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それが全能結晶の無能力者  作者: 詠見 きらい
episode-1. -Four Leaf Clover-
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2-14 毒虫達の坩堝

2-14 毒虫達の坩堝


 藍園逢離の身体が吹き飛んでいく。

 そんな宙を舞う逢離を理愛はただ見つめることしか出来ない。理愛は覚悟し、そして訴え、雪哉を止めようとした。だけど雪哉は止まらなかった。

 そして止まらなかった雪哉は逢離に暴力による制裁を加えた。雪哉は罪悪など微塵たりとも感じることなく冷徹な眼差しで倒れる逢離を見下している。

『兄さん……なんて、ことを……』

 そんな冷たい視線とは真逆に理愛は沈黙する逢離を見つめたまま失意の眼差しを雪哉に向ける。怒りや悲しみの感情を雪哉にぶつけたまま嘆いていた。

「信じていたんだがな……」

『えっ……………………?』

 だが理愛の視線や言葉を無視し、雪哉はそんな言葉を呟いた。今の理愛と同じように雪哉の表情は失意で溢れていた。

 ムクリと倒れていた逢離が起きると、逢離の顔に「ヒビ」が入っていたのだ。そしてまるで被っていた仮面が割れたようにボロボロと破片が落ちていく。そしてその仮面の向こうにもう一つの顔が見える。

「騙して悪かったね時任くん」

 手を振り、黒い影が「逢離だったもの」を包む。そしてその影が消えた時、そこには逢離とは違う別人が立っていた。黒い装束、黒い鎌、死神のようなそれが、笑いながら立っている。

「海浪、蜜世……お前が、そうだったか」

 理愛の担任の教師だった。

 この林間学校で雪哉が知った教師の名だった。

 そして、信用していた。理愛の担任であり、生徒を想う気持ちは本物だと信じていた。だけど、敵だった。理愛を襲い、攫おうとした。許せない。

「そうだね、ワタシはArkの一員だ。キミの妹を頂戴するためにいろいろ手を打たせてもらったんだけど、上手くいかなかったわけで、こうやって荒行に手を出したわけだ」

 操られていたのは逢離ではなく、蜜世だった。蜜世が化けていたのだ。

「しかし驚いたよ。完璧だと思った。現に妹さんは騙せていたからね。その割にキミは恐ろしく冷静だった。寧ろ最初から答えがわかっていたようだった。その拳には一切の遠慮も躊躇もなかった。心底驚いてる」

「教師のクセに頭が悪いな。逢離に化けた時点でバレバレだ……お前は理愛と逢離が話していた最中に姿を見せたろう? どうやって逢離を操れる? お前、能力は複数あっても使っている能力と違う能力は使えないんだろう?」

 能力の正体は不明だが、蟲を操ったり、人間を人形のように操ったり、様々だった。だが確実にその能力の内の一つしか使えず、複数の能力を同時に使用することが出来ない。

 どれだけ人を操ることが出来る能力を持ち合わせていたとしても、別の攻撃手段を用いれば前者の能力は使えない。蟲の姿をして攻撃してきたのだ。その時点で逢離の姿に化けても騙されるわけがない。

「だから、お前は蟲になって俺に襲い掛かってきたにも関わらず逢離を操っているようにしたことが愚かだったということだ」

「よく見てるじゃないか」

 雪哉の解答に蜜世は表情一つ変えずに拍手する。

「しかしどうして彼女らが話をしていた――なんて知っているんだい?」

「隠れて見ていた。お前のようにな」

「やれやれ、いつの間に……全然気づかなかったよ」

 理愛が操られたクラスメイトらに襲われていたのを雪哉は見ていた。しかし雪哉より早く駆けつけたのが逢離だった。そしてそのまま二人は外を飛び出して行ったのを雪哉は後ろから追いかけただけだった。そしてそこで雪哉は理愛と逢離が本音で口論していたところを隠れて見ていたというわけだ。

「まぁ、そんなことはどうでもいいだろう。それよりも教えてもらいたいことがある。その逢離に化けたのはお前の能力か? そして蟲は別の能力者の力か? お前は「二人」で行こうと言っていた……どちらかが化けたと思うが……」

「質問攻めですか? まぁ、そうですね……正解ですよ。こっちは最初から「二人」でした。ワタシは能力は他人にバケることしか出来ない。けれど、「こっち」は凄いよ」

 蜜世の横にいつの間にか百足の蟲が佇んでいる。そしてゆっくりと蜜世の身体に巻きつくように動いていた。

「俺が考察し、行き着いた答えが逢離に化けたお前を叩けたわけだ。俺のこの力は理愛によるものだ。理愛が俺と一緒にいるように、お前も誰かと一緒にいるんじゃないかってな……まぁ、お前も花晶を持っているのではと踏んだだけなんだが……当たりだったようだ」

「満点だよ、そうだよ、その通りだ。花晶は単身でも力を使うことが出来る。けれど、大抵は行動を共にするんだよ。単身では不利だからね。どんな強大であっても、「弱点」がある。それが結晶の力の絶対条件なんでね。だから――」

 蜜世の身体に巻きついた百足が口を開く。そしてその口から黒い涎と一緒に少女が垂れていたのだ。肩口まで姿を見せ、無表情のまま瞳には生気すら灯さず不動のまま蜜世の横にいた。

「ああ、そうだな……そうだったな……」

 雪哉はそんな異常な光景を前に笑った。花晶は少女の姿をしている。そしてそれは小さく脆いような、そんな儚げな存在だった。理愛のように、あの月下虹子のように。この前にいる少女もまた「同じ」なのだろう。

「ワタシの花晶、「毒虫達の坩堝(パンディモ・ニアス)」です。時任くんは過去に「虹壁は全てを遠ざける(レイン・ボネルファ)」を倒したみたいだけど、あの子は単身で殆ど力を使えなかったからねぇ……ワタシとこの子はちゃんと「付加接続(エンチャント)」しています。力を出し惜しみすることなく確実に妹さんを奪いますね」

「……付加接続(エンチャント)?」

 聞き慣れない蜜世の言葉。雪哉は首を傾げる。

「時任くんだってしっかりやっているじゃないか、ほら?」

 そう言って蜜世は雪哉の横を指差す。そこには理愛がいる。

 雪哉の傍らにいる理愛はただそこにいるわけではない。銀色に輝く天使のように雪哉を守護している。それは天使。天使の翅のように光の翼を羽ばたかせ、その光は右腕にまとわりついている。そう、まさに理愛が雪哉の身体に付加しているのだ。

「花晶が生きていたとしても、結晶に変わりは無い。だからこそ本当の力を使うには、花晶を装備しなければ始まらない。今の、時任くんのようにね」

「ならば、お前も……」

 蜜世の横にいた少女。百足の口から身体の半分を出したまま動かなかったが、その百足に呑み込まれていく。そして百足の身体が崩れて溶けた。コールタールのように蜜世の足の下に流れている。

「ああ、「これ」がそうだよ。今の時任くんと同じ状態だ」

 互いに異形を身に纏い、対峙している。

 雪哉は翅を、蜜世は蟲を。

 そしてただ視線を合わせたまま立っている。雪哉は動けなかった。

「まさか何も知らぬままに力を使っていたとはね。無知は罪だよ、時任くん」

「ならその罪、受け入れよう。そんな罪人から罰を受けるがいい、海浪蜜世」

 雪哉は手を握り、拳を前へ。

『兄さん、わたしを放置して何を言ってやがりますか』

 雪哉の横にいた理愛は怒りに満ちた表情をしていた。さすがの雪哉もその表情を前には何も言えなかった。久しぶりに理愛は雪哉に向けて本気で怒っている。雪哉は戯言の一つも口に出来なかった。

『――死ね』

「申し訳ない」

 いつもの口癖である死刑宣告。

 だがそれは冗談で言っているわけではなく、本心そのもののように聞こえて、今の理愛の怒りを鎮めるには雪哉はその言葉通り素直に死ななければならない。

 だが、理愛は言葉を言い終えた後、冷たい視線を向けるのを止めた。そして、小さく息を吐いて、

『逢離じゃなくて、よかったです。兄さんをぶっ飛ばしたい気持ちでいっぱいではありますが、今は目の前の脅威をどうにかしましょうか』

「ああ……そうだな」

 理愛はまだ怒っているようだが無理もない。「友達」を目の前で殴り倒されたのだから。それがたとえ偽者であったとしても、雪哉は躊躇せずに全力で殴り飛ばしたのだ。大事な、大切な――そんな代物を目先で破壊されれば誰だって怒りを覚えるに決まっている。雪哉はそれをしたのだから。

「後でいくらでも償おう。だから今だけは理愛、力を貸してくれ」

『兄さん、兄さんがわたしを守る為なら悪にでもなれる人……だからわかっているんです、だからわたしは怒っても、恨めません。だからこれ以上は何も言いません。兄さんも何も言わなくていいです。だから、一緒に進みましょう』

 やはり自慢の、最高の妹だと雪哉は思った。

「仲のいい兄妹ですね。嘘の関係であっても、まるで本物のように美しい」

 そんな雪哉を愚弄する言葉。

 蜜世は鎌を肩に掛けて、まるで汚らわしいものを見るようなそんな目で雪哉を理愛を見る。そんな視線を向けられても雪哉は何も感じない。敵に対して何か感情を抱くつもりなどない。始まる。雪哉は地を踏み、跳ねる。

「嘘ではない。そして「本物のように」ではない。「本物」だ、俺達は」

「怖い怖い、禁忌に触れた君達は一体どこまで行くつもりですか? これからも、この先も、ずっと、ずっと終わりなんてない。追われなさいな、この深淵から永久に」

 兄妹ではない、家族でもない。それはきっと虚像なのかもしれない。

 血も繋がっていない。繋がりなんてなかったのかもしれない。でも雪哉も、理愛も喪ってしまったから。父を、母を。だからたった二人の家族。作られた関係であっても、それが今は二人を繋いでいる。そして人間ではない妹を永劫守ろうと誓う人間である兄。終わりの見えない戦いに巻き込まれてしまっても、きっと雪哉は挫けない。だから蜜世のその言葉に失笑するしかなかった。

「終わるさ、俺が終わらなければ、いつか終わる」

「終わるよ、君は終わってしまう。ここで終わる」

 雪哉の結晶の左腕と蜜世の黒色の大鎌がぶつかる。

 互いに手を震えながら鍔競り合う。力は五分五分。女性の容姿をしているが、腕力は強く。雪哉が押されている。

「いいんですか? そのままだと両断しちゃいますけど?」

 蜜世の言葉に雪哉は舌を打つ。

 背後から黒い影が現れ、形を描けばそこから蟷螂の鎌が二本見えた。百足だった蟲が今度は蟷螂へ化けたのだ。蜜世が雪哉に鎌を振る時、先程まで蜜世の足元に水溜りのように溜まっていた黒いコールタールが消えていたのを雪哉は見ていた。警戒していたことが幸いしてか、すぐに雪哉は蜜世の持つ鎌から手を離し、離脱する。二本の黒い閃光が走る。もうあと数秒、同じ場所でジっとしていれば胴体を切断されていたことだろう。

「ワタシのこの花晶は自律するんで、どんな攻撃手段で、どんな潜在能力を秘めているのかはわからないんですよ。それだけが欠点かな?」

「そりゃどうも……」

 聞いていないのに蜜世はベラベラと喋る。自分の能力を包み隠さずに秘密にすることもなく言っている。それが引っかかってならない。蜜世はまるで最初から答えを教えているようにさえ思った。能力が一つしか使えないことも蜜世が言わなければわからなかった。しかしそれも蜜世は自分から勝手に喋っていた。

「どうしてお前はネタをバラす? 自慢の能力だろう? いいのか?」

「いいも何も、ワタシも時任くんの能力を知っていますよ? なら、教えてあげないと。平等にね、ワタシは平等に対等に君から大事なモノを奪いたいわけですよ」

「よく言う……理愛のクラスメイトを操ったり、藍園逢離に化けてみたりと、姑息で醜悪な手ばかり使う割に、そこだけ紳士的に見せても無意味だぞ」

「まぁ、正直に言えば君は賢いですからね。このまま戦闘を長引かせれば、ワタシの花晶が勝手に動いていることにも気づくだろうし、いろいろとバレる前に最初から言っておいた方がいいかなって、そう思っただけです」

「過大評価しすぎだ。俺はプロじゃない。戦いの中、観察を続けただけでお前の能力の欠点を見つけれるかどうかなんてわからないだろう?」

「いえ、十分プロですよ。何せ君は無能力者ですから。そんな君が結晶の最高位である花晶を倒しただなんて、そうそう簡単に出来ないものです。たとえ花晶の力を借りていたとしても、初戦でその成果は大きいのですよ。だからワタシは警戒し、卑怯な手を使ってでも、君と戦わないように策を練っただけです。だけで悉くそれは失敗した。だから最後の手段として正攻法で真正面からこうして戦ってるだけなんですよね」

 そして雪哉の持つ能力は能力者から見れば反則であろう禁じ手である。能力そのものを封殺してしまうなどと、そんな者と戦おうなどと、最初から能力の正体を知っているのならば敬遠してしまうのも当然であろう。

「ならどうする? 俺の能力が嫌ならばさっさと消えればいい。そうすればいいだけのことだろう?」

「そうしたいんだけどねぇ、確かに時任くんの能力ってワタシ達から言わせてもらえば最悪の能力だ。相性が悪すぎる。こちらが圧倒的に不利なのかもしれない。それでもね、ワタシには譲れないものがあるんだ、だからどうしても後に引けないんだよ」

 蜜世が跳び、地面から宙へと浮く。そして鎌を振り上げ、見境無く振り下ろせば雪哉はその凶刃から逃れるように左腕でその蜜世の攻撃を受け止めている。そしてまたも鍔競り合いの状態へと戻る。

「後に引けない……だと?」

「そうだよ、時任くん。ワタシはね知りたいの、凄く凄く知りたいことがあるんだよ」

「なんだ……それは?」

「叡智さ。ワタシはね、探究心が人一倍強いんだ。知識が欲しい、ワタシは知りたいんだよ、花晶が人間にもたらす「奇蹟」というものを」

「……奇蹟?」

 まるで何かに取り憑かれているように、蜜世は笑い出した。

 そして鍔競り合ったまま蜜世は雪哉の腹部に蹴りを入れる。躱せるわけがなかった。完全に盲点だった。命を奪う刃にだけ意識を向けていたせいだ。躱せと脳に命令することさえ出来なかった。無理な体勢から蹴られただけだったのかダメージは軽微。雪哉は地面を転がる程度で済んだ。

 だが転がった雪哉に目も向けずに蜜世は両手を天に掲げ、神を崇拝する信仰者のように恍惚に満ち溢れた表情のまま高らかに叫ぶ。

「そう、奇蹟だよ。花晶は人間に幸福を与えてくれる。「永遠」を、与えてくれるのさ。でも、それが何かわからない。どうしてそんなことがわかったのかもワタシはわからない。だから全部、全部、全部! 全部、知りたいのさ――」

 蜜世は叡智を欲していた。

 しかしその欲望を満たす為だけに理愛を狙った。それは、許されないことだ。

「お前の言うその叡智の為にどうして理愛を狙う。花晶はお前も持っているだろう?」

「ダメだったよ。いくら願っても、ワタシの持つ花晶(コレ)では手に入れられなかった。どれだけ足掻いても無理だったんだ。だけどね、知ったんだよ。時任くん――」

 鎌刃を雪哉に突き付けたまま、蜜世は言葉を続ける。

「ワタシが欲しいものはどうやら時任くんの持つ花晶でなければいけないということをさ。それはワタシらに永遠(しあわせ)をくれるんだよ、全部、全部を与えてくれる。だからね、ワタシは知りたい。知りたくて堪らない。その為の叡智へ近づく鍵が、時任くん……キミの妹なんだ」

 理解不能。

 雪哉は蔑んだ目で蜜世を睨む。この人間には何を言っても無駄だろう。この人間の持つ思考など理解など出来はしない。だって「これ」は敵なのだから。何を言おうが考えようが雪哉は認めることなど絶対にしない。だから反吐が出そうになるのを抑えて、こう言うのだ。

「そうか、わかった……お前のような狂信者が理愛を狙っているというのがはっきりわかったよ。わかってしまったのならもうやることは一つだ」

 雪哉は駆ける。

 蜜世は腕を組んだまま動かない。そして雪哉の腕が届く範囲に入った時、背後の影は大きくなる。

「やめろ、それはもう効かない」

 交差する黒の刃はその影が放ったものだ。

 蟷螂の鎌。

 しかし交差する刃が重なった瞬間を叩いていたのだ。瞬間さえも今は遅い。捉える事など容易かった。五感さえも今は強化され、常人以上の動きも出来る。そしてその蟷螂の両腕の鎌も今は叩いて粉々になっている。花晶の力によるものだ。雪哉の左腕を使えば破壊は可能だ。

「お前が何を崇高しているのかは知らん。だが、お前達の理想で俺の理想()を奪われて堪るか。俺は俺の守る者ならば神だろうが魔王だろうが何だろうが壊してやる。だから、お前の願望はここで破壊する」

 蟷螂の鎌を砕かれても蜜世は動じない。そして組んだ腕を解き、手に持つ鎌を振り抜く。その凶刃も雪哉は左腕で防ぐ。

「ワタシの夢の邪魔だ、キミはね」

「そうか、ならいくらでも阻もう。それが俺の意志だ」

 左腕は盾にしているから使えない。右脚が地から離れていた。その脚は蜜世の左脇に放たれている。その左脚は蜜世の左脇を直撃していた。だがまるで感触が無い。綿を蹴ったようだ。

「悪いけど、この子は臆病だ。傷つくことを恐れている。だからこそ、こうして自動防御(オートガード)が発動するんだよ」

「俺はお前を蹴るつもりだった」

「そうだね、だけどこの子は自分が蹴られると思ったんだよ。だからこうやってワタシの代わりに戦ってくれる」

 自動的に攻撃と防御を行う蜜世の花晶。ましてや雪哉の攻撃に触れる部分は部位を切り離すなどという芸当までやってのける。

「ワタシの「毒虫達の坩堝(パンディモ・ニアス)」は自立しているからね。ワタシの死角を狙っても、どれだけ虚を突いても無駄だよ。この子が見ているから」

 鎌の両腕を粉々になったままの蟷螂がドロドロに溶けて無くなる。そしてまた黒い霧のような中に薄っすらと見える少女。無言のまま、感情も見えない。理愛のような人間味が全く感じられない。雪哉の背後に理愛がいるのはただそこにいるわけではない。

「人形のようだな、お前の……その花晶は」

「人形さ。ワタシの戦う為の道具と言ってもいい。だけど時任くん、それが本来の姿なんだよ? どれだけ意識があっても、生きていたとしても異能を与える為だけにそこに存在しているだけなんだ。まさか道徳でも語るつもりかい?」

「いや、お前の花晶のことなどどうでもいい。ただ尚更、理愛を渡すわけにはいかないと思ってな。お前に理愛を奪われれば、理愛がどうなるか考えただけでおぞましい」

 蟲の壁から脚を離し、左拳を突く。

 蜜世は鎌でそれを防御し、笑っている。

「そうだねワタシの場合、道具に自我なんて不要だからさ、まずは壊すだろうね。この子も最初はいろいろ表情を変えていたのだけれど、「要らない」からね。さっさと壊したよ。だから、いろいろ心を壊す方法は得意なんでね、すぐにワタシのものにしてあげるよ」

「変態め」

「そうだよ、変態だ。ワタシがおかしいことなんてとっくに知ってる。だけどそれはワタシの夢を叶える為だ。だから諦めてその変態に殺されてくれる?」

 そしてゆっくりと蜜世の顔が歪み始める。肉が溶けるようにして落ちていく。そしてすぐにそれが形を変え、別のモノへと変わる。

「だから殺されてよ、時任くん。ワタシが変わりにこの子のお兄さんになってあげるよ」

 雪哉の前にいた筈の蜜世が、雪哉に変わっていた。

 鏡に映る自分のように瓜二つ。時任雪哉がそこにいたのだ。

「俺の顔を真似るな、気持ちが悪い」

「ははっ、ワタシの能力は容姿を変えることしか出来ない戦闘には不向きすぎてね、こうやって精神を揺さぶるぐらいしか出来ないんだよ。この「百面肉貌(ミリオニクス)」はね」

「悪いが俺の顔に化けたぐらいで俺は動揺しない。お前の卑しい手口はもう飽きた。つまらないからとっととやめろ」

「そうだったね」

 声までも雪哉と同じだった蜜世は元の顔に戻っている。そしてすぐさま振り下ろされる鎌を左腕で防ぎ、再び反撃。だが蜜世はそれを回避する。

「その悪趣味な鎌はなんなんだ? 他人に化けるだけの能力ならば「ARK」を持っても意味はなさそうだしな……」

「そうだね、だからこれは自前だよ。使い難いけどね」

 なら何故、鎌など装備しているのだと言いたくなったが雪哉は何も言わなかった。能力を強化することが出来る「ARK」は様々な形態を用いる。月下雨弓の「銃」もまたそうだった。風を操る能力者であった彼はその銃器を使用することで実弾ではなく風の弾丸を放っていた。能力を安定させて使用することも可能であり、雨弓の場合は強化ではなく、逆にリミッターのように使っていた。しかし今回の蜜世の場合は姿形を変えるだけの能力であって、そんなもの強化のしようが無い。だからこそ「鎌」という使い勝手の悪い武器を使用しているのは不自然極まりない。

「言っとくけど、何の意味もないよ。鎌じゃなくてもいいんだけどね、まぁ、しっくり来ただけでね」

「別にそれに伏線が貼ってあったところで、俺はそれごと破り捨てるから気にするな」

 鎌でなければいけない理由など全く興味など無かった。敵に関心を向ける気など雪哉にはなかったのだから。

 大振りに振られる鎌は単調で読みやすく、左腕で受け止めるよりも回避してその隙を叩くことも出来た。だがそれをしなかったのは、どうしても背後に見え隠れする蟲のせいだ。蜜世の花晶は能力を数多に持ち、複数の能力を単発ではあるが使用することが出来る。その為に未知そのものである蜜世の花晶を前にどうしても軽はずみな行動を取れないままでいた。

「ワタシの「毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)」を警戒しているのかな? ホントは攻撃したい。ホントは早く終わらせたい。けれど、それが出来ない。警戒しているんでしょう? しているんだよね?」

「そうだな、お前自身はあまり戦闘が得意ではなさそうだ。だがその背後にいる花晶……それが厄介なんだよ。だから俺は近づきたくない」

 隠す必要もないので、雪哉は正直に告白した。

「そうそう、その通りだよ。ワタシは戦うことなんてホントは得意じゃないよ。だってワタシ自身に戦闘能力とかないから。種晶だって顔と身体の形変えるだけ。時任くんの言ったとおりワタシはね、卑しい手口しか使えなく畜生だから、姿形を変えて近寄って奇襲って、そんで殺すだけ。手法がバレてる相手にとってワタシってクズ以下の戦闘力しかないから、だからワタシには花晶(この子)がいるわけ」

 しかし背後には黒い深淵が見えない。

 雪哉はそこで気づいた。だが遅すぎた。

「だからクズはクズらしく戦うよ」

 黒い沼が蜜世の足元に形成されている。それは蜜世の花晶が形を崩したままの姿だった。だが、その沼は雪哉の足に纏わりついている。そして底無し沼のようにゆっくりと雪哉の脚が沈んでいく。

「動けないな……」

 脚をどれだけ動かしても両脚は拘束されている。だがこの沼は花晶が作り出したものならば――

「いやいや、それはさすがにダメだよ」

 沼に手を伸ばした左腕が蜜世の鎌に遮られる。両脚を拘束されているせいで上手く立っていられない。左腕に響く衝撃を逃がすことが出来ない。そのまま縛られたまま、雪哉の身体は沼に落ちる。

「こいつは厄介だな……」

 仰向けのまま沼に呑まれ、身体の半分が沼の中に沈んでいる。しかし左腕だけはその沼に触れていない。そう、沼はただの湿地ではない。蟲だ。無数の蟲が集まって出来た巨大な口。その口内に身体の半分を喰われたのだ。雪哉の身体の動きを完全に封じる毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)に喰われ、そして封殺され、蜜世が笑いながら鎌を構える。

「滑稽だね、時任くん」

「余裕だな」

「余裕だよ、ワタシは何もせずにこうやって一方的に勝てるわけだ」

 動けない対象に一刃を確実に当てることが出来る状況。圧倒的に不利だ。

『兄さん、どうにかしないと』

「そうしたいのだがな……動かないんだよ……」

 どうやっても身体は動かない。そして蜜世は鎌を振り上げている。このままでは蜜世のシナリオ通りにただ一方的に殺されるだけの結末しか見えない。

「左腕が、使えればな……」

 左腕(アンチ・マグナ)は花晶の能力を壊せる。だが身体の半分は呑み込まれ、左腕だけは飛び出してしまい沼には触れられない。「毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)」自体がその左腕に触れぬように動いているのだろう。感情が全く感じられないが、思考はしっかりと働いているようだ。だからこそ雪哉の花晶にとっては劇薬のようなその左腕だけに触れることのないように雪哉の動きを封じている。

 このままただ何も出来ずに死を受け入れることしかできないのか。だがそんな窮地の中、大きな声が闇夜に響く。

「や、やめてください!」

 その声のする方へ雪哉も蜜世も視線を移していた。そして雪哉の横で理愛はただ驚きを隠せないまま――

 何故ならば、そこにいたのは紛れも無く本物の藍園逢離だったのだから。

 偽者ではない。蜜世が化けた別者ではない。

 だからこそ本物が現れた事に理愛は動揺を隠せないでいた。

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