1―4 虹色との邂逅
1―4 虹色との邂逅
時任理愛は人間が苦手だ。
そしてこれは時任兄妹が運命に呑まれる直前の話である。
時間軸は入学式が終わり、同学年の生徒らが一つの教室に詰め寄る辺りになる。苗字の順番で左上から座っていくのだが、理愛の席は一番後ろ、左端、窓から外の景色がよく見える場所だった。日の光がよく当たり、陽気に誘われてそのまま眠ってしまいそう。
この間、兄の雪哉と通学し校門を越えて、この教室に戻って来るまで延々と小さな声で理愛の容姿を口にする生徒らの言葉を頻繁に聞いた。しかし理愛は慣れている。右から聞こえた言葉は左に抜けて消えていく。髪も目も日本人とは思えない銀の色。ただ髪を染めているわけでもない。どうしてこんな色彩を帯びたのかも理愛は知らない。生まれた頃からこの色のままだ。一度だけ黒に染めたことはあったが、黒は銀に馴染むことなく、理愛の髪色を変えることはできなかった。だからとっくに諦めた理愛は、自分の容姿に対してどうこう言われることは最早、雑音と同義だった。そんな雑音がする方に視線を移せば、音は消え、顔を逸らされる。これが続いたせいか理愛は人間が少しずつ嫌悪を抱くようになってしまった。
元々、苦手だったわけではなかった。けれど、幼い頃から髪と目の色を冷やかされ続ければ人付き合いを嫌がり、人見知りになってしまうのも無理はないだろう。
ここでもまた三年間、自分から味方を作れず仕舞いなのだろうと入学初日から希望は捨てていた。何もかも独りでやるしかない。そう、思っていた。
「へぇ、すごいね、これ」
そうやって心の壁を形成し、一つの結界を作り上げていたはずの理愛の目の前に突如として侵入する者が現れた。
「綺麗だね、銀色の髪なんて初めて見るよ。当たり前か」
一つ前の席に椅子は黒板の方を向かず、理愛の方を向いていた。そこに座る少女もまた理愛を見ていた。気がつかなかった。声を掛けられて初めて自分の髪がその少女に触れられていることに気づいた。だが理愛がその手を解くより早く、少女は理愛の髪から手を離していた。
「もうちょっと触ったら叩かれそうな勢いだったからね、ごめんね」
そう言って片目を閉じて、片手を垂直にし、小さな舌をチロリと出し、謝罪された。毒気を抜かれ、理愛の怒気はすでに薄れてしまっていた。小さく会釈だけして、少女から窓へと視点を移した。
「私、月下虹子。よろしくね」
それなのに、こんなにもはっきり拒絶しているのに、少女は自分の名前を言い、理愛の机に肘を置いていた。だがそんな虹子の行動に理愛は動揺していた。何のつもり? 何を狙っている? 何を考え、思っているのか? 考えば考えるほど虹子の行動が理解できなかった。
理愛と同じぐらいの小さな背丈。栗色の髪は肩まで伸び、微笑むその姿は小動物さながらだ。しかしどうだろう、一つだけ虹子を見ていて他の人と違う点が見つかった。
「目の、色……」
そこで初めて理愛は声を出してしまった。しまったと言わんばかりに顔を歪め、そのまま机を見つめ、黙り込んだ。だがそんな理愛を見て、虹子ははしゃぐように下向く理愛を潜り込むようにして見つめてくる。
「そうだよ、私の目はね色がコロコロ変わるんだよ」
角度によって赤から青へ、黄にも緑にも、多彩に変色させる瞳を前に理愛は開いた口が塞がらなかった。
「銀色にもなるんだけどね、でもこればっかはキミのが綺麗だよ」
「綺麗なんかじゃ……」
そんな言葉を使って欲しくはなかった。この色は嫌いな色だから。好きになんてなれない。この髪と目の色のせいでずっと周りからは奇妙に、気味悪く思われてきたのだから。
「色はね、意味なんだよ。同じ色なんて、つまらないじゃない。人と違う、いいじゃない。キミはキミなんだし、私だって私だからこの目は気に入ってる」
「アナタ、なに?」
不意に理愛の空間に入り込んで、言いたいことだけを呟く虹子に理愛は憤りを感じていた。ただ価値観を押し付けてくるその様に、これ以上ない悪感情を持った。
「と、き、と、う、り、あ。ふ~ん、時任理愛って言うんだ、いい名前」
「勝手にわたしの名前を呼ばないでください」
「まぁ、まぁ、そう怒らないでよ、わかってる、わかってるよ。キミが距離感を大事にしていることもさ」
「そうです、私は他人と馴れ合う気は毛頭無いんです。だからこれ以上話しかけないでください」
「気に入ったよ、なんというか他人は信じない。常に警戒し、接近すれば迎撃する。その姿勢、その態度、いいね。理愛、いいよ」
全くの他人、今日まで顔すら見たこともない少女がどうしてこれほどまでに理愛を執拗に煽るのか、そんなこと理愛にわかるはずもなかった。それでも理愛がわかることがある。この女、敵だ。
「しかしリア、ね。いかにもキミにピッタリの名前だね。そうかぁ、びっくりだぁ」
何度も何度も理愛の名前を反芻し、一人で何かに納得している。
そして理愛の名を反芻することを止めた虹子は教室の扉を指差した。教師の一人が理愛の名前を呼んでいる。種晶保有検査の順番が回って来たのだ。だが、虹子を飛ばして理愛の名前が呼ばれた。
理愛は虹子を見る。虹子は小さく手を振り、余裕綽々に机に突っ伏している。虹子の順番を飛ばすということは、虹子は種晶を保有しているということだ。この検査は種晶を持たぬ者だけに行われる検査だ。目の色が複数に変化するなんて時点で気がつくはずだった。目の色が好きに変化させるだなんておかしいじゃないか。それが能力でなくても、十分異質だ。そんなことに気がつけないなんて怒りで思考が鈍っていたのだろうか、すっかり理愛は失念していた。
「理愛は種晶がないの?」
「ありません、なくていいですそんなもの」
そのまま虹子には目もくれず理愛は立ち上がり、颯爽と教室を出た。長い銀の髪が理愛の歩いた道の上に軌道を描くように揺らめいている。そんな理愛の後ろ姿を見て、虹子は笑った。あまりにもそんな強がりが滑稽に思えて。
「理愛、キミがどれだけ『普通』に固執しててもね、理愛がいるだけで、この世界は十分異常なんだよ」
机の上に手を置き、顔を押し付ける虹子は誰にも聞こえない声でそう言った。ましてや賑やかな教室の中ではこの言葉が聞こえる人間などいやしないだろう。
だがそんな虹子の言葉はこの先の運命が動き出すことを知っているような口ぶりだった。
こうして理愛は教師に連れられ検査を受けることになる。そして結果として種晶が見つかることとなる。それは種晶を持たない兄との絶対的な決別となる。だけどそうして、やっと物語は始まりを遂げたということになるのだ。