3-3 fairy songs
3-2 fairy songs
「理愛、どうしてそんなに機嫌が悪いんだ」
「なんでもありません」
休日、久々に雪哉と理愛は二人で買い物に出掛けていた。
こうやって二人で肩を並べて外に出るというのもここ最近なかっただけに雪哉は嬉しかったのだが中々どうして理愛は不機嫌極まりない。勿論、機嫌が悪い理由を雪哉は知っているのだが。
「だったらその負の感情を振りまくのは止めてくれ、お前のその邪気にも似た負は「闇黒塊の吸気」を装備していなければ俺の身体は奥底から朽ち果ててしまう」
「だったら腐り果ててミイラにでもなってくださいよ。エジプトの美術館にでも納品してわたしはいっぱいお金をもらってきますから」
「いや、あのな……理愛、お前が機嫌が悪い理由はわかってる。だから今日はこうして買出しに来ているんじゃないか」
「だからってこんなおっきな店じゃなくても近くのスーパーでよかったんじゃないですか?」
やはり理愛の機嫌は最悪だった。
その原因として挙げられるものが二つある。
一つ、それは先日理愛が食べたがっていた「おでん」を作ってやれなかったことだ。理由としては明らかな食材不足だった。大根もなければちくわもない。さすがに材料が無ければどうしようもない。というわけで週末に材料を買いに行くということになったのだ。
二つ、さて食材を買うのだからスーパーに行けばいいだけの話なのかもしれない。しかし雪哉はそれを渋った。週末ならばどこかに出掛けたい。材料だけ買って家に帰り、おでんパーティーなどで人生を楽しみたくもない。というわけで、つい最近出来たばかりのショッピングモールとやらに行くことにしたのだ。都会か田舎か、中途半端なこの町にそんな大型百貨店が出来たのは町の活性化のためらしいが、確かに効果は大きく、駅も近いお陰かまだ出来て一週間ばかりだというのに凄く賑わっている。
単純にこういった人ごみが出来る場所を理愛は好んではいない。それを知っててこんな場所に連れてきたのも理愛の機嫌を損ねる要因というわけだが。
「まぁ、いいじゃないか。ほら、しらたきとがんもどきも買ってやるから」
「死ね、わたしは帰ります。さっさと帰ります」
食べ物では釣られないと理愛は背中を向けてとっととこの場から立ち去ろうとする。
「牛すじも買ってやるのだぞ?」
「うっ……い、いりません!」
しかしこの容姿でおでんが大好きというのは面白いな――なんて思うのは失礼だろうか。意外や意外、理愛はそういった古臭い料理を好む。勿論、古いというのは悪い意味ではない。伝統ある日本料理は理愛にとって自分自身の好みに合うのだろう。
「まぁ、諦めろ。このまま独りで帰ると言うのならそれでもいい。それなら俺も帰る。お前を独りにはできない。だが――おでんは諦めてもらうしかないか……」
雪哉はわざとらしく肩で息をして、そのまま大袈裟に両手を挙げる。理愛はピタリと足を止めた。
「昨日楽しみにしてたんですよ……それなのに今日もおあずけ? そんなのふざけてます。死ね。そんなことを言う兄さんなんて死んでしまえ」
「殺しすぎだ。別にお前が着いて来てくれればいいだけじゃないか。嫌なのか?」
「それは……もう、わかりましたよ。着いていけばいいんでしょう? わかりましたわかりましたよ。どこへでもお連れください」
「いや、連れて行くところは決まってるんだがな……」
寧ろ到着している。ショッピングモールの入り口にいるのだから、その中に入るだけだ。今から途方も無い大冒険が始まるわけではない。
「兄さん、わたしは目的を果たしたらとっとと帰ります。中に入ったら即座に必要なものを入手し、完遂した後、脱出します」
「お前は今からどこへ行くつもりだ。おでんの材料を買うだけだろうが」
「それなら別にスーパーでもよかったじゃないですか……」
「やめろ、それを言うとまた逆戻りになる。単純に俺の我が侭だよここに来たのは。せっかく出来た新しい店に行きたかっただけだ。お前は俺のせいで巻き込まれたわけだ諦めてくれ」
「全く……わかりましたよ、もう……まるで迷宮のようです。装備を整えてくるべきでした」
「別に死ぬわけじゃないだろうに……」
余りにも大層な理愛に雪哉はそれ以上言葉を返すことはなかった。今は何を言っても苦言を漏らすことだろう。雪哉自身は羽を伸ばす程度で来たつもりだったが、悪いことをしたなと理愛に心の中で謝罪。ともかくさっさと買い物を済ませることにする。
しかし、雪哉は知らない。それが本当に少し短いけれどもちょっとした冒険になることなど。
「んっ……、やはり人が多いな……なぁ、理愛。……理愛?」
気がついた頃には遅かった。入って早々に中からダムが決壊したかのように一斉に人の波が通り過ぎる。雪哉はそれを右に回避し、そのまま中へ。
だが、その時には遅かった。子供扱いしては理愛の機嫌はますます悪くなることだろうと思い、自分の背中を追ってくるだろうと理愛を見ることすらしなかった。だがそれが不味かった。
なんと建物に入ってわずか三十秒も経過していないというのに、雪哉は理愛とはぐれてしまった。そんなことがあるのかと、雪哉は舌打ちをして理愛の名前を呼ぶがまるで騒音のように人の声と音が雪哉の言葉を掻き消していく。これではどうしようもない、そのまま雪哉は中へ入る。このまま外に出てもいいのだが理愛は理愛で譲歩してこの中に入ったのだ。目的を果たすまでは外に出ることはないだろう。
「参った――まさか入店して瞬間で理愛とはぐれることになるとは……全く、笑えないな」
この歳で迷子センターに行くわけにもいかない。はぐれたところで理愛もどうにかするだろう。ともかく雪哉は食品売り場に足を運んだ。
しかし到着こそしたがやはり理愛の姿は見つからない。携帯電話も残念ながら持っていない(使い方を未だにわかっていない雪哉は悪い)
理愛は持っているのだろうが、雪哉が持っていないのなら意味がない。今日の行いを反省し、帰りに買って帰ろうと雪哉は思った。
「ん?」
万事休す。どうすることも出来ない雪哉はとりあえずショッピングモールからの脱出を試みたのだが、その時、エスカレーター付近で一人の少女が立ち尽くしているのが見えた。 こんな人だかりの中にたった一人でピクリとも動かない少女の姿。別段無視してもよかったのだが雪哉の身体はその少女の方に勝手に向かっていた。
「どうした? 迷子か?」
相手が子供であっても雪哉はいつもの通り偉そうに突っ立って声を掛ける。理愛よりも背は小さく、目を細めて遠くを見つめている。小さく口を動かしてはいるが何を言っているのかはわからない。第一印象としてはどこか儚げに見えた。まるで俗世から切り離され幽霊のように、ただそこにいるだけ。誰もが少女の存在に気がついていないようだった。
しかしそんなわけがない。幽霊だとすれば場所を選んで欲しい。賑やかで騒々しさしかここにはない。幽霊が佇むには些か間違いだろう。
そんな少女の容姿は赤い和服を着込み、下駄、頭には花の髪飾り。何もかもがこの場所とはズレている。ただの子供が一人でいれば無視できたかもしれない。だが雪哉はそれが出来なかった。あまりにも大きな違和感が服を着て歩いているのだ。気にもなる。
そして雪哉の言葉に少しの間があったものの少女はピタリと独り言を止め、雪哉を見た。雪哉を見る少女の表情は「真っ白」だった。何を思い、何を考えているのか雪哉は少女の表情からは何も読めなかった。自分より遥かに高い背丈の男が話し掛けて来ているというのに警戒の色一つ見せやしない。寧ろ強く拒絶してくれた方がすぐにこの場を立ち去れたのだが、もうそれも出来ない。
「こんなところで何をしている? 独りなのか?」
雪哉の問いかけに先程は間があったが、今度はすぐに首を横に振り否定の意を表してくれた。
「そうか、なら俺と一緒だな」
そう雪哉が言うと、少女は首を傾げた。
「俺も妹とはぐれてしまったんだ。ともかく探しているのだが見つからない。お前も俺と同じようだ、どうだ……一緒に探さないか?」
少女は頷いた。適当に誘ってみたのだがなんとも話が上手くいってしまった。どうやら少女もまた誰かとはぐれていたようだ。全くの赤の他人、関わる必要などなかったのだが自分から声をかけてしまったのだ。理愛を見つけ出し、少女の探している相手も見つけることにする。
しかし、一切のヒントはない。ましてや少女は一切声を出さず全てジェスチャーで応答するだけだった。これでは探しようもない。そもそも理愛を見つけることも出来ないというのに少女の探し人まで見つけることが出来るのかといえばそれはかなり難しい。
「ふむ、このままでは埒が明かんな……」
行ったり来たりの繰り返し、縦横無尽に歩いたところで理愛は見つからない。しかしどうしたものか、この少女――雪哉の手を繋ぎ、はぐれないようにしている。確かに手を繋ぐことが最も離れ離れにならない最善策であろう。それをしなかった時任兄妹は見事にお互いを見失ってしまったのだから。
だが互いを見失うことはなくても、見失ってしまったものを見つけることは出来なかった。
「そうそう上手くいかないな」
歩き疲れ、雪哉は中央の噴水が見える広場の椅子に腰掛けていた。建物の中に噴水などと洒落たモノが設置されているが、今はそんなものはどうでもいい。一階から三階まで昇り、またこうして一階に戻って来たわけだが少女は顔色一つ変えず雪哉の正面に座って茫然としていた。
「こんなものでよければ、飲むか?」
雪哉は近くにあった自動販売機で冷えたジュースを買い、そのまま飲んだ。炭酸飲料が好きな雪哉ではあったが少女の好みがわからなかった為、りんご味のジュースを選んでいた。当然、それを選んだ理由は理愛が好きだからなのだが口にはしない。
一言も発することはなかったが、雪哉の厚意をありがたく受け取ってくれた。両手で缶を手にし、小さな口を空けて中身を飲み込んでいる。
「疲れてないか?」
少女は首を横に振る。困った。自分から関わってしまったくせに何も進展させることが出来ない。これ以上は自分の力ではどうすることも出来ないところまで来ている。
だが、そんな心境を慰めるように少女は雪哉を見つめ、そして、
「気に病むことは無いぞ、時任雪哉」
「……驚いたな、俺はお前のことをまるで知らないのだが」
そもそもこんな奇妙な少女を一度でも見れば忘れることなどないだろう。名前の一つや二つ聞いているに決まっている。しかし雪哉は知らない。だがこの少女は確かに雪哉の名前を口にしたのだ。
「うむ、私も直接見たのは初めてだ。だがお主の話はよく聞かされるよ」
そう言うことは雪哉を知る誰かがこの少女に話を聞かせているというわけになるのだろう。
古風な見た目と同様に古風な口調。初見。見覚えなど全く無い。だからこそ警戒した。つくづく面倒事に巻き込まれている気がする。
「そう強張らないでくれんか。私は本当にあそこに独りでいただけなんだ。お主と同じように相方を見失ってしまってな」
「そうか、なら探さないといけないんじゃないか? 俺が言うのもなんだがこんなところで道草を食ってる場合じゃないだろう?」
「ここに来たのはお前の意思だろうに。いや、気を使ってくれたのはわかるがな」
「そりゃ歩きっぱなしじゃマズいと思ってな。それに俺も疲れていた」
少女の見た目の幼さとは裏腹にその口調はどこか大人びている。だが雪哉はそんな少女の口調を気にすることなく平然と会話していた。
「しかし、どうしてあんなところにいた?」
「何、ちょっとした趣味じゃよ」
「趣味?」
「人間観察」
「……友達がいないんだな」
「お主に言われとうない」
ごもっともである。
雪哉は反論する気は無く、そのまま缶ジュースの中身が空になるまで飲み干した。
しかし状況は以前変わりなく。
雪哉は動けない。
だが、
「来たな」
少女が言葉を発し、視線を向ける。雪哉は釣られるように少女と同じ方を見る。
そこには私服姿の夜那城切刃がそこにいる。意外そうな顔をしてはこちらにやってくる切刃。そのまま雪哉と少女が座っていた席に座ると、
「やぁ雪哉、奇遇だね。どうしてここに?」
「いろいろあってな……迷子探しだ」
「君もかい?」
「……いや、一人ならとっくに帰ってる」
「誰かいるのかい? ああ、妹さん?」
「はぐれた」
「なるほど」
切刃は手の平の上に手を置いて納得。雪哉は仏頂面のまま机の上に肘を突いてそのまま顎を支えている。しかし切刃は雪哉との会話が途切れると少女の方に向かい、その横に座った。
「雪哉はどうして切歌と一緒に?」
「キリカ? ああ、さっき会ったばかりだ」
「いや、実はそれ僕の姉さんなんだ」
「夜那城切歌じゃ、よろしくな」
そこで雪哉は理解した。だが納得できない点もある。
姉にしては切刃よりも背が低すぎるし、口には出来なかったが幼すぎる。とてもじゃないが姉には見えない。どちらかと言えば妹か。
「今、失礼なことを考えとったろう?」
「何故だ? お前は俺の心が読めるのか? ま、まさか……「心読眼」の使い手なのか? 馬鹿な、あれは十三聖徒の一人、欠番のリーグジャルガナの能力な筈――あれには散々苦戦したが、よもやこんな近くに同能力者がいたとはな、ククッ、おもしろい」
「いや、そんな気がしただけなんじゃが……え、えーっと、切刃よ、こやつは何を言っておるのだ?」
雪哉の架空言語は常人では理解し難いものである。それは切歌も同じだった。しかし切刃は微笑みながら説明する。
「いや、雪哉はどうして自分の考えていることがわかったのかなって思ったからだよ。あと雪哉は「図書館」という物騒な連中らからセカイを守る為に戦ってくれてるんだよ。僕らがこうして生きていられるのは彼のお陰なんだよ」
「そ、そうなのか……だ、大丈夫か、お主?」
「俺はいたって正常だが?」
変化を見せず素顔のまま雪哉は返事をした。
寧ろ「どうしてそんなことを聞く?」といった風にすら見える。切歌はそれ以上言及することはなかった。
「しかしこれで切歌の目的は果たせたわけか」
だが雪哉の目的は達成していない。
肝心の雪哉の探し人は見つからない。
「どうしたの雪哉? 妹さん探してるんでしょ?」
「ああ、だが見つからない」
「妹さんならさっき見たけど?」
「本当か?」
「うん、迷子センターで見たよ」
「そ、そうか……」
理愛はどうやら本当に迷子センターに行ってしまったようだ。確かにそこに言えば確実だろうが、店内放送で名前を呼び出されるとなると恥辱の極みである。雪哉は放送で自分の名前が露呈する前にすぐさま理愛の元へ向かうのだった。
「雪哉とやら」
だが雪哉がその場から離れようとした時、後ろから切歌に声を掛けられた。
ふと振り返れば、切歌の手には携帯電話が持たれていた。
「お主、今時携帯電話の一つや二つ、持っておかぬと不便じゃぞ? 連絡できれば簡単じゃないか」
「そうだな。前にお前の切刃にも同じことを言われたよ」
やっぱり帰りに携帯電話を買って帰ろうと思った。