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虚数コード

 良照が目を覚ました時、そこは倉庫の中だった。


(あれ、僕何してたんだっけ……)記憶が混乱していた良照は、まずそんなことを思った。(ここ、どこだ?)

 続いて周囲を見回したが、そこは良照の知っている場所ではなかった。すると良照は、徐々に記憶を取り戻していく。そして表情を焦燥と困惑に変えていった。

(そうだ、学校帰りに襲われて……)


「に、逃げないと――」良照は慌てて立ち上がろうとした。「あ、あれ? 動けな――、縛られてる?」

 しかしその時に、自分が椅子に座っていたことと、椅子に縛られていることに気づいた。

「えっ? 嘘、嘘でしょ?」

 良照の困惑はさらに増していった。誘拐、監禁、そんな犯罪の名前が頭に浮かび、顔色はどんどんと恐怖の色に染まっていく。心臓はバクバクと激しい音を立てるようになった。


「だ、誰か……、誰か……」

 良照は再び周囲をキョロキョロと見回した。今度は、場所を確認するのではなく、人を探すためだった。

 倉庫は港の近くにある。だから倉庫内には、輸送用の大小様々なコンテナが置かれていた。

 埃がたまっていないため、現在も使われていることは確かだが、しかしどれだけ探しても人はいない。自分が動く度にきしむ椅子のギシリという音以外、良照には何も聞こえなかった。


 そもそも、この場所に誰かがいたとしても、助けてくれるわけがない。

 誘拐され連れてこられた場所にいる者は、攫った張本人かそのグループか、同じく攫われた人である。助けに応じてくれるわけがない。それは、少し考えれば分かることだったが、しかしこんな状況を想像もしていなかった良照には、考えつかないことで、頭を左右に振り必死に人を探した。


 だが、誰もいない。

「一体なんで……、なんで今更……。誰かー誰かいませんかー、助けて下さーい」

 大声で叫んでも、倉庫の遮音性能に全てが吸い込まれるだけ。良照は焦りを募らせていった。


 しかしその時、倉庫の扉が不意に開いた。

 自動で開く電動の扉が、音も無く左右に。扉の向こうには太陽が出ており、良照の位置からは逆光になっていたため、扉を開けた人物の姿は見えないが、良照は人を見つけたことに安堵した。


(助かった)

「信じられないかもしれないですけど、攫われてっ」良照は、倉庫の中へ入ってきた、男っぽい体格の人に向かって叫んだ。「助けて下――」

 しかし、言葉を途中で止め、飲み込んだ。倉庫の扉がしまり、太陽が隠れ、ハッキリ見えるようになった男の顔を、良照は目を見開いて見た。


 当たり前の話。

 攫われた場所にいる者は、攫った側か攫われた側。自由に動けている者ならば、まず間違いなく攫った側だ。入ってきたその男は、良照を攫った張本人だった。


 男は倉庫の扉に鍵をかけ完全に施錠すると、良照に向けてニヤリという笑みを作った。

「よお、目が覚めたか坊主。随分でけえ声がでるじゃねえか」

 男は歩き、良照に近づいていく。手には、日本ではほとんど見ないはずの拳銃が握られていた。良照は拳銃にさらに恐怖を覚える。この状況では拳銃も拳も脅威度はさして変わらず、結局は殺す意思があるのかないのかだが、今はそんな風に理性的に考えることはできなかった。ただただ凶器が怖かった。

「まあ、倉庫の外にゃあ聞こえなかったけどな」男は言う。


 男は良照の前まで歩き、2mほどの距離で止まった。

「自分がここにいる理由、分かるよな?」


 男の問いに、良照は数秒怯えた目を見せ、首を振った。男はその答えを予想していたのか、苛立ちを少しも見せず、むしろほんの少し楽しそうに言った。

「虚数コードのことだよ。虚数コード。知ってんだろ?」


 良照は、改めて男から放たれたその言葉を、驚きに満ちた表情で噛み締める。


 虚数コードとは一般的に、近年、まことしやかに囁かれるようになった都市伝説のことであった。

 ナチュラルコードと同様に、人の脳にそれを書き込むことで人の体に特定の指令と反応を返すものだが、発揮される反応は、桁が違う。


 曰く、念動力を得る。

 曰く、火を吹ける。

 曰く、空を飛べる。


 所謂超能力を得られるのだと。

 それはオカルト雑誌では頻繁に題材にされ、例えば、壁を歩く映像や透明になる映像が一緒に掲載されているのだった。


 もちろん都市伝説と呼ばれているのだから、信憑性にはどれも欠けていた。

 画像も動画もネットには溢れかえっているが、2070年代からは、少し詳しい者なら家庭でも、専門家でも判別が難しいレベルのものが作れるようになっているせいだ。

 そのため、虚数コードはオカルトの話で、都市伝説だった。少なくとも、加奈など一般人含め、ほとんどの人にとっては。


 だが、男と、そして良照にとって、虚数コードとは単なる都市伝説ではなかった。


「な、なんのことだか……」良照は途切れ途切れになりながらも言う。「と、都市伝説について、僕は詳しく……」

 目を背け、男を見ずに。

 すると男はおもむろに、拳銃を自らの額に向けると、その引き金を引いた。


 銃声が倉庫内に反響する。倉庫の遮音性能は高く、拳銃の静音性能は高いため、耳をつんざく音ではなかったが、しかし、確かに銃が発射されたと分かる音、人が死ぬ音だった。良照はビクリと体を震わせた。

 だが男は死んでいない。

 銃弾は、男の額の数cm手前で止まっていた。人の頭蓋など軽がる貫通するエネルギーを持っていたはずの銃弾は、そこからは前に進めない。コマのようにキュルキュルとその場で高速回転し続けているというのに、1mm足りとも。


 虚数とは、虚数実数ではない複素数のこと。

 時に、二乗した値が-の実数になる複素数、と言い表される。


 1545年。イタリアの数学者であるジェロラモ・カルダーノが、3次方程式の解法を示すために導入されたのが、虚数の始まりである。

 1572年に、ラファエル・ボンベリが虚数を定義し、1637年にルネ・デカルトがそれを虚数と初めて名付けた。


 当初、虚数は、数学者の間でも否定的に捉えられていた。必要ない、意味がない、と。

 デカルトが虚数と名付けたのも、半ば嘲笑や皮肉の意味を含めてのことだった。


 しかし、レオンハルト・オイラー、カール・フリードリヒ・ガウスらの功績もあって、虚数は急速に認められていく。

 そして1811年、ガウスが虚軸を用いた複素数平面を導入し、虚数の可能性をさらに暴くと、1843年、ついにウィリアム・ローワン・ハミルトンが複素平面に虚数軸を付け足し4次元に拡張することに成功。それが自然な体系であることも発見した。


 それらによって虚数は、世界を構成する上で、必要不可欠なものだと分かった。

 その世界とは、無論、人類も含め全てを指し示す。


 それから、200年の月日が過ぎた、2043年。

 人類の脳にはナチュラルコードを書き込む実数方向の領域に加え、虚数方向にも領域が広がっていることを、日本の松本義博が発見した。

 そこに書きこむことが出来れば、人が意識的に発揮できるエネルギーだけでなく、無意識的に発揮している未知のエネルギーをも利用できる、ナチュラルコードの比ではない変化と効果を得られる、氏はそんな仮説をたてた。


 曰く、念動力を得る。

 曰く、火を吹ける。

 曰く、空を飛べる。


 所謂超能力を得られるのだと。


 しかし実証は困難を極めた。

 結集された頭脳をもってしても、多くの時間を要し、そして多くの尊い命を必要とした。だが実験開始から14年の歳月が過ぎた2067年。ついに世界で初めて虚数コードが起動した。初めての虚数コードは、伏せたカードの裏を当てる、透視だった。

 的中率は100%。まるで実際に見えているかのように感じられた、という証言が記述として残っている。


 それから10年が経った現在、2077年。虚数コードは一般に秘匿されながらも日夜発展を続け、様々な開発機関が乱立し潰えながらも、多くが生み出された。

 だから、人は垂直な壁を登り、映像に捉えられず、触れるだけで人を気絶させ、壁の向こうを透視し、遠く離れた屋内の音を聞き、一度見聞きしたことを全て覚え、自らが発する音や体温などを遮断し、拳のみで車を破壊することができる。

 

 虚数コードは、特に軍事、それも個人で活動するスパイ方面での活用が盛んで、その活躍度合は、主流になっていた無人兵器を一気に駆逐したほど。

 つまりは科学技術の粋を尽くした機器よりも、人の目、人の耳の方が性能が高く、人の記憶の方が安全性が高く、人の方が潜入に向いていて、人の方が戦闘能力が高くなったということに他ならない。虚数コードの力とは、かくも凄まじい。

 今やスパイの世界は往年のスパイ映画のように、銃と知略に様々なアイテム、そして虚数コードを使う者達が戦いを繰り広げている。


 そう、虚数コードは実在する。

 一般の人々が知ることのない世界で。


「03A、イネルシアシールド……」

 良照は、思わず銃弾を止める虚数コードの名称を呟いた。


「おー、こいつの正式名称なんて久しぶりに聞いたぜ。防弾の、とかしか言わねえからな。流石によく勉強してる」

 男はそう言って笑い言葉を切ると、表情を非情な冷たいものに変え、言葉を続けた。


「そう、都市伝説のことでも、勘違いでもブラフでもねえ。あんのを知って、お前を攫ったんだ。だから、分かるだろ? 時間はいくらでもある、さあ、お前の父親が作った虚数コード、それはどこにある」


 回転の止まった銃弾が、コンクリートの床に落ちた。カランコロンと綺麗な音がした。

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