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葉山良昌

 良照が10歳の誕生日を迎える少し前のこと。

 良照の父親、良昌は自宅の2階にある自室で、頭を抱え悩んでいた。


 普通の父親であれば、こんな時期に悩むことなど、1人息子の誕生日プレゼントについてだが、あいにく良昌は仕事第一人間であった。

 妻と死別してからもそれは変わらず、頭を悩ませることと言えば、仕事についてだけだった。


「虚数コードの世界は、日進月歩だ」良昌は言う。「どれだけ勉強しても、ついていけない、俺には……。でも、これが実現すれば、きっと……」

 良昌はPCに再び文章を打ち込んでいく。


『虚数コードによる、重力子操作』

 画面に映っているのはそんなタイトル。


 瓦礫や土砂などに埋もれた人を素早く助けるために、一帯の重力を緩和し持ち上げやすくする。

 それが良昌が作ろうとする虚数コードだった。


 重力子を操作し重力を増減させることは、理論上可能である、と結論づけられていたが、未だに虚数コードに取り入れられたものはいない。完成すれば画期的なものになる。

 しかしそれゆえにとても難しい。

 タイトルの下には、完成させるための理論や、実験結果、その考察がつらつらと書かれているが、実験結果の部分は特に惨憺たるものだった。


『4月24日、発動せず。コードに欠陥あり』

『5月15日、発動せず。コードに欠陥あり』

『6月28日、発動せず。コードに欠陥あり』

『7月21日、磁力への干渉を確認。重力子には干渉できず。再考の必要性あり』

『7月31日、発動せず。コードに欠陥あり』

『8月18日、被験者死亡』

『9月25日、発動せず。コードに欠陥あり』


 発動しなかった理由は、それらの後ろに長々と書かれているが、しかし次回の実験ではまた新たな問題が出ていたり、改善されていなかったりして、ほとんどが発動せずで終わっていた。


 発動したことはあっても、目的にしている重力子の操作は一度もなしえていない。それができてからもまだ、出力の問題が控えているにも関わらず。

 長々書かれた考察をまとめると、要は何も分かっていないということだ。1年以上の実験の現状は、未だ第一関門を突破していないと言えた。


 それ以降も、今日に至るまでずっと実験は続いているが、一度も成功とは書かれていない。


 良昌は、先日行った5月30日の実験結果に対して、それの原因や対策を打ち込んでいた。しかし、再び頭を抱えてからは、一文も書けなくなっていた。

 最早自分の力では完成させることなど叶わない。良昌にはそれが分かっていた。


 けれども、もうこれを完成させるしか、良昌には道が残されていなかった。


 良昌は、ナチュラルコード研究開発の仕事に就いて、多大な功績を収め、政府直轄の虚数コード機関にその身を移した。

 虚数コードがあるという事実を知り、虚数コードができ得ることを知り、災害救助が専門の良昌は、これでもっと大勢の人を助けられる、そう思った。


 だが、現実はそう甘くなかった。

 それは、誰かからの横槍が入るだとか、そういった意味ではない。むしろ虚数コードは国家の最優先事業で、研究費も潤沢ならば、誰かから何かを指図されることもない。結果が全てにおいて優先される世界だ。

 つまり、単純に、結果が出なかった。良昌にとって虚数コードは、あまりにも難解だったのだ。


 学んでも学んでも理解しきれない。

 どうしてそうなるのかも分からない。何をどうすれば求めている結果になるのか、何がどうして求めている結果にならないのか。

 良昌は虚数コードの素晴らしさを理解し、積極的に学んだ。それこそ、頭から煙が出るほど勉強した。しかし、虚数コードを理解できる日はついぞ来なかった。


 それでも日々は進む。結果を出さなければならない期日がやってきてしまった。

 政府としても、結果を残せない者に莫大な研究費を投資し続けることはできない。

 そして結果が残せない虚数コード研究者は、機密保持の観念から、虚数コードにまつわる記憶を消されてしまう。良昌から見て、虚数コードは素晴らしいものだった。無限の可能性がある。人類を救える可能性がある。そこに携わっていたいのは、コードに人生を捧げた者として、当然のことだった。


「どうすれば……」

 良昌は頭を抱えながら机に突っ伏して、そう呟いた。


「お父さん?」

 そんな時、後ろから声が聞こえた。良昌は振り返ると、部屋の扉が少し開いていて、そこから1人息子が顔を覗かせていた。

「頭痛いの?」とても心配そうな表情で、息子、良照は言う。「お薬飲む?」


 その優しさに、良昌は思わず微笑んだ。

「違うよ、お仕事がね、とっても難しいんだ。頭が痛いわけじゃないよ、いや、ちょっとは痛いかもしれないけど」

「え? やっぱり痛いのっ?」

「ははは、大丈夫さ。それよりも良照、もう10歳になるんだから、薬をお薬と言うのはやめよう。お父さんも、父さんだな。もっと男らしい言葉遣いをしないとな。自分のことも俺って言うとか」

「お、俺……、僕……」

「くくく、あっはっはっは」


 良照が、気恥ずかしそうに言い直したのを見て、良昌は笑った。良照も良昌が笑ったことで、明るい笑顔を見せた。

(昔は、子供なんて邪魔なだけだと思ってたのになあ)良昌は昔の自分を思い出し、少し自嘲気味にそう思っては、新たな決意を心に燃やした。(頑張ろう。この子の未来のためにも)

 幸せな父子の姿がそこにあった。


「それじゃあ、父さんは仕事は仕事があるから。頑張るから。そうだな、今度の休みの日は一緒に遊びに行こう。どこが良いか考えておきなさい」

「え、本当に? うん、分かったっ」

 良昌はそう言って、嬉しそうにする良照の姿にまた微笑むと、再びPCへと向き直った。

 止まっていた指を、ほんの少しずつでも動かし、なんとか前に進もうともがいた。


 そんな時だった。

 全てが覆ったのは。


「あ、あの、お父さん」

「ん?」

 良照は再び良昌の部屋にやってきた。そしてモジモジと恥ずかしそうに、良昌へメモリーを渡した。


「ああ、コードをまた作ったのかい?」良昌は言う。良照がナチュラルコードを作っていることは既に知っていた。その腕前がかなり高いことも。その素質を潰してはいけないと、応援することにしたため、良照はこうやって時々自分が作ったコードを見せにくるのだった。「でも今は忙しいから、後でも良いか?」

 良昌は今回もそれだと思い、そう言った。

 しかし良照は首を振る。


「お――、僕ね、お父さんのそれ、見ちゃったんだ」良照は良昌のPCを指差した。「凄いよね。お父さん、すっごい研究してるんだね」

「……お前、これが分かったのか?」

「うん」

(やっぱりこの子は天才だ)良昌は思う。(けれど叱らなくては、これは機密なんだから)


 だが良昌から続く言葉は出なかった。

 良照が言った言葉に、何一つ。

「だからね、作っちゃった」


 良照はキョロキョロと部屋を見回し、手の平を部屋の隅にある時計に向けると、それを宙に浮かせた。

 そして左右に勢いよく動かしてみる、初速は遅いが徐々に速くなるその動きは、よく見れば横に落ちていると表現できるような動きだった。


 さらに、良照は時計を地面に下ろすと、その傍にしゃがみ、手で持ち上げようとした。しかしそれは10歳の良照が、体を精一杯そらしても1mmも持ち上げられないほど重くなっていた。

「ほら、重くするのもできるよ。あと、自分も浮かせられるんだよ」

 そう言って、良照はフワフワと部屋の中で浮かび、楽しそうに踊った。


「お父さんが作ろうとしてるのより、ちょっと出力が高くなっちゃったし、重力子を新しく作るから本当は違うんだけど、でも、見て見てっ。虚数コードって凄いねっ」


 良照は、良昌が作ろうとしていた虚数コードにインスピレーションを受け、それよりもさらに高度な重力子操作を可能とする虚数コードを作りだしていた。

 それは、必死に考え、命を削って作り上げたものでは決してない。証拠に、他にも7つの虚数コードを作っていた。良照は、次々とその実演を良昌に見せていった。そのどれもが、今の技術体系ではありえない出来だった。


 手渡されたメモリーには、その虚数コードをPCでも見られるようにした暗号化データと、その解読法が入っていた。良昌は、それを見て欲しくて、良照に目をキラキラさせて見られていたことに気づいた。


 良昌は、熱に浮かされたように、メモリーをPCに繋ぎ、書いてあるテキストデータを読んだ。読み漁った。

 しかし良昌には、それが何を意味しているのかすら、全く分からなかった。

 自分が、今どんな顔をしているのかすらも、全く分からなかった。


「ど、どう?」

 不安気に見つめてくる息子を、良昌は見つめ返した。心の中に、様々な感情が渦巻いていた。

 もちろん、その中には息子の成長やその才覚を喜ぶ気持ちもあった。だがほとんどは、醜く、どす黒い感情だった。思わず首目掛けて、手が伸びるくらいの。


「お父さん?」

「――っ」

「どうしたの?」

 呼びかけられ、良昌はハッとなった。

(何をしようとしたんだ俺は……最低だ……)

 自分が何をしようとしたかを理解し、心臓が凍るような感覚に襲われたあと、頭を抱えた。


 しかしすぐに、別の意味で頭を抱えた。今の自分のような感情を抱くのは、自分だけではないと気づいたからだ。

(もしこれが発表されれば……。世界中の研究者が良照を狙うかもしれない……、いや、それどころじゃない。このコードは強力過ぎる。間違いなく奪いあいになるだろう。狙ってくるのは嫉妬に駆られた研究者じゃない、訓練された虚数コードの担い手だ)

 未来は簡単に想像できた。優れた虚数コードの研究者、開発者は、普通幸せになるものだが、桁が違えばそうはならない。未来には様々な結末があるにせよ、どの未来でも良照は不幸になっていた。


(それだけは避けなければ。そのためには……)

 良昌は決断する。

「良照。よく聞いて」

「ん?」

 その大きすぎる才能に、蓋をすることを。


「この虚数コードは、本当にすごいよ。世界中の誰も、こんなの作れない」良昌は、できるだけ優しい顔で言う。「お父さんだって、こんなのは作れない。良照は天才だ」

 良照は目を爛々と輝かせ聞いていた。


 良昌はそれを見て笑うと、また、優しく優しく、自分にある限りの全ての優しさを動員して言葉を続けた。

「でもね、良照。これは、父さんと良照だけの秘密だ。良照はもう、虚数コードを作っちゃいけない」

「え……どうして?」

 良照は先ほどまでのキラキラした目から一転、悲痛な表情になった。良昌は、そんな我が子の頭を撫でた。


「良照の作ったこれはね、凄すぎるんだ。今までのものと次元が違う。危険過ぎるって言って良い、人を凄く簡単に殺せてしまうし、人1人の力が大きくなり過ぎてしまう。だから、人類にはまだ早い」

「?」

「人間はね、そんなに強くないんだ。誘惑に勝てない。こんなものがあれば、きっと皆が争う。これは間違いなくその引き金になる危険なものだ、これは、誰にも知られちゃいけない」

「……」


「多分、これから良照が作る虚数コードは、どれも凄いんだと思う。世界の役に立つと思う。でも、駄目だ。もう作っちゃ。こんな危険なものを、世の中に出しちゃいけない。……良照、秘密にできるかい?」

「……うん」

「もう作らないって、約束できるかい?」

「……うん。ごめんなさい」

「謝らなくていい。父さんこそ、ごめんな、こんなことしか言えなくて。でも、男と男の約束だ」


「分かった、僕、約束する」

「ふふ、男と男の約束だからな、そんな時くらい俺って言ってみたら良いんじゃないか?」

「え、えー……。お、俺……僕……」

「ははは。それじゃあ良照、もう夜も遅いから、寝なさい。おやすみ」

「うん、おやすみお父さん」


 良照が部屋を出て行った後、閉められた部屋の扉を、良昌は見つめていた。

 そして、そのまま十数分が経ち、良昌はPCへ向き直った。そこには、良照が作った虚数コードのテキストデータと解読法があった。

(これも破棄しなければ。あの子の未来のために)

 良昌は、そう思い、削除しようとマウスポインターを動かした。しかし、その手は不意に止まった。研究者としての欲望が、興味が、その手を止めた。良昌は再びテキストデータを読んでいった。さっきとは違って、ゆっくり時間をかけて、一行一行丁寧に熟読した。

 しかし、それでも分かったのは、自分には何一つ分からないということだけだった。


「ううう、うおおおおお、おおおおおお……」

 良昌の口からは、そんな音が漏れた。言葉になっていない、原始の鳴き声のような音が。けれどもそれは、誰が聞いても嗚咽と分かる音だった。

 今までの自分の努力が、紡いできた歴史が、灰になって飛んでいくのを、良昌は感じた。


「おおおお、ふぐううううおお、おおおおおおおお!」

 口元を押さえても、嗚咽は部屋中に鳴り響く。ボロボロと流した涙は、その手を伝ってテーブルにいくつもの水溜まりを作った。妻が亡くなった時でさえ、それほどの悲しみは覚えなかった。

 だが、それでも良昌は、そのテキストデータを、ずっと下にスクロールし続けた。涙を拭くことなく、目を見開いて、ずっと、ずっと。


 研究成果を発表する期日がやってきた。

 良昌は、周囲から無能の烙印を押されていた。


 研究の題目だけは立派なものだが、腕が伴っていない、と。

 他にも様々な陰口を叩かれ、良昌は打ちのめされていた。追い詰められていた。


 だから、魔が差した。


 誰しもから嘲笑と侮蔑をもって見られるこの現状を変えたい。憧憬と尊敬をもって見られたい。そんなことを思うのは、人として当然のことであり、方法がないために実行できないだけのこと。

 けれど良昌には、その方法があった。捨てようとして、どうしても捨てられなかった悪魔の設計図が、そこにはあった。


 人間は、そんなに強くない。

 不幸にも、それは良昌が言った言葉だった。


 良昌は、世界中の研究者が集まる中、理論を説明する代わりに、実際に実演してみせた。

 8つの虚数コードは、そのどれもが、全員を驚愕させた。


 目論見は成功し、良昌は一躍世界最高の研究者に躍り出た。


 すぐに発表したことを後悔し、実用化はしないと報告するも、既に遅く、良昌は自分の死を感じ取った。


 まずは良照に繋がるような情報を全て消した。

 元々、自分のPCに繋げたメモリーくらいしかなかったため、消すことは容易だった。


 それから、自分自身の中の虚数コードも消した。

 最後に、研究所に残るデータも消した。

 しかし、その最中に研究所に侵入してきた者に襲われ、良昌は命を落した。

 研究所に残っていたデータの内、いくつかの虚数コードは削除を完了していたが、全てを削除しきれてはいなかった。


「良照……、なんで、俺じゃないんだ……」

 それが、葉山良昌の最後の言葉だった。


 良昌の死因は、世間的には事故死と報道された。

 しかし実際の死因は、背後から撃たれたことによる出血性ショック死だった。だが、なぜ死んだのかという死の原因は、良照にあり、そして、自ら死を選んだ自殺でもあった。


 男と三条からあらましを聞いた良照は、それをほんの少しだけ、悟った。

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