南騎士団 臨時補佐官 (1)
第1話目です。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
目が覚め、もう何年も見慣れた天井をぼんやりと見やる。
ゆるやかに息を吐き出しながら、体は起こさずそのままにゆっくりと左手を上にかざす。
自分の青みがかった黒い毛に覆われた手の甲を見つめる。
昔と違う剣を扱う無骨な大きな手。
ゆるりゆるりと幼い頃へと思いを馳せる。
いつもと同じように朝ゆっくり起きて朝飯食って大学行って、授業を受けて、バイトして夕飯食って風呂入ってちょっとパソコンいじって明日は朝イチから講義があるからと午前2時前には布団に入って寝た。
そう、普通に日常を送っていたはずなんだ。
ちょっと違った行動といえば、大学の講義が終わった後からバイトまでに時間が結構空いて、ふと思いついて動物園に行ったくらいだ。
動物園なんて何時ぶりだろう?
キリンはなんであんなにまつげバッサバサなんだろう値踏みされてるみたいで怖いわとか、カバって思ったりより数段巨大だなとか、パンダってツートン柄で仕草も可愛らしいく感じるのに意外と目が怖えなとか、殆ど動きがないハシビロコウをじっと見てる俺ってどうなのとか、同じネコ科でもチーターとライオンって筋肉の付き方が全然違うように見えるよな~とか、チーターのしなやかさとライオンの強靭さを併せ持ったような豹ってカッコイイナ!!なんて思ったりして結構楽しんだ。
そんだけだよ?
急遽デート出来る彼女なんていないから1人でぶらっと動物園に行ったくらいしか、日常とかけ離れてなかったし、それだってかけ離れてると言えないくらいのものだろう?
だのに、何で、朝、目が覚めたら俺の両手が毛むくじゃらなんだ?
ギュっと力をいれると鋭そうな爪がにゅっと出てきたりするんだ?
目の端にチラチラするのヒゲっぽいものは何だ?
起こした体の後ろでゆらゆら揺れている細長い物は何だ?
顔の横近辺にあったはずの耳が、どうして頭の上でピクピク忙しなく角度を変えたりして動いているのは何でだ?
恐る恐るベッドから起きて・・・・俺が寝たのは床に直引きしてあった布団であってベッドじゃない。
などと思っていたらコテンと転がり落ちた。
が、体が勝手に体制を整えてくるっと着地。
「・・・・・・」
パニックになるのを辛うじて押さえ込みながらフラフラと鏡のある場所へ移動。
何で俺は、この場所を知ってるのか?
ここは、俺のアパートの部屋じゃないのに。
落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け!!
心臓がバクバクいってる音が耳に大音響で鳴り響く。
落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け!!
落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け!!
ゆっくりと鏡を見る。
そこに写っていたのは・・・・・・
「なんでこんなちっこい黒にゃんこなんだ―――――――――――――――――っっ!!!」
違うだろ!違うだろ!違うでしょうが?!
ここは!ここは!ここまできたら!
大人にしとこうよ!!
ちっせ――――よ!一体何歳なんだよ!
俺は打ちひしがれて膝をつき、両手と真っ黒な長い尻尾で床をバンバン叩いていた。
何かに負けた気がした。
その何かはわからずじまいだが。
異世界トリップなのか異世界転生なのかそれとも夢オチ?それともゲームに取り込まれたくちなのか?
そんなゲームをやった覚えはなかったがな―――――――――――――――――っっ!!!
前後不覚に陥って、そのままぶっ倒れて1週間ほど高熱で生死を彷徨ったらしい。
が、その間のことは全く覚えていない。
再び意識を取り戻したときは、あれは前世とやらの記憶で今の俺は、ちっさい黒にゃんこなんだと納得した。にゃんこ言うなし自分。
いや、正確には猫じゃない。
黒い豹の獣人だ。
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洗濯済みの真っ白なシャツを着込み、クラバットを身に付け、騎士の証である上着を身に纏い、剣を帯びる。
いつもなら騎士服に着替えれば自然と気が引き締まる思いがするのだ。
スイッチが入るとでも言えばいいのか。
だが今日はといえば・・・・・・
思えば色んな思いを経てここに自分はいるんだといつになく感傷的になるのは、かなり懐かしい過去の記憶を夢にみたからなのか。
前世の記憶による混乱と今世の自分とのバランスを取りつつ過ごした幼少期を思い、自嘲的な笑いがこみ上げる。
今現在暮らしている南騎士団の砦の廊下をまたもや感傷が追いかけてくるのは、自分が年を取ったせいだということだろうか?
「ふっ・・・何だかな。混乱しようが納得しようが、成るようにしかならないという事を自分自身が受け入れなければ、前には進めんと分かるまで大変だったな。若かったとはいえ思い返すも・・・・ちと恥ずかしいな。」
立ち止まって外を見つつ射してくる光に手を翳す。
ああ、朝日が眩しく、風が清々しい・・・・・・・今日も執務に訓練に勤しもう・・・・!
「どうしよう敬愛してやまない我らが南騎士団団長ともあろう方が、朝から何やら爺むさい?」
朝の廊下で自分の後ろから来たであろう人物の言葉に振り返る。
「爺むさいとはご挨拶だな?副騎士団長?執務までの朝のひと時をのんびり過ごしているだけだろう?最近は書類の不備もかなり減ってきた・・・・我が騎士団の騎士たちも成長したんだと喜び、多少時間の余裕も出てきたのだ、少しくらい昔を偲んでも良いだろうが?」
「そこが爺むさいと。団長はまだ若いんですから、若者らしくしましょうと言ってるんです。50歳って人間にとってもまだまだ壮年ですが、獣人にとってはかなり若いほうだと聞いてますよ?・・・・・気持ちを若く持ちましょう!じゃないと、後でこんなはずではと怒り心頭な状況下になって、ぎっくり腰とかになってしまっても知りませんよ?・・・・・・・ああ、そんな騎士団長にこのような残念なお知らせをせねばならないとは!・・・・・そろそろまた書類不備が増大するかもしれません。いえ、確実にします。」
爽やかな朝に何を言い出すのだ?不吉な事を言うんじゃない!
そんな事を言って万が一フラグが立ってしまったらどう・・・・?!
ちょっと待て!確実?確実って言ったか?今?!
「何っ?!何故だ?!ここ2ヶ月かなり良くなってきたではないか!誤字脱字、計算ミスなど最近ないぞ?それは団員がやっと机上仕事の要領を得たということではないのか?!」
「全く違います。」
言い切った?!
な、何たることだ!
書類の誤字脱字!計算ミス!不明瞭な文字!煩雑な管理による書類噴出!いや違う、紛失!
日々の結構な量の書類処理の上の雑多な仕事が復活してしまうのか!
俺の訓練の時間が無くなる!
憩いの一時もなくなってしまう!!
想像するだけで、鼻が乾いてしまいそうだ!!
「団の奴らが成長したのでなければ!ここ2ヶ月の不備がない執務がとれたのはどうしてなんだ?!」
「それはですね・・・」
日々の訓練で生傷(軽度重度混在)が絶えない我が南騎士団では、常に回復薬・傷薬等の消費が激しく備蓄が出来ていない状況だ。
それを改善すべく騎士団抱えの薬師に相談したが、今以上のペースでの納入は無理だと断られた。というか勘弁してください、限界ですと嘆かれた。
物は試しと冒険者ギルドに依頼を出してみたら、薬の調合が出来る冒険者が丁度おり依頼を受けてくれたのだ。
とりあえず試用期間1ヶ月を設けてその者の薬を起用してみてみることにした。
ここまでは、俺も報告を受けているので了解している。
冒険者ではあるが、臨時とはいえ騎士団専用に薬を調合出来る者が見つかったのだ。
限界を迎えつつあった騎士団付きの薬師に、やっと少しは余裕を持たしてやれると――――――――。
常に不足する薬に、目の下のクマが消えることがなく何だか段々やせ衰えていく騎士団付きの薬師に申し訳ないと心の中で詫びいたがようやく安心できると、良かった良かった一件落着と思ったものだ。
だが問題はこの後だった。
ついでに薬の調合以外にもその冒険者が使えそうだったので、副騎士団長が執務の補佐的仕事もやらせていたらしい。(何故そこに行き着くのか俺にはわからない)
そうして蓋を開けてみれば薬は良質、冒険者の方も色々便利に使えたのでそのままもう1ヶ月使い続けたのだが、冒険者の方からこれ以上はやりませんと断られてしまったということだ。
「・・・・何故だ?金はきちんと支払っていたのだろう?例え冒険者といえど危ないギルド仕事より安全で確実に稼げるではないか?薬を扱えると言うならば、おそらく後衛職あたりだろうに・・・?」
「あ~・・・・薬代はギルド経由の依頼なので支払いはきちんとしていたのですが、俺の補佐的仕事の方は・・・・・・・・・ちょっと」
言葉を濁しながらバツが悪そうにする副騎士団長にもしやと思う。
いやそんなはずはない、それならばもっと前に本人から抗議が来ているはずだ。
「まさか、無報酬でやらせていたわけではあるまいな?」
「・・・・・・・・・・ついうっかり、そちらの報酬のことを失念してまして。昨日、ついに怒ってやめられちゃいました・・・」
マジか?!
「それは~・・・・・・ついうっかりで済ましていいのか?2ヶ月近くも扱き使ったのに?」
何ということだ!
これは副騎士団長も意図的ではなかったとは思うが、薬を我が騎士団で扱う代わりに、他の仕事をタダでやらせてしまったということか?
そんなことになるなら、我慢などせずに余分な仕事の報酬をくれと冒険者の方から請求して欲しかった!!
薬の試用期間だからと躊躇させてしまったのか?
補佐的仕事に関してはギルドを通していないから、そちらから抗議はこないだろうが・・・・報酬の話しをしないうちに事務仕事の手伝いとするように言えば、冒険者側からしてみれば、薬を大量に使ってやる代わりにタダで手伝えよとえげつない脅しをかけたように思われてしまっていたのかもしれん・・・!
しかし、最近の仕事の潤滑さを考えれば、思った以上に有能だったのだろう・・・・悪いことをしてしまったな。
待て。
という事は、この2ヶ月のスムーズな仕事は団員の事務スキルがアップしたのでは決してなく、その冒険者のおかげということになるんだな?!
つまりそれは!!
書類の誤字脱字!
計算ミス!不明瞭な文字!
煩雑な管理による書類紛失!
日々の結構な量の書類処理の上のめくるめく雑多な仕事!!!
「それがまた確実に増えるというのか?!また?!いやだ――――――っ!!」
「いやだって言われてもな・・・・・ところで南騎士団に配属されてくる奴は北騎士団ほどではないにしろ腕っ節は強いのが多いですよね?それはいいことなんですが、揃いも揃って書類仕事というか机上仕事が苦手な奴しか来ないのは何故なんですか・・・・不思議ですよねぇ?騎士団長?」
「うっ・・・・それは!」
それは俺が交渉事が苦手であり、年に1回の王都中央での新人騎士の配属先会議で欲しい人材を獲得出来てないからだ。
「副団長であるお前には苦労をかけているのは重々承知している!すまないとも思っている!お前だとて俺が交渉事などの駆け引きが苦手なのを知っているはずだろう?そう責めてくれるなよ・・・・・・・次の会議、お前が行くか?」
そうか!その手があったな!
周りの各団長に囲まれようとも、自分の補佐的な人材確保が目的なら、俺よりもうまく立ち回れる可能性が高いではないか!
「・・・・いいですけど、そうなると、俺がここを離れている間は、書類関係は全て団長に行くことになりますが?宜しいのですか?」
そうだった。
そういうことになるのだった。
2人で対応しても追いつかない物が俺一人で処理でいるだろうか?
・・・・・・・・・・・・・無理、無理無理!しかし、このままでは手詰まりだ。
「う・・・・・・・・・・・・・・・その、件の冒険者に、騎士団の臨時補佐官の仕事を指名依頼したら、受けてくれると思うか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・無理じゃないすかね?」
爽やかで穏やかに始まった朝が、どんよりに変わった瞬間だった。