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愛情記録

欲望プリズムホール

作者: 狂言巡

『おまえ、うまそうだな』


 昔読んだ、絵本の肉食恐竜の気持ちが分かる日が来るなんて、思いもしなかった。






(えにし)ちゃん見てるとさ、綿菓子とかクリームとか喰べたくなるんだよね」

「意味がわからない……というかそれ、人の髪の毛を見て言ってない?」

「バレた!?」

「君は顔に出やすい」


 ふうと息を吐くように。口元も口角もなんも上がってないけど、縁ちゃんが笑った。皮を剥いたマスカットみたいに綺麗な目が少し細まって柔らかい感じだから、間違いない。


「マスカットも良いかもしんない」

「お腹が空いているなら購買でも行って来なさいまったく」


 呆れたような溜め息も甘いと思うんだ。縁ちゃんからは柑橘系の香水の匂いがして、ゴクリと唾を飲み込む。舐めたい。ちょっとだけ。かじったら? 駄目駄目、縁ちゃん怒っちまう。


(あーぁ、)


 運動してシャワーした後の縁ちゃんは美味しそう。今日は柑橘系だけどいつもは柔らかくてちょっと甘い、そんな匂いがする。舐めたくなってかじりつきたくなって、堪らない。そんな匂い。


「……美味しそう」


 クリーミーな生クリームみたいな髪に、マスカットか青林檎みたいな目、桃みたいに少し色の薄い唇にミルクみたいな白い肌。パフェかケーキみたいだ。舐めたらどんな味がするんだろう、なんて考える。食べちゃいたい。でも食べたら縁ちゃんは居なくなってしまうわけで、そんなん耐えられないくらい俺はこのお綺麗すぎるで、でも可愛い恋人様にベタ惚れしているから我慢我慢。


(あずま)、東」

「へ?」

「あげる」

「え、何これ」

「カルピス」


 ぽいと縁ちゃんから貰ったのは、縁ちゃんの髪より少し濃い色の白色。思わず縁ちゃんとカルピスを見比べてれば不機嫌そうな顔。


(あ、美味しそう)


「早く飲んで、捨てられない」

「あ、ありがとう縁ちゃん! 超好き!」

「大袈裟」


 貰ったカルピスは甘くて甘くて、ほんのり酸っぱい。きっと縁ちゃんの方が美味しいんだろうな、なんて思いながらもせっかく縁ちゃんがくれたプレゼントを味わいながらも飲み干して、名残惜しく思いながらもごみ箱に捨てる。


「縁ちゃん、ちゅーしよう!」

「は? な、こ、此処を何処だと……!?」

「だぁーってぇ、ちゅーしてぇんだもん! ちゅーしたい、ちゅー!」

「ちゅーちゅー煩い馬鹿!」

「ちゅー……」

「……鍵を返したら」

「っ!」


 縁ちゃんが好きで好きで好きで好きで。何考えてんだって思うけど、やっぱり好きで。好きだから全部欲しくて我慢出来なくて、縁ちゃんの初めてのキスも縁ちゃんの初めても全部貰ったのに欲は膨れ上がるばかりで、呆れるしかない。好き過ぎて食べちゃいたいなんて、さぁ。きっと縁ちゃんは言ったら純粋に受け止めて、純粋に真剣に凄い悩んで。んで、


「仕方がない」


 なんて言っちゃう人だから。


「縁ちゃん、背伸びしてくんねーと無理」

「ふっ……」

「笑うなんてひっでぇ!」


 今日明日もこれから先も、きっとずっと一生。俺は縁ちゃんを好きだから、縁ちゃんを見て美味しそうだなんて思うんだろう。……食べらんねぇなぁ。


「?」


 今日も明日もその先も。きっとこの我が儘で電波で綺麗で可愛い俺のお姫様は、無防備に俺の隣に居てくれる。


(我慢、我慢)


 全部が欲しい俺の欲。縁ちゃんも同じだったら良いのになぁ、なんてさ。






「縁ちゃん、死のうか」

「はいはい、コスプレは一人でやって……って、あれ……え?」


 どこかで聞いたCMのようなノリで軽やかに口から躍り出るのは、いつものコスプレ誘致、ではなかった。

 つい、いつもの調子で言われたものだからいつものようにツッコミといえるのか決まり文句というのか、そんなものを口にしたわけだが、よくよく脳に取り込まれた言葉を解析してみるといつものツッコミが全く適用されないことに気付く。

 もしかして東の言語出力にエラーでも生じて、ギャグと死のうという単語が入れ替わってしまったのかもしれないと。縁は瞬時に頭の中でそんな仮定をもはじき出してしまった。だが、にっこりといつもの明るい笑顔の東は、もう一度同じ言葉を縁に捧げた。さすがに聞き間違いではないと嫌でも分かった縁は、今度は軽い調子ではなく真剣に東の様子を窺った。世の中にはブラックジョークというものがあるが、こういうものは少しばかりキツすぎではないか。


「俺はマジ一〇〇〇パーセント本気なんだけど?」

「どうしてまたそんな……」

「縁ちゃんと心中したいから」

「私の意志は無視?」

「縁ちゃんは俺のいない世界で生きていけるの?」

「疑問に疑問で返さないで」

「俺は生きていけない」


 だからなんだ。そう言いかけ、喉までせりあがったそれを、縁は止めることに何とか成功した。東の目が、いや、東を現地点で構成し顕現させている全てが縁に対して真摯に訴えかけていたからだ。これは本気か。しばらく様子をみていた縁は、そう結論つける。だからといって東の唐突すぎる宣言に同意も同調も同情もしたわけではない。


「それ、まるでどちらかが早死するみたいな言い方」

「人生の一寸先は闇なんだよ縁ちゃん、普通の人生を送っていたとしても、いつ事故に巻き込まれたり病気に罹ったりジャックザリッパー的な殺人鬼に遭遇するか分からないのが現実だ。そんな不安定すぎる世界では俺も縁ちゃんも例外じゃなく等しく平等だ、そして縁ちゃんが俺より先に死んじゃう可能性だって充分にありえる。そうなったら俺、どうしようもできない……縁ちゃんがいなきゃ俺は生きてけない」

「依存者みたいなこと言わないでほしいんだけど……」

「だってマジなんだよ縁ちゃん!」


 カラコロリ。

 氷がグラスにぶつかり、音を立ててなめらかに滑る。宿題をみせてくれということ、貸していた漫画を返したいということ、久しぶりになーんもなくともいちゃいちゃしようと発案したこと、全てが東によるものであり、全てが縁と東が同じ空間、つまりは東の部屋にいる理由である。

 そんなことは、日常茶飯事とはいわずとも別段珍しいことではなかった。縁は冒頭のようにテーブルに広げていた雑誌から顔を上げた東の言葉に面を食らいつつも、指先に触れるグラスの水滴の冷たさに平静さを取り戻してゆき、問答をしてみるが結果として東を叫ばせるだけとなった。

 どうしようか、縁は適度に考える。自分だって東に死なれたらとてもではないが日常生活は送れないだろう。だがそれだっていつかは胸のうちに上手く隠せるようにしないといけない。生きなくてはならないから。そう、縁には後を追って死のうという考えがない。無情でも非情でもない、酷冷でも冷淡なのでもない。むしろ東の方が酷い。

 縁が死んだことを考えて、そうして自分が耐えられないから今から心中しようと言うのだからひどいものだ。だが、それでも最も心を託している恋人である東は、縁にとって誰にも挿げ替えられない上に喪い難い存在であった。


「東」

「俺だって縁ちゃんのこと愛しているんだもんっ!」

「どこかの性格の悪い情報屋似の声でその語尾はやめて」

「縁ちゃんが喋らなくなって冷たくなっていく場面なんて……っ」

「東、じゃあ死ぬことを避けよう」

「どうやってだよ……人はいつかは絶対に死ぬんだぜ……?」

「それはそうだけど、ほら、こうして手をつないでいればいいんじゃない?」

「……縁ちゃん……?」

「死は否応ないけど、せめて最期までずっと隣にいて体温を感じてくれていた人とは笑っていたい」

「……心中じゃ、縁ちゃんは笑えない?」

「全然全くこれっぽっちも」

「そっか……じゃ、やめる」

「私の手、今御留守なんだけど」

「……お邪魔します、縁ちゃん」


 カラコロリ。

 氷がグラスにぶつかり音を立てなめらかに滑り、液体となって消えた。






 ふと、柄にもないことを考えた。それはきっと、今読み終えたばかりの漫画のせいかもしれない。平凡な生活の中で、普通に登校して勉強して部活をして。そんな毎日を繰り返していれば、あり得ないことなのだから。想像するだけそれは暇つぶしにしかなりえないことだった。理屈で納得しても、考えてしまったことはゆるぎない事実で。

 もし、彼女に自分を殺してほしいと頼まれたら。

 俺の頭の中に、真っ白な髪の女の子の顔が浮かんだ。今のところ、彼女ほど許している相手は他にいない。史上最愛に値する人物なのだ。そんな彼女に、殺してほしいと頼まれたら。俺は、どうするだろうか。そんな途方もなく下らない疑問が頭を支配する。


「それさ、どうしても殺さなきゃいけないのか?」


 わざわざ人を捕まえてきてするような話でもないかもしれない。しかし、あまりにも暇を持て余している輪廻天成(りんね てんせい)が目障りだったので、問うてみたのだ。そこから少し離れてところでは、縁ちゃん達が楽しそうに作戦会議を開いていた。


「そう、この拳銃で殺してくれって、銃を握らされるんだよ」

「そりゃまた勝手な恋人だな」


 そんな天成の反応に、俺は小さく苦笑して、楽しそうに笑っている彼女たちの姿を、天成の視線から逃げるように見た。


「殺してくれなかったら他の奴の所に行くって言って」

「そりゃまた、随分な話で」


 折角の休日も部活の自主練で潰してしまう、部活バカの集まり。


「言われた通りに殺したら殺したで、彼女は会えない上に捕まるしな、銃持ってるし」


 小さく呟かれた独り言で、俺は我に返る。焦点を暈すように遠目で、彼女達を天成が見ている彼が確かに隣にいた。その横顔は緩く瞬いて、ため息を吐く。


「逃げるな」


 それが返答なのか、呟いた唇がこちらを向く。


「俺は臆病者だからな。殺すのも嫌だし、振られるのもごめんだ」

「だから逃げる」


 そう重ねて答えた地味な彼が、珍しく端麗に見えた。決然と意思を定めた男は、こんなに男らしく見えるものなのか。何とはなしに、自然な思考のように、俺の脳内で咀嚼される。


「へぇ、東らしいな。良い意味で」

「そりゃドーモ」


 そうしてまた、二人同時に視線を部活の花形たちへと移す。


「お前は?」


 ふと思い出したかのように、天成は俺に質問した。それを横目で一瞥しようとしたら目が合い、すぐに逸らした。


「殺す、かな」

「親切な奴だな」


 何かを含ませて笑い混じりに天成が茶化す。それに合わせるように俺も笑って、また二人して同じところを見る。

 やっぱりちらちらとキセキちゃんを見ている天成の隣で、俺は縁ちゃんを見ていた。ただ、縁ちゃんを見ていた。もし、縁ちゃんに頼まれたら。仰せのままに殺してあげて、そのナイフで自分も死んでやる。君の居ない世界なんて、生きていても仕方がないのだから。

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