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プロローグ

 ここは冒険者ギルド。冒険者の集う場所。併設の酒場では昼間から酔っぱらい女が独り、今や盛りとばかりにテーブルに頬摺りしながら楽しそうに呑んでいる。

 時折思い出したように肩まで伸びるセミショートのサラサラ髪を掻き上げる。サラサラだから掻き上げた端から垂れて元に戻る。


「うひひひ」


 すると垂れる髪が頬に当たるのがおかしいのか、おかしな笑い声まで漏らす。かと思えば、突然。


「ふぇえええっ!」


 泣き出したりもする。

 受付嬢のココットも見かねようと言うものだ。


「プリスさん、呑み過ぎですよ」

「ココット、やっほー! あんっらも、呑みらさいっ!」


 首をぐねぐねさせながら言い放ち、最後にココットを据わった目で睨み付けるようにふにゃっと首を止める。ふにゃっとだ。本人はピシッと止めているつもりなのだ。しかし残念なことに、酔っ払いの首とはとかく安定しない。

 ココットは苦笑を漏らさないように必死だ。


「残念ですが、勤務中ですので」


 そしてやんわりと、それでいて毅然と断った。


「何らー! あらしの酒がぁ、呑めらいってぇろかぁ!」

「だからですね……」


 据わった目でいちゃもんを付けるプリスを前に、ココットは右手で額を拭う。いちゃもんを叩き付けられれば、苦笑も引っ込むと言うものだ。


「一体どうしたって言うんですか? いつもはこんなに酷くはないでしょう?」

「あらしはいるもろおりなろら!」


 首をぐるんと回しながら叫んだプリスは口を尖らせる。


「もう、何を言ってるか判りませんから」


 ココットは「まったくもう」と溜め息を吐くと、腰に手を当てて口をへの字に結ぶ。そして目を据わらせる。


「とにかく、呑み過ぎは身体(からだ)に毒です。そんな呑み方をしてると早死にしますよ?」


 プリスはそんなココットをきょとんと見上げる。


「死んじゃうの?」

「そうですよ。死んじゃいますよ」

「え? ココット、死んじゃうの?」

「はい? そりゃ、わたしもいつかは死にますけど……」


 つい問いに答えたココットだったが、話が逸れている。それに直ぐに気付いたココットは「わたしの話じゃない」と続ける筈だった。ところが。


「びぃえええええっ!」


 唐突にプリスがわんわん泣き始めた。


「ど、ど、ど、どうしたんですか!?」


 唐突過ぎてココットには何が何やらである。


「ココットが死んじゃうぅぅっ! 死んじゃやだぁぁ!」

「ええっ!? どうしてそうなるんですか!?」


 酔っ払いとは斯くも訳の判らない生き物だと、認識を新たにするココットである。しかし、単純に放置もできない。


「今、『死ぬ』って言ったぁぁ!」

「いつかの話ですよ! いつかの!」

「やっぱり死んじゃうんだぁぁ! びぃえええええっ!」

「ふぁっ!」


 目も口も限界まで開けて両手を広げたココットは、助けを求めて同僚たるギルド職員を見る。だが目を逸らされた。つい今し方まで様子を覗っていただろう職員も居るのにだ。何せ目が合った。見ていない筈がない。その一方で、勤続の長い職員はプリスが居ないかのように仕事を続けるばかり。気分は孤立無援だ。

 仕方なく、プリスを宥めに掛かる。


「死にません! 死にませんから!」


 その声にピクンと反応したプリスは目を瞬かせ、こてんと首を傾ける。


「死なないの?」


 ココットは「ウッ」と呻いて怯んだ。普段ならこんな仕草が似合わないプリスの美人顔も、ここまで緩めば妙に子供じみた仕草に馴染んで(ほだ)されてしまいそうになる。それを取り繕おうとしたらしたで、焦って言葉が少々怪しくなったりもする。


「し、死にません! 死んじゃいませんともぉ!」

「やったー! ココット、死なないんだー!」


 花が咲くような満面の笑みでプリスが叫ぶ。ココットはもう脱力して「あー」とか「うー」の声しか出ない。


「あらあら、プリスったらご機嫌じゃない?」

「マジャールさん!?」


 背後からの声にココットが振り返れば、正にマジャールが立っていた。

 細身の長身で、髪の毛を逆立ててセットしてあるから変に見上げてしまう。金糸銀糸を織り込んだ衣裳には少々眼がチカチカさせられる。男性でありながら厚化粧なのが倒錯的で気持ちわ……。と言うところまで考えて、ココットはマジャールの容姿について考えるのは止めた。こんな格好がまかり通るのも上級冒険者なればこそだ。


「あー! マジャマジャー、やっほー!」

「はーい、やっほー」

「マジャマ……」


 ココットはプリスの呼び方をうっかり復唱しそうになって、慌てて口を両手で塞ぐ。

 ところがマジャマジャは耳敏い。


「はーい、マジャマジャよ」


 持っていたボトルとコップをテーブルに置いて、小さくココットに手を振った。

 血の気が引いたのはココットだ。勢いよく頭を下げる。

 高名な上級冒険者のマジャールをよりにもよって子供がするような呼び方をしてしまうとはとんだ失態だ。上級冒険者に失礼が有ってはいけない。上級冒険者は人類の希望なのだ。

 マジャールを前にすればそんな風に思うココットなのだが、上級中位のマジャールより上の上級上位に位置するプリスには日頃からかなり気安く接して、失礼な物言いもしていたりする。

 きっとここら辺は上級冒険者としての年期の差に違いない。


「も、申し訳ございません! とんだ失礼を……」

「あらあら、そんなに畏まらなくったっていいのに」

「いえ、そう言う訳には……」


 プリスに引き摺られたとしても、ココットは「さすがに無いな」と思うのだ。そのプリスときたら、少し目を離した隙にテーブルに突っ伏して、涎を垂らしながらすやすやと眠りこけている。今となってはプリスの方が格上だとしても、遥か年長の上級冒険者を前にするにはだらしなさ過ぎる。内心焦りつつ、二度三度とプリスとマジャールを見比べる。


「あらあら、プリスったら」


 ココットの素振(そぶ)りから、マジャールもプリスが眠りこけているのに気が付いた。語り合うどころか、酒を酌み交わすのも無理な様子を少しだけ残念に思う。

 生暖かい雰囲気だけが漂った。ココットが懸念した殺伐とした雰囲気とは裏腹だ。これだけでプリスとマジャールが気安い関係だと想像できる。


「あの、マジャールさんはプリスさんとのお付き合いは長いのですか?」

「そうね、かれこれ十五年にもなるかしら」

「それではプリスさんが子供の時から?」


 マジャマジャなんて呼び方をするのは子供の時の呼び方をそのまま引き摺っているに違いないと、ココットは推理した。


「そんな昔じゃないわよ。十五年て言ったでしょ?」

「え? でも……」


 プリスは二十代前半にしか見えない。その十五年前だから七、八歳だ。その頃からマジャールとの付き合いがあるのなら、ココットの中では実にしっくりと馴染んで落ち着く状況になる。


「このコ、こう見えても三十も半ばのおばさんなのよ?」

「ええ!?」


 目も口も開いたまま暫く戻らないココットであった。

 ただ、ココットが知らないのも無理からぬことだ。冒険者は殆ど実力と実績が全てで、年齢は考慮されない。稀に考慮される場合でも風貌だけになる。威厳が有りそうな壮年男性だとか、清楚な四十歳くらいのご婦人だとかの、「何々歳くらいに見える」の類だ。そもそも客観的に年齢を調べる方法が無い。だから自己申告頼みになっていて、登録情報が当てにならない。窓口の手続きでも登録時以外に年齢が出されることは無い。


「おかしなことに、歳を取ったら取っただけ子供っぽくなってるわね」


 マジャールはプリスの正面に座り、ボトルを開けてグラスにその中身を注ぐ。立ち上る酒精の芳香がココットの鼻をも突く。ココットは僅かに顔を顰めた。


「あの……、マジャールさん」

「何かしら?」

「お酒はお控えになられた方が……」


 マジャールの顔色はお世辞にも良いとは言えない。厚化粧で誤魔化しているものの、どこか危うさを感じさせるのだ。


「いいのよ。今日は」


 マジャールは酒をくぴっと一口呑む。

 議論を拒絶するようなその態度に、ココットはこれ以上の忠告は機嫌を損ねるだけだと悟った。


「すみませんでした。差し出口を……」

「気にしなくていいわよ」


 マジャールは「貴女の立場なら解らなくもないから」と付け加えた。ギルドからしてみれば、頼りになる上級冒険者には長く現役を続けて欲しいものなのだ。

 ココットの言葉は純粋にマジャールの健康を案じのものだったが、ギルド職員の立場がその反論を口から出させない。できるのは、一礼してその場から立ち去ることだけだった。

 横目でココットを見送ったマジャールはプリスに向かい、呟く。


「もう十二年になるわね」


 しかしプリスは何やらぶつぶつと小さく寝言を呟くばかりだ。その断片から判るのは、二十年近く昔を夢に見ているらしいことだ。

 幸せそうだこと、とマジャールは苦笑する。


「そうね。今はただ乾杯しましょう」


 手を伸ばしてプリスのグラスに軽くグラスを当てると、チンと軽やかな音が響いた。





 ――うたかたの夢に。


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