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それが全能結晶の無能力者  作者: 詠見 きらい
episode-2. -復讎の歌謳い-
52/82

3-14 bad [a]nd happy [e]nd(3)

3-14 bad [a]nd happy [e]nd(3)


「やぁ、雪哉……久しぶりと、言うのかな?」


 怪物は仮面を外し、そしてその仮面を捨て去った。その仮面の奥底から見えたのは雪哉が知っているあの男だった。

「夜那城、切刃……」

 それは雪哉がきっと友と認めていた男だった。

 雪哉と同じく長身の背丈。女性ほどに長い髪を伸ばし、雪哉をジッと見つめている。黒衣を纏わず、凶悪な剣を持たなければいつもと変わらない邂逅だったろう。しかし今は違う。

「お前が、殺したのか?」

「前のも、今のも、そうだね……僕だ」

 転がる死体を切刃は見下ろす。

 肉を見ている。何一つ罪悪を感じない冷たい双眸で抜け殻に視線を向けている。そんな視線を前に雪哉は怒りを感じずにはいられない。

「やめろ、お前にそんな目は似合わない」

「へぇ……雪哉は、優しいね。僕、殺人したんだよ? 人殺しだよ? わからない? 次は雪哉を殺そうとしたのに――」

 そして刃の先端が雪哉に向けられる。生きる者を骸へと切り替える歪な剣。そしてその刃が雪哉の命を狩ろうと狙っている。

「俺は知りたいだけさ、お前が何でも俺には関係ない。俺は真実が知りたいだけだ」

 それだけが雪哉にとって気がかりな点であった。死んだ人間は所詮他人。全ての生命に対して尊く重んじているわけではない。それどころか安堵している自分に対して、あまりにも冷酷だと自嘲するほどだった。

「殺人を犯してまで、お前は何がしたい? 無差別に殺しをするのがお前の趣味か?」

「殺戮を愉しんでいるわけではないよ。人の命を奪うのはね、とても不快だよ。でもやらなくちゃいけないから、やるんだよ」

「それはお前の使命か?」

「義務さ。生き残った夜那城の責任さ――」

 切刃の身体が左右に揺れる。背後から湧き出る殺意がはっきりとわかる。来る――と理解した頃には切刃が駆け出していた。だが雪哉はそんな切刃の太刀筋を左腕で弾き返す。

「確か雪哉は……無能力者(ヌーブ)じゃ、なかったのかい?」

「無能力者さ……だから、この腕も、俺のではない」

「へぇ……」

 微笑むその表情はいつもと変わらない柔和な顔。しかし雪哉は知ってしまった。そんな優しさの裏を見せられてしまった。雪哉は戸惑いを隠せない。それは嘘だったのか。

「お前は、どうして俺に近付いた」

 入学式、孤立していた雪哉に最初に声を掛けて来たのは切刃だった。そして雪哉の態度に怯むことなく、接近を繰り返された。雪哉は不良でもなければ、落ちこぼれでもない。それでも友達がいなかったのはその性格のせいだ。

 しかし切刃は雪哉に接し続けた。だからこそ雪哉も根負けし、切刃とつるむことにしたのだ。

 だが、自分が認めた相手が命を奪う、殺人者という事実だけはあまりにも大きすぎる衝撃だった。頭を鈍器で殴られたような気分だった。視界も翳み、意識も失ってしまいそう。それでも、雪哉は必死に堪えた。まだだ、まだだと言い聞かせる――

「まぁ、それはいいや。それで、雪哉は僕のことがそんなに知りたいのかい?」

「ああ、是非とも知りたい」

「じゃあ、単刀直入に言うよ。僕は君という人間と友達になれたことは楽しかった。しかし、どうしても欲しいものがあるんだよ」

「それ、は?」


「君の妹さんだよ」


「――ああ……」

 そうじゃないかと、雪哉は思っていた。しかし考えないようにしていた。

 理愛は花晶(レムリア)であり、この世界の結晶の力の最高位。それを狙う敵とは二度遭遇したが、まさか切刃までもが理愛を狙っていると思いたくなかったから――

「知っているよ……君の妹さん。時任理愛の正体も。君が彼女を守っている理由も。僕はね、知ってたんだ」

「やめろ」


 聞きたくない。


「君の妹さん、人間じゃないんだよね。……僕はそんな君の妹さん、時任理愛を狙っていたわけだ」

「やめろ……」

 切刃の言葉の一つ一つが雪哉の心を引っ掻いていく。

「だから、君に近付いた。まさか君の左腕が……そんなことになっていたのだけはわからなかったけどね」

「やめろと、言っている」

 それでも切刃は言葉を吐き続けた。そして雪哉もまた両耳を塞ぎ、切刃の声から逃げたかった。しかし、それは出来ない。全てを知る為にここに来た雪哉に逃亡の選択は選べない。

「でも、君はここ数ヶ月いろいろあったみたいだ……時任理愛は「人間」を演じられているのは、君がいるからだろう? だからさ――」

「やめろっ!」

 それでももう、限界だった。

「君が邪魔だ。時任理愛という花晶を手に入れる前に、君を、殺そうと思ってね」

「切刃っ!」

 どうしてこう、自分の周囲は敵だらけなのだ。

 まるでそれは呪いだ。

 そんな呪詛を恨むように、雪哉はただ切刃に向かって左腕を振り翳す。

「雪哉……君はいい人だ。僕のような最低の生き物を前にしてもまだそうして躊躇ってくれる。裏切った僕を前にして、困惑したままでいれくれる。でも、ごめん。その心遣いを見ても僕はやっぱり君を殺すよ」

 切刃の握られた凶刃が雪哉に襲い掛かる。しかし雪哉はその太刀筋を回避し、そのまま左腕で切刃の顔面を射抜くように殴りつける。だが、切刃はそのまま地面を蹴飛ばし、宙に浮いた。

「でも、安心して。僕は君の忌み嫌う「Ark」の一員じゃない。ただ一個人の殺人者だ」

 空中に浮いたまま切刃は呟く。そして、黒衣の中に隠されていた見えない左腕から、ワイヤーが飛び出す。雪哉の目に切刃の左腕は映らない。それもそうだ。切刃は隠している……左腕があるのか、ないのか、それは確認できない。黒衣で隠された左腕。そしてそんな黒衣の隙間からワイヤーだけが飛び出す。先端には鋭い杭が備えられていた。雪哉はそれを(かわ)すことは出来た。

 だが、

「遅いよ」

 躱した杭は壁に突き刺さり、そのまま刺さったワイヤーは巻き戻される。すると、切刃の身体がとてつもない速度でまるで弾丸が射出されたように吹き飛ぶ。

 ロケットでも噴射したようなその速度を前に、雪哉は自分の身体がおはじきのように弾かれたことが解ったころには今度は自分の身体がコンクリートの壁に打ち付けられていた。

「ゲハッ! がはっ……はぁ、ガフッ!」

 視界が何百度も回転を続け、脳内がグチャグチャになるほどに振動していた。身体も動かない。左腕を掲げるが、そんなもの何の意味もない。

 着地した切刃は雪哉を見下したまま、ゆっくりとワイヤーを黒衣の中に戻していく。切刃の身体は、どうなっているのか――雪哉に解るはずもなかった。

「死ねなかったみたいだね。でも、僕も悪いか……単純に掃除機のコード直すみたいに飛んで蹴飛ばしただけだもんね」

 能力による攻撃ではなかった。

 ただ壁に突き刺したワイヤーを巻き戻し、その勢いで雪哉を蹴り上げただけにすぎない。しかし常人の身体能力ではそんな攻撃手段は取れないはずだ。

 だが、今の雪哉はたった一撃で瀕死にまで追い遣られていることに危機を感じ、思考が上手く働かないでいた。

「ごめんよ、雪哉。もう、終わりにしようよ。僕も君を苦しめるのは辛い」

 ゆっくり、ゆっくりと切刃が近付いてくる。その手に持つ刃で一刺しされるだけで、簡単に終わってしまう命。だが、まだ終われない。終わりたくない。

「……理愛、を、どうする、つもりだ?」

「ああ、僕は「Ark」のような下衆なことを考えていないよ?」

 Arkは理愛を道具のようにしか見ていない。人々に異能を与える「結晶」の中の究極形。とてつもない力をきっと与える、素晴らしい代物。しかし、見ているのはそこだけだ。そこに理愛という人格は必要ない。理愛が奪われれば、きっと道具のように扱われ、時任理愛という「中身(ココロ)」はきっと失われる。だが、切刃は違うと言う。それは理愛を道具としては見ないということなのか?

「僕はね、ただ君の妹さんをさ――殺したい(、、、、)だけなんだ」

「――っ!」

 雪哉の目の前が真っ暗になった。今、切刃は何と言ったのだ。同じ世界で住む、共通言語であるはずが、今の雪哉には切刃の言葉が理解できないでいた。

「無差別じゃないよ、理由はある。殺す理由が僕にはある」

 雪哉は首を左右に振り続けた。わからない。どうして切刃に理愛を殺さなければいけない理由があるんだと、どこに接点があるんだ。理愛は切刃のことを知らない。面識があるだけでしかない。過去に何かあったのか? その過去で理愛は切刃に何をしたのか?

 切刃は狼狽する雪哉を冷たく見据え、そして構えを解き、刃を下ろす。

「君は何も、知らないんだね」

「……もう、それは、聞き飽きた」

 何度、言われ続けてきたか。

 そしてその言葉を聞きたくないからこそ、此処まで来たはずなのに――それなのに雪哉の周囲には未知や無知で溢れ返っている。

「でも、そうだね……いきなり妹さんを殺すなんてワケがわからないか……雪哉、僕の話を聞いてくれるかい?」

 雪哉は何も言えなかった。しかし耳を塞ぐことは出来なかった。だからそれが肯定と捉えたのだろう。切刃はそのまま口を開く。

「僕のことは、どれだけ知ってるかな?」

 雪哉は一先ず瀧乃から受け取った書類の内容を喋った。切刃は何度も頷き、雪哉の言葉を聞いていた。こんな会話をする為にここに来たわけではなかったのに、学校で他愛の無い話をするだけで良かったのに、切刃のことは知りたかった。

 だが、それは叶わない。そしてあまりにもドス黒い狂気だけが垣間見える。

 そして、雪哉は一度中断し、切刃をジっと見つめる。雪哉が話すことを止めたと同時、切刃はポンっと手を叩く。

「そこまで知ってたんだ……でも、驚いたよ。藍園さんのことも知ってたんだね」

「まぁな……そもそも藍園愛理がお前を見る目がどこか冷めていたからな……」

 ファストフード店での逢離の視線は雪哉も気付いていた。わざと視線を逸らし、それでも横目で睨むように切刃を見つめていたことも知っている。明らかにそれは――

「そうかい? 全然気付かなかったよ」

「鈍いな、お前は……見ていてわからなかったか?」

「そんな酷い視線だったのかい?」

「敵意だったよ。必死になって覆い隠している感じが見てて気持ちの良いものではなかった」

 そう、それは敵に向ける視線だった。逢離はそれを隠していた。理愛に向けられている視線とは真逆の視線。それに気付かないわけがなかった。だが切刃は言う。気付かなかったと。しかしそれが嘘だということはわかっていた。

「まぁ、今は藍園さんのことはどうでもいいよね?」

「俺としては藍園逢離が理愛をどのように思っているのかその本心は知りたいがな」

「大丈夫。あの子は悪い子じゃないよ」

「へぇ……肩を持つんだな」

「追々解るよ」

 解るか――

 なら教えろと雪哉は言いたかったが、敢えて口を詰むんだ。今は、藍園逢離のことではない。夜那城切刃のことが知りたいのだから。

 大袈裟に切刃は両手を上げる。雪哉はそんな切刃の様子をジっと見つめる。

「そうだよ。夜那城家は燃えて無くなった。じゃあ、どうして燃えたのかな? 火災? 天災? 違う違う、違うんだ。これは僕しか知らない。だから雪哉に教えてあげる。冤罪だよ。あれは――」

 それは突然やって来たのだ。

「そう、突然だよ。玄関から堂々と、唐突に僕の両親を殺したわけだ」

 理由はなかった。知ることもなかった。ただひたすらに、殺しを始めた。視界に入れば殺された。そして気が付けば家は燃えた。山は燃えた。全て燃えた。

「だから、どうした……お前の昔話を、俺に聞かせてどうする……俺にどうして欲しい? 慰めて欲しいのか? 同情すればお前は満足か?」

「まさか、僕はそこまで落ちぶれてないよ。いや、すでに堕ちてはいるんだけどね……とにかく別に底辺まで墜落した僕に対してそういう感情を抱いて欲しいわけじゃないんだ」

 切刃はそんなものを必要としているわけではなかった。そして切刃はそこで一旦喋るのを止めて、大きく深呼吸をした。

「雪哉、今から僕は君を怒らせようと思う。覚悟はいいね?」

「俺が? お前に? 何を? ……悪いが覚悟はしない、お前の言葉で俺がどうこうなるとは思えないな」

「どうかな、きっと雪哉は怒ると思うよ。いいや、怒るね。絶対怒る。だけど言うよ。でないと先に進めないしね」

「お前は、何を言って――……」

 切刃は笑っていた。いつもと変わらない微笑みを浮かべて、そして雪哉の言葉を遮るように、

「僕らはね、夜那城家はね……時任理愛に、殺されたんだ」

 壊れかけの身体から、痛みが消えた。

 動いていた。その言葉を捻じ伏せようと雪哉の身体は切刃に向かって駆ける。

 反撃されるなどと考えもせず、ただ左腕を切刃に向けて振り放つ。切刃はそれを容易に躱し、話を続ける。しかも雪哉の大きな隙に切刃は反撃しなかった。切刃の告白が終わるまでは、まだ雪哉は殺さないのか。

「はっきりと、覚えているよ。銀の長い髪も、銀の瞳も、そっくりそのままだよ。君の妹さんはね、僕らの世界を壊して消えた……災厄そのものなんだ」

「嘘を、吐くなぁ!」

 自分が守るべき対象が、守護すべきその存在が災厄だと言い放たれ、雪哉の憤怒が再燃する。大きく腕を振る、首を左右に振り、そして否定を続けた。だが、その否定は切刃の言葉によって遮られる。

「でも、君は妹さんの全てを知っているの? 過去は? 記憶は? 君たちは知らなくても、僕は知ってる。僕が見た、あの姿はまさしく君の妹さんだったよ」

 それは唐突に現れた。

 切刃の全てを殺して消えた。やがて火を放ち、忘却させる。誰も知らない。夜那城は滅んだのだ。時任理愛という、瓜二つの誰かによって。

 そう、誰かだ。

 雪哉は信じない。妹はそんなことはしない。妹がそんな非道に手を染めるはずがない。そう、別人だ。他人に決まっている。切刃の言葉は理解するが、中身は全て改竄される。雪哉は理愛が切刃の世界を崩壊させたなどと絶対に信じるはずがないのだ。

 

 だが切刃の言い分はご尤もだった。

 

 雪哉は知らない。全て知っているわけがなかった。血も繋がっていない。本当の「兄妹」ではない。何もかもが偽りで、仮初めだらけの関係だった。

 理愛は突然、雪哉の前にやって来た。両親が連れて来た。今日から家族だと、不意打ちのように無理矢理に家族の中に組み込まれた。そして雪哉は理愛を拒絶した。

 両親が死ぬまでは。

 そして自分の心を保つためだけに、雪哉は理愛を選んだ。それは本当に最低で最悪の害悪そのものでしかない。自分自身の保身の為だけに理愛を妹として認めた。そして妹を守る為に生きると誓った。己に誓約を交わし、妹と契約した。左腕はその証。戦う力。悪を祓う結晶の腕。

 それだけだった。それ以外は、知ろうともしなかった。突然現れた義妹(いもうと)を守るだけしか考えていなかった。奥深くの過去には触れようともしなかった。いや、切刃の話を聞くまでは気にもしていなかったのだ。

 わからない。何も、全部。理愛は時任家にやって来た理由すらも、理愛がどうして両親と一緒に連れて来られたのかさえ。子供だった雪哉にはそんな疑問抱くはずもなく――そして両親を喪い、残ったのは理愛だけだった。

 家族はもう理愛だけになってしまった。独りになることを恐れた。幼かった雪哉は両親を喪ったと同時に左腕を失った。だがその腕は理愛によって与えられた。

 理愛は、神様の使いかそれとも天使か……銀の髪や瞳を前に当時の雪哉はその程度しか考えられなかった。そしてそこで思考は停止したのだ。

 あまりにも強すぎた衝撃に、雪哉の心が自制したのだ。

 旅客機事故、両親の死。左腕の欠損。そして付与された結晶の左腕。

 未知が雪崩のように幼い雪哉に押し寄せたのだ。何も考えられなかった。常識から余りにも逸脱した光景を目の当たりにし、雪哉はその瞬間から心を強化したのだろう。虚勢という鎧で、嘘で塗り固めながら、必死に、自分は弱くないと……無関心であることにしたのだ。

 

 だが今の現状はどうか。

 

 無関心でいることに慣れたせいか、周囲に対して何も考えられなくなっていたのだ。切刃のことも知らなかった。そして守るべき妹のことすらも、知ろうとしなかった。

「雪哉、僕の物語はもうすぐ完結する。怨敵を倒し、朝焼けを背に「終わったよ」と呟いて、それで終わりだ。そして君が最後の敵だ。君を倒して、時任理愛を殺す」

「俺は、俺は……」

 切刃の言葉が耳に届かない。

 切刃に真理をつかれ、雪哉の身体は震えていた。知らなくていい、そのままでいい。そうして時間だけが過ぎてしまえば――

 それでよかったのに、何も変わらないままで、しかしそれを認めてくれない人がいる。目の前に立つ友がそうだった。

 手には刃。ただ憎き敵を裂かんとその刃は怨嗟の力によって輝きを増す。そしてその煌きが雪哉を照らす。

「僕が欲しいのはね、そう……「命」だ。君の妹さんが何であろうとも僕もそれはどうでもいいんだ。でもね、これだけは譲って欲しい。それを手にして初めて、僕は僕の復讎(ふくしゅう)が完了する」

 何も知らないままで、何も知ろうとしないままで。

 そして、そのまま――失っていいのか?

 切刃の刃が雪哉の喉元に突き立てられる。あと少し、もう少しだけ動かせばきっとそのまま喉を貫通し、痛感すらわからぬままに死んでしまうのだろう。

「雪哉? どうしたんだい? 酷い顔をしているよ? 何をそんな怯えているんだい? 死ぬのが怖い? それとも何か別の? わからないな……教えてよ」


 死――怖い。怖いさ。雪哉は震える身体を止めるように、両肩をジっと握っている。

 だが、それだけが恐怖の原因ではない。


 未知――知らないままでいたという、その罪。

 でも、それだけが畏怖の根源ではない。


 消失――それが本当の恐怖だ。


 切刃は嘘を吐くような男ではない。雪哉を殺そうとしている。理愛を殺そうとしている。雪哉が死ねば、きっと理愛も死ぬ。殺される。死んでしまう。

 この戦いに勝たなくてはいけない。それが喩え友だとしても、止めなくてはいけない。それは理愛を守る為だけの反撃。負けられない。負けてはならない。だから――


「もう、いい……」


 まるで疲れたように雪哉は遠い目をし、切刃を見つめた。諦めにも似たその目に切刃は落胆した。


「そうかい? じゃあ、もう終わりにしようか。いいよ、雪哉……一撃で終わらせるよ」


 切刃はその手に持つ刃を天高く掲げる。それを振り下ろせば、全てが終わる。切刃の物語が完結する。雪哉の人生が終焉する。しかし、雪哉は止まらない。止まれないのだ。


「ふざけるなっ!」


 咆哮した。


 大きく、怒鳴り散らすように雪哉の声はただ響く。その声に切刃の動きが止まった。そして、雪哉もまた身体の震えが止まっていた。痛みも、もう解らない。


「……知るか。お前にどんな過去があったかは知らない。だからどうした。俺は理愛の過去は知らない。知ろうとさえしなかった。それがなんだ? そんなものは関係ない。過去に何があろうとも、理愛は俺の妹なんだ。妹なんだよ!」

「君は酷いな。なら僕はどうなるんだい? 家族をジグソーパズルを崩すみたいに分解(バラ)されたことは? それと同じにされた僕の心は? この憎悪は何処へ行くんだい? 何処へ向ければいいんだい? この憎悪はただ此処(ここ)に彷徨ったままじゃないか――」

「知らん。そんなお前の憎しみは彼方(かなた)に消えろ――俺は理愛を守らなくてはいけない。喩え、お前が敵として立ちはだかろうとも、俺は、俺の、俺だけの理愛を、守らなくては、いけない! お前の憎しみなどそのまま行方不明になってしまえ」

 だから理愛の過去には微塵の興味もない。理愛がどうして人ではないのか、そんなものさえ雪哉には不要の知識だ。そこにいてくれればいい。全てを失った、皆無の存在者の支えとして手を差し伸べてくれた妹をこのまま憎悪の渦に攫われていいわけがない。

「切刃、お前はここから先へは行かさない……理愛を殺すのなら、俺を殺してからだ」

「生憎、君を先に殺してから事を運ぶつもりでいたのでご心配なく。わかっているとは思うけど、僕は強いよ?」

「そんなもの既知の範疇だ。お前は驕り昂ぶっているわけでもない。ただ見栄を張っているわけでもない。虚勢のまま強がっているわけでもない。お前は強いよ、切刃。だが、強さというのは身体能力の高さや、異能としての能力の強さで決まるものではない!」

 それを証明せんと、雪哉は駆け抜ける。

 それはただの疾走。走り出すその姿に、その心に、迷いは無かった。

「なにっ?」

 切刃は、何が起こったのかわからなかったのだ。

 それはあまりにも酷く、滑稽なほどに、純粋で、愚かすぎたから。

 切刃は雪哉が接近することは解っていた。駆け出し、拳を握り締め、攻撃を行うということまではわかっていた。だからこそ、反撃した。

 光が雪哉を貫いていた。しっかりと、雪哉の右腹を貫いている。その痛みは死んだ方がきっと楽であろう痛みだったはずだ。焼けた鉄棒で貫かれ、臓器をきっと破壊されている。それなのに、それなのに、それなのに、

「強さは、覚悟の大きさで決まるものだと俺は想っている……だから俺が理愛を守ろうとする想いを破壊しない限り、俺は負けない――」

 雪哉の全身全霊の一撃が、切刃の右頬を捉えていた。顔面に拳がめり込む程の衝撃が切刃を襲い、そのままその衝撃は切刃の身体をくの字に折り曲げたまま壁に叩き付けていた。コンクリートが粉々になるほどに、切刃はそのまま瓦礫の下敷きになった。

「ガフッ、ゴホッ……これは、ヤバいな……」

 頬を真っ赤に染め、口元から血を滴り下ろしながら、切刃は瓦礫からゆっくりと姿を見せる。それでも切刃の表情は変わらなかった。一撃を与えたのに怒りすらその表情からは汲み取れない。

「肉を切らせて、骨を絶つのが俺の戦法(やりかた)だ。悪かったな……これでいつも上手くいってる」

 それでも雪哉の膝はガクガクに震えている。体温が下がっているのがわかる。驕り昂ぶり、見栄を張り、虚勢のまま強がっているのは雪哉の方だ。しかし、そうでなければ前には進めない。戦うことすらままならない。

(理愛、お前は言ったな……名を呼べと。だから呼ぶ、俺はお前がいなければ何もできない愚かな兄だ……)

 それが時任雪哉という人間だ。弱く愚かな人間だ。

 ここまで来れたのも自分だけの力では決してない。

(だから理愛……理愛、俺は……お前を、守りたい……だから、俺に、力を――貸してくれ――)

 何処か遠くにいる理愛に向けて、雪哉は情けなく懇願した。所詮、独りでは無能力者でしかない。

 仮初めの能力者は、そうやって力を望まなければ何も出来ないのだから。

 それは矛盾の守護者。

 力が無ければ守れない。そして守るべき者から力を与えられなければ何も出来ない。それでも守りたい。

 どれだけ無様で滑稽であろうとも、この力を解放し、友を、倒したいのだ。

 そんな雪哉の叫びは、理愛に聞こえているのだろうか?

「ああ、一つ言い忘れていたよ雪哉」

「なに、をだ?」

「僕は君を殺すけど、今頃はきっと切歌(あね)の方が妹さんのところに向かってはいることだろうけどね」

 それはあまりにも残酷な言葉だった。

「僕は自分の目的だけ達成できればそれでいいんでね、僕は強い。けど僕は雪哉のことを弱いとは思っていない。だから、もしものことを考えて、切歌を向かわせた」

「随分と用心深いじゃないか……」

 あれだけ豪語しておきながら、そのやけに堅実な手法に雪哉の背中に冷たい汗が伝った。

「僕は臆病だからね。悪いけど色々と手は打たせてもらってる」

「しかし、それなら……お前の姉も、やはり敵――というわけだったか」

「そういうことになるね。だから諦めて欲しいね。もう間に合わない、今頃――」

「いや、それはないな」

 はっきりと否定した。

 そして否定する雪哉の言葉に切刃は首を傾げていた。

「それはどうして?」

「理愛は俺より強いよ。数値化することもおこがましいほどにな。そして俺は藍園逢離に「任せた」と伝えている。だからお前の思い通りにはならない」

「妹さんは確かに君より凄いだろうしね。それに、そうだったね……藍園さんがいたんだっけな。はぁ……じゃあ悪いけど、藍園さんにも死んでもらうしかないか」

 切刃の声のトーンはいつもと変わらない。しかしその口から呟かれる言葉はとても冷酷極まりない凶悪なものだった。

「藍園家は、お前たちと共生していたんじゃなかったのか?」

「従者だったね。死んだよ。みんな死んだ」

 だが、藍園逢離は生き残っているじゃないかと雪哉は声に出す前に切刃は続ける。

「でも、藍園さんは姓が同じだけの赤の他人。知らないね」

「……なんだ、それは?」

 意味が、わからない。

「長く続く夜那城家に延々と仕え続ける藍園家。だけど両親らは自分の娘である藍園さんに違う人生を歩んで欲しかったんだろうね。夜那城家だって悪魔じゃないよ。そのことはちゃんと了承してる。長い歴史に縛られて、堅物になってしまったわけじゃない。所詮は村の大地主がカラクリ作り続けていただけの家系さ。人一人の人生を束縛するほど賢くない。新しい未来を歩ませてやりたいという藍園さんの両親の訴えに快く僕の父も母も首を縦に振ったよ……そして――」

 切刃は一呼吸置いて、

「次の日には、僕の両親も藍園さんの両親もみんなまとめて肉に加工されたわけだがね」

 それが藍園逢離の過去だった。

「僕も大概だけど、彼女もかなりエゲつないことになってしまったね。幼いながら遠くに引越しして、到着したと同時に両親はバラバラで丸焼きだよ? よく耐えたね、僕も耐えたわけだけど」

 その後に切刃が呟いた学校の名は雪哉が幼い頃から通い続け、今もこうして通っている学校だった。切刃は雪哉が高校に上がってから転校して来た。逢離もそうだった。だがそんなおぞましい過去があったことは今の今まで知らなかった。しかし、

「……どうして、お前は?」

 そこまで凄惨な目に遭って、笑っていられる。まるで昔を懐かしむように声を弾ませて喋ることが出来るのか、雪哉には切刃の感情も表情も理解できないでいた。

「いやぁ、嬉しいんだ。こうしてやっと自分のやりたいことが出来るんだ。まさか雪哉からやって来て、僕の正体に気付いたのだけは驚いたけどね。計画なんて洒落たものを立てたわけじゃなかったし、時間をかけてゆっくりと出来ればって思ってたからね。雪哉から来てくれたお陰で吹っ切れたってのもある」

「そうか、俺が愚かだったわけか」

 自分から動かなければ、こうはならなかったという別の未来があった。しかしそれを自分で潰してしまったという事実。だが、それではいけないというのも解っている。

 それではただ何も気付かず、知らずのままに時を浪費し、終わっていくだけの結末が待っているだけだ。遅かれ早かれ、切刃は理愛を殺そうとしていたのだから。だから自分から事実を知ることが出来たのだけは幸いか。

「愚かじゃないよ。どうせ僕は君の大切にしているものを壊そうとしていたからね。だったらはっきりこうして面と向かって殺し合って、全部奪えれば僕も助かる」

「……もういい。そろそろ始めよう、俺も人間だ。鈍る(、、)――」

 あれだけ覚悟しても、話を続けるに連れて色んな感情が湧いてしまう。だからもう切刃の声に耳を傾けることは止めにした。

 目の前にいるのは敵で、その敵が雪哉から何かを奪うのならば戦わなければいけない。

 それでも、まだ聞かなければならないことがあったことを思い出してしまった。

「最後だ……教えろ。「夜那城」で生き残ったのはお前だけ(、、、、)だと、言ったな?」

「そうだよ」

 あっけらかんに言い捨てて、切刃は地面に刺さる湾刀(ククリ)を引き抜いた。だが、切刃の言い方は別段気にならない。それよりも、


「――ならば、お前の「姉」は何者だ?」


 雪哉の問い掛けに、切刃の口元が歪な程に形を変えた。

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