葉山良照
「こんなところへ寄り道して。生徒会長として、注意しないとね」
良照の通う学校のマドンナ。そして良照の想い人でもある三条が、そこに立っていた。拳銃を片手に構えて。
「ほ、本当に……?」
良照の頭は、現状についていかず真っ白になっていて、それだけを辛うじて問いかけた。
「いいえ、全部嘘よ。――って言ったら、あなた信じるのかしら。その質問に何か意味がある? 監視等級Dさん」
しかし、返って来たのは、冷たい解答だった。
いつものような蕩ける声だったにも関わらず、良照は思わず息を飲んだ。三条のした返答は、どんな言葉よりも如実に真実を伝えた。良照の頭の中にはその言葉が反響し、今までのことが走馬灯のように流れた。
「ただ、あなたの父親、監視等級A-21を守らなかった、っていうのはそいつの嘘。誤解ね。私も資料でしか見たことないけれど、余程グレードの高い暗殺者でも雇ったんじゃない? 万全だった警備が無力化されたみたいだから」
三条は良照の様子に気づきながらも何一つ思うところなく、拳銃を構えたまま一歩近寄った。
「それに、犯人の第一候補はそこの男よ? 先に殺されてた、なんてそいつの証言でしかないんだから」
「おいおい、エージェントにも視覚情報の提供はしてやったろ? むしろどっかへ送られる送信を途中で止めてやってんだから、お前らにとっちゃ恩人じゃねえか? 悪用を防いだんだからよ」
「確かに敵対組織に送られてたなら、お礼の1つでも言いたいけど、でも現時点で何も起こってないから、その可能性は低いんでしょう? 本命は隠されてる方、なら送信を止めないでくれる方がありがたかったし、削除の方も止めて欲しかったわね。そのせいでこれから先、手に入っても、完全じゃないんだから」
「んなこたあ、あの状況じゃ分かんねえよ。ったく、弱い奴ほど、できもしないくせに難題を押し付けてきやがる」
ゆっくり近づいてくる三条に対し、男はやれやれと首を振り、拳銃を構えた。
男もまた、良照のことは気にしていない。良照は話の中心にいながらも、蚊帳の外だった。
「6年近くも経ってようやく行動を起こすマヌケに言われたくないわね」
「6年も同じ奴監視してるのも同じだろ。それに、許可が下りなかったんだよ。組織のな。俺の勘じゃあ、コイツが一番怪しいってのによ。ま、今でも下りてねえがな」
「お得意の勘? それでエージェントもクビになったんでしょう?」三条は笑い、その体から殺気のようなものを色濃く漂わせた。「私が入る前だから、私にはあんまり関係ないけど。でも、エージェントからあなたの抹殺許可は常に出てるわ。裏切り者。サヨウナラ」
そして戦いが始まった。
お互いに、銃の引き金を引く。
軽い銃音の後、瞬きほどの間もなくお互いに銃弾が着弾した。だが、体には届かない。回転のエネルギーだけを残し、推進のエネルギーは全て直前で止められていた。虚数コードがあるために、現代で銃は殺傷能力をほとんど持っていなかった。
しかし、それは単発での話だ。
許容量以上の銃弾を浴びれば、全てを受け止め切ることはできない。
近年のスパイ同士の戦いは、いかに虚数コードを無力化するかに焦点が当てられる。
三条は男の射線を一時躱した。
身長ほどもあるコンテナの上に一息で飛び乗ると、そのまま、あたかも壁が地面になっているかのように走った。
「010超過行動、02C立体機動、三条先輩、本当に……」
良照はそれを見て呟いた。
エージェントである、少なくとも虚数コード関連の組織の一員で、自分を監視していた。それが真実だと、良照にも分かった。けれども良照にとって、それは今はどうでも良いことだった。大事なのは、三条がエージェントであること。父の死の真相について、詳しい立場であること。
それが正しいのなら、良照の父が殺されたのは本当のことになるからだ。
良照は、父親がずっと事故で死んだのだと思っていた。
虚数コードに携わっていたことは既に知っていたし、その危険性についても知っていた。だから、仕方ない、と、自らが発生させたバグで死んだのだから、責任は父親にしかない、仕方ない、そう思っていた。
(本当に誰かに殺されたなら、なんて、なんて酷い考えだろう。一番理解してあげなきゃいけない息子にそう思われて、父さんは、どれだけ……。今まで、ずっと、僕は……)
泣きそうな顔になりながら、良照は思い出と戦いを半々に眺めていた。
戦いは銃撃戦から格闘戦へ。
分子構造を切断するナイフもまた、別の虚数コードにより防がれてしまうが、近接ならばその防護を無効化する虚数コードもあった。
使用者もまた、それに力を割く分、防ぐ力は手薄になり危険なため、使いどころが限られるが、一撃必殺も可能だった。
しかし三条はそれを嫌がり、壁を走り回り、時には空中で一瞬制止する、機動戦を仕掛けた。
戦いは激しさを増す。状況は、三条に少し不利だった。
三条は、余裕の表情をする男とは対象的に、額に大粒の汗をかき、肩で息をしていた。
「流石はエージェント元ナンバー3。虚数コード全盛の時代になって、ついていけなくなったから裏切ったんだと思ったけど」
「D等級の監視なんかしてる雑魚には負けねえよ。お前100番代だろ? むしろ、お前が1人で俺の前に現れたのが信じられねえ、本当に勝てると思ってたのか?」
「だって功績は独り占めしたいじゃない?」
「……そういう奴か。嫌いじゃねえぜ」
「ありがとう。なら死んでくれる? ねえ、葉山君?」
だから三条は、この不利を覆す行動をとった。
その行動に、良照はビクリと体を震わせた。心臓が飛び跳ねた様に脈打ち、感情を恐怖に染める。三条の構えた拳銃が、自らに向いていたからだ。
静音機能に優れた拳銃が、バン、と音を立てた。狙いは、良照の眉間。それを良照が理解するよりも早く、そして瞬きするよりも早く、銃弾は迫った。
「ちっ」
その凶弾を防いだのは男だった。
「おいおい、危ねえなあ」男は三条に向けて言った。「自分の監視対象で、同じ学校の後輩だろう? 優しくしてやれよ」
「あなたが守ると思ったから撃ったのよ。その子が一番怪しいと思うんでしょう? なら守らなきゃ。それに私にとっては死んでくれた方がありがたいのよ。このつまらない任務が終わるのなら、それが一番良いじゃない? あなたを殺して、あながた殺した細工をすれば良いだけで」
三条は不敵に笑った。
「ごめんなさいね葉山君。恨むのなら、ロクに調べなかったその男と、宛先を書かずに送信して死んだ父親と、力のない自分を恨みなさい」
全く悪びれるような様子もなく、ただ淡々と、三条は良照に向かって銃弾を何発も撃った。
男は良照の前に立ち、その銃弾を受けながら三条に向かって銃を放つが、自由に移動できる三条と、良照への射線を遮らなければならない男とでは、銃弾の回避率が違う。
虚数コード、03Aイネルシアシールドは、銃弾などの、推進エネルギーを与えられ、非制御下で飛ぶ物体のエネルギーを無力化することができる。
しかし、無限に無力化することはできない。
虚数コードは、あくまで人体に命令を下し、効果を発揮させるもの。腕を動かす、頭を動かす、大元はそれらと同じ。つまり発動の度に、人体に内包されるエネルギーを消費するのだ。
03Aイネルシアシールドでは、呼吸により取り込んだ酸素から生成する水素、そして主にカロリーが消費される。
ゆえに、一度に対処できるエネルギー総量にも、継続して対処できるエネルギー総量にも制限があり、このように連続して撃たれ続けていれば遠からず限界がやってくるのだった。
「ちぃ、嫌いじゃねえってのは撤回だなっ。嫌な性格してやがるぜ」
「学校の女の子達には影でよく言われてるわ。男の子には人気なんだけど」
「一番性格が悪い女のパターンじゃねえか」
男は歯を食いしばる。余裕だった表情は、一気に苦しいものへ変化した。
ただそれは、状況が苦しいがゆえのものではなく、雑魚相手にここまで粘られるとは、という自身への苦々しさの表情だった。
男の勝利は、最初から揺らいでいなかった。
「ったくよ、これまで使わされるとはな」
男は拳銃を握っていない方の手を前に向けた。
「なに?」
三条は警戒し、その手から指向性の何かがくると考え、射線から体をどかした。
それでも構わずに、男は手から、目には見えない何かを放った。
それは、確かに指向性を持っていたが、こんな倉庫内ではいくら身を躱そうと避けきれないほど、放射状に拡散される攻撃だった。見えない攻撃が、三条を襲った。
「ぐううぅ」三条は膝をつく。「超音波っ? こんな前時代の代物でっ」
そう言った口調は、実に苦しげだった。
「ナチュラルコードの台頭で見なくなったが、虚数コードで作った特別製だ。最近開発されたやつでな、お前みたいな下っ端にゃあ、まだ情報をおりてきてねえだろ。いくら守ろうが、無駄だ、結構効くぜ?」
男はそう言うと、膝をつき頭を押さえながらも銃を構えた三条に、にじり寄るように近づいていった。
再び良照を撃ち、防御に回らせようとした三条だが、しかしその位置から狙っても、射線上に既に男がいるため、近づいてくることは止められなかった。三条は苦しそうな表情のまま立ち上がり、ナイフによる格闘戦を挑む。
「流石に格闘戦の最中は使えないようね」
「仰る通りだ。が、近接で勝てるとは思ってないよな? 何しろ俺は昔人間だからよ、こっちの方が得意なんだよ」
分子構造を切断するナイフはぶつかり合うと、耳に障る甲高い音が周囲に響く。また、そのナイフを防ぐシールドを無効化する虚数コードが発動した場合、その性質上、炭酸の泡が弾けるようなパチパチという音がする。
その音が鳴れば鳴るほど、戦いは激しくなる。2人はナイフを幾度も合わせあった。
そんな音が響く倉庫の中で、良照はもがいていた。
自分を椅子にくくりつける紐を解こうと、手首を縛る紐から手を自由にしようと。
良照は未だ、父親が殺されていたことや、監視され続けていたショックからは抜けだせていない。まだ15歳の良照にとって、その事実はあまりにも重い。しかし、この場から抜け出さなくてはいけないとも思っていた。
(逃げるなら今の内だ)
だから良照は気付かれないように、何度も紐に指をかけようとチャレンジしていた。
(それに――、三条先輩を助けないと……)
また、良照はそんなことも考えていた。
(多分、僕に向かって撃ったのは、逃げろ、って言いたかったんだ。実際、僕はそれで逃げなきゃって思ったわけだし)
良照が深いショックの最中、逃げなければと思ったのは、三条から撃たれた新たなショックのせいだった。殺される、そんな思いが、良照の止まった心を再び動かした。それを良照は、三条が敢えてしたことだと思っていた。そのおかげで、とも。
(1人で助けにきてくれて、僕を監視してたエージェントっていうのは本当なんだろうけど、でも、助けに来てくれて、今はピンチになってる。だから、助けないとっ)
良照は、人が良い。
誰からも、お人よしと言われるほどだった。人の悪いところを見ない。良いところだけを見て、良い風にだけ解釈して、それをその人の全てだと考え、それに報いようとする。
全ての人が、善い人だと思っていた。
三条のことも、果てには男のことも。そしてもちろん、父親のことも。
そしてそんな人達と付き合って行くのだから、自らも善い人でなければならないと思っていた。
だから、良照は嘘をつかない。
そう、良照は嘘をついていない。
虚数コードのことは知っているが、父親が作った虚数コードなど知らない。受け取ってもいない。ずっと監視していても嘘をついたことなどほとんどなく、もしついたとしてもその際の様子がが分かり易過ぎることから、誰もが良照の言い分を信じて、良照が気づかない内に受け取っている可能性や、これから受け取る可能性を追求し、監視し誘拐した。
だが、それは勘違いだった。
誰も彼も勘違いしていた。
三条も、三条の所属するエージェントも。
男も、男の所属するテロ組織も。
そして良照でさえも。
そう、良照は嘘をついていない。だがそれは、本当のことを知らないから、嘘になっていないだけ。
良照は何も知らないと言えた。
彼等が探している虚数コードはなんなのか。父が作った虚数コードとはなんなのか。人の愚かさを、良照は1つも知らない。
(早く、早く、解けろっ。結び目はどこだよっ、もうっ)良照は心の中でそう叫びながら、紐を解こうと躍起になった。
しかし、それが決して解けないことは、三条や男が良照を全く気にしていないことから分かるものだった。彼等の使う拘束用の紐は、専用の電磁波を浴びせない限り、形状が変化することはない。良照が必死に探していた結び目など、どこにもなかった。
つまり三条が良照を撃ったことに、逃げろ、という意味などどこにも含まれていなかった。それに良照は気付かないまま、なおも三条を助けるために紐を解こうともがいた。
焦る良照の前で、戦いは佳境を迎える。
三条の手からナイフが落ち踏みつけられ、代わりに構えた銃もまた弾かれ、それはコンテナとコンテナの隙間に滑りこむように入っていった。
戦いは、三条の敗北で幕を下ろそうとしていた。
「はあ。6年前の代物とはいえ、未だ最新を上回る虚数コードを巡る戦いで、まさかこんな前時代的な戦いをしなきゃならないなんて、予想外だわ」
三条は片膝をつき、腕の出血をもう片方の腕で抑えながら、しかしなおも余裕を漂わせる声で言った。
「別にエージェントとまともに事を構えるつもりはなかったんだがな。どうだ、見なかったことにするなら、逃がしてやるが?」
「情けをかけられるなんて、そんなの耐え難いから、遠慮するわ。代わりに派遣される上位ナンバーに殺されて頂戴」
「本当に、嫌な性格してやがる」
パチパチと音がして、三条のシールドはかき消されていく。
音が止めば、ナイフが振られる。
そのナイフは防げない。
(この――この――、解けろって――っ)
良照はもがいた。しかしその思考と行動には何の意味もなかった。
男の行動を遅延させられることすらできない。
三条は男を上目遣いで見ながら、せめてもの呪詛のように言った。
「例のコードが手に入ってたら、あなたを超重力でぺしゃんこにしてやるのに」
「そりゃあおっかねえ。ま、その在り処は俺があいつから聞きだしといてやるよ」
2人のその言葉は、パチパチという音が止まった倉庫内に、静かに響いた。
(解け――)良照の耳にも、その言葉はハッキリと届いた。だから良照は紐を解こうと躍起になっていた思考も行動を止めた。「……え?」
その声は、静かな倉庫内に反響した。
「超……、重力?」
もちろん、続く言葉も。
「3F5擬似重力子?」
「――っ」
「――っ」
三条と男は、決着がいつでもつけられる状況にも関わらず、それを忘れて良照の方へと振り返った。
「……。ああ、そっか、そういうことか……。なんだ、そういうことだったのか、なんだよ、ああ、なんだ」
良照の様子は、先ほどとはまるで違った。
紐を解こうともがいていたのが嘘のように大人しくなっていた。どちらかと言えば、先ほど父が殺されていたことを告げられた瞬間に近い。しかし正確にはそれとも違った。
形容し難い感情が、良照の中に渦巻いていたのが2人には見て取れた。
三条と男は、良照に何かが起きたことを察した。良照の中で何かの歯車が合致したのだと、思った。
虚数コードを巡るこの争いに、終止符を打つような衝撃的な事実が判明したのだと、そう思った。
だが、それを探る前に、2人は頭の中で先ほどの言葉を消化しなければならなかった。良照の父親が世界に向けて発表し、しかし実装を拒み死んだ原因である、8つの虚数コードの内1つ、超重力を操る虚数コード、3F5擬似重力子という正式名称を、なぜ良照が知っているのか。
(あれの正式名称は研究者なら広く知ってる。でも、絶対に出回っていない、知ることはできない。なのに、……なぜ?)
(親父から聞いてたのか? 違う、それならもっと早くに言うはずだ。エージェントがそれを見逃すはずもねえ)
2人は戦いを中断し考えた。
2人にとっては、殺しあいよりも、その在り処が重要なのだから。
そして、その間に良照も考えていた。
「父さん、あんなこと言っといて結局……、なんでだよ……」
良照は三条と男のことなど既に頭の片隅にもないかのように、独り言をぶつぶつ呟いていた。その顔は、何かを納得し、落胆しながらもスッキリしているようにも見えた。
「あ、でも、研究を実用化しなかったってことは、そういうことだよなあ。父さんはやっぱり駄目だと思ったんだ。危険だと思って、破棄しようとして、失敗して殺されて。うん、じゃあ、やっぱり僕のところへは送られてこない。他の、父さんを殺した奴が、自分の組織が使う用に送ったんだ。実用化されてないのは、送信が途中で邪魔されて不完全だったから、とかかな……。父さん、父さん、ごめんね。成果でなくて苦しんでたんだもんね、今なら分かるよ、僕、馬鹿だなあ。じゃあ全部僕のせいじゃないか……」
どこか悲しげであり、最後にはハッキリと悲痛な表情になっていた良照は、言葉を言い切るとガクッと首を落とし、涙を流した。
「……おい、どういうことだよ。1人で納得してねえで、俺にも教えてくれ」
腑に落ちた、全てを察した、そう言わんばかりの様子の良照に向けて、男が問いかけた。
(さっきの考えは行き過ぎだったかもしれねえ、だが、明らかに重要な鍵を、コイツは握ってる。きっとそうだ)
「やっぱり、お前の親父が、お前に残したのか? お前はその在り処を知ってんだな?」
「……父さんが、それを僕に残すはずがありません」
「そんなこともねえだろ、親ってのは子が大事なもんだぜ? 俺に今、思いついたことを教えてくれよ」
「僕に残すはずがありません」
良照の言葉はとても静かで、あるいは独り言のようにも聞こえたが、2人は一言も聞き漏らさず、その真意を汲み取ろうと耳を澄ませていた。
「それは、なぜ?」
三条が問いかけた。
「父さんが僕に残すはずがない、意味もない。だって、それは……、僕が作ったんだから」
「……は?」
「……は?」
全く予想していなかった言葉に、三条と男は、呆気にとられた表情で、ただその言葉だけを口にした。
続く沈黙の中、良照は言う。
「どこかに送るはずもない。だって父さんはこんなものがあっちゃいけないって言ってたんだから。発表はしても実用化しなかったってことは、やっぱりそういうことで……。だから、どこかに送られたそのどこかは、父さんを殺した人のところです。……だから僕の役目は、それを――」
良照は不意に立ち上がった。
特定の電磁波を浴びせなければ解かれることのない紐は、ただの糸くずのようにはらりと倉庫の床に落ちた。
「――っ」
咄嗟に男は拳銃で良照を撃った。
致命傷になる箇所ではない。ここで重要な情報源を殺してしまうほど、男は愚かではない。例え自分が死ぬとしても、良照のことは殺さない。だから銃弾は、両腕と、両足に一発ずつ。
銃弾は何かで止められることもなく、簡単に良照の腕と足を貫いた。
男の脳裏に浮かんだ悪い予感、虚数コードのシールドで食い止められる予感は当たらなかった。男はホッと胸を撫で下ろす。だが、現実は予想を上回る。
「嘘、でしょ?」
倉庫の硬い床に、いきなり花が咲き乱れた。
それと同時に、良照の撃たれた両腕と両足の傷が治っていく。膝をついていた良照は、まるで何事もなかったかのように立ち上がった。
「……3FA生命量子分裂、だと……」
男は呟いた。
「ごめんね、父さん。謝っても謝りきれないと思うけど、でも、だから、この虚数コードは誰にも使わせないよ。父さんを殺した犯人も、絶対に捕まえる。僕が――っ」
2人は最早、理解せざるを得なかった。
良照が手をかざした途端、男を、立ち上がれないほどの強烈な重力が襲った。