8 どうかしら
プリスは酒をちびちびと呑む。
酒場には昼間ながら他にも客がちらほら居る。食事も出していることもあって、昼食を摂りながら仕事の打ち合わせをする冒険者も意外に多いのだ。ぼんやり休憩するにも飲食できる場所が好ましい。
ここで昼食を摂るのは冒険者ギルドの職員もまた同じ。受付嬢のココットも昼の休憩でプリスの座る横のテーブルに着いた。
「プリスさん、カーワーさんは帰られたのですね」
ココットはテビックが出て行ったのに気付いていたらしく、その場合の最も希望的観測を口にした。
「好きにさせたらいいんじゃないかしらね」
プリスの答えはにべもない。そしてその目付きもいつになく荒んで見えたのだろう。
「もしかして少し怒ってらっしゃいます?」
ココットが右に小首を傾げると、右に束ねた髪がふわっと揺れる。
「どうかしら」
プリスは自分でも判らないと、肩を竦めるだけだ。
アトスを連れたワナッシは、草むらの中、檻のようなものが在る傍で立ち止まった。
「さあ、ここだ」
「ここ? 檻が有るだけ……、うぉっ! 中で何か動いた!」
檻に見えたのは箱罠だ。その罠には何かが掛かっていた。ウサギのように見える。
正確にはウサギのように見える魔物だ。魔物は全く異なる種類の生き物でも交配してキメラ化してしまうので、最も近い動物で漠然と表現するしかないのである。
そんな魔物だが、草食獣の頭に肉食獣の胴体のようなキメラは意外に少ない。口は草を食むように出来ていながら、腸は肉を消化するように出来ているとなれば摂食がままならず、長生きできないのだ。そのため、草食獣同士、肉食獣同士の交配にほぼ淘汰されている。
「ボウズにはそのウサギを殺して貰う」
このワナッシの言葉はアトスにとって突拍子もなかったらしい。
「はあ!? 何でそんなこと!」
「お前を試すって言ったろ? それがこれだ」
「ウサギを殺して判るのかよ!?」
アトスの腰は明らかに引けている。これが何かの対戦型競技であれば、煽る野次が飛ぶところだ。「ヘイヘイ、アトス、ビビってる!」とか何とか。アトスにとって幸いだったのは、ワナッシがそこまで悪趣味ではなかったことだ。口調はあくまで事実確認の域を出ない。
「はぁん? さては、ウサギにビビったか」
「ウサギなんかにビビらねぇよ!」
これは言葉の通りなのだろう。ウサギを怖れていては、町の外に出ることすら危ぶまれる。
しかし、ワナッシが言わんとするところはそうではない。判らないのならと、はっきりと言及する。
「ウサギを殺したくないなんて言わないよな?」
「っ!」
アトスは顔色を変えて上半身を跳ねさせた。
「おいおい図星かよ。魔物をズバズバ殺すんじゃなかったのか?」
「ウサギと魔物は違うだろ!」
これは完全にその場凌ぎの言い訳だ。
「ここじゃ一緒だ」
この町の近辺に生息するのは未だ魔物が殆どを占める。見た目も肉の味もウサギに近いからウサギと言っているに過ぎないのだ。
僅かに混じる魔物ではない獣でも、見た目では判別できないため、全て魔物として処理される。魔物の肉を食肉にするには毒抜きが必要だからである。
嘗て魔物の肉を食みながら大陸西部を彷徨った旅人は、ある時は薬草の葉を噛み、ある時はポーションを飲んで毒に耐えたと言う。それでも徐々に毒に冒されたのだ。市場に流通させるには十分な毒抜きをしなければならない。
「それに、魔物じゃなくてもウサギは農家にとっての害獣だ。入り込んだヤツは殺さなきゃならない」
「……」
アトスは黙り込んだ。ウサギを殺すことにどうにも躊躇いがあるらしい。冒険者に対して抱いていたものと現実とのギャップに折り合いを付けられずにもいるのだろう。
「そこまで躊躇うってことは、ウサギの丸焼きも食ったこと……無いんだろうな……」
この町で食用に飼育されているのは豚と鶏だけで、その他の肉は狩猟での獲物に由来する。その獲物は冒険者ギルドで一括に皮を剥いで毒抜きをするのだが、毒が抜けたかを確認する際に包丁が入れられるため、獲物が丸のままで流通することが無い。精々ブロック肉のため、元の姿が見えないのである。
魔毒が抜けたかを確認するのは簡単だ。ポーションを肉の切り口に霧吹きで吹き掛ける。すると、魔毒を含んでいたら暗い場所で蛍光を発するのだ。蛍光を発しないようになったら毒抜きも完了となる。
「でもまあ、少し安心はした」
「え?」
「ただ殺したいだけって訳でもなさそうなんでな」
何せ「ズバズバッと斬り倒す」のだ。一歩間違えれば殺戮狂だ。昂じてしまえば殺人狂になる。
尤も、もしもアトスがそうだったとしても、そうなる前に無謀なことをして命を落とすのが落ちである。
「そんなんじゃねぇよ」
アトスの答えはややもすればワナッシの台詞の「なさそう」を打ち消しているようにも受け取られ兼ねないが、ワナッシは誤解しなかった。
「大方、冒険者の武勇伝でも聞いて真似したくなったんだろ?」
「……」
この沈黙は図星を意味した。
「ボウズ、冒険者を舐めてるだろ」
「! 舐めてねぇし!」
そりゃそう言うだろうなと、ワナッシは考える。憧れの対象を舐めているとは言わないものだ。
しかし、ワナッシの言いたいのはそんな表面的なことではなく、もっと冒険者の本質のことだった。
「殺したいだけは論外だが、冒険者が殺してなんぼの仕事なのに変わりは無い。そんなことも判らずに冒険者になろうってのは、舐めてる証拠だ」
これは極論。大陸東部には薬草採取だけで生活している冒険者も居る。それを殺してなんぼとは言わないだろう。しかしアトスが目指そうとしているのは戦いの中に生きる冒険者だ。これは極論の通りに殺してなんぼである。
「……」
そしてまたアトスは沈黙した。
プリスはココットに言う。
「あの子は冒険者を舐めてるけど、大抵みんな最初は冒険者を舐めてるのよね。本人がそう思ってないだけで」
これはプリス自身も例外ではない。勇者のサポート担当を務めるにも拘わらず、冒険者が如何なる存在か理解していなかった。いや、理解しようとしていなかったと言って良い。そのせいも有ったのか、サポート担当としては落ちこぼれでもあった。
「それでも続けてる間に冒険者になって行くのよ」
落ちこぼれでなくなったのは、サポート担当として、勇者の少年ともう一人のサポート担当と共にとある町に派遣され、そこで行き詰まって危機感を抱いて、とある冒険者に助言を求めたところからだ。危機感を持たないまま助言を得ていても聞き流していただろう。助言を得ていなければ何も変えられなかっただろう。このどちらかであれば、恐らく今こうして生きてはいない。サポート担当仲間と運命を共にしてしまった筈だ。
「死ななければだけどね」
問題は、この町には大陸東部の町に有るような子供一人でもこなせる依頼がほぼ無いことだ。ワナッシが難色を示したように、子供を助手にしたがる冒険者は居ない。すると何もできない子供は町の外で魔物を狩ろうとするだろう。そして帰れなくなる。
「そうですね……」
ココットの答えに実感は籠もってなかったが、受付嬢を続けていれば、いつかきっと嫌でも知るに違いない。
ワナッシはアトスに迫る。
「それで、ウサギを殺るのか? 殺らないのか?」
「う……」
アトスは未だ躊躇う。そして恐る恐るワナッシの様子を窺う。しかし、ワナッシがうやむやにはさせじと眼光鋭く見据えていたら、怖じ気を振り払うように大きな声を出した。
「やる。やればいいんだろ!」
アトスは悔しそうに顔を歪めた。そんなアトスが微笑ましくなったワナッシはうっすらと笑い、方法を言う。
「逃げられたら元も子もないから、檻に入ったままナイフでな」
「うん」
これからすることで頭が一杯なのか、アトスは意外と素直に頷いた。
ワナッシはナイフをアトスに手渡しながら「やってみろ」と促す。
ナイフを受け取ったアトスがウサギに狙いを定め、ナイフを罠に突き入れる。
ところがウサギにあっさり避けられた。
「あ! この!」
何度も繰り返すがやはり避けられる。そして繰り返す内、突き入れたナイフに反応して避けていたウサギがアトスの位置に合わせて避けるようになった。こうなるともうナイフが届かない。
「ほら、避けられてるぞ」
「ナイフが短いんだよ! こんなのじゃ、できねぇよ!」
ワナッシが声を掛けたのを切っ掛けのようにして、アトスは遂に音を上げた。
「貸してみな」
ワナッシはアトスに貸していたナイフを受け取ると、箱罠の上に置かれていた二枚の板を手に取った。その板の一枚を罠の側面から格子の横木に渡して差し入れる。ちょうど罠を半分ずつに区切る形だ。もう一枚を先の板より少しウサギ寄りに差し、更に先の板を抜いてその板の横に差しを繰り返して、ウサギの行き場を狭める。最後に箱罠の端に追い詰めたウサギの首筋目掛けてナイフを突き立てた。
「ほらな」
「板使うなんて狡いだろ!」
アトスは宙に拳を叩き付けながら非難した。しかしそれとてワナッシの想定内だ。
「ボウズがやり方を知らなかっただけだ。そして工夫もできなかった」
「……」
大人は汚いと、アトスは顔に書いてふて腐れた。理解はできても納得したくないのが丸見えの態度だ。
ただ、少し意地悪だったかなと、ワナッシも思わなくはない。いつもなら獲物に止めを刺すのにナイフは使わない。槍を使う。槍なら板でどうこうする必要が無い。板は落とし戸に不都合があった時に入り口を仮に塞いでおくような場合などに用いる。
だから少しだけフォローする。
「何ぶうたれてんだ。これができなかったくらいで冒険者を辞めろなんて言わないぞ」
「いいのかよ?」
アトスには意外だったらしく、目を瞬かせて問い直した。
「ボウズに続ける気が有るならな」
ワナッシの本音からするなら、アトスにはどんなに負けても後三年は経ってから冒険者を志して欲しかったところだ。しかしながら、なってしまったものはしょうがないと、アトスのやる気に任せるのである。
「おーい、ワナッシ! ここに居たのか!」
そんなこんなを話しているところに、ワナッシを呼ぶ声がした。付き合いの多い冒険者のものだ。ただ、わざわざ呼びに来るのは奇妙に思えた。
「何か、有ったのか!?」
「この小僧の父親ってヤツがギルドに来たもんでな。小僧を連れてギルドに戻ってくれ」
アトスがピクッと反応した。
ワナッシにとっては案外何でもない話だったが、アトスの様子からしてみれば、アトスとその父親にとっては大事なのだと納得する。
「待ってるのか?」
「今はプリスの姐貴が相手してる筈だ」
「プリスの姐貴かぁ」
彼を使いに寄越したのもプリスだと言うから、ワナッシは何か危ういことが有るのだろうと判断する。プリスは意味も無く人を呼び付けたりしないと信用しているのである。
「じゃあ今日はここまでだ。帰るぞ」
「……」
アトスが躊躇っている。父親に会いたくないんだろうと推測はできるが、そんなのはおくびにも出さずに問い質す。
「どうした?」
「ああ、もう、判ったよ。もう腹も減ったしな」
ごねても無駄だと悟ったのだろうアトスが、適当な理由を付けて了承した。
その切り替えがまた少し意外に感じたワナッシだが、そうやって折り合いを付けるのは悪くないので、その話に乗る。
「あー、そう言や、昼飯まだだったな」
腹を摩りながら言った。
アトスの足なら一時間以上掛かる帰りの道すがら、アトスはワナッシに気になったことを尋ねた。
「なあ、おっさん。プリスってあのババアのことだろ? おっさんは何で姐貴って呼ぶんだ? おっさんの方が年上だろ?」
「ばっきゃろ。プリスの姐貴はああ見えて、結構歳……いや、それでも向こうが年下か……」
答えるワナッシはしどろもどろではっきりしない。しかし、尋ねたことにはっきりとした答えは無いものの、動揺するワナッシに「してやったり」と言う気分になるアトスである。ここまで散々夢も希望もプライドも傷付けられたのだ。やりこめたようになって、何となく溜飲が下がる思いもするのだ。
「ほら見ろ」
「でも何だか姐貴って感じしないか?」
尋ね返すワナッシが少々見苦しい。それに尋ねられたって答えようは無い。
「知らねぇよ! おっさんとババアはどっちも俺より年上じゃねぇか」
「そうだったな……」
眉をハの字に口をヘの字にして悩むワナッシが少しおかしかった。
ワナッシとアトスが冒険者ギルドに帰り着いた時、アトスの父親テビックは疾うにギルドを出た後だった。