」


 重季はすぐに笑顔を作り、こんな身も蓋もないことを飄々と言った。


「違いないな。」


 為朝はそんな重季の返しに薄く笑いを漏らし、船が進む方へと視線を移した。

 船が向かう遥か先には、大きな陸地が横たわり、その陸地のいただきからは、黒く禍々しい煙が立ち上り、青い空を微かにくすませていた。


 ああ、この島で、我が一生は終わらんとするのか、と為朝は少し気が昂ぶり、思わず一句うたった。


   ~わたの原 遠流おんるとなりて ぎ出でぬと

    人には告げよ 海人あまの釣り舟~


「小野参議の歌ですか。でも二の句は『八十島やそしまかけて』ではなかったでしたっけ。何もわざわざおもむきをなくすこともないでしょうに。」


 元の歌では、流刑地に赴くことをわざわざ曖昧に表現し、そこに茫漠ぼうばくとした不安に加え希望を乗せている。それを何故わざわざ直接的な表現に戻すのか、重季にはよく分からなかった。


「我々は、堂々と戦い敗れ、流刑となっただけだ。敵に背を見せた訳ではないのに、何故なにゆえ恥じ入り隠すことがあろうか。」


 為朝の返事は、誠に為朝らしく、武士の矜持きょうじを感じさせるものだった。

 そういうものかなと疑いを持ちながらも、重季は、自らの運命に気丈に立ち向かおうとする主人の心意気を感じた。


 行く手には、禍々しく大きな大地が、頂から黒煙を吐きながら迫ってくる。

 黒煙で淡く濁る空の色を遠く見ると、重季の心には否応なく不安が広がっていくのだった。


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