3-6 nightmare side
3-6 nightmare side
切刃が、学校を休んだ。
珍しい。それはとても珍しいことだ。
切刃は一度遅刻しかけたことがあったが、学校を休むことは無かった。
切刃がいないのにも関わらず担任の教師は朝のHRで切刃の名前を呼んでいた。返事が無いとわかるまで担任も切刃は登校しているものだと思っていたみたいだ。どうやら学校には休むという連絡は入れていないようである。
では、何故?
雪哉は無理矢理、切刃の携帯番号を登録されたことを思い出し、休憩時間の間に電話を掛けてみる。
「電話はなんとか掛けれるからな……」
メールの機能は上手く使いこなせないから折角登録してくれた切刃のメールアドレスは使えない。しかし電話番号ならばなんとかなる。登録した電話帳の画面を開くことは出来る。そしてそのまま画面に表示された「や」行の部分を押せば一番頭に「夜那城切刃」の名前が表示される。
そのまま切刃の名前を押して、携帯電話を耳に当てる。耳にコール音が何度も鳴り、なんとか電話を掛けることは出来た。
(我ながら本当に酷いな……)
電話番号を頭に入れていれば番号を入力して掛けることも出来たのだろうがそもそも切刃の携帯番号そのものは頭には入っていない。本当に他人が見れば失笑しかねない状況だろう。今時の若者が携帯電話の操作に苦戦しているなどと――
しかし幾度の困難を乗り越えこうして電話を掛ける操作は習得した。なんとか携帯電話としての最も基本的な機能を使用することは出来る。
だが、なんとか切刃の電話番号に掛けることは出来たものの一向に切刃の電話に繋がることはなかった。
「切刃、なにがあった?」
いない筈の切刃に声を掛けても返事が返って来ることはなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
時任理愛には兄には言えない悩みがあった。
年頃の女の子だから、悩みの一つや二つあってもおかしくはないが、残念ながら相談することさえ悩んでしまう内容だった。
「眠い」
そう、時任理愛は寝不足に悩まされていた。
睡眠薬でも飲めば治るのならばとっくに一瓶呑み干していることだろうが如何せん寝不足の原因は夢に魘されているということである。
夢の内容は大体としか覚えていないが、誰かに延々と見つめられては恨み言を呟かれるという陰険なものである。これは前にも言った。最近は視線だけでなく輪郭も薄っすらとだが見えて来た。もうここまで来ると誰が自分を凝視しているのか知りたいものだ。当然、見つけ次第極刑を下すつもりでいる。
そんなこんながあってか授業の内容も頭に残らず、酷い時には授業中に眠ってしまう体たらく。どうにかしたいがどうにもならないというのが現状だった。
そしてそれだけが理愛の悩みではなく――
「理愛ぁー理愛ぁー」
頭痛が痛い。
文法的にはおかしいがとりあえず二重の意味だ。
寝不足に悩まされているというの逢離に抱き締められて頬擦りされるというこの状況もまた理愛にとっては悩みの種だった。
「やめなさい逢離、ぶっ飛ばしますよ……」
「いいよぉーぶっ飛ばしてぇーあたしでよければどこまでもぉ! 出来れば一緒にぃ!」
「……はぁ」
呆れた理愛は溜息を吐き、何も言わなくなった。
逢離は理愛と一緒にいる時はこんな感じで抱き付いては離れない。周囲に人間がいる時はさすがに常識を持って理愛に接してはくれるのだが、二人っきりになるとこんなことになる。
「はぁ、はぁ、一日一回でもこうしないと落ち着かなくて、ほら……手、震えてるでしょ?」
「怖いわ逢離……やめてくれない?」
「はぁ、はぁ、はぁ、理愛成分を摂取しないと眩暈がするの」
「ニコチン依存症ですか貴女は!」
さすがに理愛は叱咤した。
逢離の頭を一発だけ殴り、そのまま頬を膨らませ逢離から目を逸らす。
今や二人はこうして昼休みには屋上に続く階段の下で時間を過ごす。
「ところで大丈夫? さっきも授業中、両目が開いたり閉じたりしてたし、身体も上下に揺れてたんだけど?」
「ええ、まぁ、大丈夫です」
大丈夫なわけが無かった。
今にも眠ってしまいそうだった。それでも逢離に迷惑を掛けるわけにはいかない。
「理愛ちゃんと寝てる? 目の下なんかクマできてない?」
「そんなことは……」
逢離の顔が近づいてくる。両頬を触れられ視線を逸らすことが出来ない。
「ぺろ」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
なんだか言葉に出来ない奇声が理愛の口から漏れた気がした。
何をされたかわからなかったが、とりあえず逢離の頭を叩いていた。割と本気で。
「冗談なのにぃー」
「何をしやがりますか!」
「目の下、舐めただけじゃん」
「………………!」
理愛はもう自分で何を喋っているのかわからない謎言語を発していた。
逢離は目元に涙を浮かべて、頭を擦りながら舌を出していた。
兄である雪哉には言えない。いや、前回言ったのだが夢の内容までは教えていない。だが逢離になら――問題ないか、と。理愛は意を決し、逢離に向き合った。
「最近ちょっと夢見が悪くて……」
「怖い夢でも見たの?」
「怖いと言うのかわかりませんが、とにかく目が覚めてしまって……」
そのまま理愛は夢の内容を逢離に言うと、逢離は「うんうん」と口にしては首を縦にして頷いている。
そして理愛の事情説明が終了すると、逢離は名案でも浮かんだかのように手の平の上に拳を置いて足を伸ばした。
「さぁ、理愛」
「さぁ……って、何ですか?」
「膝枕」
「結構です」
理愛は丁重に断った。
だが逢離は諦めない。ジっと理愛を見つめ、動かない。それでも理愛は拒絶の意思を見せる。すると逢離は泣きそうな顔をして、理愛の心に揺さぶりを掛ける。
「ず、ずるいですそんな顔……」
「だって理愛がわたしのこと要らないって言うから」
「いや、そんなことは言ってません」
捏造よくない。
「お願いお願いお願いぃーあたし理愛が心配なんだって、だからあたしの膝使っていいからーあたしを使っていいからぁーあたしで愉しんでいいからぁー」
「何か途中と最後の方、日本語変じゃありませんでしたか?」
「変じゃないよ、だから、ね?」
そうやって屈んで、上目遣いで「ダメ?」と訴える視線に理愛の中にある強い否定の意志が崩されていく。そして終に理愛の心が折れてしまう。
「わ、わかりました……昼休みが終わるまでには起こしてくださいね」
「もっちろん! ちゃんと起こすって」
逢離の言葉に若干の疑念を抱きつつも、内心は感謝し――理愛は逢離の膝の上に顔を置いた。その時、逢離が歓喜を孕んだ奇声を上げていたことにはもっと早く気付くべきだったろう。理愛は両目を閉じ、その上から逢離の手が触れる。
「ほら、まだ明るいでしょ? こうすれば暗くなるからよく眠れるんじゃない?」
「まぁ、確かに……」
快晴の真昼間から眠るにしては少々眩しすぎる。目を閉じてもその合間から光が入り込んで来るようだった。しかし逢離が両目を手で塞いでくれるお陰でその光は遮られた。
そして理愛は安心したように深く沈んでいくのだった。
いつもと変わらずそこは闇黒だった。
自分がどこにいるのかわからない。地に足が着いているのか、それとも浮いているのかそれさえもはっきりとしない。とにかく進んでみる。しかしどれだけ歩けども歩けども暗闇からは抜け出せない。
「全く、なんで自分の夢の中でこんなことを……」
理愛は苛立ちを覚えながら方角さえわからない闇の中を歩いている。
そして、いつものように苦悩が具現される。
-ウソツキ、ウソツキ、ウソツキ……-
もはやいつもの聞きなれた言葉だ。
ヒトを嘘吐き呼ばわりしては陰険にただただ悪口を並べていくだけの雑音。
それでも、理愛はそれが耐えられない。自分は嘘を吐いた覚えは無い。見えない相手にそんなことを言われるということが耐えられない。腹正しい。
「顔ぐらい見せなさいな。わたしに何か恨みがあるなら相手になります。腹が立ちます」
しかし理愛の声は届かない。
連呼される負の言葉は理愛の心を締め付けていく。
その声は、その刃が理愛を傷付けるには十分だ。理愛が今までの人生の上でそれはきっと周囲が理愛に向けた心の声に似ていたから。
「わたしは嘘を吐いてない」
そもそも覚えが無い。
しかし声は響く。この闇の中に延々と響き続ける。
嘘を吐いたことなど無いのだ。誰に対してか、自分に対してか、嘘なんて。
耐えられない。この声を、もう聞きたくない。だから――
「あああああああああああああああ!」
らしくない絶叫。そんな叫びが理愛の耳に届く声を掻き消していく。
理愛は大声を上げて走り出す。息が切れるまで、身体が動かなくなるまで、何も考えず、何も思わず、ただ闇雲に駆け出した。自分がどれだけ「偽り」であったとしても、そんな嘘さえも赦してくれる人がいる。認めてくれる友もいる。
だから、そんな言葉で動揺などしてはいられない。困惑などしてはいけない。見つけ出してやる。自分を拒絶する敵を必ず見つけ出してやろうと。
「必ず、見つけ、出して、やるんだから――」
夢の中ではどれだけ疾駆しても疲れを覚えることがなかった。
だからだろうか、距離が縮まっている気がした。
そう、理愛を見つめる不快な視線。その視線が近い気がした。
そして闇黒の中で薄っすらと見えた人影。ついに、見つけた。
「絶対に捕まえてやる……わたしを苦しめたお前の顔を、必ず拝んでやる」
理愛の心の中は震えていた。これほど嬉しいことは無い。
夢の中でこんな苦しい思いをさせてくれたのだ、それ相応の罰を与えてやると。
人影は段々大きくなる。その影が逃げることはなく、その場を動かない。
やっと、これで――
これで――
…………理愛の目の前は真っ暗になった。
「逃がさない、逃がさないから……」
なんとか伸ばした手でその影を掴むことが出来たとは思う。
しかしやけに柔らかすぎる。だがそんなことはお構いなしだ。強く握って、離しはしない。このまま逃がしては沽券に関わる。
「ひゃあんっ! あっ、ひゃ――」
苦悩の塊が奇声を上げる。寧ろ悦んでいる気がしてならない。こちらは必死で逃がすまいと掴んでいるというのに嬌声を上げるその影に腹が立つ。両手で鷲掴みをしてそのまま握り潰してやる。
「ああんっ! や、やめっ……り、あ……あふっ」
幾らなんでも変だ。
余りにも間の抜けた声に理愛は首は傾げる。というより……理愛の意識ははっきりと覚醒しているのだ。残念ながら夢から醒めてしまった。ならこれは現実? ではこの艶やかな声は何だろう?
「理愛、だ、大胆だよぉ……こ、こんなところでぇ……ああんっ!」
目の前には逢離の胸を揉み回している理愛の手があった。
そして顔を思いっきり紅潮させて両目を瞑る逢離の姿があった。理愛の思考は停止し、ピタリと両手の動きが止まった。
「何をしているの……逢離」
「それはこっちの台詞だよぉ、いきなり理愛があたしのおっぱい面白いことするからぁ……」
「………………さて」
理愛は立ち上がり逢離に背を向ける。
今回は逢離が悪いのではない。完全に理愛の落ち度だ。理愛は自分の行いに対し居た堪れなくなり逢離から逃げようとした。ぶっちゃけると、とてつもなく恥ずかしい。
「ああ、待ってよ理愛ぁーあたし気にしてないし、寧ろもっとして欲しいというか――」
「ば、バカぁッ!」
腰をクネクネと気色悪く蠕動しながら逢離は惚けた表情で理愛と見つめる。理愛はそんな逢離を見て更に恥ずかしくなった。だから理愛は自分の感情を誤魔化すように逢離に暴言を吐いてそのまま階段を下りて行くのだった。
結局、今回も理愛の悩みの原因を根絶することは出来なかった。
しかし、わかったことがある。夢の内容も何を言われたかも、はっきりとは思い出せないのに、理愛を見つめているあの不気味な視線はやはり理愛ではない誰かであるということだ。それはまるで理愛の心の中にいるような気がした。
胸が痛い。
理愛の胸の中心の奥底に眠る花晶が疼いていた。理愛は胸を押さえる様にして歩く。
「理愛ぁー待ってよぉー」
そして背後からは理愛を追いかけるように逢離がやって来る。
「逢離」
理愛が立ち止まり、逢離もそこで立ち止まった。
そして理愛は振り返り、微笑んだ。
「またお願い」
それ以上は何も言わずに教室へ向かって歩き始める。後ろで逢離が叫んでいたが無視しておいた。
何の解決にもならなかったが、逢離のしてくれた行為で理愛の心は多少なりとも余裕が生まれた。本当に持つべきものは友である。逢離には心の中で感謝しつつ、理愛は逢離と一緒に教室に戻るのだった。
「……あれ?」
理愛の胸ポケットの中で携帯電話が震える。
ディスプレイには兄の雪哉の名前が表示されていた。殆ど機械類を使用しない兄が携帯電話を使って自分の携帯に繋げて来たことに少しだけ驚きながら理愛は受話器をボタンをプッシュした。