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それが全能結晶の無能力者  作者: 詠見 きらい
episode-2. -復讎の歌謳い-
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3-8  crime pain

3-8 crime pain


 既に雪哉は迷宮に迷い込んでいたことさえ忘れていた。

 たった一つの目的を果たす為だけに動いているだけだった。

 迷宮から抜け出すということはもう雪哉の頭の片隅にすら残っていない。

 自分が何者かに惑わされ、迷路のような世界に閉じ込められている現状すらも憶えていない。


 雪哉は左腕をだらりと伸ばし、動かない。


 路地裏は既に戦場と化していた。

 壁が割れ、地が割け、何もかもが立て続けに壊れていく。そんな破壊の中心に立つ黒き装束を纏う怪物は刃先を地面に擦りながら歩いてくる。


「舐められたものだな……」


 雪哉は壁にもたれ掛かり、そう呟いた。

 怪物の重圧を前に立ち向かう勇気は認めたい。しかし、それは蛮勇でしかない。人を殺す方法を熟知した人成らざる者。たかだか守護のやり方を覚えたばかりの小物では届かないのかもしれない。

 それでも雪哉は逃げられなかった。この血溜まりは雪哉の知っていた者の面影すら残っていない。夜那城切刃は殺された。その殺人鬼が目の前にいる。(たお)さなければいけない。奪われてしまったのだ――怒りを隠す必要など無い。


 だが今、雪哉が抱いている怒りはまた別の怒りだった。

 確かに圧倒的だ。相手は殺人を得意としている。人を傷つけ、恐怖を与える。そんな畏怖の存在にたかだかただ(、、)の人間が勝とうなどと無理があるのかもしれない。

 それでも、それでも認めたくない。だが、まるで怪物はその己が無力を認識しろと言わんばかりに雪哉を侮辱していた。

 近付けば刃を闇雲に振り回し、触れるモノ全てが壊れていく。まるで近付くなと言わんばかりだ。しかし接近しなければ何もして来ない。雪哉の怒りが届かない。その憤怒は狂気の刃に阻まれる。

 殺人鬼は雪哉に興味を示さない。殺人を嗜好している分際で、目の前の肉には関心を見せないのだ。それが何より許せない。殺人の対象を選んでいる。雪哉を殺す気は更々無い。雪哉がどれだけ攻めても、威嚇しているだけで刃が届かないところまで離れれば何もしない。

 この手が届かないのなら――雪哉は辺りに散らばる石や瓦礫を放り投げてやった。勿論、身体のどの部位でもいい。ぶつけるつもりで投擲を繰り返す。しかし怪物は最低限の行動のみで回避していく。回避することが面倒になれば、手にもつ湾刀(ククリ)で潰していく。


 明らかに常人の動きでないことはわかる。

 それはやけに速過ぎる(、、、、)のだ。

 気が付けば雪哉が投げた石は砕かれ、瓦礫は(かわ)されている。

 そして壁や地が抉られ、爪痕だらけになった路地裏。


有能力者(コーダー)か……)


 ここ最近は有能力者や無能力者などと結晶による能力のことは忘れていた。しかしこの町に来る前に「銃者達(ガンナーズ)」らもいたのだ。能力を持った犯罪者を追っていたのだろうか、しかし視界に映るこの仮面を被った人型の化物がその銃者達(ガンナーズ)らが追っている者かどうかはわからないが、確実にわかっていることは常人以上の身体能力を持っているということだ。


「……もう、疲れた」


 考えることはやめた。相手のことはわからぬままだ。

 投擲行為は意味を成さす、雪哉は攻撃を中断する。息切れを起こした雪哉は肩で息をして再び壁にもたれる。怪物はただそこに立っていた。もういいのかと言わんばかりに背を向けてそのまま消えようとしていた。

 だけど、逃がさない。逃がすわけには――いかない。

 雪哉は思いっきりコンクリートの壁に拳が埋もれる程、強く叩く。苛立ちが焦りとなり、雪哉は左腕の封印を解く。

「脆弱だが、俺はお前を認めたくは無い。戦う、だから俺は戦うんだ」

 聖骸布が解かれ、そこから濁った銀色の腕が姿を現す。しかしその色はやけに鈍い。切れない役立たずの鈍ら刀のように、今の雪哉のこの左腕には「それは偉大とは違う(アンチ・マグナ)」の花晶としての能力を使用することも出来ない。

 雪哉は理愛がいなければ所詮ただの無能力者でしかない。頑丈な左腕を振ることしか出来ない。理愛という結晶を付加接続(エンチャント)しなければ能力が超過することも出来ない。ただの、少し頑丈な左腕しかない、ただの人間だ。

 それでも、それでも、この腕は誇りだ。誰かを護り続ける為に頂いたものだ。理愛に貰ったものだ。献上されたその腕は、きっと雪哉の護りたい全てを護る為の左腕。

 でも、それはもう叶わなかった。それを阻んだ敵がいる。もうそれはきっと無意味だ。復讐でしかない。だから――

贖罪(あがな)え、罪を背負い、ただ罰を受けろ」

 それはきっと自分に向けた言葉だっただろうか。

 いつだって怨敵に向けた言葉だった筈だ。

 でも、もう手遅れだ。雪哉は罪を背負った。護れなかった。そして罰を受ける。永劫戦うという罰を、そして贖うのだろう――次は間違えない。

 背を向けていた怪物は雪哉の左腕を見た途端、怪物は足を止めた。そして振り向き、雪哉の戦闘続行の意思表示を確認し、腰元のベルトに佩刀(はいとう)していた湾刀を取り出した。

 そして怪物は湾曲した巨大な刃を逆手に持ち直すし、雪哉に刃先を向けた。そして怪物の脚が地から離れたと同時、怪物は飛び出していた。

「やはり、速い!」

 地を強く蹴り、飛び跳ねた怪物は雪哉の目と鼻の先まで接近している。寧ろ……瞬き一つしただけでこんなにも接近を許してしまう自分の弱さを恨んだ。

 怪物に戦う意思はなかった。けれど、雪哉の左腕を見た途端に完全に殺害対象として雪哉を見ている。湾刀が振り上げられ、雪哉は左腕で思いっきり怪物の刃を殴る。

 鈍い衝撃音が響く。跳躍する怪物の姿を直視をすることは出来なかったが、なんとか振り下ろされた刃を捉えることは出来た。鉄さえも切り裂く湾刀だが、雪哉の左腕を切断することは出来なかった。雪哉の左腕と怪物の湾刀が弾けるように吹き飛ぶ。雪哉と怪物はお互いに衝撃で後ろに飛んだ。

 そのまま地に手を置き、跳ぶ。

 湾刀の威力は凄まじいが雪哉の左腕はこの星の最高硬度よりもずっと硬い。銃弾をも弾き返し、傷一つ付かないその強固は雪哉自身の心も強化される。一方的にただ殺されるつもりはない。殺し返してやると、

「ならぁっ!」

 声を上げ、左腕で殴る。だが怪物はそれを寸前で回避し、雪哉の左腕を掴んでいた。雪哉は戦慄した。しかし怪物の手に持っていた湾刀は地面に突き刺さっていた。右腕だけが、見えた。黒装束の向こうは見えない。そして掴まれた雪哉はそのままグルンと一回転して背中から地面に墜落した。受身も取ることもままならずそのままガクンと視界が黒に染まる。気を失いそうな痛みが雪哉を襲った。だがそこで気絶してしまえば終わってしまう。荒い咳を吐きながら雪哉はゆっくりと起き上がる。

「わざわざ武器を捨てて、体術で反撃するなんて……馬鹿にするのは、やめてくれないか……」

 殺すことは出来た筈だ。だがそれを怪物はしなかった。雪哉の言葉に怪物は反応を見せずに、地に刺さる湾刀を引き抜き、雪哉にその刃先を向けたままクイっと挑発するように振る。しかしそんな挑発に雪哉は乗らない。力の差は解りきっている。何が気に入らないのかは、明らかにこの怪物は手を抜いているということだ。

 雪哉の左腕を見た瞬間だけは鮮明な殺意が露呈したと思いきや、情けを掛けてくる。コンクリートに叩き付けられた身体は震えたままだ。軽い脳震盪が雪哉の視界を狂わせる。両手両足も上手く動かない。だが、そのまま心が折れるわけにはいかない。

 すかさず距離を離す。頭を思いっきり左右に振り、意識をはっきりさせる。その間すら怪物は棒立ちのままだった。

 だが、

「なんだ……?」

 怪物の黒装束が捲れる。もっと早くから気付いておくべきだったのだ。どうして怪物は右腕だけしか使わなかったのか。左腕は……無かったのだから。

 捲れた黒装束から姿を見せるわ鋼鉄の糸(ワイヤー)。そしてそのワイヤーは雪哉の身体に巻きついていた。

 縛られた。身動きが出来ない。どれだけ距離が離れていても、怪物が動かないわけだ。動く必要などないのだから。逃げてもそのワイヤーで捕らえてしまえばいいだけの話だ。そして雪哉は縛られた。逃げられない。

「左腕に……細工を施していたのか――」

 遅い。遅すぎる。そしてそれはもう左腕ではない。武装された腕の形をした別物だ。段々と人間性を感じられなくなっている。感情も表情も見えず、躊躇い無く人を肉に変え、片腕だけの、黒装束の中には武装が隠されている。本当にこれは人間なのだろうか?

「ぐぅっ……」

 呻きながら必死にその鉄糸(てっし)に抗うが肉に糸は食い込んで離れない。忌々しく雪哉の身体を縛り、両腕と身体に巻きつくその糸は雪哉の反抗を嘲笑うように締め付ける。圧迫される身体、呼吸が難しくなる。

 怪物は動かない。このまま圧殺しても構わないようだ。しかし潰れるよりも早く鉄で出来た糸は人の肉を裂くのも容易だろう。これでは圧殺より斬殺だ。

「こんな時にまで歌が聞こえるとはな……妖精に唆されるとはな……」

 言語化出来ない別世界の声から流れる歌。迷宮に迷い込んだ雪哉の耳に延々とそれは聞こえてくる。その歌が別次元に雪哉を攫った。そしてその歌は止まない。

 耳に心地良い美しい歌声。天使の声。そんな神秘的な歌の元、雪哉は殺されようとしている。

「蛮行でも蛮勇でもなんでもいいさ……だが、こんなところで終わりたくは、ないな」

 身動きすら取れない分際で、それでも雪哉の心は砕けていない。どうしようもない癖に、これ以上何も出来ないのに、雪哉は怪物を睨み付けていた。

 ワイヤーを巻きながら、怪物がゆっくりと雪哉に近付いてくる。黒装束から垂れる鋼鉄の糸を辿りながら湾刀が地面を擦りながら確殺を約束され、余裕なままに雪哉を見下ろした。刃が雪哉の眉間に向けられた。雪哉の身体が輪切りされるのは確実だった。

 これで終わりだ。

 だけど雪哉は目を閉じることはしない。現実から目を背くことだけはしない。

 それでも、もう、終わりだ。

 怪物は高らかに刃を天に、そして処刑――

「なん、だ?」

 音が消える。歌が終わる。刃が止まる。

 怪物は湾刀を腰元に戻し、ワイヤーを外し、そのまま消えてしまった。とてつもない速度で走り去ってしまった。いや、とんでもない跳躍力だった。ビルの上を飛び交われては追跡することなど不可能だった。

「どういうことだ……」

 何度、情けを掛けられたか。

 悔しかった。何も出来なかった。

 ゆっくりと立ち上がり、手と身体を擦る。鉄糸が食い込んでいた部分が痛い。だがほぼ無傷の状態、五体満足のまま殺人鬼に殺されずに生還してしまった。

「クソ……」

 舌打ちをし、そのまま路地裏を出た。

 殺人鬼から生かされただけでなく、迷宮からも脱出できた。無限に繰り返された同じ景色はそこにはなく、歩き続ければ駅が見えた。夜の町がやけに騒がしくなる。あの路地裏には血と肉が散乱している。この町で狂気が生まれている。

 そして雪哉は失望と畏怖を抱き締めながら悔恨塗れのまま生きていかなければいけない。気付けず、護れなかった者の罪悪を刻まれながら――

「切刃……」

 信じられない。

 まだ信じられない。あの赤が切刃だという証明はない。それまでに粉微塵にされていたから。しかしあの血塗れの携帯電話は切刃のモノだった。その携帯電話は雪哉が持ったままだった。気が付けば持って帰ってしまっていた。

 まだ現実味を帯びていないようで、認めようとしない雪哉がいた。夜那城切刃が殺されたなどと、理解することができなかった。


 怪物の消失と迷宮からの脱出後、駅の前に到着したと同時に雪哉のポケットの中にある携帯電話が鳴っていた。

「ああ、理愛か……」

 電話越しの理愛は機嫌悪く「何をしているの?」と言っている。それでも今だけは、最も大切な(ヒト)を優先することが出来なかった。

 余裕の無い雪哉はそっと理愛の問いかけに応答する。

「……ちょっと、幻に攫われただけだ」

 雪哉の言葉に理愛は馬鹿にしたような声で何か言っている。それでも雪哉は一言呟く程度の返事しか出来なかった。

 そして気が付けば電話は切れていた。着信が切れたまま、ツーツーっと音が残留している。雪哉は立ち尽くしていた。


「俺は、弱すぎる……」


 理愛がいなければ戦えない。理愛がいなければ何も出来ない。

 独りではどうしても護れない。独りでは悔やむことしか出来ない。


 ――罪の痛みが雪哉の心から引くことは無かった。

 そしてその痛みを抱えたまま、ただ自分の世界に帰ることしか出来ないことが、更に雪哉の心に追い討ちを掛けていた。

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