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それが全能結晶の無能力者  作者: 詠見 きらい
episode-2. -復讎の歌謳い-
57/82

3-19 bad [a]nd happy [e]nd(8)

3-19 bad [a]nd happy [e]nd(8)


 それが絶対と信じていた。

 これで勝利と信じていた。

 

 だが、何もかもが否定された。

 地に膝を突くのは雪哉。その地の上で雪哉を見下すのが切刃。

 花晶(レムリア)を手にした無能力者は、高らかに勝利を宣言していた筈だ。それなのにその宣言が形になることは無く、血を吸う刃がその身を切り裂いた。


『兄さん、生きてる……?』

「生きてる、みたいだな……」


 傷だらけの雪哉に理愛は寄り添うように背中から抱き締める。理愛という結晶をその身に装備したことで五感は強化され、常人を遥かに超越している。だが、それでも切刃の能力の前では意味を成さなかった。

「何を、された?」

『一瞬でした、気がつけば兄さんは肩口から腰にかけて切り裂かれていました。まだ傷は浅いですが、深ければ確実に胴体は斜めに両断され、わたしも兄さんも死んでましたね』

 そんな理愛の台詞を聞いて、雪哉はそっと肩口に触れると真っ赤な液体が手の平に広がっていた。血はなんとか止まっている。傷も時間が経てばなんとか回復する。今、この身は人のモノではない。だが、それでも無敵ではない。不死身でもない。不死者として存在しているわけではないのだ。急所に一撃でも喰らえば難無く絶命する。そんなモノだ。


「ほほう、なんとも無様なモノじゃな。人の形をしたバケモノも所詮は生き物だったというわけか」


 それは突然だった。

 

 雪哉は理愛(レムリア)付加接続(エンチャント)することで、敵の結晶としての能力を封じ、殺すことが出来る。だが、それが叶わない。

 圧倒的有利を前に切刃は動じなかった。それどころか加勢が来てしまったのだ。それは切刃同様に理愛を殺さんと強襲した|夜那城切歌<やなぎきりか>の姿だった。

「二対一ではさすがの切刃も分が悪かろう? これで二対ニじゃが……いやはやどうして、もう勝負は着いてもうたかの?」

 崩れ落ちる雪哉を見下ろす切刃と切歌。兄妹と姉弟の戦いは呆気なくも終わろうとしている。切刃がゆっくりと倒れる雪哉の元へと近付いて来る。

「君の力がどれだけ強力であったとしても、僕に触れられなければ意味がない……そうだろう?」

「お前の、その速さ……神速か――」

「言いすぎだよ。それに、速いって言い方は少し間違ってるかな」

 雪哉の問いに切刃は答えず、そのまま刃を掲げる。まるでそれは断頭台。そのまま刃が振り下ろされれば雪哉の首は切り離される。そして処刑は執行される。

「あまりの展開に着いて行けないんだろうね……教えてあげるよ、雪哉。……君は負けたんだよ。どれだけ覚悟や決意を振り翳しても弱いままなら意味がない。そして一瞬で敗北した。さぁ、終わりだ。この現実を理解できないまま死んでくれ」

「……俺、は――」

 瞬きした頃にはこうして地の上に倒れていた。あれだけ勝利すると豪語していながら切刃に指一本触れられていない。

「だが……」

 それで終わりかと、尋ねられれば答えはノーだ。こんなところで、いや、この程度で終わってしまう覚悟なら必要ない。

「まだ、そんな力が……」

 雪哉は地面を強く叩き、そのまま蹴りを放つ。切刃はそれを回避し、後方へ移動する。反撃はしてこない。その横で切歌は腕を組んで立っている。

 そうだ、まだ終わっていない。一撃を受けたぐらいで地面に倒れたままなどただの弱者だ。苦痛から逃れようと身体は勝手に安息を求めている。しかしそんなものは無視だ。雪哉は構えたまま切刃と切歌を睨む。

「俺はお前のことも嫌いではなかったんだがな……」

 それは切歌に向けた言葉だった。そして切歌は微笑む。

「私もじゃよ。だがお前はそれを守ると言ってしまった。もう敵同士だよ」

「お互い様だ。お前は理愛(これ)を殺すと言ってしまった。だから敵同士だ」

 両者譲ることは無く、どちらかが去るということも出来ない。

 だから、この戦いはどちらかが勝つまで終わらない。憎悪の前では言葉など意味が無い。

「時任理愛を逃がすつもりはないんでな……ここでこの憎しみに終止符を打たせてもらおうかの」

「わかった、お前たちの業の深さは十分理解している。だからこそ俺を放置するな。理愛を殺すつもりなら俺も殺せ。でないと、俺が独りになってしまうだろう?」

「ははっ、お前は存外壊れているな。いや、面白い。時任理愛も十分イカれているが、やはり兄に似ているのかの?」

 挑発を繰り返す切歌を前に雪哉も理愛も表情一つ変えずに立ち上がった。まだ何も立ち上がれる。何度、倒れても諦めるわけにはいかない。誰も認めてくれなくとも、壊れていても構わない。

「行くぞ……」

「無視かえ? まぁ、いいかの……では、動くか」

 加勢とはいえ切刃の後ろで立っていただけの切歌だったが、ゆっくりと切刃の前に立っていた。そして大きく深呼吸をし、雪哉を見つめた。だが理愛はすかさず雪哉に目隠しするように両目を手で塞いだ。

「貴方の能力はわかってる……」

 切歌の能力は目を合わせ、歌声を聴いた者を操った。だからこそこうして視界を隠すことで能力の発動を妨害する。

「いや、わかっていないの……私の力は操るというわけではない。そんなことをする意味はないんじゃ」

 切歌がそう言い放つものの理愛は信じられなかった。切歌の能力をその身で受けたわけではないが、理愛の目の前で確かに逢離は身体の自由を奪われ、動くことが出来ず、何も出来ぬまま命の危険に晒されていた。

『信じられませんね……』

「別に信じなくとも構わん……しかし歌を謳うことは止めんよ――」

 すると切歌が赤いを放ちながら切刃に寄り添い、切刃はそのまま切歌を抱き締めた。

 その光景を雪哉は知っている。理愛も知っている。

 嫌な予感はした。だがその予感は一瞬の内に現実となる。

 それは、雪哉が理愛を装備する形。

 そう、切刃が切歌を付加接続(エンチャント)したのだ。

「やはりそうか……」

 その光景を目の当たりにした雪哉は理解する。血のように赤く染まる切刃。その姿はまるで真っ赤な死神。切刃の着飾っていた黒装束は赤に変色し、その背は赤い煙が漂っている。

『そうじゃ、私は花晶(レムリア)じゃよ。お前たち兄妹と同じように、私もまた切刃に依存する人外じゃ』

 それが明かされた切歌の秘密だった。

「そのくせ、お前は俺の妹を化物呼ばわりか? 都合がいいんだな……」

 真実を知ったところで雪哉はうろたえることも無く、静かな怒りを切歌にぶつけていた。その目の前にいる切刃もまた雪哉と同じように花晶(レムリア)付加接続エンチャントした超越せし異常能力者である。

 お互いが常識を遥かに超えたとてつもない能力を秘めている。そう、花晶所持者通しの戦いは最早、人智を超えた叡智の衝突。

『私も壊す方が得意でな……』

 切刃の背後に寄り添うように切歌がほくそ笑む。その背中から生えたるわ血の如き朱翼(しゅよく)

 そしてその赤が強く発光し、切歌は謳う(、、)

「……来るぞ」

『来ますね……』

 未知が雪哉と理愛に襲い掛かろうとしている。不安を押し殺すように、雪哉は強く拳を握り締め、理愛はギュっと雪哉を抱き締める。

『謳え、聴け――』

 歌が響く。人外の声で歌を謳う。しかしそれはただの不協和音でしかなかった。何かが起こるわけではなく、それは絶唱。だがその歌は雪哉の心にまで響くことは無かった。ただただその歌声で紡がれる脅威を警戒し、雪哉はその場から動かずに切刃と切歌を見つめていた。

『兄さん!』

 歌が止むことなく世界に紡がれ続ける中、雪哉の背から身を乗り出すようにして理愛が空に向かって指を差した。理愛の指差す方を見つめれば、そこにはあるはずの空が無くなっていたのだ。

「どうなって……いる?」

 まるで世界そのものが鮮血で染まったように闇黒だった空間が赤く変色し、血塗られたおぞましい狂気で溢れ返っていた。

 空を見れば雲も月も星も視界に入る全てが赤。雪哉の目がおかしくなってしまったのかと思ったがどうやら理愛も同じような光景が映っているようだ。

『兄さん……わたし、おかしくなったのかな?』

「安心しろ……俺もそう思った。だが、これは違う、何かが違う……」

 視界に広がる赤は雪哉の惑わせるように赤い壁を生成する。そして雪哉を閉じ込めるように赤の壁が逃げる道すらも塞ぎ、孤立させる。

『私の歌声はどうじゃ?』

「好きには、なれないな……」

 どこからか聞こえる切歌の言葉に不快感を込めて雪哉は答えた。しかし切歌は(わら)う。不気味な声で、おぞましい世界観を創り上げる。

 廃れた校舎のグラウンドが、今や赤い結界に閉じ込められたようだった。見渡す限りの赤で染まったこの世界に出口などない。最早ここは迷宮そのものだった。

『兄さん……』

 不安げな声量で理愛は雪哉に声を掛ける。雪哉は無言のまま迷宮から歩を進めた。静止を続けるつもりはなかった。本体を見つけ撃破する……ただそれだけが雪哉の身体を動かす理由だった。歌を謳ったことで具現したこの結界のような迷宮から脱するには、切歌と切刃を倒さなければいけない。それだけははっきりとわかる。

「俺をこんな箱庭に閉じ込めて、何がしたい? 俺を殺すか? ……夜那城切歌――」

 創り出された赤の世界から切歌の歌だけが聞こえる。

「まずはこの迷宮を抜け出すしかないか……」

『兄さん……おかしくありません?』

「ああ、違和感が拭いきれない……|厭<いや>な感覚だ」

 この迷宮が切歌の創り出した世界ならば、それは花晶としての能力。雪哉の左腕の効力によって破壊することが可能なはず。その左腕の前に花晶は意味を成さない。しかし迷宮の壁に触れても消えることはない。

「重い」

『兄さん、失礼ですよ』

「いや、お前のことじゃない」

 雪哉の背に寄り添うようにする理愛。雪哉の言葉に理愛は勘違いしたのか機嫌を悪くした。だがすぐに雪哉は誤解を解くように空を指差す。

「今の俺の身体能力は常人を超越しているはずだ。空を飛ぶことも出来る……なのにどうしてこんなにも重いんだ? いや、重力の違いを肌で感じるほど俺の感覚は敏感ではない……しかし空を飛ぼうとしてもそれができない――」

『言われてみれば……確かに天井があるはずもない、筒抜けのこの迷宮、跳躍してしまえば意味はないですね』

 そうなのだ。天蓋の無い迷宮ならば、この銀の翅で飛翔してしまえば呆気なく飛び越えることは出来るはずだ。しかしそれが出来ない。

「この迷宮に入れられたことによって能力が封じられている?」

『兄さんの左腕でこの迷宮を壊すことができないのもそれが原因?』

「わからん……能力が封じられているのかどうかは置いておこう……とにかくこのままでは埒が明かん、脱出するぞ」

 雪哉の言葉に無言で理愛が頷く。ただ迷宮に閉じ込められるだけなら構わない。しかし恐ろしいのはどこかに殺人鬼の如き狂気を孕んだ夜那城切刃と切歌が待ち構えているのだ。

「どうする……」

『脱出するしかないんでしょう? だったら進みましょう』

「そうだな、しかし如何にも罠がしかけられてそうな迷路だな」

『ただ壁を敷き詰めてだけなら進めばいつか出られますしね……でも、それを高みから見物するような性格とは思えませんし』

 殺意を象ったこの迷宮に何一つ仕掛け無く雪哉たちを閉じ込めたとは思えない。

「やはりな」

 そしてそれはすぐに現れた。歩いてすぐ曲がり角で突然地面から三本の槍が突出したのだ。だが雪哉は後ろに下がることで冷静に回避していた。

『す、すごいですね……今、地面からすごい勢いで槍が飛び出したのに……』

「いや、まさかこんな古典的で、しかもわかりやすい場所に仕掛けてあるとは思わなかったからな……読み通りすぎて笑えるよ」

 と、余裕の笑みを零す雪哉だったが床に転がっていた鏃を見て戦慄した。

『そっちは威嚇(ブラフ)でこっちが本命だったんでしょうね。気をつけてください……わたしがいなかったら今頃兄さんの顔に穴が開いていたと思いますから』

 わざとらしい罠と一緒に死角からもう一つの罠で殺すというえげつないやり方だった。まんまとその罠に引っかかっていた雪哉だったが、さらに深く読んでいた理愛が雪哉を救った。

「まだまだだな、俺は……」

『気にしないでください……わたしは兄さんの剣であり盾のようなものですから。だから兄さん、とっとと敵を倒して帰りますよ』

「ああ、そうだな」

 気を取り直し雪哉は先へ進む。

 進むたびに罠が仕掛けられてはいたが、雪哉と理愛は互いに罠を回避しつつ先へ進んで行く。

「おかしな話だ……」

『何がです?』

「突然、歌を聴かされたと思えば……こんな迷路に閉じ込められ、脱出ゲームをさせられていることだ」

『そうですね……』

 おかしな点はいくつも上げられる。だが今はここから脱出することが先決だ。しかし進めども進めども終わりは見えない。

『どうじゃ? 私の創った世界は?』

「切歌か……そろそろ姿を見せたらどうだ? 見ているんだろう? それとも俺たちをこの世界から脱出出来ない様を眺めて嘲笑したいだけなのか?」

『まさか……私は確かに花晶じゃよ。だが、お主の妹や……あの月下虹子のように強大ではない……言ってしまえば、私の能力は花晶の中ではあまりにも脆弱すぎる。そんな最弱がお主らに勝てるとは思えない。だからこうしてお主らの力を消耗させているんじゃよ』

 嘘だ。

 確かにこの迷宮には数々の罠が仕掛けられている。だが容易にそれは回避できた。そしてそれを続けたところで体力が消耗することはない。

 今の雪哉は花晶を付加接続することで全ての能力が格段に上がっている。ほんの少し動き回ったところで衰弱することもなければ、体力が低下することなど有り得ない。

『まぁ、いい……私自身は最弱とも……私には切刃がいる――』

「なに?」

『兄さんっ!』

 切歌の声が消えたと同時、背後から理愛の絶叫が迷宮内に響いた。だが雪哉は動いていた。そこに、切刃がいたから。

「さすが……」

「背後を襲うとは……らしくないな」

 切刃の刃が雪哉の拳とぶつかる。切刃は構えることなく立ち尽くし、雪哉は拳を構えた。切刃の背後で切歌が歌を謳う。

「ここから抜け出すことは出来ないよ……雪哉、君の負けだ」

「まだ生きてる……終わらせるな」

「いや――」

 切刃が呟いた途端、切刃が視界から消失した。

 見逃したわけではない。目の前に切刃は確かにいた。突然、消えたのだ。

「――終わりだよ」

 離れていた距離が詰められていた。たった一度の瞬きで切刃は雪哉の目先に立ち、湾刀が振り放たれていた。

『わたしのこと、忘れないでくれますか?』

「ああ、そうだったね……」

 切刃の刃を受け止めていたのは理愛の銀の翅だった。光の粒子は物理をも受け止める。そしてそれと同時に雪哉の左腕が切刃に放たれる。

「ははっ……確かにこれは強力だ……僕たちじゃ勝てそうにない」

 弱気な発言をしながらも、切刃は攻撃を回避していた。

(切刃も何らかの能力を持っているのはわかる……だが……)

 能力の正体はわからぬまま、その脅威に何度も直面している。このままでは勝てない……寧ろ敗北の可能性が大きくなっていく一方だ。

「もう、終わりにしようよ……雪哉」

「聞き飽きたぞ切刃……同じ台詞を何度も吐くのはやめろ、それでは弱者と変わらない」

「ははっ、そうだね。じゃあもう止めよう。そしてさよなら、雪哉」

 切刃は雪哉に剣を向けることを止め、背を向けた。

 それは情けからの行為か? 違う。切歌は歌を謳うことを止めていない。そして、その歌がピタリと止んだ途端、切歌は雪哉を見詰め、

『最弱たる花晶の私の最初で最後の一撃じゃ、防げばお主の勝ちじゃ……』

「そうか、なら耐えてみせよう……そしてお前を倒す」

 この脱出不可能の箱庭を創造しただけではなく、これを超える能力を見せるというのか。雪哉は切歌の能力は直接的な攻撃が出来ないということぐらいしかわかっていない。わざわざこんな迷宮を創り上げ、多彩の罠で攻撃を繰り返している。しかし、どれも効果的ではない。ならばそれ以上に威力の高い力を隠しているのか――

「耐えてみせる……理愛、大丈夫か?」

『当然です、必ず倒します。わたしはまだ死にたくありませんから……』

 理愛の言葉に同意し、雪哉と理愛は切歌が発動する更なる未知に立ち向かう。そして切刃の背後で理愛は口を開いた。


『それは忘れらない、きっと消えない、だから――かの古傷を穿つ歌(ペイン・セェングス)


 赤き世界は更にその色を濃く滲ませる。網膜に血がへばりついたように、視界には赤が広がり、何も見えない。そしてその赤は黒で上書きされた。そこは赤の無い黒に包まれた闇。その世界には何の色も無い。

 そして一筋に光が差すその方へと雪哉は歩いた。理愛がいない。だが切刃も切歌もいなかった。歌声さえも聞こえない。

「迷路の次は……どこへ連れて行くつもりだ……」

 異世界へ召喚されてしまったように、赤い迷宮の次はどんな世界が待ち構えているのか。想像することも出来ず、ただ誘われるように小さな光の向こう側へ進んで行く。

 進めば進むほど光は強さを増し、あまりの眩しさに雪哉は目を閉じてしまう。そして次に瞳を開いた時、そこに広がっていた景色は見覚えのある場所だった。








































「ここは……」


 密室。


 並べられた椅子。


 浮遊感。


 ここは旅客機の中だった。


 雪哉も椅子に座っていた。窓の向こうから見えるのは雲だった。雲の上を飛んでいる。月が見える。星が見える。飛翔する鉄塊の中で見詰める初めての光景に興奮した。

 初めて?

 いや、違う。何かがおかしい。

 わからない。何がおかしいのかがわからない。

 いや、やめよう――雪哉は考えることを止めて窓の外を見詰めていた。

「ん?」

 急に手に何かが触れたことに気がついた。

 小さな手が雪哉の手を掴んでいる。その横には小さく震える少女の姿が見えた。

「やめろ、さわるな」

 雪哉の手を掴んでいたのは、雪哉の妹である理愛だった。

 理愛の怯える顔を見て、余計に苛立ちを覚えた。

(何で?)

 わからない。何かが変だ。おかしい。

 わけがわからない。もう何も考えたくない。雪哉は深く考えることを止めた。

「へんないろのかみだ」

 それは雪哉の口癖だったろうか。

 何度もその言葉を使っただろう。

 そして雪哉がそう呟く度に理愛は悲しそうな顔をするが、無言のまま俯いた。

 そんな理愛の様子を見て、雪哉はわざとらしく舌を打った。


 なんで、そんなことをする?


 理愛を見る度に雪哉は心の中で憎悪が湧き出す。認めることが出来ない。拒絶を繰り返す。そして気がつけばその手を振り解き、窓の外に視線を移していた。理愛は悲しんだろうか……でもそれは理愛の顔が見えないのでわからない。


 急に大きな衝撃が起きた。

 震える機内、そして増す重力。堕落する。


 何が起きたのか理解できない。ただ窓の向こうを見れば星が遠ざかっていくのがわかった。空が離れていく、そして地へと堕ちていく。


 炎上した。


 轟音を上げ、炎を撒き散らし、鉄が舞った。

 飛行機が落下した。

 これは失った「あの日」だ。

 鉄塊に埋もれ、両親の亡骸が見えない。もう鉄と鉄に挟まれ、肉にされてしまった。

 雪哉の意識は保たれていた。大丈夫、まだ生きている。


「……なに、が――」


 腕が、小さな細い腕が――鉄板と鉄板の間から出ている。それは誰の腕だったろうか。触れられることを拒み、見えない壁を作り、全てを否定していた。だがその否定の対象は、既に息耐えていたのだ。

 声が出ない。気がつけば死んでいた。誰も、彼もが……命を絶たれていた。そして雪哉の妹であったモノがそこで腕だけになって事切れている。


 そして――


「ああ……」


 わかったことは雪哉もまた死んでいたのだ。

 上半身と下半身が千切れてしまっている。これでは助からない。

 おかしい。

 確か雪哉は、生きていたはずなのに……。

 何もかもが狂ったこの世界で雪哉の命は消えて無くなった。








































 夢を見ていた気がする。

 目が醒めれば、そこは旅客機の中だった。

 小さく震える少女が雪哉の横に座っている。それは――


「なんだ?」


 大きく震える機内。突然に高度が下がる。

 雪哉の横に座っていた少女……理愛がギュっと雪哉の腕を掴んだが、雪哉はそれを振り解いた。どうしてそんなことをしてしまったのか――


 轟音を立てて、世界が廻る。

 そしてそのまま空が、落ちてきた。

 いや、天井だったか……気がつけば雪哉は死んだ。


 死んだ。

 

 また死んだ。

 

 目が醒めれば旅客機の中、そして気がつけば旅客機は落ち、爆散する。


 そうして何度も殺される。

 






























 記憶が曖昧になる。


 目が醒めると旅客機の中……悪い夢を見ていたのはわかるのだが内容は思い出せない。しかし雪哉は何度も旅客機の中で目が醒める。同じ光景を見せられて、何度も死んでいるのだ。


「……また、だ」


 幾度と無く見たくも無い、目を背けたい光景を見せ付けられ雪哉はうんざりしていた。だがまた旅客機はゆっくりと高度が下がっていく。まただ、また落ちていく。

 堕落は死。鉄の塊がゆっくりと、けれど次第に速度を上げて急降下していく。

 そしてまた雪哉はそのまま墜落し、吹き飛んでいく。もう嫌だ、見たくない。最も見たくないこの光景から目を瞑りたい。けれどどれだけ逸らしても、意味はない。何度も雪哉は殺される。


「もう見たくない、こんなものは……」


 それは雪哉が最も見たくない世界。鉄に挟まれ燃え盛る両親、沢山の人たちは同じように燃えて消える。そして空には星のように輝く結晶が降り注いでいる。

 どうして?

 だが、理愛も両親と同じように鉄塊に踏み潰され、雪哉もまた同じように死んでいる。おかしい。それはおかしい。生きていたはずだ。雪哉は理愛に助けられ、理愛を妹として、家族として認め、そして生きることを選んだはずだ。

 それなのに繰り返されるこの死の中で雪哉も理愛も、皆が殺され、死んでいる。


 そして幾度と無く繰り返される死の中で、またも目を醒ませばそこは旅客機だった。堕落する鉄塊、粉砕し、轟音を響かせながら爆炎が上がる。

 一瞬だけ落ちる意識。気がつけば地獄絵図と化した現実でやはり生産される死体たち。両親は一言も発することなく鉄に挟まれ死んでいる。

 それはもう何度も見た絶望の光景。

 理愛もまた降り注ぐ鉄の下敷きになり、身体の半分が潰されていた。それを雪哉は座り込んだまま見つめることしかできなかった。

 理愛を救うことは出来ない。散々、否定と拒絶を繰り返してきた雪哉が彼女を救う資格はないのかもしれない、それでも――


「死にたく、ない……」


 理愛が望むその願いを叶えてあげることはできない。


「独りに、しないで……」


 でも、その願いを叶えることはできる。

 独りぼっちは嫌だ。

 両親は死んだ。理愛も直に死ぬ。雪哉は孤独になる。

 五体満足で生きていたとしても、空っぽになってしまえば死んだと同じだ。だから、このまま独りで生きることは出来ない。そうだ、簡単なことだと雪哉は納得する。


 今まで理愛を拒んできたくせに、結局は保身の為にその選択を選ぶのだろう。

 独りになりたくはない。もっと早く認めてあげればよかったのだ。


「そうだな……」


 雪哉はそっと理愛の目の前に座り込み、ゆっくりと近くに落ちていた鋭く尖る鉄の破片を取った。そしてゆっくりとそれを首元に近づける。


「お前を独りにしない、そう言っただろう?」

「に、兄さん……」


 下半身が潰れて無くなったままの理愛が大粒の涙を流し、そっと理愛は雪哉の頬に手を置いた。雪哉は柔和な表情を浮かべたまま理愛の頭に手を。


「え?」


 だが、雪哉はその破片をどうしたか……。

 理愛は何が起こったのかわからぬまま、目を見開いて動かない。だが雪哉は笑っている。それはどこか狂気に満ちたおぞましい表情だった。


「カカッ!」


 (わら)う。

 そう、雪哉は嗤ったのだ。

 不気味な声を上げて、その鋭利な鉄の破片で理愛の首元を貫いたのだ。


「カカカカッカカカカカカカカカッカッカカカカカカカカカカカ!」


 壊れたように声を上げて、深々と理愛の首に突き立てられた破片。

 そのまま立ち上がる雪哉は大声を上げたまま嗤った。挙句、足を上げ……理愛の後頭部を踏み潰したのだ。

 理愛は「どうして?」と声を上げることなくそのまま潰れてしまった。だが雪哉は一切の悲哀を滲ませることなく冷めた視線を向けたまま亡骸となった理愛を見ていた。


 雪哉の過去、忘れることの出来ない記憶。

 それは何度も何度も雪哉の心を苦しめてきた。

 そう、これは雪哉が何度も見るであろう幻想だ。

 忘却などという愚かな思想で消失させることなどできない記憶。


 だがら雪哉は嗤うのだ。

 この異界を前に大声を上げて高らかに嗤う。

 自分は無力だ。妹一人救えやしない。何も出来ない。両親を喪い、左腕を失った愚兄は妹に人外の左腕を与えられた。そして最後の家族を得た。


「弱いな……」


 だから理解していたのだ。

 解らない振りをしていたにすぎない。


「切歌の能力は最弱と言ったな……その通りだ。お前は今まで戦った花晶の中で最も弱い――」


 雪哉が誰もいない炎上した地獄の中心で空を見上げ呟いた。

 言葉は返って来ない。だが雪哉はそう言った。星空と一緒に降り注ぐ結晶の下で雪哉は睨んでいた。


「俺の絶望(くるしみ)をここまで綺麗に再現したのは驚いた……しかも情報まで操作されている。だが残念だったな……理愛も一緒に殺したのは失敗だった」


 これは幻だった。

 幻惑し、混乱させ、そのまま自滅させる為のものだった。創り上げられた幻想に雪哉は独り迷い込んでいたのだ。


「眠りにつけばこんな夢(、、、、)、何度も見ている……億回見た俺にこの悪夢は意味をなさない――」


 そしてこの幻が雪哉に効かないのは、既に耐性が付いてしまっていたからだ。


「殺せたはずだ……俺が何度も死ぬ夢を見せた。だが、最後は自害させようとした……自滅を促す能力ならば、それほど弱い能力はないな――相手に依存する能力ならば、自身の力を振り回せない力に意味などない」

 それは雪哉も同じだ。相手が花晶を持った者でなければ意味を成さない異能。

 だからこそその能力が弱いということがよくわかる。雪哉はこの幻想を打ち砕いてしまった。だから壊れることはない。乗り越えてしまったのだ……切歌の花晶としての能力を打ち破ってしまった。それも短時間で、呆気なく。

「種晶でも幻惑させる能力があるのかもしれないが……花晶らしい強大さは兼ね備えていると思う。何度もループさせ、同じ内容を少しずつ違うものへ変えて、最後は幻と理解できぬままに勝手に死んでいく……だが、俺の心の闇を投影したのは拙かったな――生憎、もう克服していた――」

 忘れてはいけない悲しみの記憶。その過去を糧に雪哉は生きている。

 この過去は忘れられない。左腕を失い、両親が死に、そして理愛を家族として、妹として認めたこの過去の日を忘れようなどと出来るはずもない。

 何度も何度も、夢で魘され続けていた。何も出来ず、ただ奪われただけだった。だが、この日から雪哉の全てが変わったのだ。過去に囚われるつもりはない。

 だからこそ地獄のような光景を見せ付けられたところで、雪哉は自滅を選ぶことはしなかった。

 

 理愛が、いてくれたから。

 

 そして、雪哉の言葉が空中に呑み込まれ、空が割れた。切歌の歌を聴いてから創られた赤い迷宮もそこにはない。そこには地に膝を突いた雪哉、心配そうに雪哉を抱き締める理愛がいた。


「還って……来れたか――」

「兄さん、大丈夫ですか!?」

「理愛か……安心しろ、少し過去と戦って来た」

「な、何を……いきなり動かなくなって……もう、兄さんを庇ってあの人と戦うなんてわたしじゃ無理ですよ!」

「だが、こうして俺は生きているじゃないか……」

「そ、そりゃ……まぁ……兄さんを守るのはわたしの役目ですし……」


 天使のように光輝きながら、理愛は雪哉を庇うようにして抱き締めている。行動不能だった雪哉を庇いながら逃げ続けていたのだろう。だが、それでよかった。どれだけ雪哉が幻想を見破ったところで、動けないのならば切刃の兇刃に切り裂かれそこで終わってしまう。


「時間切れのようだね……切歌……」

「ここまでとはの……時任雪哉、本当におぞましい奴よ。花晶としての能力は最弱とて、その幻はその者の最も忘れたい傷を穿つ力。その歌を乗り越え、こうして現世に還って来るような人間が存在するとは――」


 能力が不発に終わったという事実を未だに認められない切歌は驚きを隠せないようだ。だが雪哉にとってはそんなことはどうでもよかった。


「理愛……(あれ)は使えるのか?」

『え……で、でも……』

「でも……ということは、使えるということだな?」

『一度、使ってからというものの、自分の感情で上手く使えるようにはなったと思います。ですが、これは――』


 その剣は、全てを破壊する一撃必殺。

 しかし、それはたった一度きり。切り札である。

 理愛の能力の最大威力。

 それが「剣」である。名称も何もない、どうして理愛がそんな凶器へと変貌するのかさえわからぬまま、しかしそれは花晶であろうとも防ぐことは出来ない。

 だが、その凶悪にはたった一つの弱点が存在する。

 決めることが出来なければ、完全な無防備となる。理愛は意識を失い、雪哉は能力を失い、無能力者へ戻ってしまう。


「どうせ俺は欠ければ終わる。お前がいなくなったら()わる……だから、頼む」

『わかり、ました……。でも、約束してくださいね……死ぬ時は、一緒ですよ』

「当然だ」

 強い、風が吹いた。

 天を割くような光が空から落ちる。

 そこに理愛はいなかった。

「それが君の、切り札かい?」

「ああ……」

 雪哉はそれ以上言わない。

 ただ一本の剣。白い刀身を見せる、装飾の無い剣。

 雪哉も理愛も何故、こんな形態を取れるのかは理解できていない。だが、それが出来る。

「君達、兄妹の絆とやたはそうも易々と界層(かいそう)すら……昇ってしまうのかい?」

「何を言っているのか、わからないな……」

 その言葉の意味は知っている。

 花晶を持つ者に与えられた能力の段階。第一は基本能力の向上。第二は花晶としての発現能力。そして――

「第三なんてものは……そうも簡単には昇れない。第三は、花晶としての能力を更に凶悪にしたものさ。もはや人の形すら留めない」

 だから、剣の形をしているのだと――付け足すように切刃が言う。

 人ではない怪物が武器の形を模している。

「僕はそこまで到達できないよ……雪哉」

「それはお前が弱いからだ、切刃」

「よく言う……君が強すぎるんだ」

「強い? 俺は弱いよ……大事な者を守ると豪語しておきながら、それを使って戦う俺はなんだ? 酷く臆病者で、脆く卑怯者だ。逃走だらけだよ……だから俺一人でここまで来れはしない」

 そして剣を構える。

 剣の知識は雪哉にはない。だがその剣を構えるだけで、最初から出来てしまうのだ。知識が流れる。戦える。そしてそれはたった一撃で終わりを与える。

「雪哉、それが君の全てなら、僕は君の全てを奪って――終わらせる――」

「切刃、それでお前の全てなら、俺はお前のたった一つを奪って――終わらせる――」

 疾駆(はし)る。

 雪哉が、切刃が――

 勝負は一瞬。

 たった一撃。

 その一撃だけで全てが決まる。


 やがて、音が――止まった――

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