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それが全能結晶の無能力者  作者: 詠見 きらい
episode-2. -復讎の歌謳い-
58/82

3-20 draw to a close(エピローグ)

3-20 draw to a close


 音が再生されるまで、雪哉も……そして切刃もまた動かなかった。

 どちらが先に動いただろう。

 いや、どちらも動くことはなかった。刀身が落ちた。綺麗に折れた刃が地面の上に刺さっていた。それでも二人は動かない。

 雪哉の振り下ろした一撃と、切刃が振り払った一撃がぶつかり合い、そのまま通り過ぎた。


「僕の、勝ちだね――」


 そして勝敗は決した。

 雪哉は生きている。切刃もまた生きている。

 だが、両者が共に生きている時点で既に結果は決まっているようなものだった。そう、雪哉の一撃は切刃を斃すまでには到らなかった。

「……僕の「永夜閃(とやせん)」を破壊したのはさすがだよ。でも、君の切り札はもう使えない――」

 切刃が指差すその先にいるのは雪哉が抱きかかえる理愛の姿だった。そこに「剣」は無かった。

「……勝ったと、お前は本当にそう思っているのか?」

 だが雪哉は到って平静で、酷く落ち着いていた。切り札をもってしても勝利を手にすることが出来なかったというのにそれどころか雪哉の表情はどこか余裕に満ち溢れている。

「花晶の能力は俺には効かない、殺傷する為の武器は失った……切刃、それでもお前は勝ったと思っているのか?」

 雪哉の言葉に一瞬だけ切刃の表情が歪んだ。下唇を噛み、苛立ちが垣間見えたのをはっきりと雪哉は見ていた。

「それで? 雪哉、どうやって勝敗を決めるんだい? 君にもう戦う力は残っていない……僕は武器は無いけれど、無能者の君なら素手でも殺せるよ」

「無能だから、無防備だから、力を持たないから……俺がここまで来る途中、何度聞かされたと思う? 切刃、お前も同じ台詞を吐くのなら、悪いが俺は戦うよ。お前とだって戦える……お前の下した評価が、俺の全てじゃ、ない――」

 雪哉は立ち上がり、そのまま背を向ける。

 そして木の陰で隠れていた逢離に理愛を預けた。

「理愛を、頼む」

「で、でも……」

「お前だから頼むんだ……前も言ったろう? 理愛以外で信用できるのはお前だけだ。そして、俺は今から決着をつけないといけないからな」

 有無を言わさず、雪哉は逢離に理愛を預け、そのまま切刃と対峙する。

 理愛はいない。もう何の能力も持たないただの無能力者でしかない。左腕の強固さだけが常人を逸脱しているだけに過ぎない。だがそれだけで切刃と戦おうとしている。

 花晶を装備し、そして切刃自身もまた異能を隠している。戦力差は圧倒的だった。それなのに雪哉は臆すことなく前も向き、突き進む。こんなところで立ち止まっている場合ではない。

「どうして雪哉はそこまでして、戦おうとするんだい? 君は言っていたじゃないか……無能力者だって。そして大切な妹を使ってしか戦えない君が、一体どうして、僕たちと戦うんだい?」

「つまらん……お前はくどい、鬱陶しい――」

 もはや答えを返すのすら億劫だった。だが切刃の勘違いを正す為に雪哉は言葉を紡ぐ。

「お前を否定する為さ……理愛を殺そうとするお前らを拒絶するには、戦うしかない。だから俺は戦うんだ」

 拳を構え、雪哉は切刃に対峙する。

 能力は一切無い。あるとすれば鋼鉄を超えた硬度を持つ左腕のみ。切刃もまた湾刀を破壊され、武器は無い。

 能力の有無は大きなハンデだが、それで全てが決まったわけじゃない。

「雪哉は凄いよ……そうだね、何を言っても解らないんじゃ、それなら勝敗を決めよう。そうしよう――」

 切刃が突き出したのは右腕。その右腕は……黒く染まっていた。雪哉の白き透明の左腕とは違う、黒き腕。

「僕も右腕を持っていかれてね、これは義手だ。でも、鉄で殴られれば生身の身体ならどうなると思う?」

 答えるまでもない。

 そしてそれで怖気付くわけでもない。

 だから雪哉は無言で左腕を突き出した。それは開戦を意味する。

「死んでくれ、雪哉」

 切刃が動く。

(やはりな……)

 雪哉は切刃の右腕が義手だったことを知っていた。初めて出逢った時、切刃が両腕を隠し、マントで見えないようにしていた。しかもマントの隙間から突然飛び出したワイヤー。身体のどこかに何らかのギミックが隠されているとは思っていた。

「行け……」

 切刃はそのまま右腕からワイヤーを射出するが、それを呆気なく左腕で掴んだ。光速で射出されたはずのワイヤーを平然と掴んだ雪哉の行動に切刃の表情に驚愕の色が浮かんだ。

「な、なんで!?」

「見えないさ。俺はただの人間だ……しかし直線的すぎたな。真正面から捕縛など、初見ならば反応できなかったが、それ(、、)はもう見すぎた」

 同じ手は喰らわないということだ。

 そしてその左腕に隠されたモノが何かわかっているのならどうにでもなる。

「またその顔面を歪めてやろう……」

 雪哉はそのままワイヤーを引っ張り出す。だが、途中でワイヤーが切り落とされる。それは反応できなかった。力いっぱい引っ張ろうとしたせいかそのまま背中から倒れそうになる。

「残念、先を読んでいたのは僕の方だったね……」

 背中から倒れた雪哉は完全に無防備だった。見上げれば切刃が冷酷なままに拳を振り上げている。相手は花晶(レムリア)付加接続(エンチャント)した人外だ。所詮はただの人間。だから、

「今度こそ、一撃で、終わりにしよう――」

 切刃がその言葉を言い終えるより早く(はや)く、雪哉の額に黒い鋼鉄(こぶし)()ち込まれていた。

 まるで鉄杭。地面が割れるほどの衝撃。首から上が潰れて無くなっていないのが不思議なほどだ。

「……友達だった君の脳漿を撒くことはさすがに出来ない。でも、脳は破壊した……おやすみ雪哉」

 それが親友としての最大の譲歩だったのだろう。

 全力ではなかった。だが人一人殺すには十分すぎる威力だった。指先一本ピクリとも動かず、両目からは生気の色が抜け、口元からは血を垂らし、時任雪哉は肉になった。

 遠くから藍園逢離の悲鳴が響き渡るが雪哉の耳には聞こえない。


 ああ、やはりだめだった。


 意識があるのは、既に死んで魂が肉体から離れたからか。眠い。とても、酷く眠い。動けない。動かない。もう何も出来ない。したくない。

 親友の一撃を受け、もう停止した雪哉の命は、動くことはない。


 それなのに世界は暗転しない。


 雪哉の視界には理愛を抱き締めた逢離の姿が見えた。

 切刃がゆっくりと近付いていく。終わらせるつもりなのだろう……全てを。

 だから、雪哉は終わらない。終わるわけがない。


「…………ま、て」

 

 雪哉の手は切刃の足首を掴んでいた。だがあまりにも弱いその力では切刃を止めることはできない。一向に敗北を認めようとしない雪哉を前に切刃の顔は酷く呆れていた。それでも雪哉は切刃の足から手を離さなかった。

「殺、すなら……確実に、殺せ……、出ないと、諦め切れ、ないだろうが――」

 その言葉に切刃の表情が変わっていた。

 鉄で出来たその腕ならば人間の顔を砕いて潰すことが出来たはずだ。だが切刃はそれをしなかった。雪哉の顔の造形は崩れていない。そして雪哉の意識は途絶えていない。

「そうか、雪哉……君は本当にここで死にたいわけなんだね。わかった……じゃあ、死んでくれ」

 切刃の足を掴んでいた手を振り解かれ、そしてそのまま蹴り飛ばされ雪哉の身体はボールのように地面の上を跳ねた。

「がはっ……」

 死ぬ。

 このまま成す術なく暴力の限りを尽くされ、肉に加工される。

 どれだけ窮地に追い遣られても、やはり脳内で「声」は響かない。覚醒も進化も成長も何も起こりはしない。雪哉は所詮人間なのだ。

「死ね」

 そして切刃は既に雪哉の視界に映っていた。振り上げられる鋼鉄の右腕。暴力が振り下ろされようとしている。そんな(つい)の矛先が雪哉の脳天に――

「なっ……?」

 だがその鋼鉄の拳は雪哉を叩き潰せずに、空を切り、地面を叩いていた。切刃は何が起こったのかわからなかった。雪哉は既に動いていた。

 反撃確定。

 切刃の時間は停止していた。何が起こったのかわからず、何故自分の拳が雪哉に当たらなかったのかさえも、理解するよりも早く速く、雪哉の左腕が切刃の顎を捉えていた。

 切刃の身体は宙を舞い、そのまま重力に逆らうことなく地上に落下。切刃は何も出来ず、動かなくなった。

「……立て、よ。切刃――」

 ふらつきながら雪哉は言う。そして挑発するように人差し指を動かして、切刃に催促する。

「……っつぅ、油断していた。もう満身創痍の君だから、何も出来ずにそのまま死ぬって思ってた。でも違うんだ、雪哉は諦めない。だから僕も、もう遠慮も油断も一切しない」

「当たり前だ……そんな感情捨ててしまえ。出ないと、お前が死ぬぞ……」

 切刃はもう何も言わなくなった。

 だが切刃はまだ信じられなかった。

 確かに雪哉は死ぬ一歩手前だった。もう動けなかったはずだ。それなのに切刃の一撃を回避し、挙句には反撃された。もう指先さえ動けないほどに追い詰めたはずだった。

 時任理愛(レムリア)

 いや、付加接続はしていない。今、この目の前でボロ雑巾のように朽ち果てた人間は、何の力も持たないただの無能力者(ヌーブ)でしかない。

 そんな無能が壊れながらも戦こうとしている。そして圧倒的力を前にしてもその心は折れることなく、戦闘を続行しようとしていた。

『切刃よ……この男、おぞましいよのぉ……』

「切歌にもわかるのかい? そうなんだ……雪哉は今まで相手にして来た敵の中で、きっと最も弱くて、けれどとても強いんだ」

 切刃の言葉に対して矛盾していると切歌は指摘できなかった。その切刃の言葉が一番しっくり来たからだ。

 何の能力も持たないただの人間が、借り物の力を振り回し戦っていた。そこまではいい。だが全ての術を失い、どれだけ追いやっても追いこんでも、顔色一つ変えることなく、背中を向けずに何度も何度も何度も何度も挑戦を続ける。

 これほど恐ろしい敵がいただろうか?

 一撃で屠ればいい。全てを終わらせてしまえばいい。その力が切刃にはある。喩え花晶の能力が通じなくとも、身体能力は常人を超越し、ただ純粋な暴力一つで殺し切れる。それさえも、この男には通じない。

『切刃……もう一度、歌を謳おうか?』

「効かないよ……絶対効かない。雪哉には効かないよ。だから、僕が決める……」

『そうか……わかった。もう何も言わんよ。だが一つだけ聞け』

「なんだい?」

『殺せ。躊躇無く、一片の慈悲も無く、与えず、その身に宿りし異能(チカラ)で絶対的なまでに殺害しろ。その顎に受けた一撃は情けによって受けた傷と知れ』

「……わかってる。次は殺す。それでいいかい?」

『上等』

 そして切刃は雪哉に視線を映した。

「雪哉、次で決めよう」

「ああ、そうしてくれ」

「君がどれだけ諦めず挫けず堪えないのなら、もういい……行くぞ!」

 瞬きをしたと同時、雪哉の視界から消えた切刃。

 そして気がつけばもう雪哉の背後に切刃が回りこんでいた。とてつもない速度だった。そしてそのまま振り払われた右腕だったが、雪哉はなんとかそれを回避していた。

「やるね……」

「切刃……一つ言っておく」

「なんだい?」

「お前は、やはり……直線的だ」

「挑発しているつもりかい?」

 雪哉の口撃に対し、切刃は冷静だった。

 そして、切刃は呼吸を整え、そのまま消失した。


 が、


「えっ――――――」


 雪哉は既に拳を振り抜いていた。

 世界から消失したはずの切刃が、再び世界に召喚された頃、雪哉は切刃が現れるより早く拳を上げた。

 切刃の身体はまたも宙へ。

 切刃には何も解らなかった。自分の能力の正体に気付いている。

 切刃の能力は跳躍だった。自分の跳びたい場所へただ跳躍する能力。切刃は確かに異能を持っているが、それでもそれだけの能力なのだ。

 殺傷能力の無い異能に雪哉は驚かない。そして雪哉はその能力に既に気付いていたのだ。

「能力の名など言わなくていい……俺には必要ない。残念だったた切刃……お前の能力が空間を転移しているというのはわかっていた。何故だかわかるか? お前は何度も使いすぎた。さすがに俺でもわかる」

 そして雪哉が切刃が現れるより早くピンポイントで狙いをつけたのにも理由がある。切刃は跳躍し、奇襲を繰り返した。その跳躍の着地点は全て雪哉の背後だった。

 どれだけ光速で、神をも超える速さで雪哉の背後に到達したとしても、最初からわかっているのなら意味はない。

 もし雪哉が切刃の能力に気付かなかったのならば話は変わっていたのかもしれない。だが雪哉は知っていた。わかっていたのだ……だから切刃の異能に恐れを抱かない。

「お前の能力、どうやら光速で動いているのではなく、自分の跳びたい場所を決めてそこに落ちる感じだろう? ワープと同じだ……だったらどこに跳ぶのかこっちは先読みすればお前がどれだけ常人を超える攻撃をしたところで躱せるさ。何、これはただの読み合い、ゲームと同じだ。俺は読み勝ち、お前は負けた。そして――」

(ま、まず、い……)

 能力など無い。

 異能など無い。

 何も無い。

 そんなただの無能力者。

 だが、それでも何度も何度も立ち上がり、強大な力を前に立ち向かった。

 それが、この結果を生み出す。


「俺が、勝つんだ」


 切刃の顔面に打ち付けられた人外の左腕。まるで槌が喰い込んだように、切刃の身体はくの字に折り曲がり、跳んでいく。そのまま地面の上を転がり、そして止まる。


「……は、ははっ、もう、ダメだ。これは酷い、雪哉、君は本当に凄い。凄くて怖くて、だけど――」


 顔面を押さえたまま切刃が立ち上がる。まだ終わっていない。お互いに譲れないモノがある。だからこそ勝利を掴み取るまで終わりなどない。雪哉もまたこれで終わったと思っていなかった。だからこそ構えを解かず、切刃を見据えていた。

「――負けられない」

 そしてそのまま光が消え、切歌がゆっくりと切刃から離れていく。

「いいんかえ?」

「いいさ、ここからは男同士の殴り合いの喧嘩だ……だろう? 雪哉」

「俺は別に構わない……花晶でも種晶でも何でも使え。それで俺の心は砕けない……」

 能力の有無も何もかも、ただ条件を提示された程度では雪哉の意思は挫けない。無能力者であろうとも、相手がどれだけの異能を持った有能力者であっても構わない。

 雪哉は戦う。それは大切な妹の為だけの行為。その拳に力を込める理由はたった一つ。


「行くよ、雪哉ぁ!」

「ああ、いいさ……かかって来い、切刃っ!」


 見えなかった。

 既に能力は行使されている。切刃が視界から消えて無くなる。花晶を付加接続していようがいまいが、種晶の能力は使用できる。

 そして、切刃は雪哉の目の前に立っている。鳩尾に拳を叩き付けられ、そのまま後頭部にまで拳が減り込んでいた。

 運良く右腕の鉄塊で頭を潰されなかっただけは助かった。だが鳩尾の一撃の時点ですでに気を失いかけていたというのに、挙句に後頭部にまで衝撃を加えられてはまず耐えられない。

 地面の上で大の字のまま動かない雪哉を見ても、切刃は躊躇うことなく走った。その右腕には殺意が孕んでいる。

「やるね……」

 だが雪哉は切刃が近づいて来たと同時に足払い。その攻撃を切刃はジャンプし、そして着地と同時に雪哉の顔面目掛けて拳を振り下ろした。鉄槌が地上を潰し、だが雪哉の顔の原型は留めていた。間一髪それを回避できた……雪哉は立ち上がり、切刃の顔に拳を振りぬいた。

「がぁっ!」

 切刃の悲鳴が虚空に響いた。

 雪哉の拳は切刃の顔面を捉えていたのだ。

「……どうした切刃、疲れて、いるのか?」

「まぁ、ね……僕だってただの人間なんだ。疲れもする……」

「そうか」

 雪哉は適当に返事をして、疾駆。

 痛みで痺れる身体を無理矢理に動かし続ける。雪哉自身も不思議で仕方がなかった……自分の身体がこうも限界を超えて、動き続けるのだから。もはや雪哉の身体はたった一つの意思だけで動き続けている。

 切刃もまた雪哉に受けたダメージの蓄積によって、動きは鈍っていた。そして口には出さぬとも切刃もまた限界が来ていた。

(僕の能力は……ただ跳ぶことしか出来ないし、連続で使えるほどのものでもない、能力者としては欠陥だらけの僕じゃ、雪哉に勝てない……)

 雪哉と違い、形こそ異能を所持する切刃ではあるが、その能力はただ自分の決めた場所へ一瞬で移動することしか出来ない能力(モノ)であった。

 他人が聞けばそれは凄いモノなのかもしれない。空間を転移するのだ……そんなテレポート能力はきっと誰もが憧れる超越能力なのかもしれない。

 だが、その能力所持者自身はその能力をあまり快く思っていない。空間を転移する為に世界から消え、再び召喚されるその数秒間は視界は遮断され、何もかもが見えなくなる。

 そんな不可視の状態で、いきなり世界に再登場しても相手がそこにいるとは限らない。だからこそ転移した先に雪哉が拳を振りかざしていれば、その攻撃に気付く前に喰らってしまう。それでも、

「僕は……」

 それでも切刃も譲れないモノがある。

 殺さねばならぬ者がいる。

 その為に斃さねばならぬ者がいる。

 だから、切刃は跳ぶ。

「君を、殺す!」

 世界から再三、消失を繰り返し、

「喰らえっ!」

 咆哮し、再三、世界から出現(あらわ)れる。

 今度は上空。雪哉の頭上から転移し、振り下ろす踵。脳天を突き刺す衝撃が雪哉を襲う。だが切刃の攻撃を受けて尚、雪哉もまた切刃の身体を蹴り飛ばす。

「血生臭いね……これじゃただの喧嘩だ」

 血を拭い切刃は立ち上がる。雪哉は顔に手を当て、ゆっくりと切刃に近付く。

「そうさ喧嘩だ……お互いの価値観が相違してる時点でどうにもならないんだよ切刃……」

「そうか……なら、僕は君に勝たないと……」

「いいや……勝つのは俺だ。お前じゃない……」

 そして雪哉は回し蹴りを放つがまた消失する切刃にはその蹴りは届かない。そしてすぐに現れる切刃に雪哉の攻撃は回避され、そのまま回し蹴りを返された。雪哉の読みは悉く外れ、一方的な切刃の暴力が展開される。

 消える。

 外れる。

 現れる。

 当たる。

 まるで私刑(リンチ)だ。

 雪哉が先読みし、切刃に攻撃を当てたとはやはり偶然だったのか。切刃の攻撃は雪哉に全て当たり、雪哉の攻撃は切刃に全て躱される。

 死なないのは切刃が「永夜閃(ククリ)」を破壊しておいたからだ。もし切刃が武器を所持していれば、雪哉の五体はすでに分断されていたことだろう。

 右腕の義手も威力こそ強大だが、即死するほどのものではない。だが既に死ぬ一歩手前まで雪哉の身体は壊れていた。

 切刃の転移の異能によって回避と出撃を繰り返し、そして雪哉の身体は壊されていく。ボロボロに朽ち果てていく雪哉の身体。そして膝を突き、雪哉は動けなくなった。

「遅い遅い遅すぎるよ。僕はその過程を吹っ飛ばせるんだよ。能力が発動してから相手に届くまでに有する時間も、きっと何もかもが僕には必要ない。ただ(はや)いだけさ。でもその速度だけでいい。それだけできっと僕は最強なんだ」

「なるほどな、あまりにも単純すぎる能力……確かに最強だよ、切刃。だから、諦めるんだ――」

 地に膝を突く雪哉は納得した。

 それはあまりにも最強。

 ただ空間を跳躍するだけの力なのかもしれない。だが、一瞬にして間合いを詰め、こちらの攻撃は当たらない。

 異能者の中でもとても単純でわかりやすい能力。超越者。雪哉に勝てる要素などないのかもしれない――

「だがな……」

 認めよう。

 納得も確信もただただ全て肯定している。

 無能力者では、有能力者には勝てないのかもしれない。それでも、

「生憎と俺はその称号に最も遠い存在だ……だからそんな最弱(おれ)にどれだけ高言しても俺はお前を敬えない」

 けれど尊敬はしない。

 能力の有無で全てが決まるなどと、そんなものはただ否定する。

 そしてその否定を繰り返して来たからこそ、今の雪哉がいる。

「ははっ、さすが雪哉だ。そうだよね、そうなんだよね、だから君は素敵なんだ。無能でありながら、無才でありながら、無知で、無謀な君だから、だから僕は君に惹かれた!」

「男に惚れられても嬉しくはないがな。だが悪くない。そうさ、俺は無能力者。お前のように速くは動けない。切歌のように歌で誰かを救えない。逢離のように鉛の雨を防げない。理愛のように強大な敵にすら立ち向かえない――だけど、だけど、な――」

 壊れたまま立ち尽くす雪哉は結晶の左腕を掲げる。

「俺には守るモノがある。それを知っているのに「無能力者」の烙印一つ押されたぐらいで諦めろだと? 笑わせるな、そんなもの笑えない。俺は俺だ。俺がやりたいように、俺の守るモノを守る。だからお前に理愛は殺させない。とっととかかってこい。きっとお前は最強だ。俺より遥かに強いだろう。だが、お前は最も弱い命の前に阻まれる!」

 そしてお互いの拳が振り翳される。

 雪哉の左腕が、切刃の右腕が。

 何度も何度もぶつかり合う。


 弱者――――肯定。

 愚者――――肯定。

 雑魚――――肯定。

 無知――――肯定。

 無力――――肯定。

 無能――――肯定。

 矮小――――肯定。

 脆弱――――肯定。

 惰弱――――肯定。

 愚鈍――――肯定。

 半端――――肯定。


 全て型枠に填められ、事実を認めさせられる。


 敗走――――否定。

 敗北――――否定。

 敗者――――否定。


 守護失敗――――――――否定。


 否定、否定、否定し続ける。力が無いことも、変える奇跡も無いことも、全てを肯定し尽くしても、そこに時任雪哉が敗北するという事実だけは否定する。理愛だけは必ず守り通す。これだけは絶対に奪わせない。略奪を許すわけにはいかない。


「あああああああああああああああああああっ!」


 何度も打ち付けられる拳。

 そして、終に、

「腕、がっ!?」

 切刃の右腕の鉄塊に亀裂が入る。切刃の額に汗が滲む。

 それは勝機だった。

 切刃の拳はどれだけの硬度を誇ったとしても所詮は万物。やがて壊れるモノでしかない。しかし雪哉の腕は違う。それは人外。別界の代物。それは決して壊れない。

 そして、切刃の腕は破壊された。

 木っ端微塵に砕ける切刃の右腕……そのままふら付く切刃を前に、その勝機を勝利に変える為に――雪哉の、左腕が、切刃の顔面を再び打ち抜いた。

 切刃は吹き飛び、完全に沈黙した。その背後で切歌が叫んでいたが雪哉はもう何も聞こえなくなった。雪哉もまた仰向けのまま地面の上を倒れていた。

 だが、まだ切刃は立ち上がる。雪哉はもう立ち上がれなかった。

「なぜ、能力を使わなかった……」

「使えなかった……僕の能力は転移だ。跳んで、着地する場所まで決めておかなければ使えないんだ――君の連撃を捌くだけで必死だった。そんなことを考える余裕はなかった」

「そんなものかね……」

「そんなものなんだよ……一つのことしか僕は考えられない。君の攻撃を受け止めることで精一杯だった」

「切刃……」

「なんだい……」

 バタン、と切刃は雪哉の真横で倒れた。やはり切刃もまた限界だった。二人して対を成すように倒れ、動かない。それでも口元がゆっくりと動いている。

「お前、喧嘩弱いな……」

「元々は武器と能力に頼って戦ってた人間なんだ……君みたいに拳一つでどうこう出来ないよ」

 なんて言いながら「体育の成績もあまりよくなかった」とまるでいつもの教室の中でする何気ない会話――とは違うかもしれないが、それでも雪哉と切刃は笑ながら会話していた。

「僕の、負けだ」

 それは唐突な敗北を認めた言葉。

 切歌がゆっくりと切刃に近付き、膝を突いて切刃の手を掴んでいた。そして逢離は理愛を抱かかえたまま雪哉の元へ近付いて来る。

「切歌、僕は負けた……復讐は果たせなかった……」

「お前は、それでいいのか?」

「……僕は、雪哉を信じることにした。雪哉が守ろうとしている、この少女が……本当に僕の世界を壊したとは思えないんだ

 時任理愛に瓜二つの怪物は、切刃の家族を未来を全てを壊し消えていった。そして今、目の前で眠り、動かない少女こそが怨敵だと思っていた。

 だがその兄である時等雪哉によって切刃の怨恨は阻まれ、届かなかった。雪哉が守ろうとしている存在を、殺すことは出来なかった。

「お前は甘いよ……切刃。甘すぎる……何度、殺せたろうか。幾度、殺しただろうか。それでもお前はこれまで掴み取れた筈の勝機を全て逃してしまった。見す見す逃した愚か者だよ……だからお前は負けた。解っておるのだろう、切刃?」

「ああ……僕は雪哉を殺せなかった。心のどこかで殺したくない、と……そう思っていたんだ」

 その言葉を聞いた雪哉はただ黙り込んでいた。だがそれは本当だろう。初めて路地裏で出会った時、あの時から一声も吐かすことなく殺すことはできた筈だ。能力を初めて見せた時も、確実に首を切り落とせた筈だ。それさえも出来なかった。そしてその結果が今に到る。夜那城切刃の完全なる敗北として。

「僕は知りたい……本当に、僕の家族を殺したのは誰なのか。時任理愛、彼女では、無いと……僕も思う」

「…………どうしてそう思う?」

 雪哉はそんな切刃の言葉に問いかける。あれだけ殺気を放出し、殺害しようとしていた者の台詞とは思えなかった。

「君が命を賭けてまで守ろうとするんだ……僕は君を信じたくなった」

「ワケが解らない……」

「いいんだ、気にしないでくれ……僕も、なんだかわからなくなったんだ。君も、妹さんも生きようとする強い意志を見せ付ける。人の命を呆気なく奪えるとは思えないんだ――」

「当たり前だ……俺は俺の為、理愛の為、ただ守る為に戦うだけだ……ただ静かに、生きていたいのに、それをお前達が奪おうとするから戦っているだけだ」

 それこそが雪哉の本意だった。

 そこには何も無く、何かあるわけでもなく、ただ雪哉は理愛と一緒に共生したいだけだった。しかしそんな平穏な時間を略奪せんとする者が現れるから戦おうとしているだけに過ぎない。

 雪哉は別に戦いたくはないのだ。ただ理愛を奪おうとするから、大切な者を傷つけようとするのなら、戦うしかないと……それだけなのだ。だからこそ雪哉は誰かを傷つけようなどとは思っていないし、理愛もまた雪哉と一緒に過ごせるなら他に何もいらない。

「参ったのぉ……切刃、こりゃ完全に私たちの負けじゃ」

「だろう? ……僕たちの完全敗北だ。こんな子が、人の命を奪っただなんて、思えないよ……だから僕は諦めた。時任理愛を諦める。でも――」

 だが、切刃は大きく息を吸い込み、

「それでも復讐は諦めないよ。僕は僕の世界を壊した、本当の敵を見つけるつもりだ……そして必ず殺す。それだけは絶対諦めない。諦めるものか……」

「勝手にしてくれ……俺はお前が理愛を狙わないというのなら別に構わない……気にしないし、何もしない。だから安心して、お前の果たすべき使命を全うしろ――」

 罪を認め、罰を背負いながらただ生きろと、雪哉はそう言った。そんな雪哉の言葉に切刃は「本当に惨い人だ、君は……」と言った。だが雪哉は何も言わなかった。

 切刃は殺人者だ。喩え敵であってもArkの人間を殺している。それでも雪哉は、その事に関して何も言わなかった。触れなかった。

「お前が使命と果たそうが果たすまいが……別に俺はどうでもいい。だが、切刃は……」

「……え?」

「友達だろう? ……俺がお前にしてやれることは何もないが、まぁ、その、なんだ……またいつものように話をしよう」

 無様に倒れたままの雪哉が、倒れたままの切刃に手を差し出した。それは握手。

 どんな過去でも、どんな過程でここまで来たとしても、雪哉はもう切刃を見捨てたりは出来なかった。

 これは、そう、喧嘩だった。

 互いの感情をぶつけ、そして勝敗を決し、全てが終わった。

 それまでだ。これで雪哉と切刃の関係までもが終わったわけではない。

「……正気かい? 僕は君の妹さんを殺そうと、したんだよ?」

「俺はいつでも正気だ。精神が壊れたことなど、ない。確かにお前は俺の妹を殺そうとした……だが、お前は理解してくれたじゃないか――」

 雪哉の表情が柔らかいものになった。

「――お前は、俺を理解してくれた。それでいい。俺が守るモノを、どれだけ大切なモノなのかを、理解してくれたんだ……それだけでいい。それでもう満足なんだ」

 そんな言葉を前に、切刃はもう何も言えなくなった。

 ただ黙り込んで、そのまま切刃は自分の手を顔に置いていた。震えながら、顔を隠して、何かを言おうとしているが、何も言えなかった。雪哉は口を開き、

「悪いな、俺はバットエンドを書くのは好きだが――」

 自分自身が趣味で描く架空の物語は悲しみに溢れた救いようの無い惨たらしい結末ばかりと書き連ねる癖があった。けれど、実際は違う。誰もそんなものは求めない。認めない。欲するわけがない。だから、

「――俺の物語はハッピーエンドでなければ、困るんだ」

 自身の結末は絶対にそうでなくてはいけない。それ以外は決して認めない。だから、その結末へ進む為の道を阻むのなら、きっと雪哉は戦うだろう。

「僕は、やっぱり君は勝てないなぁ……」

 それが震える切刃が出せた精一杯の言葉だった。


「……なんだ、復讎(ふくしゅう)歌謳(うたうた)いにしては、やけに呆気無いじゃないか」


 そんな二人の友情に横槍を入れるように、誰かの声が聞こえた。

 雪哉と切刃より早く動いていたのは切歌だった。


「その程度の憎悪なら要らないな……雑音に等しいその歌なんて、謳うのは止めろ」


 何が起こったのかわからなかった。

 ただわかったことは、切歌が雪哉と切刃の前に立ったまま動かなくなっていたことだけだった。だがそれもすぐに解る。

 切歌の胸に突き刺さっていたのは一色の黒だった。

 それは黒い剣。

 そしてその黒い剣に貫かれた切歌がそのまま地の上で倒れた。真っ赤な血を、流しながら。

「歌は要らない……欲しいのは、君だ――」

 その影が見つめた先にあったのは、未だに眠りから醒めぬ理愛の姿だった。


[episud.3 -了-]

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