3-9 guilty fear
3-9 guilty fear
それは逃避か、逃走か――
あれから数日。
夜那城切刃が死んだというのにも関わらず雪哉はいつも通り登校していた。
日常に変化を付けたくなかった。ここで切刃の死を認め、絶望し、歩くことを躊躇っては、それでは理愛を護ることさえも出来なくなってしまう。それが怖かった。
だから出来る限り、自分の精神が決壊さぬようにといつもと変わらない日常のように、何も考えずただ動くことにした。
やはり夜那城切刃は学校には来なかった。
いや、もう……来ない。
しかし誰もが夜那城切刃の死を知らない。
出来る限り家に帰った時は理愛を心配させないように、取り繕い誤魔化してはいた。いつものように夕飯を作り、適当に話を合わせ、そして部屋に戻った。
だが、どうしても寝ることは出来なかった。自分の未熟さ故、脆弱すぎる力無き無能者というその事実が雪哉の心を痛めていた。
このままでは理愛もきっと護れない。友達すら護れない自分に、一体何が守護れるのか。
気が付けば午後は保健室に逃げ込んでいた。
授業をサボタージュするのは生まれて初めてだった。しかしどうしても真面目に授業を受けることが出来なかった。自分自身かなり無理をしていることは雪哉もわかっている。だがそれでも認めたくないから。逃げるように、保健室のベットで眠ることにした。
「おやおやおやおやぁー、これはこれはぁ、クソザコ雪哉くんじゃないかぁーどうしたんだぁい?」
保健室の番人である瀧乃曜嗣が現れてはいきなり毒を吐く。そんな毒は聞き捨て、無言のままベットに向かって歩く。
「あれぇ? 授業始まるけどいいの?」
「担任には言ってますから……放課後まで、すみませんが……」
それ以上、話もしたくないのか雪哉はそのまま布団を被り仮眠を取ろうとした。
「そういや知ってるぅ、雪哉くぅん? この前さ、二駅向こうの町で殺人事件あったんだってぇ。なんでもこの町にも出没してる通り魔さんの仕業らしいじゃない。ついに殺人しちゃったねぇー。傷害ばかりだけど、ついに殺しにも手を出しちゃったんだからもう大変。こりゃますます恐ろしいことになってきましたねぇ。おーこわっ! ほら、見てよ、ちょー身体震えてるぅ!」
と、一人で勝手にはしゃいでは両肩を手で押さえて震えるように瀧乃は怯えた振りをする。当然、雪哉はそんな瀧乃の言動を完全無視。事件現場には思いっきり出くわしているし、犯人にも遭遇した。しかし雪哉にはどうでもいい話だった。
「まぁ、殺された相手はミキサーにでも掛けられたぐらいに分割されてるらしいから男か女かもわかってないんだって。すごいよねぇー人間がサイコロステーキにされちゃったとかぁーオラチンおしっこちびっちゃうっ!」
「あの……瀧乃さん、俺寝たいんで……静かにして、もらえませんか?」
これ以上は付き合っていられない。睡眠を妨害する瀧乃に腹を立てた雪哉が声を上げる。
「おー、ごめんごめん。死人みたいな顔して帰ってからやけにテンション底辺なってるからゴリ上げマックスにしてあげようと思ったんだけど、ダメ?」
「不謹慎ですよ……そんなこと言われてテンション上がるほど、変態じゃないですから」
そのまま布団を頭まで被って瞳を閉じる。
「そういや最近、雪哉くんのクラスメイト無断欠勤してるんだって? 朝に職員室で聞いたんだよねぇ。その子、大丈夫なの?」
「……」
「むーしぃ! 無視ですかい? まぁ、いいっすけど。結構真面目な子だって聞いてたんだけど、いきなり休むもんだから先生たち心配してたよ? 僕はしてないけどぉー」
雪哉は無言であることを徹底した。瀧乃の言葉の一つ一つが雪哉を苛立たせる。それはまるで何か知っているような口振りだ。瀧乃はいつだって放任主義で早々雪哉や理愛に干渉してこない。しかしやけに鬱陶しくなる程に人の心に干渉してくるのは何かしら理由があることを雪哉は知っていた。だからこそ瀧乃の口車に乗るつもりはない。何か言えば、必ず何かが返って来る。そしてそれはいつだって雪哉の心を荒立たせるものだった。
「雪哉くんは、他人のことを知ろうという勇気ある行動を取ったことはあるかい?」
その言葉に雪哉はピクリと肩を揺らした。布団の中で揺れ動く雪哉の身体を見た瀧乃は立て続けに言葉を吐き出す。
「友達って、なんなんだろね?」
「何が、言いたいんです?」
雪哉はベットから起き上がり、瀧乃を睨んでいた。
「何って、友達の意味について知りたいだけだよ」
「そんなものないでしょう。それが無ければ友達と言えないのですか?」
「ああ、言えないね。雪哉くん、君は無意識の内に他人を信頼出来るのかい? もし、そうなら……そんなもの洗脳されているのと一緒じゃないかなぁ?」
雪哉は何も言えなかった。
何を言えばいいのかがわからなかった。
どうして雪哉は切刃を友達と認めていたのか、それは……そこにいたからだ。ただ横にいただけだ。放置せず、面と向かって話し合いをしただけだ。それだけだ。
それだけだから、瀧乃の言葉を否定することが出来なかった。明確な理由が、そこになかったから。何かしてくれたわけではない。何かを望んだわけでもない。
「理愛ちゃん、あの子さ……どうやって友達作ったんだっけ?」
やはり雪哉は答えなかった。解っているはずだ。解っていたはずだ。それなのにその言葉を口には出来ない。
「嘘吐きなんだよ、雪哉くんは」
「それで、どうして俺にそんな話を?」
雪哉は興味などなさそうな冷めた目で瀧乃を見た。そして会話を断ち切るように問いかける。瀧乃は肩で息をしては呆れたような顔をしていた。
「おーけー、わかりました。お教えしましょう。じゃあ言うぞヘタレ。お前みたいなクソヘタレ野郎のかまってちゃんは黙って寂しがって怯えて部屋で篭って言い訳してろってことだよ。悔しいくせに悲しいくせに学校まで来て不機嫌撒き散らすな。オラチンが疲れる。お前に疲れる。お前を見て、勝手に疲労する。どうしてくれる? 慰謝料払え」
「……チッ――」
雪哉は舌打ちをした。それも大きな音で、瀧乃の耳に届くように。
雪哉は反撃することが出来なかった。完全論破。雪哉は瀧乃の言葉に負かされた。逃げるしかない。ここに雪哉の居場所は無い。逃げ場所は無かった。
雪哉は瀧乃の顔を見ることも出来ずにそのまま保健室を飛び出すように逃げてしまった。
「やれやれ、ガキの面倒は疲れますなぁー」
乱暴に閉められた扉。保健室には瀧乃だけになった。瀧乃はそのまま机の上に置かれたカップに自前のコーヒーメーカーで作ったコーヒーを注いでいた。
「ああやって勝手に独りで苦悩されると厄介極まりない。どうしましょ? どーにもできませんなぁー」
大袈裟に両手を挙げて嘆いてはいる。だがそれだけだ。瀧乃は雪哉の助力になる気など一切無い。自分には関係がない。だから勝手にどうにかなればいいとしか思っていない。
そして瀧乃はそのまま椅子に座り、
「ああ、コーヒー不味い」
一口啜りそう言った。そう思うのなら飲まなければいいのにと、そこに誰かがいれば絶対に口にしていることだろう。
「あの人は本当に、どうして……」
見透かしたような目で、見抜いたように声を――
瀧乃曜嗣の言葉は雪哉の心を穿つには充分すぎた。ただ逃げただけだ。この場所に。独り誰にも気付かれずに黙殺しておけばいいだけのこと。
それすら出来ない自分はとても愚かで卑しい存在だった。そんな卑怯者の心理を見通されてしまえば、ここに居場所はない。
時任雪哉は逃亡を繰り返す。友人を見殺しにした、罪悪を背負わされて。
「畜生……」
怪物を倒すことはできなかった。仇を取ることが出来なかった。あっという間に時間だけが過ぎて、気が付けば自分が弱者であることを再認識しただけだ。数える程度の防衛でいい気になっていたのだろうか。自分は護れる――自分の識る全てをこの手で守り通すことが出来るとそう信じていたはずだ。
それなのに、今はこんなにも、その決意が鈍る。最期まで、終焉まで守り通せるか?
いつもならば即答できた筈の心が、今は、前を見ることが出来ない。思い知ってしまったのだ。気付かず、知らぬ間に、雪哉は一つ、失ったことを。喪ってしまったことを。
「何処へ……」
何処へ向かうのだろう。何処へ往くのだろう。残念ながらもう此処に居場所はない。誰にも構ってはもらえない。瀧乃が言ってしまったから。自分の悲しみを誰かに気付いて貰いたいだけで、この場所に逃げ込んだということを、知られてしまっているから。
だが、雪哉を気に掛ける者が此処にいるか? 教室、雪哉の机の前にいたあの男なら、きっと声を掛けただろう。しかし、もう、いない。いないのだ。
「上へ……」
いつしか屋上を目指していた。此処に居場所はなくとも、この場所から抜け出すことは出来ない。だから雪哉は屋上を目指した。放課後まで篭城するしかない。無様な男を今は誰にも見せてはいけない。そしてそんな無様は屋上に続く階段を上る。
「何を、やっているんだ?」
逃走のみを考えていた雪哉の目に映る光景は理解に苦しむものだった。
屋上に逃げようとすれば、そこには理愛と逢離がいた。しかも寝ている。ぐっすり寝ている。日当たりがよく暖かいせいか昼寝をするには最適だが、如何せん今が授業中だ。しかし見事に自分もサボってるのでなんともいえない。それでもどうしてこんなところに二人は眠っているのか……。
「う、ううん……理愛、すごすぎ……んっ、ああ、とんでもないことにぃ……」
何が凄いのだ。どのように理愛が凄いのか。そしてとんでもない状況とはどういう状況なのか。逢離の寝言につい興味が湧くがジっと堪え雪哉は二人を見下ろす。
「あ……んんっ、ふわぁー、よく寝た」
偶然にも寝言をほざいていたはずの逢離が先に目を醒ました。しかし、どうだろう……逢離が目元を擦りゆっくりと双眸を開くと同時、まるで魔眼によって石化したかのように眉一つ揺らすことなく動かなくなってしまった。
「アタシハイマイシニナッテイマス」
「なら片言で話すな。あと俺は石化眼なんて持っていない。お前を石化させる能力など無いよ。いや、あれは男が持つ眼ではなかったしな……しかし藍園逢離、お前どうしてこんなところで理愛と一緒に眠っていた?」
「あ、ああっ……理愛、理愛ぁー起きて、起きて起きて!」
ここまで逃げてまさかこのような邂逅を果たすとは思っていなかった。
いつもの雪哉の言葉で逢離に問うが、逢離は雪哉の問いに遅れて反応し、返事をせずに理愛を起こしていた。
「んんっ? なんですかぁ……わたしまだ全部食べてないんですけど……」
「ほう? 食が細いはずの理愛が全部食べたい程にそれは美味なのか?」
「ゲッ! 兄さん……?」
「何が「ゲッ!」だ……お前の口からそんな言葉を聞くのは初めてだよ」
理愛も雪哉がこんなところにやって来るとは思っていなかったのか大層驚いていた。だが驚いているのは雪哉も一緒だ。呑気に昼寝をしているとは思いもしなかったので雪哉自身も二人にどう声を掛けていいのかわからなかった。
「あ、あのあた、あたたたし、べ、別に理愛には何も! 理愛にも何も!」
「何をして、何もしたんだ? ん? 何を?」
「ちょ、ちょっと逢離、落ち着いて――」
やたらと慌てふためいている逢離。顔を真っ赤にして両手をバタバタと動かしながら何に対してかわからないが否定を繰り返している。夢の中で理愛に何をしていたのかは、少し気になったが
「ところで二人は何を、していたんだ?」
「見たでしょう? お昼寝ですよ……ぽかぽかしてて気持ちが良かったもので」
「それで授業までサボったのか?」
「サボってません。気が付いたら授業が始まっていただけです……ところで、兄さんはどうしてこんなところに?」
ここで雪哉の聞きたくない言葉が出てしまった。
真実を口にすることも出来ずに、雪哉は親指を唇に置いて言うか言うまいか迷っていた。しかし、雪哉が何か言うより早く理愛は雪哉の手を取っていた。
「何か、ありました?」
「……いいや」
嘘を吐いた。
「そうですか」
理愛はそれ以上言及して来なかった。
雪哉はそのまま二人の横を通り過ぎ、屋上へ続く階段を上った。しかし漫画のように屋上が常に開放されているわけではない。扉は閉まっていた。雪哉もわかっていた筈だ。逃げ場所なんて何処にもないことを。それでも動かずにはいられなかった。けれど、屋上へは行けなかった。
「屋上は閉まっていますよ?」
理愛がそっと声を掛ける。
「そうみたいだな」
「屋上に何か御用で?」
「俺もサボりだ」
「解ってますよ。こんな時間にここにいるんですもの」
「そりゃそうだ……」
雪哉は振り返り、階段を降りた。理愛と逢離が無言のまま見つめている。居た堪れない。ここから早く消えてしまいたい。
「ねぇ、理愛……」
「ええ」
逢離が理愛に話し掛けると、理愛は何かを悟ったように頷いている。
「ああ、あたし授業受けて来ますねぇ。理愛はとりあえず適当に誤魔化しておきますんで、先輩はどうぞごゆっくり」
「いや、何を言って……――」
だが逢離はそのまま雪哉と理愛を放置して先に行ってしまった。
屋上に続く、階段の下で二人だけになってしまった。雪哉も理愛も何も言わず、ただ黙っていた。まるで背景に同化する程に不動なまま、ただ静かに、時間だけが過ぎていった。