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肉じゃが熱闘編

旅に出たら、その地の食べ物を食べたくなりますよね。

だから、私は朝食から夜食までその地でしか食べられないようなものを探して食べ漁ります。

で、タイトルですが、もともと肉じゃがはビーフシチューを作らせようとしたらこうなった的な伝説がありますので、それを思って付けました。

だからずっと肉じゃがの話ばっかりじゃないです。

肉じゃが。

肉、じゃがいも、玉ねぎ、糸こんにゃくなどを油で炒めてから、醤油、砂糖、みりんで甘煮にしたもの。

肉は、牛肉、豚肉、鶏肉などが使用される。

1870年(明治3年)から1878年(明治11年)までイギリスのポーツマス市に留学していた東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューの味を非常に気に入り、日本へ帰国後、艦上食として作らせようとした。しかし、ワインもドミグラスソースも無く、そもそも命じられた料理長はビーフシチューなど知らず、東郷の話からイメージして醤油と砂糖を使って作ったのが始まりといわれている。

東郷平八郎が初めて司令長官として赴任したのが舞鶴鎮守府であり、現存する最古の肉じゃがのレシピが舞鶴鎮守府所属艦艇で炊烹員をしていた故人から舞鶴総監部に寄贈されたものであるため、肉じゃが発祥の地として名乗りを上げている。

東郷は、舞鶴赴任より10年前に呉鎮守府の参謀長として赴任しているため、呉も肉じゃが発祥の地として名乗りを上げている。

(wikiより)


とまぁ、難しい話はおいといて。

仮に東郷平八郎のエピソードが事実だったとしたら、コックに肉じゃがを出された東郷は

「これじゃない」

って思ったんじゃなかろうか?


でも、東郷は気さくな人柄だったそうで、床を掃除していた兵士に、

「ちょっとそこどいてください」

的なことを言われて、ほいほいとか言って場所を動いたという説話があるらしいので、

「これじゃないんだけど、まぁ、しょうがないか」

的に食べてしまったかもしれないですね。


さて、そんなわけで、毎鶴と呉に肉じゃがの食べ比べに行きました。(嘘)


それぞれ、いろいろなお店があって、それぞれに美味しかったのですが、個人的に、毎鶴と呉の双方でおすすめをあげるなら、

舞鶴は西舞鶴駅近くにあるフォレスト。

呉は中通にある田舎洋食いせ屋。


執筆途中なので続きます

旅に出たいです

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