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父親の真実

 良照の父親、葉山良昌は、大学でナチュラルコードを専攻し、卒業後はナチュラルコード研究開発の仕事に就いた。


 専門は災害救助。

 2000年代も後半にさしかかったが、未だ世界各国で災害の被害はあとをたたない。

 だから良昌は、人災ではなく天災で死に行く人をどうすれば救うことができるのかと、日々コードの研究に勤しみ、その手腕をふるっていた。


 製作したコードは多岐に渡る。

 人の知覚を底上げし、事前に地震を感知できるようにするコードや、厳しい環境でも眠れるコード、まずい水や食料を美味しいと思えるコード。数々の有用なコードを、良昌は作り上げた。


 中でも、人体が自ら位置情報を発信できるようにする、というナチュラルコードを製作した功績は大きかった。

 受信には専用の機器が必要になるものの、以前は人体に埋め込んだチップで行っていたことを、それ無しで、しかもさらに高精度で行えるようになったのだ。これにより、災害時、土や水に埋もれてしまった者がどこにいるのかは、いかなる状況においても完全に把握可能となった。

 またその技術を応用し、詳細なメディカル状態を発信できるようになったことが、災害救助に大きな躍進をもたらしたと言える。


 土砂崩れがあり土に埋もれてしまっても、位置と健康状態が把握できていれば、ほとんどの場合で助けられる。水害時も同様。さらには普段の救急搬送の際にも、予め状態を把握することができるようになった。

 日本の一部区画で限定的に行われた実験では、実に年間の死亡者数が1割も減少した。


 そのコードが、世界中の人々と新たに生まれる新生児に書き込まれる、マザーズコードと呼ばれるコード群の仲間入りを果たすのにも、そう大した時間はかからなかった。


 そのため、葉山良昌のナチュラルコード作成の腕前は非常に優秀で、日本でも、そして世界でも名の知れる研究者になった。

 結婚し、子供に恵まれても同様。良昌は世界の安全のため、さらなる努力を重ねていた。


 そんな者が、虚数コードに関わるのは、至極当然のことだろう。

 良照が生まれてすぐ、良昌は聞いたこともない国営組織に呼びだされ、虚数コードの存在を教えられた。断ることもできたが、良昌は即決で仕事場を政府直轄の虚数コード機関に移した。


 専門は、やはり災害救助。

 ナチュラルコードと虚数コードは似通っている部分も多く見えるが、内情を知る者達からしてみれば、全くの別物であり、理解することすら難しい。例に漏れず、良昌も苦労に苦労を重ねたが、しかし、勤め始めて7年が経った2071年。今より6年前のこと。

 葉山良昌は、世界中を震撼させる虚数コードを発表した。

 

 それは成果がなく消えかけていた葉山良昌の名前を、世界中の虚数コードに関わる者達に永遠に刻みこむほどの代物だった。

 災害救助の枠にとらわれない。まさに万能、神の如く力を手に入れられる。研究者達も、それを使う者達もその実演を見て、興奮を抑えられなかった。


「これで人類は、次のステップに進む」

 当時の虚数コード研究学会の会長は、その発表のあった学会の最後を、そんな言葉で締めくくった。


 けれどもその虚数コードは実装されることはなかった。

 葉山良昌自身が、コードの実装を拒否し、そして全てのデータを抱え込んだまま、研究中の事故により死亡してしまったからだ。


 虚数コードはその性質上、紙に書くこともデータとして打ち込むこともできなかった。数字や文字ではないのだから、それも止むなし。虚数コードが存在できるのは、人の頭の中か、人の虚数領域の中だけ。

 そのため、研究中の虚数コードは、研究者本人か、被検体の虚数領域か、虚数コードを数字や文字に変換した状態で紙やデータ上にあるか、そのどれかである。しかし、被検体の虚数領域にあるコードを閲覧することは不可能で、紙やデータに変換して書いたとしても、それを紐解くための解読法がセットでなければ決して読み解けない。

 研究者が不意に亡くなれば、そのコードは失われたも同然であった。


 さらに言えば、良昌が死亡した際には、既に被検体から虚数コードは綺麗に削除されており、変換したものを書いた紙やデータすら処分されていた。

 そのせいで研究者の中には、葉山良昌は虚数コードを作れず、捏造して発表したのではないか、という者もいた。しかし多くの研究者は、それが真実だと知っていた。実際にその目で見たのだから。

 だからこそ、各国の虚数コードを用いる機関、すなわち国家が運営するスパイ組織や、国家転覆を狙うテロ組織は、一斉に動きだした。


 葉山良昌が製作した虚数コードを、なんとしても手に入れろ、と。


「父さんが作った……虚数コード?」

 落ちた銃弾の音が消え、倉庫内に静寂が訪れた頃、良照は男にそう聞いた。


「ああ」男は頷く。「今までの虚数コードの概念をぶっ壊したみてえな虚数コードだ。手に入れば、そこが世界を手に入れられるくらいのな」

「世界を……。で、でも僕は、そんなの知らない。持ってもいな――」


 良照は縛られたまま顔を上げ、男と目を合わせた。

 気弱で、まだあどけなさが抜けず、本来の年齢よりもさらに年下に見える良照と、強面でいくつもの修羅場をくぐり抜け、頭のネジが1本2本抜けていそうな壮年の男は、まるで対極の存在のようだった。

 よく見れば、男の顔にはいくつも恐ろしげな傷があった。しかし良照はそれに気づかなかった、男と目が合ってすぐに目を逸らしたからだ。

「――持っても、ないです」

 良照は弱弱しい口調で言った。


「……5年前にも話を聞かれました。その時僕は何も知らないって言って……、あなたはエージェントの人ですか?」

 良照は、焦りや動揺から、若干支離滅裂な言葉になりながら、男に聞いた。


 良照は父親が死んですぐ、件の虚数コードを持っているかどうかを、国営のスパイ組織に尋問されていた。それが、エージェント。虚数コードを使う国防組織。そして当時、持っていない、シロである、と判断されたのだった。

 だから良照が聞きたかったこと、言いたかったことは、もしも同じ組織であるならば、既に調べているのに5年も経って今更なぜ、今すぐ解放してくれ、というものだった。


 あまりにも言葉足らずであったために、それを正確に理解するのは難しいが、しかし、男は良照が聞きたいことや言いたいことに、元々いくつか見当をつけていたのか、何が言いたいのかを察して答えた。

「いいや、俺はエージェントじゃねえ。むしろ敵対してるな。あっちは国を守る方、俺達は国を壊す方だ」

「……テ、テロ組織……」

「おうよ。けどまあ安心しろ。そこら辺の事情が分からないまま、一方的にお前が持ってんだろって決め付けてやってきたわけじゃねえ」

 しかしその回答は、良照が望んだものではなかった。


 怯んだ顔をする良照に、男は続けて言う。

「お前がそん時に受けた尋問結果のデータは持ってる」眉間にシワを寄せ、情報領域にアクセスし、男はその資料を頭の中に展開した。「葉山良昌の1人息子葉山良照、当時10歳。父親が虚数コードの研究開発に携わっていたことは知っているが、それは自宅に置いていた資料を盗み見たもので教わったことはなく、父親が近年に発表した虚数コードに関しては、一切知らない、ってな」

「だ、だったら――」


「お前の親父は死ぬ寸前。虚数コードをどこかに送信してる。解読法つきでな」

「――っ」

 良照はなら解放してくれと訴えようとしたが、男がそう言った途端、目を見開いて驚いた。驚愕していた。


「送信先は不明だ。誰に送られたか分からねえ。そんで、着信の時期も不明だった。いつ届くか分からねえ」

「……」

「なら、1人息子のお前に届くのがスジってもんじゃねえか? な? 事情が分からないまま、一方的に言ってるわけじゃねえだろ?」

 黙ってしまった良照に、男はそう問いかけた。


「エージェントも、そう考えてるらしい。だからお前にはいっつも監視がついてた」

「……監視?」

「その監視の目を盗んで誘拐すんのも疲れたぜ。つっても、雑魚の監視だけどな。送信先がお前である確率は、そう高くないと思ってるみてえだ。ABCDEFGと監視の等級があって、お前はDだったからな。Dってーと、なんて説明すると分かりやしいかな、自宅も出先もAIによる常時監視。1人の雑魚エージェントがそれなりに身近に待機してる、って言うと分かり易いか?」

「う、嘘だ、そんなの全然……」


「そりゃあ気づかねえだろ。あっちもプロだからな。もし信じられねえようなら、AIの監視データくらい送信してやろうか? お前の尋問データと一緒にかっぱらったからな、持ってんぜ?」

 男はそう言うと、良照の額に指を押し当てた。

 そうすることで、良照の情報領域と男の情報領域が繋がり、入力したデータを移動させることができた。


「……嘘だ……」良照はそのデータを開き、絶句する。「本当に……」

 自分の生活の様子が、5年以上に渡って常に監視されていると知れば、誰しもがショックを受ける。特に年頃の子供である良照にとって、それはひたすらに大きかった。


「それには、お前の全部が映されてる。こっちの文字データは渡せねえが、それには結果がちゃんと書いてあるぜ。ナチュラルコードを独学で学び続けており、腕前は上級医師と同等。幼馴染である双葉加奈に対し幾度も処方を行っている。それと同時に虚数コードについても常に調べている。広く出回っているものに関しては、関係者と同等近い知識を持つ。製作は一度もしておらず、また使用の痕跡も見られない。ってな」

「監視……? どうして……」


「とまあ、一部だけ読んだが、私生活部分も詳しく載ってんぜ。彼女ができたことなくて良かったなあ。いたらそりゃあもう、泣けてくるところだったぜ。ま、いないのもいないで泣けてくるけどな。はっはっはっは」

 男は良照とは対照的に、大きな声で笑った。


「はっは、ふう、で? そんだけ監視されてて、虚数コードを持ってることが未だに発覚してないってことは、持ってないってことなんじゃねーか、とは言わないのか?」

 そうして笑い終えた後、良照に向かってそう問いかけた。

 ショックの大きかった良照は、男が言ったことを理解するのに数秒の時間を要したが、理解すると希望に満ちた目をして顔を上げた。だが男はそれを見て、やれやれと首を振る。


「ならねえな」男は言った。

「どうして……ですか?」

「お前が気づいていねえ可能性の方が高いからだ。親父からそうとは知らず受け取った、親父から送られてきたことに気づいてねえ。もしくは、まだ送られてきてねえ。エージェントもそう考えてるから、お前の監視等級はDなんだよ」

「僕は……、僕は本当に知らないっ。父さんが虚数コードを作ってたのは知ってます、でも、それを貰ったことなんてないっ。それに、父さんは僕に、虚数コードに関わらないよう言いました。そんな父さんが僕に送るだなんて……」

 良照は自身を取り巻く現状をつきつけられ、そうまくし立てた。乱暴な言葉遣いでこそないが、本人にとって精一杯の大声と虚勢を張って。


 しかし男は、鼻で笑うだけだった。

「だから、お前が気づいてないだけって言ってるじゃねえか。ほら、さっさと心当たりを話せ。親父から貰ったもの、親父がしてた話でもいい。なんでもだ。それが終われば解放してやるよ。お前が生きてるか死んでるかなんて、俺達にはどうでも良いからな」

「……」


 良照は言葉を失った。

「僕は……」そんなことを呟くも、続く言葉は出てこない。「……」

 良照は、それきり押し黙った。


 だが、しばらく経ってから男が続けて言った言葉に、思わず伏せていた顔と沈黙していた声をあげた。

「それに、監視されてる以上、お前が手にするんだったら必ずエージェントに奪われる。エージェントに義理立てするようなもんだ。お前の父親を殺したのは、あいつらも同然だってのによ」

「……え? 父さんが……、殺された?」

 今まで以上に唖然とした表情を見せた良照。


「気づいてなかったのか? どう考えても不自然だろ、世界を揺るがす虚数コードを開発、発表して、それを使わせないと宣言して、すぐに事故死。誰がどう見ても殺されてる」

「そ、そんなのあなたの想像の話じゃないですか。父さんは事故で死んだんだって、皆……、ニュースでも全部……」

「そっちが嘘だろうよ。現に俺は、お前の親父の死体を見てる。殺されたてホヤホヤのな」


「え?」

「いやあ、あんときゃ驚いたぜ。お前の親父の殺害と、研究データの奪取の命令を受けて、意気揚々と乗り込んだは良いが、警備は全部無力化されてて、お前の親父の死体だけが転がってるんだからよ」

 顔と声をあげた良照は、目に様々な感情を浮かべた。

 男は話ながらその感情を量ろうとしたが、すぐに止めた。

 心がぐちゃぐちゃになっていることなど、パッと見ただけで分かったからだ。


(信じた前提が崩れてなくなって心は折れかけ、って感じか。もう一押しすりゃあ何でも話すだろ、探る意味もねえ)

 男はそう考えた。

「暗殺用の虚数コード、お前が知ってるかは知らねえが、それを使えば外傷なく死ぬ。が、見る奴が見れば分かる。少なくとも俺が見た感じ事故じゃなかった、虚数コードのバグが起こす死亡事故なんてのは周囲がグチャグチャになってたり痕跡が残るが、そこは普通の綺麗な部屋だったからな。動いた痕跡があったのは、開発した虚数コードの資料置き場とデータを消去しながらどこかしらへ送信中のコンピューターだけだ」

 信じられないという目、しかし泣きそうな目をして男の話を聞く良照。


「今もその時の視覚情報はこん中にいれてる」男はしかし続けた。「親父の死は普通の奴にはトラウマもんだから見せねえでおこうと思ったが、信じられねえって言うんなら見せてやるぜ? 加工してるしてないの判断くらいはつくんだろ? ネットに落ちてる虚数コードの真贋を見極められるみてえだからよ」

 男の言葉に、良照はゆっくりと顔を伏せた。

 父親の死が、事故であろうが他殺であろうが、良照の今を取り巻く状況は何一つ変わらない。けれども、唯一の身内だった者の本当の死因を知らなかったこと、中でも殺されたことを知らなかったことは、遺族の心を大きく抉るものだった。


 男もそれを察したのか、視覚情報を良照に送ることはしなかった。

 ただ、それは優しさからではない。意味を感じなかっただけのこと。

(もう、何もしなくても全部喋るな)

 そう思っただけのことだった。


 男は話を続け、再び父親が死んだ際の状況を良照に伝え始めた。警備が無かったことを中心に。

 良照の顔や声は、男の続く話に対し、もう上げられることはなかった。


「その研究所を守ってたのが、エージェントだ。つまり警備がゼロってことは、守ってなかったってことだ。わざと侵入させてんのかってくらいな。あいつらがちゃんとやってりゃあ、お前の親父も死ぬことはなかっただろうよ。お前と、今でも平和にあの家で暮らしてたはずだ」

 話は後半にさしかかった。

 いつの間にか男の口調は、幾分か柔らかいものになっており、そのせいで良照の頭には男の話す映像が浮かべられた。


 笑う父親。

 良照の話す勉強の難しさに、加奈の無茶振りに、父親は笑う。こんな誘拐されることもなく、平和に家、平和な食卓がそこにはあった。


「なあ? エージェントに義理立てする意味なんてねえだろ? 心当たりがあるなら、全部俺に言っちまえ。なに、本当にあるかは分からねえんだから、言っちまっても問題ねえさ」

「……、……、……、父さんは……」

 良照がポツリと一言話すと、男はニヤリと笑った。


 だがその時、倉庫内に銃声が響いた。


 忌々しそうに舌打ちをした男に、乱入した誰かが声をかける。

「エージェントの悪口も、大概にして欲しいのだけれど」

 それは、艶を含んだような女の声で、良照にとっては、何度も聞いた声だった。聞き覚えのあるものだった。


(え?)良照は信じられない気持ちを伴って、銃音でも少ししか上げなかった顔を、バッと勢いよくあげた。


「ちっ。もう少し待っててくれても良かったんじゃねえのか?」男は自分の頭の寸前で停止した銃弾をつまむと、ひょいと捨てて言った。「世のため人のためだろう? エージェントさんよ」

「テロリスト風情が、冗談でしょう?」


 倉庫の扉は一度も開いていない。女は別のルートから入ってきていた。この倉庫にあるコンテナの1つは、地下道に繋がっていた。

 その地下道は暗く狭いものだったが、女の服は汚れていない。女の制服は汚れていない。

 良照が通う学校の、女生徒の制服は。


「それに監視対象に監視されていることを伝えるなんて、酷いわ。仕事がしにくくなるじゃない。ねえ? 葉山君?」

「そんな……」

「今日は早く帰りなさいと言ったのに……。悪い子ね」

「――三条先輩っ?」

お読み頂きありがとうございます。

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