2 ここは子供の来る場所じゃないわよ
少年はその大きなブラウンの双眸を真ん丸になるほどに開き、右へ左へ忙しなく行き来させる。
初めての冒険者ギルドは何もかもが珍しい。入り口正面奥には受付のカウンター。右側には何も置かれていない空間を挟んで壁の掲示板。正面を避けた左側には長椅子が並び、その向こうにはテーブルが並ぶ。
遠くに見えるテーブルには違和感を持ったが、彼の拙い知識からはその答えを見出すことができなかった。尤も、答えを見出せないのは他の殆ど全ても同じこと。それは取りも直さずここからどこに行くべきか判らないと言うことでもある。
誰かに尋ねなければ始まらない。これが何となく判っても、誰にしたものかとまた思案する。長椅子に屯していたり、右の壁の貼り紙を見詰めていたりするおっさんや爺さんじゃ駄目だ。どことなく小汚いのが嫌なのだ。正面のカウンターの向こうの小綺麗なおっさんなら良さそうか。逡巡の後に取り敢えずの目標は定まった。
ところが歩き出そうとしたところで前を塞がれる。
「ボクゥ? ここは子供の来る場所じゃないわよ」
「は?」
来る場所じゃないなんてことを言われても、はいそうですかと引き返しては目的が果たせない。それ以前に自らが足を踏み入れても良い場所だと知ったからこそ、ここに居るのだ。
これが筋骨隆々の熊のような大男が立ち塞がったのなら怖じ気づいたかも知れない。しかし実際にはパッと目には強そうに見えない女性。これなら気勢も削がれずに済むと言うものだ。かてて加えて武術の心得どころか、身体を鍛えることも碌にしていない少年には、目の前の女性が如何なる人物か察し得る筈もない。だから反発する。
知らぬが仏とはこのことだ。しかし知らぬは時として、げに怖ろしい。何せ目の前の相手のその実は、間違って事を構えようものなら熊のような大男だって泣いて許しを請いたくなる破壊力の持ち主なのだ。
まあ、子供相手にそんな力を振るうような人物でもないのだが。
「ここ、冒険者ギルドだろ?」
「だったらどうするつもり?」
「俺は冒険者になるんだ!」
少年の前に立ち塞がった女性、即ちプリスはやれやれと溜め息を吐く。この町では少ないものの、こうした子供はかなり多い。勢いだけで冒険者に成ろうとする小綺麗な子供だ。具体的な目的なんて十中八九持ち合わせていない。
だから言い放つ。
「あんたみたいな子供は駄目よ」
「俺はもう十歳だ!」
プリスはカクッと肩を落とした。大人ぶりたい年頃かも知れないが、さすがにそれは無いだろうと。十歳なら客観的に子供だ。
「十分子供じゃないの」
「十歳なら誰でも登録できる筈だろ」
「それは特別な事情が有るからよ」
少年の言う通りに冒険者ギルドは十歳でも登録できる。それも自称でだ。
そうする理由の一つは十歳でも十分な戦闘力を持つ人物が居るため。連続して十数回も攻撃魔法を使えるようなら、咄嗟の自衛くらいなら可能だろう。
もう一つは冒険者として日銭を稼がなければ生きて行けない場合があるためだ。
少年はギルドに登録できることが即ち大人だと考えているらしくはあるが、それは全くの勘違いである。
「だけどあんたは単なる子供じゃないの。それにその格好は何? まさかそんな格好で冒険者をするつもり?」
「はあ!?」
少年は捻り上げるように声を出した。
それはそうだろう。肩も胸元もヘソも露わなタンクトップを着て、太股が剥き出しのショートパンツを穿いた相手に「そんな格好」なんて言われたのだ。町中でしか通用しないような少年の身形よりも冒険者らしくない。
そう、プリスは随分とラフな格好をしている。冒険者の常識から大きく逸脱し、治療術士の面影に至っては欠片も残されていない。
冒険者の服装は、暑かろうとも長袖、長ズボン、ハイカットの靴と、肌を晒さないのが基本だ。怪我を避けるためである。ちょっとした怪我が大惨事を招くこともあるのだから、疎かにはできない。
治療術士も似たようなもの。こちらは患者からの返り血が肌に掛からないように、前身頃が深く重なった服になっている。
そんな中にある例外が上級冒険者である。服や防具に頼らない何らかの防御手段や回避手段を持つことで、常識をかなぐり捨てている。プリスもそんな上級冒険者の一人なのだ。
プリス自身も冒険者の手本のような格好が望ましいとは判っている。しかしセントラルスの気候がそれを許さない。言い訳だが。
ただ、言い訳にするくらいには気温が年中高い。気持ち程度に訪れる冬でも、上着を欲しくなるのは指折り数えられるほどである。
また、手本のような格好では動き辛くもある。徒手空拳と言う、プリスの戦闘スタイルにはそぐわないのだ。極限の戦いの中ではちょっとしたことが命取りになりかねない。それが身形から来るものだったら目も当てられない。
とは言え、少年にそんな言い訳が通じるでなし。
「ババアこそ変態じゃねぇか!」
「バ、ババア……? へ、変態……?」
プリスのこめかみが引き攣る。浮き出た血管が脈を刻む。
「ボクゥ? あたしのどこがババアで、どこが変態だって言うのかなぁ?」
ヒクヒクと痙攣する眉尻を押し出すように顔を斜に構えて身を乗り出しながら、プリスは少年に凄んだ。
ところが実力とは裏腹に迫力はもう一つだ。十人居れば最低九人に美しいと言われるだろう容姿を携えていながら、どこかファニーな印象が前面に出る残念美人なところが原因か。
だから少年も怖じ気づいたりはしない。少しばかり顔を赤らめて、視線を逸らてはいるが。
美人のドアップは少年には少々刺激が強かったらしい。
「ババアはババアだろ! そんな格好、変態しかしねぇよ!」
少年は声を荒らげたが、そこに照れと強がりを見抜いたプリスは胸を張って首を少し後ろに反らせ、襟足を軽く抓みながら上から見下ろす視線で挑発する。
「ババアババアってこれだから子供は困るのよ。それに格好? この程度で変態だなんて、ほんとお子ちゃまよね」
「ああもう! 何だよ、さっきから子供子供って。俺はもう子供じゃ無いって言ってるだろ!」
少年は今し方までとは違う意味で顔を真っ赤にした。激おこだ。
そんな少年の代わりに元の意味で顔を赤らめるのが、野次馬をしている冒険者達である。彼らおっさん達にとってはプリスのツンと澄ました仕草の方が何かを刺激されるらしい。
「子供じゃない」
プリスは呆れ声で言った。子供じゃないと主張する子供は酷く子供っぽく見える。
「大人だ!」
「あっそ。そんなに言うなら証明してみなさいよ。あたしが相手してあげるわよ?」
大人とまで言うのには呆れるしかないプリスだったが、指先で自らの胸元を叩きながら言った。プリスにとってはここからが本題だ。
「な……、ババア……、俺に変なことをさせるつもりか!?」
「はあ!? 馬鹿なこと言ってんじゃないわよ! 何てマセガキなのかしらね!」
何を言われたのか一瞬だけ頭が理解を拒んだプリスは目を瞬かせたが、次の瞬間には理解して声を荒らげた。そんな様子に野次馬から失笑が漏れる。
しかしその失笑でプリスは冷静になった。即座に不敵な笑みを湛えながら、ふふんと鼻を鳴らす。
「あ、もしかして欲情しちゃったの? この程度で欲情するなんてほんとにガキよね。エロガキね」
「し、してねぇし!」
少年はまた元の意味で顔を赤らめた。随分と感情の起伏が激しいようだ。傍目にも動揺が見て取れる。
そしてプリスにとっては挑発を畳み掛けるチャンスだ。
「そっち方面に勘違いするくらいだからエロガキには違いないわよねぇ」
「し、してねぇし! ガキでもねぇし!」
少年の顔は羞恥でもう真っ赤。野次馬の忍び笑いのボリュームも上がる。
しかし次の一瞬でプリスの表情は冷徹なものに変わった。
「だったらさっきから言ってるように、証明して見せなさい」
「……何をしろってんだ?」
そしてプリスが冷めた声で言い放った瞬間、少年の頭も冷えたらしい。恐らく肝も冷えたのだろう。若干腰が引けている。
「戦えるか試すに決まってるでしょ」
「だ、だったら始めからそう言えよ!」
もうここまで来れば虚勢だ。相手の言葉に反発することしかできなくなっている。
そしてプリスは駄目押しの挑発。嘲るような嗤いとともに叩き付ける。
「普通、勘違いしないわよ? エロガキなら違うみたいだけどねぇ」
「くっそ。エロガキエロガキ言いやがって! いいぜ! やってやるぜ!」
「それじゃ、表に出なさい」
「ああ、こてんぱんにしてやらぁ!」
少年は虚勢を引っ込めることもできず、プリスに促されるままに表に出た。