悪役令嬢奮闘記 ~2秒でデレるにゃ訳がある~
私の名前は悪役令嬢。それは名前じゃないって? そんなことは関係ない。だって今の私は「悪役」令嬢だから。役者の名前はプレイヤーが任意につけられる。無数の名前が私にはあって、だからこそそれは私の名前じゃない。私はあくまで悪役令嬢。悪を演じる、役者で令嬢。
私の名前は悪役令嬢。だから今日も悪を演じる。何のためかって? それは勿論、大好きなあの人をハッピーエンドに導くためだ。私はこのお話が好きだった。大好きで大好きで、何度も何度もプレイした。でも、主人公に付けられる名前を、デフォルトから変えたことはなかった。だって作品の中で笑って泣いて恋をするのは、その人であって私じゃないから。自分が言わないような言葉を話し、自分とは違う価値観を持ち、自分ではできない恋をする。私はそれが好きだった。だから私は傍観者だった。だって私がその人になったら、このお話は成立しない。だから私が悪役令嬢になれたのは、ある意味では幸運だった。大好きな人が幸せになるその瞬間を、一番側で見ることができるのだから。
私の名前は悪役令嬢。だから今日も悪を成す。会う度にちょっとした嫌みを言うのは、地味にダメージが大きい。言うべき台詞は頭に入ってるのに、思ってもいないことだからすぐに言葉が出てこない。最終的には誰に会ってもチクリと嫌みを言えるくらいにまで成長したけど、ぼろを出さないようにするのが大変だった。
あの人が大切にしていた手鏡を壊すのは、とても勇気がいった。タイミングが一瞬しかない。何度も何度もイメージトレーニングをして、それでも本番は足がすくんだ。この世界にNGはない。失敗したからやり直しなんてできない。ここでうまくぶつかって手鏡を壊せなければ、あの人とそのご友人のフラグが成立しなくなってしまう。
すくむ足に力を入れて、不自然にならないように歩く。すまし顔でよそ見をしながら、チラチラと場所とタイミングを確認した。ここしか無いというタイミングで踏み出すとき、緊張で足がもつれて転びそうになったけど、必死にこらえて体をぶつけ、何とか無事にぶつかることが出来た。安堵のあまり台詞がワンテンポ遅れちゃったけど、取り巻きの娘がいい具合にフォローしてくれた。料理の付け合わせのパセリは実は栄養豊富で食べた方が良いって話をふと思い出して、笑いをこらえるのが大変だった。
私の名前は悪役令嬢。だから私は役目をこなす。手元にあるのは、あの人の心の支えである、お祖母様の形見のブローチ。予定の場所に落ちていたから、拾ってくるのは簡単だった。でも、問題はここから。明日はこれを返すふりをして、足下に落としたうえでわざと踏んで壊さないといけない。
辛い。他人に悪意を向けるのがこんなに辛いなんて、私はこの時初めて知った。日々の嫌みなんて目じゃない。やろうと思う、ただそれだけで胸の奥から吐き気がこみ上げてくる。だって私は知っている。あの人がこれをどれだけ大事にしているか。これを目の前で踏み壊したら、あの人がその場で泣き崩れてしまうことを。知っているけど、やらなきゃならない。これをやらないとフラグが立たない。だから私は実行した。義務と矜恃を完遂した。
立っているのがやっとだった。泣かないようにこらえている目は、きっと睨み付けているように見えるだろう。手で口元を隠してやれば、その両方が震えていることをきっとうまく誤魔化せただろう。
私はやった。やりきった。これでもう、この後は大きなイベントは無い。終わりのその時まで、チクチク嫌みを言い続ければ良いだけだ。
そして、その日はやってきた。卒業式、壇上での告白。あの人は無事に結ばれて、物語はハッピーエンドだ。幸せなキスをする二人を見届けて、私はそっとその場を離れる。向かう先は、留置所だ。父の行っていた犯罪行為がバレて、私にもその取り調べがあるからだ。
数日間の拘束の後、開放された私の前にあったのは、変わり果てた世界だった。家も財産も没収され、学園にいたおかげで無関係だった私以外の家族は皆逮捕された。沢山いた使用人達もいなくなり、仕様上一緒にいた取り巻きの娘たちも、こぞって私との関係を絶った。
何も無くなった。だからこそ私は、清々しい気持ちで一杯だった。家も無くした。家族も無くした。名前も無くした。財産も無くした。そして何より、目的が達成された。私はもう「悪役令嬢」じゃない。悪を演じる必要もなく、令嬢を気取る必要もない。私に残されたのは、ハッピーエンドのその先にあるキラキラした日々を眺めて過ごすことのできる権利だけだ。ああ、何て幸せなんだろう!
令嬢時代に唯一作ったコネで、私はとある服飾店でお針子として働いた。元々コスプレ衣装を自作していたから針仕事はまあまあ出来るし、汚部屋一歩手前と恐れられた部屋に住んでいたから、一般庶民の生活環境でも何ら問題無い。出来るだけ誰とも会わず、細々と針仕事で生活費を稼いで、私はあの人のことを見続ける。
遠くから見るあの人は、幸せそうだった。顔にはいつも輝くばかりの満面の笑みが浮かんでいたし、お相手の人の姿こそ立場的にあまり見られなくなったけど、あの人が幸せそうにしてさえいれば、私は満足だった。
でも、それは長くは続かなかった。年中行事などで時々見かけるあの人の顔は、何だか少しずつやつれていってる気がした。お化粧でうまく隠してはいるけど、目の下にはきっと隈があるし、頬も少しこけている。普段お化粧をする文化のない一般庶民の目にはわからないんだろうけど、現代日本にて日常的に化粧に触れていた私にはわかる。わかってしまう。その顔を見る度に、少しずつ化粧が濃くなっていることに。
結局あの人は、50歳を待たずに亡くなってしまった。葬儀の列に並び、目の前をあの人の棺が通り過ぎる。それが教会の中に消えたところで、私は自宅へと戻り、茫然自失となった。
何で? 何でこんなことになったの? 何がいけなかったの? 私があんなに苦労して辿り着いたハッピーエンドは、こんな結末に繋がってたの? こんなのおかしい。納得できない。私がまだお婆ちゃんにすらなってないのに、あの人が先に死ぬなんて、どうやっても我慢できない。返せ……返せ! 私のハッピーエンドを! キラキラした物語の結末を、今すぐ私に返せ!
「……納得がいきませんか?」
不意に、上から声がした。見上げると、私の部屋の薄汚い天井に、神様が刺さっていた。天井に、首から下だけが生えていた。
「あー、神様。もうちょっと下……違う、後ろじゃなくて下……そうそう……」
無事、天井から顔も生えてきた。真っ青なゆるふわウェービーヘアの美青年だ。
「……納得がいきませんか?」
「あ、そこから仕切り直すんだ……そうだよ。納得いくわけないじゃん! だって、こんなの違うでしょ!? こんなの全然幸せじゃない。アタシの見たかったキラキラな日々は、絶対こんなのじゃないよ!」
「そうですか……そう言われても、その原因は貴方にあります」
「アタシ!? アタシの何が悪かったの!? 全部のフラグを完璧に処理したじゃない! 1つだって間違ってないよ!?」
「そうではなく、貴方のイメージの問題です。貴方にとって、結婚後の幸せな生活のイメージは、どんな感じですか?」
「えっ!? それは……夫婦がいつまでも愛し合ってる感じで……」
「あの人たちは愛し合っていましたよ? でなければ、下級貴族が城に留まれるはずがありません」
「こ、子供とか出来て……」
「立場の関係上複数の女性が産んでいましたが、あの人たちの間にも子供はいましたね。2人ほど」
「お、お金に余裕があって……」
「お金はまあ、あったでしょうね。自由に出来る金額には当然上限はあったでしょうが、城での暮らしでお金がなくて困る、ということは無かったでしょう」
「ペ、ペット! 大きな犬とか飼ってみたり?」
「……流石にペットはいなかったと思います。では、あの人たちがペットを飼えれば、貴方にとって納得のいく『幸せな日々』であったと言えるのですか?」
「うぐっ、そ、それは……」
言えない。ペットを飼ったくらいで、あの人の日々が幸せになるとは思えない。
「つまり、それが原因です。3年間の学園生活において、貴方は膨大な量の知識と設定を持っていました。いつ、どこで、誰が、何をするかをキッチリと決め、そこにある人間関係や時代背景、果ては建物の材質やその間に起こる世界情勢すら想定していたので、貴方の理想とする世界が作れたのです。
ですが、貴方の中には結婚後の幸せな生活、という情報が全くありません。ネットで仕入れたしょっぱい愚痴や、その気も無いのにチラ見した結婚情報誌などが貴方の中にある『結婚後の幸せな生活』に関する情報の全てです。そんなふわっふわの知識と、コンビニの底上げ弁当より薄い人生経験で、ハッピーエンド後の何十年もある結婚生活の幸せな形を描けと言われても、無理に決まってるじゃないですか」
「あぁぁ、それは……」
頭を抱えるアタシに、神様は容赦の無い追い打ちをかけてくる。
「若い母親向けの雑誌など見ても、その腹に詰まっているのは脂肪です。そんなことで子育ての辛さも幸せも理解できるはずがありません。ダンナの愚痴を言う主婦は、その裏でちゃんと愛を確認したりもしているのです。悪い面だけ見て『やっぱり結婚とか無いわ』などと呟いていては、結婚後の生活など想像できるはずがありません。1日中ジャージで過ごしてしまう人が『子持ち人妻のくせにオシャレとか』などと馬鹿にするなど、へそで茶が沸いてしまいます」
「言わないで、それ以上は言わないでぇぇぇぇ…………」
あまりの仕打ち、死体蹴りに、私はその場に崩れ落ちる。ああ、絶望だ。異世界で令嬢にまでなったのに、ここには絶望しか満ちていない……
「……私が言いたいのは、つまりあの人達の幸せな生活を見たいなら、幸せがどういうものであるかを貴方が理解する必要があるということです。ハッピーエンドのその後ではなく、人生の終わりをハッピーエンドと定義するなら、そこに至る過程をきちんと思い描いて欲しいのです。そうしなければ、私としてもどうしようもありません」
「わ、わかりました……努力、してみます……」
「では、もう1度……いえ、1度と言わず幾度でも機会をあげましょう。貴方が納得するまでやってみてください。そーれ!」
掛け声と共に神様が両手を挙げると、頭の上から光の幕が下りてくる。それが世界を埋め尽くしたところでアタシの意識は消えていって……
「はっ!?」
目が覚めると、アタシは私になっていた。見覚えのある天蓋付きのベッド。慌てて手を見れば、針仕事でボロボロになったはずのそれが、白くて細い子供の手に戻っている。
「戻った? 戻ったけど……どうしよう?」
神様の言葉を反芻するも、どうしていいのかわからない。幸せとか不幸とか以前に、私には結婚生活なんて無縁の存在だ。ならば試しに結婚してみる? いやいや、悪役令嬢の「役」を降りてしまったら、私にそんなコミュ力はない。せめて貴族としての地位があるうちなら父の力で結婚くらいはできるだろうけど、卒業と同時に没落するのが決定済みだから、そっちには頼れない。
市井の民として生活していた間にも、結婚の話なんて出なかった。というか、人と接することすら必要最低限に抑えていた。自分のペースで生活できないのなんて煩わしいだけだし、ましてやそれが他人に振り回されることが前提の「恋愛」となったら、面倒くさくて全てを放り投げてしまいそうな気がする。スマホのアプリで既読に反応しないことをいちいち突っ込まれる生活なんて、絶対耐えられない。
そもそも、私はあの人が幸せそうな姿を見るのが好きだったのであって、私自身が恋愛したいとか思っていたわけじゃない。ならばやっぱり、ここはフラグをいじったりすることで何とか解決できないだろうか? うん、まずはそうしよう。それを色々試してみよう。
妥協と言う名の逃避に逃げて、私は色々画策する。なにせ私があの人に関われるのは、この3年間が全てだ。仮に全てのフラグをぶっちぎり、悪役令嬢という役すら棄てて親友ポジになれたとしても、卒業してしまえば接点は無くなる。ここでどれだけ人間関係を築けても、「市民に落ちた犯罪者の娘」ではそれを維持できないのだ。
それでも私は頑張った。できる限りの手を尽くした。ただ、あの人たちがきちんと結ばれるようにするには、どうしてもとれる動きに限界が出る。下手に動きすぎていわゆるぼっちエンドなんて迎えさせてしまった日には、その後を見るまでも無くリセットしてしまった。
どれだけやっても上手くいかない。どれほど手を尽くしても、何となく微妙な結末になってしまう。ハッピーエンドの定義を伸ばしただけで、このゲームのシナリオはグデグデでショボショボだ。アタシの目指すキラキラには、どうしても届かない。そしてその原因は、完成されたシナリオに後付でパッチを当てているアタシの創作力が、あまりにもお粗末であることだ。わかっているけど、解決できない。私がアタシである限り、理想の結婚とか老後とか、そういうのは全然理解出来ない。
アタシの願いは、ただ1つなのに。あの人に幸せになって欲しい、ただそれだけのシンプルな願いなのに。どうしてアタシにはそれが叶えられないんだろう? どうしてアタシには、ある程度現実に即した幸せ40年プランとかが思い描けないんだろう?
悔しくて、悔しくて……何十回目かのやり直しの後、アタシは廊下で泣いてしまった。目を瞑っていても歩けるくらい慣れている、今日初めて来た学園の廊下で、知っているのに知らない他人に囲まれて、アタシは泣き続けていた。
「大丈夫?」
そんなアタシに、声がかけらえた。親の声より聞いた声だ。聞き間違えるはずもない。顔を上げたアタシの目の前には、心配そうな顔でアタシを見つめるあの人がいた。
あの人は、アタシの涙を拭いてくれた。今会ったばかりのアタシを心配してくれた。でも違う。そうじゃない。アタシにそんな価値は無い。貴方を幸せにできないアタシに、貴方の幸せを理解できないアタシに、優しくされる理由なんて無い。
ああ、今日も貴方は美しい。今日も貴方は優しい。だから幸せになって欲しい。キラキラした日々を送って、穏やかな最後を迎えて欲しい。人に許される最後の一息で、「幸せな人生だった」と呟いて欲しい。アタシの願いは変わらず1つだけだ。たった1つ、それだけが願いなのだ。
「私の全てを差し上げます。だからどうか、私に貴方を幸せにさせてください」
目の前の彼の顔が、驚きにゆがんだ。それを見て、アタシは変なことを口走ってしまったことに気づいた。どう考えても愛の告白だ。しかも、かなり重めの奴だ。初対面の女にこんなこと言われたら、どん引きして二度と関わらないのが普通だ。私はそのままリセットしようと思って――
「僕で良ければ、喜んで」
聞き慣れた声で、初めて聞く台詞に、アタシの頭はパニックになった。あれ? 何だろう? 受け入れられた? どうして? 現状が把握出来ない。こんなルートがあるなんて初めて知った。だからわからない、わからないけど……
「よ、宜しくお願いします……」
アタシは彼の手を取った。差し出された手は、ほんのり温かかった。確かに、これもひとつの結末だ。メインヒロインの彼女には悪いけど、アタシの思い入れは、あくまで彼の方にある。彼を一番幸せにしてくれそうなのがあの娘だったからくっつけていただけだし、それだって最近の周回では「可能性の模索」として別のヒロインとくっつけたりもしていた。
そうか。アタシがくっつけば、死ぬまで彼を幸せにし続けられる。いや、できるのかどうかわからないけど、そうする努力は続けられる。恋愛とかは未だわからないけど、彼を幸せにするためになら、アタシはきっとどんなことだって頑張れる。その経験を利用すれば、次の週ではきちんと彼を幸せに……あれ? これで幸せにできるなら、次は必要無いのかな?
ひたすら混乱するアタシを、彼はいつまでも優しく見つめてくれていた。だからまあ、これもアリかなって思えてきて……大きく深呼吸してから、アタシも改めて彼に微笑み返して、手を繋いで歩き出した。
出会って2秒で生まれたカップルの伝説は、こうしてここに幕を開ける――
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「なんじゃこりゃ」
「おぉぅ由真っち、どうしたん?」
「聞いておくれよまーにゃん。この前買ったギャルゲーやってたんだけどさ。いや、これが主人公の王子様が繊細というか儚い感じで、その尊さが……」
「長い。3行」
「取説に悪役令嬢って書いてあったキャラが
初対面でいきなり告白してきて
受けたら開始5分でエンディングになった」
「なんじゃそりゃ。わけわからん」
「でっしょー? 即デレにしたって、ここまで脈絡なかったら意味わかんないし。てか悪役令嬢なのに悪いこといっこもしないでいきなりハッピーエンド? とかどうなってんだか。これ書いたライターとか絶対無能だよ。クロスレビューで13点くらいだよ」
「うわ、実際ありそうなレベルの最低得点を出す辺りがえげつないですな」
「あー、もー! 何か萎えちゃった。これは当分積んでおけばいいかな?」
「最近積みゲー増やしすぎでない? 崩せるの?」
「大丈夫だよ。ほら、こういうのは時間のあるときとか、老後の楽しみとか……」
「うわ、絶対崩さない奴じゃん」
「うるさいよ! はーい、ということで積んどきまーす。良かったねぇ悪役令嬢ちゃん。あとは私の知らないところで、ゆっくりと幸せになっとけばいいよ」
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