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ナチュラルコード

「お願いお願いヨシえもーん。コードとってコードとって、とってって言うか直してー」

「ヨシえもんって……。あと要求がどんどん上がってってるんですけど」

 加奈は両手を合わせ、頭を下げる。手が頭の上にいっている格好は、お願いしているのか馬鹿にしているのか、良照にはよく分からなかった。

 しかし加奈はそんなことお構いなしに必死さを前面に押し出して、顔を上げれば精一杯ウルウルした目で見つめた。


 良照はその目を冷たい目でジーっと見返し、今回こそは何もしない、という意思を暗に伝えたが、しかし加奈の態度は何一つ変わらなかった。

 泣く演技はどんどん強まっていく。


 そのまま数秒、それぞれの思惑が込められた目で見つめあった2人。決着は良照がため息をついたところでついた。

「はあー」

「いやあ、流石良照。話が分かる男だよチミは」勝利した加奈は表情を満面の笑顔に戻し、そう言って良照の肩をバンバンと叩くのだった。

 その姿に先ほどの涙は欠片も存在していない。


「……で、今回はなんのコード入れたの」良照はわざと不機嫌そうな顔をしてそう聞いた。

「それね。爪をもんだら色が変わるってコードが売ってて、マニキュア塗るのが面倒だなーって思ってたし入れたんだけど、そしたらさー、全然変わんないの。いや変わるんだけどね? でも良い色じゃないって言うかー。ちょっと揉まなかったらすぐ戻るし、たまに斑になるし。詐欺だよねこれー」


 加奈は上履きを脱ぎ、靴下を脱ぎ、足の爪で実演してみせた。

 爪を押すように揉みこむと、体の何かが反応し、爪が赤い色に変わっていく。その色は血とも違う色で、マニキュアで塗ったように鮮やかな、キラキラ光る赤だった。


 2000年代前半は、コードと言えばソースコードのことを指し、電子機械への入力に対する出力を定めるものであったが、2000年代後半の現代は、コードと言えばナチュラルコード。

 人の脳への入力に対する出力を定めるものであった。

 そのため、加奈が自らの脳に書き込んだコードのように、爪に刺激を加えればマニキュアを塗ったと同様の赤に着色する、ということも可能だった。例えそれが元来、人に作りだせない色合いだったとしても。


「あー本当だ。まばらになるし、戻ってるね」

「でしょー? 最低じゃない?」

「だね。下手な人が作ったやつじゃないかな? 簡単なのだし。医者に行ったやったわけじゃないんでしょ?」

「そーそーネットで買った。医者なんて高くて行けるわけないじゃん」


「すぐネットで買うんだから。思った通りのコードなんて医者に行かなきゃ手に入らないよーって、これ一体何回言ったっけ?」

「んー? 多分初めて聞いたけど……」

「いや絶対そんなことないよっ、何回も言ってるからっ。……はあ、じゃあ直しますか」


 良照は脇に置いていたパソコンとキーボードを先ほどのように膝の上に広げた。

 画面には先ほど作っていたコードが再び出てきたが、それを一旦消し、何もないフラットな画面に戻した。そこからキーボードを操作して何かを打ち込んでいく。数秒後、突如画面が暗転した。

 しかし良照はそれに構わず、さらに打ち込んでいく。画面は暗転したまま何も変わらない。

 だがそれでも構わず打ち続け、最後にエンターキーを押した。その瞬間、画面は黒から白へ、そして、新たな画面が現れた。


「良し」

「照る」

 合いの手をうってきた加奈をひと睨みし、とぼける加奈を放って、画面にあるアイコンの1つを選択し、展開する。


「あ、ケーブルない」

「もってますがな」

「……準備が良いね」

「そりゃあもう」


 加奈はスカートのポケットからケーブルを取り出すと、殿様に献上するようにケーブルを両手で差しだした。良照はケーブルの両端の内、PCの差込口に合う形をした方を持って、PCに差し込む。残るもう片方は加奈の手の中のまま。それをどうすれば良いのかを、加奈は分かっているようで、ギュッと片手で握り締めた。


 その瞬間から、画面上ではどんどんファイルが開かれていった。

 パッ、パッ、パッ、パッ、と新しい画面次々表示されていき、最後、加奈の顔写真が出た後、コードが何千万行にも渡って表示された。


『#Include (natural.h)

 int main(){

 ――

 ――

 ――

 ――』


 そこに書かれている全てが、ナチュラルコード。人の形と成り立ちを模る真理である。


 髪の毛1本から心臓までが、そして細胞の1つから体格、性格、未来から過去まで、全てがそこに書かれていた。

 分かり易く言うのなら、人間のスペックが書かれた説明書といったところか。

 コード総量は赤ん坊の頃から数千万行も存在するが、それをある程度理解したならば、仕事には困らず、一昔前なら神様と崇められた。


 良照はキーボードを使ってそれを下にスクロールしていく。

 それと同時に、新たに追加されたコードや以前見た時から変更されている値などを検索していった。そして、問題のコードの箇所でスクロールを止めた。


「えーっと爪爪、あ、これか。うわ、下手なコード、雑。絶対非合法サイトじゃん、消せば良いんだっけ?」

「ダメダメっ。えっとね、もっと綺麗な色にして、優しい色に」

「優しい色? 優しい色って……どんな? ちょっと色見本だすね、……はい。こんな色?」

「違う。それも違う。もっと優しいのだって」


「これは? これとか。うーんこれは?」

「違うってーもー」

「じゃあ自分で選んでよ」

「あたしパソコン分かんねえし無理。優しい色だって優しい色。ちゃんと考えてよ」

「……了解です」


 問答の末、色はついに2択になった。「うーんなんか違うなあ」ただし最終的にはどちらも廃案になり、結局は良照が最初に見せた色で決着がついた。

 男なら誰でもイラっときてしまいそうな会話と決着だったが、良照は加奈のそういうところに慣れているようだ。「オッケー。似合うね」良照は本心はどうあれ言い残し、加奈に満足気な笑顔をさてから改めて作業を始めた。


「――ハック」

 良照は、カタカタとキーボードを素早く打ち鳴らす。

 書かれているコードは瞬く間に変わっていき、またそのコードが無理矢理書きこまれたことで、他のところへ出た不具合も全て修正した。


「まだらになるのはこれのせいかな? 持続時間は……もう1回揉むまでとかにして、イレギュラーで作用しないようにして……」

「あ、手の爪でも出るはずなのに、全然色が出てこないんだけど、出るようにしてー」

「はいはい了解。手、手、あ、指の値。突き指してる?」

「してるしてるっそうだった、今日朝練でやっちゃったんだ。治しといてーヨシえもーんっ」

「はいはい」


 良照は優しい顔で笑うと、キーボードを打ち鳴らす作業に戻った。

 その横顔は集中していることが良く分かるもので、全体的に優しさと頼りなさの印象がある良照にしては、男らしさが伺えるものだった。加奈は良照のそんな顔つきを、覗き込むように見ていた。その顔は、誰の目から見ても優しさに溢れる表情だった。


「あ、それから多分あのー、太った? いや違うと思うんだけど、食べすぎてもしかしたらまあ太ったかも、って言うかまあ違うと思うだけど、でもそんな感じかもしれないから、ちょっと痩せたい」

「十分痩せてると思うけど。あ、でも体重と体脂肪は増えてるね。痛いっ。ええー本当の……ごめんなさい。ま、まあじゃあ脂肪分解しときます」


 良照はまたカタカタとキーボードを打ち込み、文字列を作りだし、または値を変更していった。


 ナチュラルコードは万能である。

 特に、医療面でその力は大きく発揮される。

 現在の医療では、風邪、視力低下、骨折、部位欠損、精神やホルモンの異常、免疫異常、癌、老化、それら全てをコードの書き換えによって治療していた。

 コードを打ち込んだり変えるだけでどんな症状でも、1日から1週間で治療できるのだから、その力を疑う者は最早存在しない。コードが発見されてから10年足らずで、医者といえばもう、切ったり薬を処方したりして治す人のことではなく、コードに詳しい人を指すようになっていた。


 ただナチュラルコードはそれだけのことができるが故に、書き換える行為には医師免許などの資格が必要になる。

 マニキュアのような体への作用が極めて小さいコードであれば、インターネットで購入することも可能だが、それでも国から許可を得た販売店のサイトからしか購入できず、また自らの身長体重遺伝子情報などをまとめた個人情報を送り、適合するものしか購入できない。

 突き指の治療程度の体への作用になると、インターネットではできず、病院へ行くか国から許可を得た販売店で国家資格を持った専門家から直接処方して貰わなければならなくなる。


 そして体に大きく作用するコードは病院で医師からしか処方してはならず、さらには入院という経過観察を要する。時折発生する数値入力のミスや予期しないバグは、ともすれば容易く人を死に追いやってしまうほどの力を持っているため、その予防措置としてそれが必須となっていた。

 今回良照が最後に書いた全身の脂肪を一部分解するコードは、この大きな作用をするコードに分類される。病院以外で処方してはいけない。医師以外が処方してもいけない。


 もちろん良照は、医師免許など持っているはずがない高校生だ。

 バレれば、刑法違反ということで、3年以下の懲役か罰金刑が課せられる。だからこそ良照は、ナチュラルコード操作の画面を開くための条件を、画面を1度暗転させパスワードを打つなど複雑なものとし、他の誰にも開けないように、調べても分からないようにしていたのだった。

 だが、実際にコードを人体に使う場合は罰則以上に、設定値の入力ミスやバグという身体への大きな危険がつきまとうものだ。それによる死亡事件は、毎年あとをたたない。

 けれども2人に不安はなかった。

 それは素人ゆえに危険を知らなかったからではなく、良照の腕前が心配無用のレベルにあるからだった。


 良照が始めてコードを書いたのは、4歳の頃。


 父親がコード関連の研究をしており、その分野では第一人者と言えるほどでもあったから、家には関連書籍が多数あり、コードに触れたのはもっと早い。

 子供らしく活動的に遊ぶよりも、本を読むことやパソコンを扱うことを好んだ幼少期の良照にとって、多忙でほとんど家にいなかった父親に代わり、それらが遊び相手だったのだ。それにパソコンで遊んでいれば、父親が喜んでくれることも、幼い良照にとって、とても嬉しいものだった。

 もちろん時には、加奈に無理矢理外に連れて行かれ、肘や膝にすり傷を作って泣きながら遊ぶこともあったが、専ら1人家の中で、お下がりで貰ったパソコンで遊ぶのが日課だった。


 当初父親は、ただパソコンを無意味にガチャガチャ叩いて遊んでいるのだと思っていたため、ナチュラルコードを書いていたと分かった時には大層驚いた。

 そしてそれと同時に天才だと思った。父親は1人息子が自分と同じ道を歩んでくれることが嬉しく、そしてこの才能は未来の宝だと思って、4歳の息子に様々な知識と器具を与えた。


 知識の吸収を恐るべきスピードで行っていった良照は、8歳の頃にはそこいらの医者に勝るとも劣らぬ知識を手にしていた。

 加奈のナチュラルコードを書き換え始めたのはその頃だ。

 今から7年も前になる。それだけ長い間やっていれば、不安もなくなる。


 他人のナチュラルコードを書き換えていたことについて、父親は随分叱ったが、しかしコードの巧みさには関心させられ、そしてそれだけの才能から取り上げるわけにはいかず、悪用しないことを誓った良照に、その後もコードを教え続けた。


 父親は、良照が10歳を迎え幾ばくかの月日が過ぎた頃、研究所の事故で死亡してしまったため、良照は以後、父親の教えを受けられなくなったが、それからも独学で勉強を続けている。

 幸い家には莫大な量の資料があり、今の世の中ならば、インターネットを使えば医療関係の研究成果や論文は見ることができた。勉強に支障はなく、良照はメキメキとコードの腕を向上させ続け、今や熱意ある医者と同等かそれ以上の知識と実力を有していた。

 将来は医者か、はたまた他の職か。

 いずれにせよ、就職に困ることはおろか、給与が一際高い職に就くことができる。良照は将来有望な少年だった。

 とは言え今は高校1年生。良照は先のことなどまだボンヤリとしか考えておらず、日々を楽しんでいる最中である。


 何も、知らずに。


「おー、来てる、脂肪が分解されてく気がするー」

「いやそんな体感できるスピードでやってないよ」

「いやはや、さすがです良照先生」

「調子良いなあ」

 そうして2人はまた笑った。


 これが2人の日常だった。

 元気ハツラツで行動力のある加奈と、それに振り回される良照。性格は真逆に見えるが、しかし2人でいることになんら苦痛はなく、お互いに最低限の気しか使わないで済む。

 毎日の会話は、前日とさして変わりなく、けれどもそれで笑い合える。

 傍から見れば付き合っていると思われるのも、当然の結果だ。


 だが、今日はそんな毎日の会話に、1つ話題が追加された。


「あ、ところでさ」加奈は何かを思いだしたのか、会話を変えた。「虚数コードって知ってる?」

「……」

「良照?」

「え、あ、うん。虚数コードって、あの都市伝説の?」

 良照は加奈の質問に、異様なまでに驚き一瞬言葉を失っていたが、慌てて質問で返した。


「なんかさ、それ都市伝説じゃなくて実際にあるとか……ないとか……」

「そ、そうなんだ。全然知らないけど」

「なんだよー、適当な反応だな。良照コード詳しいし、なんか知ってるかなーと思って。超欲しいよね、なんか凄いことできるらしいじゃんっ。あんのかなー」

「うーん、どうなんだろう。でも全然知らないや」


「そっかー。良照クリニックもまだまだだなー」

「なにそれ。クリニックなら今までの治療もお金取りますよお客さん。良照クリニックは自由診療だから高いですよ?」

「大丈夫。無免許のブラッククリニックだから踏み倒せる」

「最低だっ」

 しかしそんな会話はすぐ切り替わり、また毎日の会話に戻ったところで2人は笑った。


 そうして次の会話に入ろうとした頃、昼休みが終わる5分前の予鈴のチャイムが鳴った。


 2人はそれぞれの荷物を持って立ち上がると、チャイムによって中断されたとりとめのない会話を再開させ、楽しそうに笑いながら屋上を後にした。

ブックマーク、評価、ありがとうございます。

頑張ります。

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