第二話 戦績
「おらよォ!!」
開始の合図とほぼ同時に、強烈な一撃を放ってくる。
イェルサスのその行動は、一分の隙さえ無いその一撃は。
完全に予想通りだった。
短気で単細胞、短絡的で好戦的、喧嘩っ早くて血の気が多い。そんなヤツが、間合いをジリジリと詰めるような長期戦を望むわけがないのだ。倖都は、確実にキメに来ている一撃だと分かると、さっとしゃがむ。全神経を注いで回避したつもりだが、髪の毛を軽く掠った感触を覚え、そのまま転がるように後退。
ヤツの狙いは顔ではない。頭だ。
頭蓋を揺らせば、確実に落ちる。アッパーなんかは良い例だ。
或いは、戦闘と託けて、海馬なんかを狙ってくる可能性もある。
触れれば即死、そんな攻撃の応酬を、ひたすら回避して回避して、隙を窺う。
「んだァ!? 達者なのは口だけかァ!?」
「………」
焦るな、倖都は自分に言い聞かせる。
挑発に乗って来てくれているのだ、安い挑発に乗っかってしまってはミイラ取りがミイラになる。
罵声も罵倒も、蔑視も軽視も。受け流して、やり過ごして、手に入れる。
一発を。
ズォン!!
「うォッとォい!」
あらゆる角度から、強烈な拳打を連続でかましてきたイェルサス。
相手が素人だから、と舐め切った大振りばかりだ。
倖都は、敢えて大きめのラグを狙って鋭く一撃を見舞う。
腹部に直撃しそうな一撃を、強引に脚力で歯止めを掛けながら、後方へ飛んで回避する。
「(なんつー動きだ。比喩表現抜きでサルだな、こいつは)」
動きも、頭も。
まぁ、それはさて置き。
五分は経過しただろうか。相手の猛襲を、掠るだけに抑えて、倖都は耐えていた。
「はっはァー! やるじゃァねェか! 逃げ足に関しちゃ一線級だぜ」
「どうも。馬鹿の一つ覚えみたいに、大振りで殴られたら、俺でも分かるよ、ありがとうな」
クスクス、と笑いが零れた。
アスターとミラ、ルノアの三名だった。
流石は知略に長ける、参謀担当。意味を理解してくれたらしい。
「馬鹿馬鹿うっせェな! へなちょこ野郎よりゃマシだぜ!」
「ふん、勝手に言ってろ」
言うと、今度は倖都から殴りかかる。
真正面に放った一撃を回避、したイェルサスに右足の強烈な蹴りを見舞う。それを受け止め、掴んだイェルサス。しかし、想定内。掴まれた右足を基点に、左足で顔側面を狙って蹴り上げる。
「うぐォ!?」
ぱっと右足を離して、ガード。
流石の判断力だ。とは言え、倖都は確信した。
コイツは、素手での戦闘に全く場慣れしてないのだ、と。
剣と弓、どちらも扱えるのは誠大した事なのだが、結局獲物頼りだ。こうした例外、真性の殴り合いに関しては、一家言あるのは倖都だ。そこを補うのは、イェルサスの長年の戦闘経験と、センスだろう。
仮に、素手での戦闘スキルに微塵のセンスも無かったとして。
それでも負けるのは倖都だ。
「(次あの猛襲を避けられる自信は無い。スタミナ以前の問題だな)」
日頃から鍛えていたわけではない倖都。
反射と勘、それだけで避けて、交しての逃走劇は、最早これきり。
「急に張り切ってんじゃねェよ!!」
「ッ!!」
アッパーだ。間一髪、顎をスレスレで一撃が飛びぬける。
なんてバネだ……。倖都は驚愕すると同時に、好機、とそれを捉えた。
「!!」
蹴りだ。
相手は左足の蹴りを受け止め、弾き返し、そのままアッパーへと転換した。
無防備な倖都の顎を掠めるようにして。
つまり、左足は若干投げ出される、ふらついては居るが、体勢は奇しくもイェルサスと正面。
左足に力を入れると、自然、左足に向けて重心が傾き、右足が浮かび上がる。
そのまま蹴りのモーションへ入れば、遠心力の付与された一撃と化す。
「おら!!」
初めて、声を発した。
鈍い音が響く、が、見ればしっかりと両腕で体勢を整えて攻撃をガードしていた。
だからお前はサルかよ! とツッコミを入れたくて仕方ないわけだが。
倖都はすっと力を抜いた。
防御に意識が一辺倒してたであろうイェルサスは、ふわり、と威力が消えて前のめりになる。
そして。
「喰らえ!!」
左のフックを見舞う。イェルサスの無防備な後頭部へ向けて。
だが。
倖都は止めた。後頭部に触れる寸前で。
寸止め、というヤツだ。プログラムの中で、最も重要視されていたものである。
「何故、ヤメた」
「俺は≪鬼の手≫を利用するだけだ、利用されるつもりはない。殴って怪我を負わせたなら、例え今敵対してても、仮にも仲間であるお前に対してなら、それは暴力だ。≪鬼の手≫が最も好み、俺が最も嫌う、意味無き、必要無き力だ。それだけの理由だ、何か文句あるか」
「……はッ。かっこつけてんじゃねェよ。どうせ大方、平等じゃねェとか、下らねェ事が脳裏を過ぎって、迂闊に手を止めちまったんだろ」
「……そう思いたければそう思えば良い」
「まァ、俺っちは剣と弓が領分で、お前は拳が領分なわけだ。だが、その得意な分野においては、俺っちの方が何枚も上手だからな、俺っちの得意としない分野と、お前の得意とする分野なら、ある種対等で、平等だろうさ。それでも拳を引いちまう、っつーんなら、ただの腰抜け野郎だ」
ぱんぱん、と尻餅を付いたイェルサスは、尻を払って、そう言った。
「だが、少しばかりは認めてやらん事もねェ」
そう付け加えると、さっさと部屋から退出してしまった。
その背中を眺めながら、ふぅ、とその場に座り込む。
「倖都!」
「アリス姫殿下、お待ちなされ」
「バルガス…」
「ほっほっほ…。倖都殿は、実に誠実なお方とお見受けした。あの馬鹿も、少しは頭を冷やすでしょう」
「いえ……」
「とは言え、やはり力不足な感が否めませぬ。例え、平和で平穏な異国で暮らしていたとは言え、で御座います。最早この地は、貴方様の居た国では御座いませぬ故、今後、我ら≪十騎将≫が倖都殿の指導に当たらせて頂きまする。異論はありませぬな?」
「願っても無い。こちらこそ、宜しく頼みます」
「ほっほっほ。誠、大したお方じゃ」
では、と。
バルガスは去っていった。
すると、どどど、とその場に残った八名が近寄ってくる。
「うぉー! やるじゃん、倖都くん! 僕はクロイツ、お嬢のご紹介にも与ったけど、一応、剣士として腕を認めてもらって、この場に参じさせてもらっているよ。今後は、僕が剣術の指導に当たるはずだから、よろしく頼む!」
「クロイツ。なんでてめぇはそう軽薄なんだよ、ったく。倖都、俺はジンだ。コイツ同様、剣術指導に当たらせてもらう。ただ、基礎、基本の型については、俺よりコイツのが忠実だ。まずは、完璧に基盤を整えてからになるな。まぁ、それ以外でも、何か困ったら頼ってくれて構わん。よろしくな」
飛びぬけてやってきたのは、その二人だ。
クロイツは朗らかに、爽やかに微笑みながら、右手を差し伸べる。元々美形な顔立ちだが、優男というか、甘いマスクが特徴的だ。対するジンは、同じく美形な顔立ちながら、屈強で寡黙、野性味溢れる、男気な雰囲気だ。ジンにも右手を差し出されて、二人の手を使って立ち上がる。
すると、どーん、と間抜けな効果音と共に、二人が撥ね退けられた。
「わたくしの名前はミラと申します、倖都様、とお呼びさせて頂きますわね。≪魔術≫に関して、わたくしは専門に扱っていますの。クロイツやジンが剣術の担当を勤めるのなら、畢竟、≪魔術≫の指導を担当するのはわたくし、という事になりますわ。宜しくお願いしますわね」
「ミラ様、わたくしも一応、≪魔術≫に関しては一家言あるのですが……。そんな事はさて置いて、お疲れ様です、倖都様。わたくしはルノア、と申します。≪魔術≫の中でも限られた分野、≪音響魔術≫を専一に磨かせてもらってます。意外と奥深いものですし、基本であればわたくしでもお教え出来ますから、お暇がありましたら、是非、顔をお見せに来て下さいませ。あ、もし、音楽や楽器に興味がお有りでしたら、暇を見つけて来て下さいね。必ず、ですよ?」
「え、えーっと、あ、は、はい!」
女性陣の勢いは凄い。まさかジンとクロイツを吹き飛ばすとは。
そこにゆったりとした歩みで近づく二つの影。
「おやおや、はしたないですね、お二人共。順番ぐらいお待ちになったらどうですか?」
「んっふっふ~。メロはぁ、ちゃぁんと守ったんだからねぇー! メロよりお行儀悪いよぉ?」
アスター、とメロだ。
「倖都さん、ご苦労様でした。我々は弓の修練を担当させてもらいます。基本は私が、そして、応用編と言うか、ある程度慣れてきたら、メロリアさんも交えて、練習していく所存ですので。どうかよろしく」
「ゆっきー、よろしく! あ、けど、アリスは渡さないんだからねぇ!」
「あ、ははは……よろしくお願いします」
どう対応するか困る二人組みだった。
アスターは決して悪い人ではないのだが、何となく意地悪そうな雰囲気を感じる。
メロは無頓着で無邪気だが、それ故に手の付けようが無いというか、無差別というか。
これは確かに、近接戦での連携には向かないタイプだ。
そもそも、弓の技術に対して適性があったのだとすれば、神様の采配もかくや、と言うべきか。
そしてまたもや、不釣合いというか、逆の性質の二人組みがやってきた。
「エルーナだ。専門は双剣だ。基本的に、剣術を基盤として、二本の剣を用いて、手数とスピードを高めたのが双剣だ。左手が使えるか否かで、戦場での生存率は変わる。仮に、双剣を主として扱わなくとも、その修練は他の武器を扱う際にきっと有利になるだろう。厳しく当たっていくつもりだから、その気で来るように。分かったな、倖都」
「み、ミカエラです……。槍術の指導担当を勤めさせて頂きます…。槍は、剣より長くて重い獲物ですので、逆にこの槍に慣れれば、剣の扱い易さが手に取るように分かると思われます…。槍の扱いは非常に難しいですが、て、手取り、あ、ああ、足取り、教えていきますので、ど、どうか、よろしく、です。倖都、くん」
「は、はい…」
だから、何故こうも真逆の性質の人間を組み合わせるのだ。
倖都はどちらに対してどう返答すべきなのか、毎度悩ませられそうで、先が思いやられた。
「よーっし! んじゃー、還ろう!」
「うるせぇ、黙れクロイツ」
「ひっでぇ!?」
「クロイツ、確かに耳障りですわ。後、目障り」
「クロイツ様に悪気は無いのですよ。生まれ持ってのものですから、そう嘆かずに」
「いや、だからね!? 君ら僕への対応酷過ぎるから! 後ルノア! 君の言葉一層酷いぞ!」
「はは、クロイツくん、そう落ち込む必要も無いよ。君の底抜けの明るさは、良い意味でも悪い意味でも、我々の心中に希望の光を差してくれるのだから」
「悪い意味で希望の光が差すってどういう意味なんだ!?」
「えっへっへ~、クロイツはお馬鹿さんだからねぇ。やーい、ばーかばーかぁ」
「うるへぇ! メロに言われる筋合いはねえぞ!」
「クロイツ、その御喋りな口はどうにかならんのか。切り落としてやろうか?」
「いやいやいやいや!! 口切り落とすって、つまり顔切り落とすっつー事なんだけど!? 何で君らは言葉の暴力と身体への暴力を重ね掛けしてくるのかな!?」
「クロイツくん、大丈夫…?」
「あぁ………やっぱり、ミカエラさんは優しいね。本当、荒野に咲く一輪のバラのようだ…!」
「そうじゃなくて、ね? お口、切り落とされたら、痛いから、麻酔とか……」
「何で切り落とされるの前提になってんの!? 無用な優しさだよ、ミカエラさん!!」
騒々しい。と言うか、完全にクロイツがいじられキャラだ。
馬鹿丸出しな掛け合いの姿は、何ら、日本に居た頃の学校の風景と変わらない。
彼らが血で血を洗う戦場を拠り所とするような、冷血人間でない事は、承知ではあったが。
がやがやと騒ぎたてながら一行は去っていく。
残されたのは、アリスと倖都の二人だけだ。
「ごめんなさい、倖都。あの、彼らに悪気があるわけじゃないのです…」
「大丈夫、分かってるよ。それに、ああやって、気軽に絡んでくれた方が、こっちとしても助かるから」
「そ、そう。それなら、良いのですが…」
「口調」
「え?」
「俺の事、倖都、って呼ぶんだからさ、堅苦しい口調が余計目立っちゃうだろ? 俺は、その、あんまり、こう、他人行儀って言うか、社交辞令な感じの話し方って嫌いでさ。その上同い年なんだし、もう少し腹を割って話したいんだ。配下、例えばメロと話すように、もう少し、砕けた態度でお願いしたい」
「で、ですが…」
「良いんだよ。それとも、今後協力関係を築く相手の要求を、呑めないってわけじゃないんだろ?」
「~~ッ! 分かりました! いえ、分かった、わ。今度から、お気を……気をつけまs……つける!」
「そうそう。それで頼むよ」
何でこうも角張ったというか、格式ばった喋り方が板についているのだろうか。
アリスはお姫様なのだ。王女様、皇女様、ともなれば、そういった喋り方が基本となるのか。
とは言え、倖都とアリスの関係において、しっくり来るのは生徒間、といった感じだ。
同学年の女子から、畏まった喋り方をされると、逆に距離を感じる。
アリスに悪気があるわけじゃない、と言うのは百も承知なわけだが。
「ゆ、倖都。そ、その、今日から、私の配下達と、仲良くやっていってくれる事を期待して、いる、わ。寝床は、後で、バルガスに聞いてく……聞いて! ほ、本当は、歓迎の宴会をしたかったけれど、そういうのは、苦手かも知れない、と思って、今日は疲れてると思います……し! だから、その手の席は、後日、改めて、という事で、良いで……よ、ね?」
「ああ、それで良いよ。変な気を使わせて悪いな」
「だ、大丈夫で……よ! 安心して…」
「それにしても、ぐだぐだだな」
「う、うるさい!」
「お? 大分フランクになった感じ」
「あ! そ、その…!」
「良いって。気にしないで、俺はアリスの配下と同じようなもんなんだしさ」
「………~~ッ」
ぐるる、と若干唸っている。犬だろうか。もしや、実はもう一人雉が居るのではなかろうか。
そうすれば、この世界において、どうやら桃太郎の物語が開闢しそうである。
無論、サル役はイェルサスだ。
「明日から、本腰入れて頑張るか…。あ、そうだ」
「な、何、かしら?」
「アリスはこの後、用事とか、忙しかったりするか?」
「いえ、大丈夫で、すよ?」
「乱れてるぞ」
「分かってます! あ、分かってるわよ!」
「はは…。いや、大した事じゃないんだけど、ほら、まだ陽もあるし、こっちの世界について、教えて欲しいんだ。丸っきりの知識無しじゃ、色々困るから」
「それなら、全然平気……よ?」
「そっか。夕食とかは、あるんだよね?」
「はい………うん!」
「それじゃ、夕食後で構わないかな。情け無い事に、腹が減ってさ」
ぐぅぅ、と本当に情けない音を上げる腹部。
其れを見てくすり、と笑みを零すアリス。
何だか気恥ずかしくなる。倖都は強引に話題を逸らす。
「そ、そんじゃ、後で」
「あ、う、うん。バルガスは、きっと一階の執務室に居ると思いま……うから! 尋ねてみて」
「……あ、ごめん、俺この城? の中がどうなってるのか、わかんないや」
「…そうでし……だった。なら、時間もまだあるから、その、案内する、わね?」
「頼むよ」
かくして、あの巨大な石室からは、こうして人の影は全て消えていった。
そして、倖都の、前途多難な異世界生活の序章が、幕を開けたのであった。