3-18 bad [a]nd happy [e]nd(7)
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「もうすぐだ」
時任雪哉と夜那城切刃の戦闘は途中、中断されていた。
二人して肩を並べるにしては些か不自然だ。
そう、二人は先程まで殺し合いをしていたのだから。
「さすがに路地裏で殺りあってたら邪魔が入りそうだしね」
確かに路地裏付近にはArkの「銃者達」らが出入りしていたし、他の「銃者達」が現れる可能性がある。
雪哉としては誰に乱入されようがお構いなしだったが、切刃は間違いなく彼らを殺すだろう。既に何人も肉塊に加工しているのだ。躊躇無く殺害を行使することだろう。
「いつもこうして放課後一緒に歩いていたね」
「そうだったな」
素っ気無く雪哉は言い返す。それは何気ない日常の風景だった。それがきっと当たり前だった。でもそれはもう壊れてしまった。最初から壊れていたのだ。雪哉が切刃に会うより前に切刃は壊れたまま雪哉に接触したのだ。
「もう、終わりだね」
「終わるのはお前だよ」
いつもの軽口を叩いて、けれど会話の内容はどこかおかしい。
だが終わるのだ。そう、終わり。
友だった。雪哉はそう、思っていた。
数少ない雪哉の友達だったと思う。しかし切刃は敵だった。理愛を奪おうとしている。殺そうとしている。そんなこと許すわけにはいかない。
「話は……これぐらいにしようか」
「話をして来たのはお前だろうに」
雪哉がそう返すと切刃は「そりゃそうだ」と納得しそれ以上は何も喋らなくなった。
そして気がつけば切刃が住んでいたアパートを通り過ぎると、そこに見えたのは廃校だった。一目見てわかる。そもそも電灯も立たず、光さえ無い闇黒の中に聳え立つそれはホロボロに壊れた瓦礫だった。学校だったもの……と言うべきか。窓のガラスは割れ、コンクリートの壁も崩れ、学校としての機能は完全に失われている。
しかしグラウンドはとても広い。整備されていないせいで草木が伸びてはいるが何ら問題ない。そんな広い空間に雪哉と切刃の二人しかいない。
「さて、そろそろ始めよう」
切刃は腰元から湾刀を取り出す。刃は反り返り湾曲している。ただそれは肉を刈り取るためだけに造られた獲物を狩る為だけの武器だ。
「君が邪魔をするというのなら、僕は君とも戦うよ」
「ああ、そうしてくれ。俺も理愛を守る為にお前と戦う」
お互いに譲れないモノがあるから。
だから戦う。雪哉もまた左腕の聖骸布を外した。
「その結晶の腕は……どうやら僕の『永夜閃』でも破壊できないようだ」
「お前の持つその剣の名か?」
切刃は首を縦に振る。
「お前もまた「選ばれし者」だったとはな。その剣はどこで?」
「僕の手で作った。剣を作る知識はなかったので少々時間は掛かったけれどね」
「武器を自作するとは……さすがだな切刃」
「お褒めに預かり光栄だよ。君は本当にすごいよ、何があっても背を向けない。刃を見ても、どれだけの未知や不安が広がったとしても君は強い」
動いた。
雪哉も動く。
逆手に持たれた切刃の刃は殺意を迸らせながら、雪哉を切り裂かんと振りぬかれる。
「この剣に名をつけたのは……君に惹かれたんだ。僕は本当に君に憧れていたよ。我を貫き、守りたい者を守ろうとする意思、覚悟、君は僕に無いものを持っている。だから――」
一撃、二撃と切刃は連撃を繰り返す。だが雪哉はなんとかそれを左腕で捌きつつ回避する。尊敬にも似た眼差しで雪哉を見てはいる。だが明らかな殺意を持って切刃は攻撃を繰り返す。
「疎ましかったよ。僕が叶えられなかったことを、君は叶えている。守りたいモノは最初から無くなった。自分の気持ちは、ただ一つだった。時任理愛……君の妹を殺すことで、復讐を果たすという感情しかなかった。そこに僕はいない。そうしなければいけない――それだけなんだ」
「奪われたから奪いたい。壊されたから壊したい。戦争だよ、それじゃあ……平和には生きられない」
やられたらやり返すの精神ならば、きっと最後の最期まで終わりはない。殺し合いを繰り返すだけでしかない。それではメビウスの輪のように、途切れることのない憎悪は膨れるばかりだ。
だが、反論も否定も出来はしない。
雪哉もきっと理愛を殺されたとき、切刃と同じ感情を抱くのだろう。
だから切刃を諭すつもりはない。雪哉は善人でも聖人でもないのだから。ただの一個人の人間でしかない。自分の感情でただ動くだけの愚かな生き物。
「僕の人生にもう平穏なんてものはない。常温の中で生きて来れなかったんだよ」
瞬きすると同時、切刃はすでに雪哉の目の前に立ちはだかる。そして再び斬撃。雪哉は後方へ飛び、それを躱す。
しかし回避するだけでは勝てない。回避と同時に雪哉は左腕で殴りつける。切刃もまたそれを宙返りで回避する。雪哉以上の身体能力を見せつけ雪哉以上の攻撃手段を持ち合わせている。
「飛べっ!」
宙返りと同時、黒衣の中からワイヤーを射出する。回避することも出来ず、雪哉の左腕に絡まった。しかし、雪哉の足は地から離れることはなかった。自分の近くに引き寄せようとした切刃だったが思惑と外れたことに動揺した。それどころか――
「そう二度も同じ手は効かん」
雪哉が力強く引っ張る。最初、捕縛された時点では完全に虚を突かれたからこそ対策も取れずにわからないまま引き寄せられてしまったが、再び同じことが起こるのならば話は別だ。引き寄せて、無防備なまま一撃を喰らわせるつもりであろうとも、この左腕は肉体とは別物。ワイヤーが食い込んだところで痛みを感じることもない。
そのまま雪哉は綱引きの要領で強く引くのだった。空中で突然、別の力が掛かるのだ。切刃の身体のバランスは大きく崩れた。
「喰らえっ!」
右腕に力を込めて、切刃の頬を貫こうとした。しかし雪哉の右手は切刃には届かない。切刃の持つ『永久閃』の刀身がそれを受け止めていた。
刃を縦にされていなくて助かった。雪哉の右腕はただの肉だ。強固でもなければただの脆弱だ。刃そのものを殴りつけていれば雪哉の右腕は裂けていたことだろう。
「全く……無茶苦茶だよ雪哉は……自分が傷つくことに何の躊躇いもないだなんて、どうかしてるよ……」
「俺はただお前をぶん殴ってやりたいと、そう思っているだけだからな。恐怖や不安なんて感情は奮い立たせて誤魔化すだけだ」
そう、誤魔化すだけだ。
人間なのだから、負の感情を押し留めることも、消去することも不可能だ。そんなこと出来るわけがない。そんなことが出来れば何も悩むことも苦しむこともないのだから。
だが、殺すことは出来る。それは雪哉には守るモノがあるから。ここで切刃に殺されては、理愛を守ることは出来ない。未熟で弱小な人間が誰かを守り通すことは出来ないのかもしれない。だが、やらなければいけない。守りたい。大切な妹だから。
だからこそ傷つくことを恐れて、逃げるような真似はしたくないのだ。傷つくことも、死ぬことも怖くて、身体が震えてしまうけれど……それでも、そこで動けなくなってしまっては未来は変えられない。だから戦うのだ。拳を振り抜くことが出来るのだ。
「君って、人はぁ!」
雪哉の拳を刀身で受け止めた切刃はそのままグルンと再び回転。刃を地面に突き立て、独楽のように廻る。回転による力が両脚の速度を速める、回避行動を取るよりも早く連続で蹴りを浴びせて来る。それを両腕でガードするが連続で来る蹴撃を両腕で防いでいるせいで視界が隠れてしまう。
この目ではっきりと切刃を追わなければ、次の攻撃に対しての対応が間に合わない。一瞬だけ攻撃が止まったのを確認した雪哉はガードを解いて正面を向く。
「なっ……?」
そこには切刃の持っていた刃が突き刺さっているだけで、切刃自身が視界からいなくなっていた。だがそれも瞬間的なものだった。瞬きをした時には視界の中に切刃が映ってた。切刃は雪哉の顎下にいた。
「砕くっ!」
今度は間に合わなかった。
切刃が目一杯に両脚に力を篭め、そのまま靴底は雪哉の顎を蹴り飛ばしていた。雪哉はそのまま血を噴き出しながら地面を転がっていく。
「かはっ!?」
視界が白い。衝撃は脳天にまで届いている。白くなった視界のせいで目の前がボヤけて見える。だがそんな白の中に大きく膨れ上がる黒が見える。それは、切刃だ。
「終わらせるっ!」
ダメージが大きすぎる。身体はふらつき、構えてはいるが立っているのがやっとだった。
(力の差が……明確、すぎる――)
たった数回の戦闘を行った程度の素人では、やはり玄人には勝てない。
どう動き、どう攻撃すれば、何もかもが切刃に劣っている。
(クソ……理愛がいなければ俺は何もできないのか?)
どれだけ足掻いても、どれだけ祈ったところで世界が変わるわけがない。脳内に誰かの声が響くはずがない。隠された能力が途端に覚醒するはずもない。奇跡に縋ることも出来ない。そんなものは起きない。起きるわけがない。
唐突なタイミングで状況を一変できる何かが得られるわけでもない。そんな幻想に耽っている場合ではない。そんなものに酔ったところで、所詮は幻。具現するなら、己の意思を、覚悟を、自分自身の信じているモノを形成しろ。
「これも、理愛のモノだと言うのなら……そうだ、俺に力を、貸してくれ――理愛っ!」
本当に格好の悪い男だと思う。
何一つ己自身の能力で壁を乗り越えては来れなかった。いつでも、どこでも、雪哉は理愛がいなければ何一つ達することは出来なかった。
いつだってそこには理愛がいた。理愛の為だと雪哉は行動する。そこに自分はいない。依存し続ける愚かな兄。理愛がいなければ何も出来ない弱すぎる兄。
敵を前にしても呼ぶのはやはり妹の名。
けれど、そんな無様で滑稽な兄に応えてくれる妹がいる。
(ああ、俺にはやはり……理愛がいなければ、戦うことすら出来ないクズというわけか)
認めよう。
戦うという意思、友を倒すという覚悟、妹を守り通すという決意。
そう、それしか雪哉には無い。そんな皆無の無能力者。
だが、そんな雪哉を動かすのは理愛の声。
聞こえる。理愛の声が聞こえる。それは幻聴ではない。幻想に焦がれる弱き心が生み出したモノではなく、本物の声だ。
近い。
理愛がこっちに近付いて来るのがわかる。
左腕を通して、声が聞こえる。これは理愛のモノだから。この左腕が雪哉と理愛を繋げている。
だから、理解る。
雪哉の五感が突然に強化されたことも、今まで感じたことのない力が溢れて来るのが。
(見えるっ……)
歪んでいた視界が瞬時にクリアになる。全て見える。まるで背中にも目があるように、死角さえも今は見える。どれだけ早く動いても、今の雪哉にははっきりと見える。
真正面、切刃は兇刃を構え追撃を行おうと疾駆している。だが、そんなものは脅威ではない。雪哉を奮起させるは理愛の声。その声ははっきりとは聞こえない。何を言っているのかも、何を伝えたいのかも、それは解らない。
だが、解ることがある。この声が雪哉を強くする。その声で雪哉は前を向ける。だから、負けない。理愛と合流するより早く速く切刃を撃破する。
全てを見据えることが出来る。
切刃の太刀筋がまるでスローモーションのようにゆっくりと動いて見える。最低限の行動でそれを回避することが出来る。そしてがら空きになる切刃の背中。背中を見せたままの切刃を前に、雪哉は左腕に力を篭める。
(終わりだ――)
その左腕は異形にして異質。その強度は鋼鉄をも超える。ましてや意識外からの攻撃となれば、脳天に直撃すれば意識を切断させることは容易い。
はず、だった――
(……えっ?)
そこに躊躇は無かった。一切の苦悩も無く、理不尽な一撃を与えるはずだった。しかし、消えたのだ。まるで最初からそこにいなかったように雪哉が攻撃した場所に切刃の姿が完全に消失している。
雪哉は周囲を見渡す。すると少し離れた所に切刃が立ち尽くしていた。どうして自分の攻撃を回避されたのか解らぬまま雪哉もまた構えを解き、切刃に向き合った。
切刃は刃を地面に刺し、そして空いた右手を自分の顔に置き、前のめりのまま雪哉を見つめている。様子がおかしい。ビリビリと雪哉の両肩が震えていた。プレッシャーのようなものを感じる。今はただ切刃の動向を窺っていた。こちらからはどうしても動けない。
数十秒ほどそのまま雪哉と切刃は動かなかった。一言も口にすることもなかった。
そして、動いたのは切刃だった。
切刃は手を離し、口を開いた。
「雪哉、今……何を、した?」
切刃の視線はこれまでとは明らかに違う殺気が篭められている。
無意識に雪哉は後ずさり、そして構えていた。何かが違う。どこかがおかしい。目の前にいるのは切刃なはず。しかし切刃の姿をした別の存在にし見えてしまうほどに、その視線から発する狂気に身体が震えた。
雪哉は答えなかった。答えるつもりはなかったがそれ以上に切刃に恐怖を感じ、声を発することが出来なかっただけだった。
「なら、僕も……そろそろ、行くか――」
腕を前へ、切刃の顔が隠れていたが合間から見えた瞳。そして、次には見えなくなった。
消えた。
一瞬で切刃が姿を消したのだ。存在の消失。視界外からの喪失。この世界から唐突に切刃はその身を消し去り、雪哉は世界を見渡し続ける。
「……消えた、というのか?」
まるで幻。
最初からそこにいなかったように、影すらも無い。
だが、此処にいる。
突然、消え去ったまま雪哉を放置してそれで終わりだなんて思えない。
雪哉は意識を集中させる。どこかにいる。切刃はいる。いなくなったわけがない。
「こっちだよ」
背中から声が掛けられる。それは確かに切刃の声だった。
「はっ!?」
そして、振り向いたその時――雪哉の視界に銀色の刃が映り込んだ。
その刃は確実に雪哉の頚動脈を狙っていた。咄嗟に左腕で庇うようにして回避行動に移った。頚動脈を切り裂かれ致命傷を負うとまではいかなったが、それでも無理な体勢のまま回避したせいか、左脇を裂かれてしまった。
「ぐぅ……」
激痛が雪哉の身体を襲う。そして苦痛に顔を歪め、右手で傷ついた部分を押さえた。だが手で押さえた程度では出血は防げない。
「へぇ……躱したの? 雪哉はとんでもないね、本当にとんでもない」
切刃は雪哉を評価している。だが、殺意は以前変わりなく雪哉に向けられている。
何が起こったのか、それを理解できぬままに切り裂かれる肉。何も解らぬままただ闇雲に向けられる殺意を前に雪哉は傷を庇いながら切刃を凝視する。
「能力、か?」
「そうだね」
「いや、お前は……」
「無能力者のはずだ、雪哉はそう言いたいんだろう?」
そうだ。
切刃は雪哉と同様に能力を持たない人間だったはず。
それは雪哉と同じように種晶を所持しているかどうかの検査の結果では無能力者扱いだった。
「どこの時代でも世界でもね雪哉……隠蔽なんて簡単なんだよ」
「……お前は本当に真っ黒なんだな」
方法も理由も聞かない。そんなことはどうでもよかった。
ただ自分の身近にいた存在がこれほどまでに黒く濁り切っているということに絶望していた。これは敵だ。これはおぞましい者だ。
「お金って怖いよね。いくらか積めばそれでどうにかできてしまう」
「ああ、そういうこと……か」
「教育機関とか言ってるけどやっぱ大人ってダメだね」
どれだけの大金をつぎ込んだのかは別に聞く必要は無い。自分が能力を保持しているということまで隠して雪哉たちの通う学校に入り込んで来たのだ。そこまでするには、それ相応の覚悟があるということ。それがわかっただけでも十分すぎる。
「出来損ないの大人を批判するのは構わない……だが、今はそれどころじゃないだろう?」
「ははっ、さすが雪哉だ。動じない、困らない、悩まない、君は本当に――堅い」
「考えたくないだけだ。今は何も、考えたくない……敵は、ただ斃すということだけを考えたいんだけだ」
「僕も敵かい?」
「理愛を殺そうというのなら、誰であって神であって――」
迷いなど捨てろ。そんなものは要らない。
躊躇いも棄てろ。それはもう消し去った。
敵ならば容赦などしない。それが神であっても悪魔であっても誰であっても、敵ならば戦うだけだ。だから雪哉は戦う意思を見せる。
「そうかい、なら僕は君を殺そう」
そしてその意思が切刃に届いた途端、切刃は刃を振り翳した。
けれど、今度は見える。
切刃の太刀筋は右上から左下へ振り下ろされる。なんとかそれを回避することは出来たが、動くたびに身体が軋む。痛みが走る。苦しい。眩暈がする。
楽になりたいという感情が芽生えるが、首を左右に振って意識を保つ。傷口を庇っていた手を離し、雪哉は動いた。
手に付着したままの血液を大きく手を動かしたことで飛沫が飛ぶ。だが切刃は唐突な雪哉の行動を読んでいたかのようにすかさず雪哉の飛ばした血飛沫を回避する。
だが回避したことで攻撃は一瞬遅れ、雪哉の身体に切刃の攻撃は届かない。再び二人は距離を離し、そのまま睨み合う。
「自分の血を目眩ましに……」
「やはり、上手くはいかない、ものだな……」
発言しようにも声は途切れ途切れだった。
体力も限界だ。血も流しすぎた。意識は朦朧としているし、視界は薄っすらとぼやけ始めた。このままではジリ貧だ。未だに切刃は能力者であることはわかっているが能力の正体はわかっていない。
戦う、という意思はある。
勝つ、という意志もある。
だが、それも遺志になる。
そんなのは嫌だ。
負けたくない。死にたくない。ここで終わってしまうなんて――
しかし一向に力は弱っている。立つこともやっとのこの身体でどうやって勝利を勝ち取ろうと言うのだ。
でも――
「負けたく、ない……」
雪哉は小さくそう呟いた。
大切な者を奪おうとするこの略奪者の前で弱音を吐くことさえしたくない。だから雪哉は倒れそうになる身体に鞭を打つ様に、震える膝を叩き、胸を張る。
「どうして、どうして雪哉はそこまで苦しい想いをして、辛い想いをして、立ち上がるんだい? 僕はそれが気になって仕方ないんだ」
「お前が知る必要は、無いさ。お前が俺の大事なモノを奪おうとしている。だから足掻くだけさ。何故そうするかって? 失いたくないから……だから戦って何が悪い――」
このまま八つ裂きにされてしまったとしても、それでも逃げたくはない。理愛を守りたい……戦わなければ守れないなら、逃げられない。
「そんなボロボロの身体で、血塗れの身体で、一体どうやって僕を倒すんだい? 雪哉がいつも言う様々な|奇跡<コトバ>を具現させるのかい?」
そんなことは、出来るわけがない。
あれは全部出鱈目で、何もかもが虚実で作られた……ただの嘘だ。
虚言を吐き散らかして、誤魔化して、自分を強く見せているだけのただの子供。
そんな愚かな少年が目の前の強大を跳ね除けることはやはり出来ない。
「諦めてくれよ、雪哉……僕だって君を殺したくない」
「それでも理愛は殺すんだろう? ……させるものかよ。俺の妹がお前達に何かしたのかもしれない、お前達の心に深い傷を残したのかもしれない。それでも理愛は俺のだ。俺の妹なんだ……殺させるものかよ」
それだけが雪哉の本心だった。
喩えそれが信じていた友人であったとしても譲るつもりはない。雪哉の大切な者は雪哉自身で守る。ただそれだけだ。
雪哉の覚悟は本物だった。切刃も解っていた。もうお互い戦うことしか道はないということを。だから切刃も覚悟を決めた。
「そうか、雪哉は逃げないんだね。じゃあやっぱり雪哉を殺さない限り、雪哉は何度でも僕の目の前に立ちはだかるわけか……」
「そうだ、何度でも俺はお前の前に立ちはだかる」
雪哉は構える。切刃も構える。
しかし明らかな戦力の差が垣間見える。負傷し、衰弱する雪哉の身体では切刃に打ち勝つのは難しい。
「一撃で終わらせる……僕だってもう躊躇はしない。これで最期だ、雪哉――」
切刃はまるで居合いのように刃を腰元へ。そして不動のまま切刃は静止する。「|永夜閃<とやせん>」という銘の刃が雪哉の身体を両断せんと殺意を孕み、牙を剥く。
作戦は無い。状況を打開できる策も無い。何も無い。
それでも雪哉は動かない。視線を逸らすことは出来ない。少しでも意識を切刃から逸らしてしまえば、その隙を突かれ――絶命は免れない。
「終わりだ、雪哉……」
雪哉は動けない。どうすることも無く、切刃を見つめていた。
切刃が動く。やはり一瞬で距離が縮んでいた。瞬きする間も無く、雪哉の目先に刃を振り上げる切刃の姿が映った。
終わりが、すぐそこまで迫っている。
けれど、その終わりが雪哉を殺すことはなかった。
「へぇ……」
切刃は驚いたように声を上げる。
それもそうだ。
何せ、殺すべき対象が目の前に突然、現れたのだから。
「り、理愛……?」
それは小さな天使。その小さな身体には一人の少女が抱きかかえられている。それは雪哉も知る――藍園逢離だった。
逢離は雪哉の顔を見るなり頬を赤く染めて、視線を逸らしている。だが、そんなことはどうでもよかった。それよりも雪哉は理愛の登場に驚愕し、言葉が浮かばない。
「どうして……とは言わないでくださいね、兄さん。本当に酷い人……私の為に戦って、それで傷ついて、もし死んでしまったらどうするんです?」
理愛の表情はどこか切なげで、悲哀に満ちたその瞳で見据えられては何も言い返すことはできなかった。全てが理愛の為だと、そう雪哉は思っている。それでもそれを言葉として紡ぐことは出来ない。それはただの価値観の押し付けにすぎない。雪哉自身の価値を理愛にただぶつけるだけだ。
「死ね」
「ああ、お前の為なら死んでもいいさ」
「死なないでください」
「あ、ああ……すまない」
支離滅裂もいいところだ。死ねだの、死ぬなだの――
でも、それが理愛だ。守りたい少女なんだと、雪哉は両手を握り締める。
「お話は、もういいかい?」
そんな二人の間に割り込むように切刃が声を掛ける。
雪哉と理愛は切刃を見つめ、そして首を縦に振った。
「逢離、降りて」
「り、理愛?」
「ここからは私の戦いよ、傍観してなさい……すぐに終わらせるわ」
「で、でも……」
ゆっくりと理愛の小さな両手から逢離が離れていく。
理愛よりずっと大きな身体。逢離は理愛を見下ろすようにして、心配そうに見つめた。だが理愛はとても優しく穏やかな顔をしていた。
「見ていて、これが「わたし」よ……逢離。わたしはもう逃げない。友達を守る為ならなんだってする。そしてわたしはわたしの為に戦う。だから兄さんも守る。みんなやっつける……お願い、逢離。わたしが勝つって祈って頂戴」
逢離は不安げな顔をしたまま、それでも理愛の言葉に頷き、離れていく。雪哉の横を通り過ぎる時、チラリと雪哉を見た。雪哉は何も言わない。言葉など不要だった。
「理愛っ!」
雪哉と理愛の背中から逢離の声が届く。
「絶対、勝って!」
それが願いだった。雪哉と理愛は笑った。
「勝つさ」「勝つわ」
理愛はそのまま雪哉を抱擁し、眩しい光を放つ。
天使の翅。
雪哉の背中には大天使のように大きく美しい煌きを放ちながら光の翅を羽ばたかせた。
そしてその背中には翅ではなく光り輝く理愛の姿。そして鈍い光だったはずの雪哉の左腕はまるで太陽そのもののように強く光を放ち出す。
「やはり、俺はお前がいなければ戦うことも間々ならない愚かな男だったようだ」
「愚かなものですか、その砕けぬ意思を持つ兄さんだからこそ、わたしは兄さんと一緒に最後の最期まで戦いたいのです」
「そうか……」
そして雪哉は切刃を睨む。力が湧いてくる。痛みも止まった。出血は止まり、傷さえも塞がっている。そう、こうして……理愛を我が身に付加接続することで、結晶の力を全開することが出来る。今の雪哉は花晶を装備する異能を所持する者。
嘘吐き、愚かな贋物の能力者。
それでもいい。なんだっていい。戦えるならどんな称号でも厭わない。
そしてそれが守る者を利用しているということは消し去れぬ|罪悪<つみ>。
矛盾を抱いたまま、それでも前へ進まなければいけない。平穏を取り戻す為に戦い続ける。
「さぁ、兄さん往きますよ。どちらかではダメなんです……生きるなら二人で、死ぬなら二人で。欠けることは赦されない――その為に、わたしたちは足掻くんですよ!」
「わかっている。理愛、悪いが俺はお前を利用する。戦い、勝つ為に。一緒に行くぞ……切刃を、倒す!」
天使の如き化身と化した雪哉を前に切刃は両手で自分の顔を隠しながら大きく身体を震わせている。
「すごい、凄いすごいすごいスゴイ! そうか、それが「君」か! それが本当の君なんだね! 雪哉っ! いいよ、僕も僕の目的を果たす為に君と戦う! 勝負だ、雪哉っ!」
切刃は地面に突き刺さる刃を引き抜き、そして笑う。
だが雪哉は動かない。いや、動けない。理愛はそっと雪哉を背中で抱き締めた切刃に指差す。
「わたしはわたしの過去の記憶が無い……だから夜那城さん、わたしが貴方に取り返しのつかないことをしたとしても、それを思い出すまでは死ねないんです。わたしはわたしの全てを思い出し、そこで初めて償いたいんです」
「思い出す必要なんてないですよ。貴女は僕の家族を殺したんですよ……だから、記憶を取り戻すことはないんです。もう終わったことです。だから、今度は貴女が終わってくれればいい」
会話など意味はない。
どれだけ互いの主張をぶつけあったところでそんなもの何の役にも立ちはしない。
だから雪哉はそっと無言で理愛を制止する。理愛は雪哉の後ろで大袈裟に溜息を吐いた。
「わかりました、ではもう……やめておきましょう。夜那城さん、私はまだ死にたくありません。ですので戦いましょう……それが一番でしょう?」
「それがいいね。雪哉とよく似て話のわかるいい人ですね。では――」
切刃が構えるが、それでも雪哉はまだ動けない。一体何をしているのだと雪哉は理愛に声をかけようとしたが、
「私も貴方のことは嫌いではありません……兄さんのご友人ならば尚更ですね。嫌いになるなんてできません。ですが、貴方は兄さんを裏切った……その時点で、それはもう大きな罪だ……だから――」
理愛はコホンと一つ咳をする。そして、右腕を天へ掲げ、そのまま振り下ろしてはその小さな手の中の指が一本突き立てられたまま切刃を狙っている。
「贖罪え、罪を背負い、ただ罰を受けろ」
だが、その台詞は雪哉が口にしたものではない。
そう、雪哉が言うべき台詞。だがそれを先に言っていたのは理愛だった。
「ふふっ、兄さんのセリフ……たまにはわたしが言ってもいいでしょう?」
片目を閉じ、チロリと小さなピンクの舌先を出す理愛の表情は小悪魔のようだった。そんな理愛を見て、雪哉は小さく息を吐き、頭上に手を置いたのだった。
「本当に、君にそっくりだよ……妹さん……」
「自慢の妹なんでな」
そして雪哉と切刃は互いに構えた。
「――決着を、つけよう」
それは雪哉が、切刃が言ったのか……。
やがて二人は動く。そして――




