真面目という絞首刑
「あなたは真面目なひとだ」
他人はこれを誉め言葉としてわたしに言ってくる。
でも、“真面目”という単語は全然誉め言葉なんかじゃないんだ。わたしはいつも心の中で世界にそう叫んでいる。
わたしの真面目は、自信のなさのあらわれだ。真面目という鎧を着ることで、自分を守っているだけなんだ。そう、“真面目”というのはコンプレックスのあらわれだ。
他人からみれば、わたしは優秀な人間かもしれない。でも、それはわたしを焦らせるだけだ。
他人から求められれば、求められるほどわたしは無理をしている。
“真面目”であるために、わたしは細かい他人のミスを指摘しなければいけないし、争わなくてはいけなくなってしまう。
そして、評判だけはあがるが、そこには焼き野原だけが残るのだ。そして、わたしは焼き野原をみることで安心する。
「弱い自分に、負けるもっと弱い奴がいっぱいいる」という安心感に包まれる。
上司はわたしを褒めるが、周囲からは煙たがられる。“真面目”であればあるほど、わたしは破滅へと向かっている。
「あなたは真面目だね」
この言葉はわたしの死刑台へと繋がっている13階段だ。