f-15 それが全能結晶の無能力者<5>
f-15 それが全能結晶の無能力者<5>
――その手から全て滑り落ちても、進まなくてはいけない。
時任雪哉は失った左腕を見つめたまま階段を昇った。
まだ終わりではない。ここで終わるつもりなどない。
雪哉には何の能力も無い。何の異能も持ち合わせていない。それでも雪哉は進む。ここに来る為に道を築いてくれた切刃と逢離との約束を果たす。そして理愛を助ける。
凰真の純粋な殺意は雪哉を必ず殺すだろう。
突然何が起こったのか、凰真は雪哉を殺さずに消えた。そのまま逃げ出してしまえばきっと殺されることはない。
でも、それで……そんなことをして生きることが出来るだろうか。
雪哉は生存できない。大切なモノを失ったまま、臆病に逃げ続けて生きることなど出来やしない。
だから――
「なんで来たんだい? 来なければ生かしてやったのにさぁ?」
最上階。
雪哉は重たい扉を開けば、そこで背を向けたままの皇凰真が声を上げる。
「それでとっとと殺されにやって来たキミは……何が、したいの?」
「同じことを何回言わせる? 何度させる? 俺は、お前から、理愛を……取り戻すだけだ」
「へぇ、死ぬのに? 死ぬのにねぇ……」
そして振り向いた皇凰真は、いや皇凰真だったモノが笑う。
「もうキミの大事なコレはボクのモノなんだよね。だから、もうキミには返せない」
胸元を大きく開いていたそこには無色透明の大きな結晶が融合している。そして皇凰真はいない。雪哉と同じほどに背丈は伸び、成長した違うヒトが立っている。
「お前は……」
「皇凰真さ。キミから花晶の一部も返してもらった。やっとだ、これで全部ボクのものだ。もうお前のモノじゃない。これは、ボクのだぁ!」
大きく手を開いて、大声で笑うそれは新しい玩具を与えられた子供のようだった。見た目こそは雪哉と変わらない青年の姿をしていても、中身は皇凰真そのものだった。
「少しずつ、少しずつ、力がゆっくりと……ボクのモノに、なっていくんだよ。ボクも花晶としてはそれほど強くはないからね」
「どうして、理愛を狙った――」
「言ってるだろう? この子の力が欲しいんだ。そしてそれをボクは自分のモノにできる。ボクの能力はさ……」
凰真が腕から黒い炎を発火させる。
それは炎のように揺らめいている何か。
「ボクは喰い潰した対象の力を自分のモノにできる。それがボク……の花晶としての能力」
「なら……お前は、やはり……」
そんなこと考えたくなかった。
けれど今の凰真の言ったことが本当ならば、その現実を否定することはできない。
「喰って、やったさぁ!」
凰真の叫びに雪哉は世界は崩壊する。
地が砕け、床が抜け、ただ落ちていくような――
立っていられない。視界が霞む、感情が白に染まる。喪失。
奪われてしまった。全て略奪されてしまった。
やはり餓鬼だ。
これは人ではない。怪物だ。
生命を喰い漁る怪異だ。ここにいてはいけない。これを認めてはいけない。
もっとも必要なモノがもう雪哉の手で掴むことが出来ない。何もかも奪われてしまった雪哉は終に取り返すことも出来ずに凰真に強奪されてしまったのだ。
もう、意味などない。
雪哉は項垂れ、そのまま地面に膝をつく。
「どうしたんだい? 大事なモノならもうないよ? 諦めたのかい? やっと、やっと諦めてくれたんだね? じゃあもうここからいなくなれよ。キミはもう必要ない――」
餓鬼の言葉に耳など貸さず、雪哉はゆっくりと立ち上がる。
どうした?
どうする?
お前ならどうするんだ?
時任雪哉……どうするべきだ?
簡単なことだろう。
雪哉は心の中で、そう呟いた。
「お前は、殺す」
「ボクを? キミが? どうやってさ?」
凰真は嗤う。そんなことできるわけがないと、不可能だと嘲笑う。
嗤えばいい――どんな方法を用いてでも、必ず殺してやると雪哉は誓う。そしてすぐに追いかける。
理愛を追いかける。
そうだ、最初の戦闘でもそうだったじゃないか。
だたでは死なない。巻き込んで、何もかもを片付けてやる。
「気に入らないな」
凰真の視線が鋭く尖り、雪哉を射抜く。
怪物の視線を前に尚、意志を全うしようとするその姿勢。
凰真が手を掲げる。そして、光が走った。
「……あ」
情けない声を上げた。
雪哉はまるでガラクタを投げ飛ばすように吹き飛ばされる。フェンスに直撃し、そのまま悲鳴を上げた。
何が起きたのかわからない。しかしフェンスがなければ今頃、下界に真っ逆さまだったろう。そのままバラバラに砕け散るところだった。
「苦しめてやるよ。ただで殺すか……お前は本当に不気味で気味が悪い。そんなお前は蛾の四翼を千切って捨ててから地面の蟻に食い潰されるみたく殺してやる」
「ふふ……それはどうも。さっさと殺してくれた方が気が楽なのにな。お前はやっぱ餓鬼だ。最期の敵がこんな低脳の餓鬼だなんて笑えるね、どうも……」
へしゃげたフェンスを背に雪哉は凰真を挑発した。
もう少年のような容姿でなく、雪哉とそう年端も変わらない青年のような姿であっても雪哉にとってコレは餓鬼でしかない。雪哉の大事なモノを貪り尽くした穢れた餓鬼。
「身の程を、弁えろ……ニンゲン」
気がつけば雪哉の身体が宙に浮いている。いや、浮かされている。
凰真が雪哉の首を掴み、そのまま少しずつ圧迫していく。息が出来ない。酸素が回らない。死ぬ、殺される。少しずつ死が、死が迫っている。
「このままお前の首をへし折ってやってもいいんだ……でもそれだとつまらない。片腕の無い出来損ない。無能、無能、役立たずの無能め。無能力者の分際で、よくもまぁ、この結晶の頂点であるボクに減らず口を叩けるものだ」
「く、くく……」
笑いがこみ上げる。
今まさに殺されそうになっているというのに、どうしてこうも楽しくてしようがない。
この目の前に立っている者が結晶としての最高とされる花晶の頂点であったとしても、それでも怖くはない。ただ愉快だった。
「典型的な……悪党の台詞だよ――お前、わかりやすすぎて……絵に描いたような小悪党すぎて、さ――笑わすなよ……ぐはっ!?」
言い終わる前に雪哉の腹部に拳が叩き込まれる。
回避など出来るわけがない。今の雪哉は首元を掴まれたまま、吊るされた人形のように一方的に凰真の暴力を受けるしかないのだから。
「結局、キミにあるのは虚勢だけじゃないか。ほら、ほら、ほらぁ!」
殴打、殴打殴打。殴打殴打殴打殴打。
器官が破壊されていくのがわかる。宙に浮いたまま一方的に暴力を受け続ける雪哉。凰真の攻撃は終わらない。
十発から先は数えなかった。血塗れの雪哉が地の上で転がっている。もう一言も発することもできず、ただ空を見上げていた。
空に最も近い場所。
星の輝く空の下で赤い血溜りを背に肉塊にされる雪哉。
「キミは何がしたい? どうして来たんだい? 他力本願のクソ野郎……キミはいつだって助けられてばっかりだ」
否定はしない。
凰真の言葉通り、雪哉は何も出来ない。独りでは、決して。
「折角の命を大事にしない愚か者……そんな馬鹿は死んでしまえ」
凰真は拳を振り上げる。
その拳は黒く染まっていた。
「虹子にやられちゃった『愚弄悪喰』とは違うから勘違いしないでくれよ? あれはただの人喰い剣だ。喰った後の肉がどうなるかは知らないけれど、あれはただ喰って終わるだけ。ボクのは違う。ボクのは喰って、自分の気に入ったモノならば自分のモノにできるそういう異能。でもキミのは要らない。キミは不要だ。キミなんて何の養分にもならない……だから喰ってそのまま消化してやる」
指先一本動かすことが出来ず、雪哉はただ絶望を前に呆然としていた。
そして凰真の腕が雪哉に伸びる。
『本当に、諦めたんだったら……アタシはアンタを許さない』
その時、雪哉の頭の中で声が響いた。
凰真の拳が雪哉に届かない。見えない壁が隔たりを生み、凰真の攻撃を遮っている。
「往生際が悪いぞ……月下虹子ッ!」
『お生憎様。アタシは最期まで諦めない……こいつは殺させない。それが理愛と交わした約束だから』
左腕は確かに喰われてしまったはずだ。
その腕にしか能力は宿らなかったのに……雪哉の目の前に光の化身となって虹子が現存している。
「おま、え……」
『アタシはまだアンタの左腕の残った結晶の中でいたわけ――でもそんなのどうでもいいでしょ? こんなところで終わるつもり? そうじゃないでしょ!』
雪哉の目の前で黒い炎が燃え盛る。
だかその炎は虹色に輝く壁が防いでいた。叱咤する虹子の言葉に雪哉の目に光が灯る。
「あたり、まえだ……理愛は取り返す。全部取り戻す。凰真は倒すっ!」
『それが、訊きたかった!』
光が弾ける。
黒い炎が消え去った。凰真が驚いた表情を見せるが再び攻撃を開始する。
「虹子……お前……」
凰真の二度目の攻撃を防ぐ虹子だったが、まるで砂の山が崩れるように虹子の身体が少しずつ粒子のように解けていく。
『アンタの左腕に残った結晶じゃあアタシの身体は保てないみたい……でも別にいい。アタシ、もう見つけたんだ。見つけたんだよアタシの居場所』
「……虹子」
今まさに消えようとしているのにその表情に後悔はなかった。言葉は思いつかなかった。雪哉を守って消えようとしている。別人かと思わせるほどの心変わりは理愛と何かあったのだろうがあえて訊くことはしない。
『別にアンタの為じゃない。短い時間だったけれど、アタシはアタシの心で選んで、それで消えるんだ。だからアンタは残った命で凰真をどうにかしなよ?』
何も無い、何の力も持たない人間に――虹子は託すのだ。自らの結晶を差し出し、生かされる。
今はもう負の感情は全て無視して、雪哉は頷く。強く、頷く。
「ああ……ありがとう、虹子」
『うい、じゃあね無能力者――ワタシを奪った最弱。最期まで足掻いてみなよ』
「そうさせてもらう」
そして、光が四散する。
黒い炎がかき消され、その先に忌々しげな視線を浮かべる凰真が立っていた。下唇を噛み締め、不快感を露にし雪哉を睨んでいる。
虹子は消失した。
もう声は聞こえない。力も感じられない。そしてこの瞬間、雪哉は完全な無能力者に成り下がった。
(ありがとう虹子、ありがとう……最期まで俺の側にいてくれた、お前に……)
雪哉は凰真を睨み付けた。
凰真は嗤う。
「何を、するんだい?」
「何も」
「そうだね、キミには何もない」
「そうだ」
「なのに、どうしてボクを睨む?」
「お前を殺す」
「殺せないよ」
「眩しい」
「は?」
そして雪哉の放った言葉に凰真は首を傾げる。
「お前たちが羨ましいよ……有能力者。羽根も要らずに空を飛翔する。何もせずに火や風を操り蹂躙する。好きなだけ暴力を愉しみ、飽きるまで略奪し悦ぶ――異能を、奇跡を使い続けるお前たち、お前たちが……本当に、俺は羨ましい」
この世界が、ここで生きる存在が能力を保有し、その力を振るうことを許され、それを当たり前とし生きている。
けれど雪哉には無い。何も、何も無いのだ。
戦う力は無い。
けれど雪哉は生きている。生きているのだ。
「何も無い、俺には……異能なんてない。羨ましいんだ……けれど、俺は自分を卑下するつもりはない。俺が此処にいるのは、此処にいていいのは……約束があるから――」
一歩、前へ進んだ。
羨望も切望しか出来ない無力な一人の男が――
全てを手に入れた、全ての異能の力を、結晶の頂へと到達したそんな有能力者に無能力者が挑もうとしている。
それは無意味か無謀だろうか?
それとも愚行か蛮勇だろうか?
「お前は何もかもを俺から奪ったかもしれない……」
戦力差は圧倒的で、どれだけ足掻いたところで星に手は届かないように、水面に移る影に石を投げ込んでも消えないように、無能力者が有能力者に勝つことは出来ない。
特攻する雪哉に凰真は舌打ちをしたまま蹴り飛ばす。吹き飛ばされる雪哉の身体が壁に激突し活動を停止する。
「王に勝てるわけがないだろう? 安心しろ、この世界はボクの住み易いように作り替えるだけだよ。だから安心して眠ればいい……キミの大事なモノも大切に使う。ボクはボクの欲しいモノを全て手に入れる」
凰真の願望を聞き入れることなく雪哉は立ち上がる。
凰真の表情から不快が窺える。黒い炎が腕から溢れる。雪哉は一歩前に出た。圧倒的力の差を前に後ずさることも背を向けることも無く――
「足掻くなよ……もうやめてくれないか? もうボクもそろそろ我慢できそうにないんだ。キミを殺すよ? いいのかい?」
「殺せばいい……殺してみせろ」
凰真の殺気を篭めた視線も、その声も雪哉には効かない届かない。
片腕を失った異能の一片すら持たないただの人間が結晶の王に対峙する。
「だけど、お前は俺から全部奪えはしないお前は俺を完全に殺せはしない。ただ殺すだけだ。俺の心まで殺せやしない」
雪哉はそう小さく呟く。
「お前には大きな力がある。実現できる野心がある。野望がある……叶えることが出来るであろう願望がある。でもお前にはいたか? お前が永遠にも似た時間の中で……孤独しか知らないお前にはあるか? あるのか!?」
「キミは、なにを言ってるんだい?」
凰真が馬鹿にしたように首を傾げてそう言った。雪哉は凰真の言葉に反応することなく口元を緩めた。
「何も出来ず、何も果たせず、ただ絶望や悲哀を前に……立ち尽くす俺には、確かにあった。あったんだ……」
雪哉が凰真を睨み付けたまま動くことなく、反抗することも無く、ただ声を上げる。
「お前にはいたか? 失望し絶望し……何の望みも無いまま立ち尽くした時、そんな時にお前に――」
「キミは、何を言ってるんだい?」
雪哉はもう何も言わない。
凰真は睨み付けて地面に突き刺さった鉄柱を引き抜いた。
「異能を使うまでも無い……瓦礫の一部で肉になればいい」
地面から引き抜いた鉄柱は皮肉にも十字架を模していた。雪哉は放たれる暴力を前に何も出来ない。避けることも逃げることも……。
「お前にはいたか?」
雪哉が再度、問いかける。
凰真は訊かず死を投擲する。
そして響いた。
状況を判断していた。何も出来ないから、雪哉が出来たことは分析だけだ。しかし未だに
それは、
「俺には、あるんだ」
雪哉は立ち上がっていた。
凰真が投げ放った鉄の槍が消滅している。そして雪哉は笑う。
何も無い。
そう、雪哉には何も無い。
火を出すことも、水を流すことも、風を吹かすことも、光を放つことも、闇を滲ませることも、そう、何もかもが無い。何も無いのだ。
だから無能力者。
時任雪哉は何も持たない。
戦う力なんてあるわけもなく、けれど、けれど、
「間に合った、みたいだね」
「先輩、お待たせっす」
それは――確かにそれはいた。
黒い扉を開け放つは夜那城切刃。
鋼の身体で刃を振るうは藍園逢離。
そう、雪哉の――雪哉の、時任雪哉の――
「何も無い俺に、何も無い俺を、何も無かった俺にたった一つあるもの、それは俺を信じてくれる人。俺を助けてくれる人。俺を頼ってくれる人――そう、『仲間』だ」
迷いなんて無い。
他力本願であったとしても、それでも、時任雪哉はそれに縋る。弱くて未熟で、不完全なままの愚者が凰真に口撃する。
「どんなときでも、俺には仲間がいる。俺と戦ってくれる人がいる。お前にはいるのか? 永遠に孤独のままのお前に、これまでも、これからも共に戦ってくれる仲間がいるか!?」
「いらないよそんなもの」
凰真は雪哉を否定する。雪哉の価値を否定する。
そんなものはいらない。そんなものはなかったとしても、皇凰真はそんなものに頼る気はなかった。
「余裕なのはそれが理由かい? 自分じゃ何も出来ないから、そいつらに、力を持つそいつらに頼るのが最後の手段かい? だからキミは弱いんだ。最後まで最期まで自分じゃ何一つ出来ないじゃないか」
「ああ、そうだな……でも、それでも、俺は――理愛を取り戻す。そのためなら俺は、何だってするさ」
開き直っていると思われてもかまわない。
だって、本当に雪哉にはもう戦う力なんてないのだから。だから、
「切刃……逢離、一緒に戦ってくれるか? こんな俺を。お前たちを利用する俺を、そんな俺と戦ってくれるのか?」
「当然だよ」
「当たり前っすね」
その言葉が何より心強い。
だから、雪哉は戦える。
「さぁ、皇凰真――これで最後だ。今度こそ終わりにしよう」
「終わるのはキミだよ、キミが終わるんだ」
そうして凰真がトンっと地を踏みしめた途端、世界が白く染まった。