第三十五幕 柏木
「惑わしの森とは幻術師が見せる幻とは性質が異なる」
「異なる?」
「さよう。惑わしの森に漂う香りによって五感が鈍くなり光の屈折により本当にそこにあるように見え、木々の葉が擦れた音は人の声のように感じられる」
罠がないとも限らないから慎重に進む。
ルルーシェとキルシェはロディの上に乗っていた。
夜目が利かないのとルルーシェが疲れて眠っているからだ。
「最初に我が〈エルフの精鋭がいる〉と言った。そして姿を現したのはそのあとだ」
「そうだな。俺もルルも気づかなかった」
「あのとき我はエルフが襲ってくるのではないかと疑念を持っていた。キルシェが襲われたこともありエルフは話に聞くより好戦的なのではないかと思ってしまった」
思い込みや先入観を元に作り出されるから記憶の齟齬というものが起きにくい。
記憶にないものでもこんな顔をしているはずやこんな声のはずという思い込みで作り出された。
「それぞれに戦ったがそれも存在する我らがこう動いているから相手はこう動いたはずだという思い込みでできた」
「だが掴んだ感触や痛みはあったぞ」
「それも思い込みに過ぎん。腕を掴んだから感触があるはずと思っただけだ」
惑わしの森はいつ惑わされるかは人による。
薄暗い森の中にいるという精神状況から惑わされるはずだという先入観から知らぬ間に惑わされる。
「その証拠に一人のエルフに対して我らが同時に攻撃をしたことはないはずだ」
「常に一対一だったな」
「目の前の敵のエルフがいて他のエルフまで考える余裕はなかろう」
「集団でエルフがいたわりには乱闘になっていなかったな」
倒したエルフに対しては起き上がって来ないだろうという思いから意識の外になっている。
あくまでも思い込みや先入観で見えているものだから意思に反した動きはない。
「攻撃を受けたときも同じだ。あの矢ならこれくらいの傷を負うだろうという思い込みで痛みを感じていただけのこと。蹴り飛ばされたというのもあの蹴りならこれくらいの痛みがあるだろうと考えた結果で痛みとして認識していただけだ」
「俺が木の後ろに隠れたときに襲われないだろうと考えたから見つからなかったということか」
「そういうことだ。エルフの長だというものが現れたときも同じだ。事前にエルフの里に迎え入れてもらえるはずだという我の言葉も誘導になっておったな」
エルフの長が戦いを止めたときには姿よりも先に声を認識した。
そして戦いの中心にいつの間にかいたという感じだった。
そのあとにエルフの里に招かれたときも何か裏があるはずだと思い込んでいた。
「惑わしの森の香りはそう長くは効かぬ。一時的なものだ。エルフの里の長から話を聞かされているときがちょうど効き目が切れるころだったのだろうな」
「それで目の前の幻覚が不自然だったのか」
「おそらくは幻覚と現実の齟齬によるものだろうな。たいていのものは幻覚に囚われたまま死んでしまう。それゆえに惑わしの森などと呼ばれておる」
「エルフの里が惑わしの森の奥にあるのなら惑わしの森の対処法くらい知っていたんじゃないのか?」
まるでエルフの里を見てきたかのように話すロディだったが訪れたことがあるとは一度も言っていない。
だが場所を知っていないと進めないような入り組んだ道でもあった。
「観察眼はさすがと言うべきだな」
「ならエルフの里に行ったことがあるのか?」
「幼い頃に一度だけな」
エルフの里の周りの惑わしの森のことを知らなければ幻覚に悩まされることもほとんどない。
それは全て子どもが多いがエルフの里に辿り着けると本気で信じていれば惑わされることもなかった。
無事に帰ったあとには親や仲間からは近づいてはいけないと忠告される。
惑わしの森の存在を知っていれば惑わされて辿り着けなくなる。
惑わしの森の存在を知っているかどうかが大きな問題だった。




