3 あたしに聞かないで
冒険者ギルドを一歩出た途端、風雲逆巻いて血を欲するかの如く天が荒れ狂う……なんてことは無く、屋外は晴れ晴れとして春の陽気に包まれている。
最初にギルド正面の広場に出たのは少年。直ぐ後に続くのはプリス。野次馬の冒険者達は少し遅れて出た。
少年とプリスは建物から少し離れた場所に陣取って対峙する。ギルドの建物から見ればプリスが左、少年が右に立つ。その二人の様子を眺める野次馬達は建物の壁に沿って並び、しゃがみ込んだり、壁に寄り掛かったりしながら談笑を始める。
ここに至って少年が少々落ち着かない様子を見せた。改めて注目されているのを実感させられて、気になってしまったのだろう。
一方のプリスは野次馬なんて織り込み済みだ。居るのが前提にもなっている。そしてその野次馬に向かって声を上げる。
「誰か、そのガキに木剣を持って来てやって!」
「へーい」
返事は直ぐに返った。その冒険者ワナッシがギルドの中から幾つかの種類の木剣を持ち出して来る。手慣れたものだ。
実のところ、木剣は入り口にほど近い長椅子の陰に纏めて置かれている。そんな誰にでも手に取れる場所に置いていたら盗まれたり、それを手にして暴れる者が出そうにも見えるが、そうでもない。ここに置かれている木剣は安物で、魔物相手の戦いでは全く役に立たない。棍棒の方がまだマシなくらいだ。暴れるにしてもそう。何よりそんなことをしでかそうものならプリス直々による鉄拳制裁の上で冒険者ギルドから追放される。この町でそうなったらもう路頭に迷うしか無い。それも即にだ。多少なりとも理性が有ったらそんな未来は回避しようとするものなのである。
一方、プリスはこの時間を使って腰に巻いたベルトに差していた肘当てと膝当て、それに指ぬきグローブを身に着ける。
「ほら、ボウズ。好きなのを選びな」
並ぶ種類はナイフ、短剣、長剣、槍、長短のただの棒。
「じゃあ、これだ!」
少年は迷わず長剣を手に取った。しかしそれを見るワナッシは渋い表情をする。
「長剣ねぇ。どうしてそれを選んだ?」
「英雄はみんな長剣だからさ!」
野次馬の視線がプリスに集まる。何せプリスは現代の英雄の一人なのだ。その意向を伺いたくなるのも人情だろう。
「そうなんですか?」
「あたしに聞かないで」
「……そりゃそうですな」
プリスを知る人は皆、プリスが自らの拳で戦うのを知っている。この町にはプリスの本気の戦いを見た冒険者は少ないが、戯れ程度の戦いなら誰しもが見ている。だからそのプリスに長剣を使うか尋ねるなんて無益な話で、馬鹿なことを口走ったと自分が情けなくなるだけのことだ。
しかしそんなことを少年が知る由もない。虚仮にされたと勘違いするのが関の山であった。
「何だよ。長剣が悪いって言うのかよ?」
「いや。好きならそれでもいいさ」
ワナッシに少年を虚仮にする意図は無い。用意した中で最悪の選択を少年がしたのを残念には思う。少年の体躯に対して不釣り合いな長さの長剣なんて、振り回すのではなく振り回されるだけになるからお勧めできないのだ。例外が有るとするなら体躯からは想像できない膂力の持ち主だった場合だが、少年の振る舞いにはそれを暗示させるものが何も無い。どう見たって普通の子供でしかない。
それでもワナッシ何も助言しないのは、少年が納得する形でこのイベントを進めなければ意味が無いからである。
「だったら今のは何なんだよ」
「さてな」
ワナッシは適当に誤魔化して建物の傍に移動する。下手に介入してごねられたら二度手間三度手間になる。イベントに飢えた野次馬だって同じことの繰り返しは望まない。
「さあ、そろそろ始めるわよ!」
用意が調ったのを見計らって、プリスは声を上げる。
「あたしの手以外の所に木剣でも手でも触れられたらあんたの勝ちでいいわ」
「何だそれ……。馬鹿にしやがって! 目に物見せてやる!」
舐められたと考えた少年が怒りを露わにした。こればかりは勘違いではなく舐められているので妥当だろう。
「できるものならねぇ」
プリスは少年を挑発するようにおいでおいでと右手を振る。少年の顔が歯軋りが聞こえそうに歪む。
しかして次の瞬間、プリスは上げた右手を唐突に左後ろへと振った。
パシンと響く軽い音。
「横から何のつもり?」
プリスは眉を顰め、視線だけを動かして、プリスと少年との対決に横槍を入れた相手に問い掛けた。
それは黒の短髪でダークブラウンの瞳をした少年だ。年の頃は十六歳くらいだろうか。隙を感じさせない身のこなしが戦い慣れしていることを感じさせる。
その少年が何でもない様子で言う。
「触ったら勝ちだと言う話だったのでな」
「あんたね……」
無視のできない攻撃を繰り出していながら、何となくであっちの少年の肩を持ったとの風情に若干イラっとするプリスである。
ところが、二の句を継ぐ前に更なる介入。
「このお馬鹿ぁあっ!」
「痛っ」
「ごめんなさい。ごめんなさい。内の馬鹿がごめんなさい」
少女が二人であった。少年の頭を叩いたのは赤いツンツンの癖毛、グレーの瞳をした魔術士姿の少女だ。もう一人、マッシュルームカットのブラウンの髪、ブラウンの瞳をした治療術士姿の少女はペコペコと平謝りに謝り倒す。
これにはプリスも毒気を抜かれるばかり。
「あんた達は?」
「わたし達はその……、勇者パーティと言うものでして……」
「この馬鹿が勇者で、あたし達がそのサポート」
プリスは一瞬耳を疑い、そして聞き慣れた言葉に唖然とする。
「勇者って……。まだ召喚を続けてる国が有るの!?」
プリスにも勇者のサポートを担当した過去が有る。だがその時の悲劇的な結末は、プリスに勇者召喚と言う行為への隔意を持たせるのに十分であった。
その勇者召喚を行っていた勇者庁はプリスの出身国では既に解散した。世界の共通認識として、大陸西部の奪還に勇者をこれ以上召喚する必要が無いと判断されたのがその理由だ。
そしてプリスはそのことに安堵した。ところが未だ勇者召喚を行う国が在ると言うのだから、意外でもあり、腹立たしくもある。
その腹立たしさを少女の一人は感じたのだろう。
「ごめんなさい。ごめんなさい。実はその……、わたし達の国では産業に役立つ勇者を求めて召喚を続けてるんですぅ」
「謝ることじゃないけど、産業目的なの?」
いくら腹立たしかろうとも、プリスからは他人事でしかない。口を出すことでもなければ、被害を被っている訳ではない。だから謝罪される謂われも無いのだ。謝罪は受け流して気になったことを聞く。
「はい、その、スピナー運送の勇者の後追いをするつもりなんです。ごめんなさい」
召喚勇者は特別な能力を有し、時に特殊な固有能力を持つ場合がある。そしてスピナー運送と言う運送会社を立ち上げたのも、そんな召喚勇者の一人、小塚玲夢である。正確に言うなら、玲夢の夫カンシス――当時はまだ玲夢の伴侶になる前で相棒でしかなかった――が会社を立ち上げたのだが、これはもう細かい話だ。そしてこの会社は世界の流通に革命をもたらした。
「あー、なるほどね。だけど勇者って選べないわよね……。あ、それでここに来てるのか」
「そうなの! この外れ馬鹿勇者を放り出すこともできないから、私達がそのサポート」
召喚勇者が持つ能力は召喚が完了するまで判明しない。特定の分野を狙い撃ちしようとするなら、召喚を繰り返すことになる。
その際に生まれるのが「外れ」とされる勇者だ。だからと言って無下にもできないため、その勇者に相応しい分野の職業を奨め、独り立ちできるまでサポートすることになる。以前は当たりとされていながら今は外れとされる、戦闘向きの能力なら大陸西部で活動する冒険者として。
「その通り。サポートされてやってるのだ。わっはっはっはっ」
外れ呼ばわりに、勇者本人はまるで動じていないらしい。本人がそんなだからサポート担当も平気で外れ呼ばわりするのだろう。
「このお馬鹿っ!」
「痛っ」
「あんた達も大変そうね……」
誰がより大変かまでは判断のしようが無い。外れ扱いされる勇者か。何となくで行動を起こす勇者のサポート担当か。いずれにしても、外れと言われるのを笑い飛ばせる勇者なら、心配することも無いだろう。
それでも少しだけプリスの胸を疼かせるのは、昔サポートを担当した勇者が目の前の少年のようだったらと言う思いだ。そうだったら悲劇的な結末を避けられたのではないか。
いや、それは駄目だ。そう考えたらその勇者に全ての責任を押し付けたことになる。そうプリスは思い直して小さく頭を振った。
「プリスの姐貴。盛り上がってるとこ何なんですけど、あのボウズ、ギルドに入りましたぜ」
「え!?」
言われてプリスは思い出す。勇者一行に気を取られて肝心の少年のことを失念していた。辺りを見回してみるが、確かに少年の姿が消えている。
「やられた!」
「ああ! やっぱり内の馬鹿がご迷惑を。ごめんなさい。ごめんなさいぃ」
サポート担当の少女の一人は、勇者の少年の手出しが迷惑なものだったことを察したらしい。