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それが全能結晶の無能力者  作者: 詠見 きらい
episode-1. -Four Leaf Clover-
33/82

2-12 逢い、離れるなどと

2-12 逢い、離れるなどと


 逢離に手を引かれながら、理愛は建物の外へ飛び出していた。

「ここまで逃げれば……」

 なんて逢離は理愛の手を握り締めたまま息を切らし、木にもたれてそう言った。

 確かにかなり走った気がする。昼に登山した時に見た湖辺りまで走って来た。そして理愛と逢離は肩を並べている。理愛には想像できなかったことだ。

「それにしても凄いね時任さん、結構走ったつもりなんだけど涼しい顔してるんだもん」

「ああ、それは……」

 理愛は見た目こそ小さく、脆く見えるが、結晶なのだ。花晶であり、常人以上の力を持っている。正直な話、理愛は一人で駆けてしまえば逢離を置き去りにしたまま逃げ切れただろう。寧ろ逢離の速度に合わせたぐらいだ。逢離は息を荒げているが、理愛の呼吸は全く乱れていない。

「藍園さん」

 理愛は初めて、他人の名を呼んだ気がした。

 だから理愛に呼ばれた時、逢離は驚いたような顔をしていた。

「わたしが、今から言うことはきっとおかしなことだから……笑ってくれてもいいです。でも最後まで聞いてくれますか」

 理愛の言葉に逢離は黙って頷いた。

 そしてそれを了承と受けた理愛は一呼吸置いて、覚悟を決めた。今から言うことは本当は秘密だった。関係ない人間に言うべきことではなかった。だが、逢離は理愛の為に二度も危険な橋を渡ったのだ。そうまでして友達になりたいと願望する逢離を引き離す最後の手段は一つしかない。だから理愛は全てを話そうとしたのだ。そう「全て」を。

 だから理愛は話した。

 理愛は花晶であるということを。Arkが理愛を狙っている事も。だから先程、襲われていた事も。全部、隠す事なく話したのだ。

 この間、逢離はずっと理愛の言葉を聴いていた。途中で聴くのを止めてもいい。笑って罵ればいいのに、逢離はそれをしなかった。だからそれが良かったのだろう。理愛は壁に向かって話しているように逢離の視線も表情も無視してただ話を続けていた。

「わかりましたか? これでわたしの話はおしまいです。ほら、バカにしてください。全部、妄言だって言ってください」

 人間じゃない別物が人の皮を被って生きている。そんな存在は世界を革新に導いた研究組織(Ark)に狙われている。そんな組織に兄と一緒に戦っている――なんて自分で作った物語だと、何を勘違いしているのだと、そう言ってくれればいい。

「時任さんは……その、じゃあ、なに? 人じゃなく、結晶……ってこと? 種晶じゃなくて、花晶だっけ? そんなの、信じられないよ……」

 種晶(シード)は既に常識に組み込まれている。それは人に異能を与え、力を手にする事が出来る。しかし、人が知っているのはそれだけだ。だから逢離もそれは知っている。だがそれ以上は、今までずっと知らなかっただろう。

 花晶を知る者はいない。理愛も知らなかった。自分が「そうだと」知るまでは。

 人間ではなく、「結晶」である。自身の存在を否定され、ただモノのように見る敵がいる。それと戦っているのだ。信じられるのは雪哉()だけだった。だから、逢離に信じてもらいたいわけではない。だから理愛の言葉に対して戸惑う逢離を見ても仕方が無かった。

 こうして自分の存在を公にすることで逢離に全てを打ち明けて、正体を晒して、逢離の見る目を変えようなどと卑怯な真似をする。

「でも、難しいことはわかんないけど、それでもあたし、時任さんとは友達になりたいんだ。ダメ、かな?」

「……はぁ」

 だが叶わなかった。

 理愛の思惑通りにはならず、逢離は理愛の言葉を聴いてもその考えを改める事をしない。

「こんな変なことを言う子でも藍園さんは、友達になりたいですか?」

「なりたいよ。あたし時任さんのこと何も知らないのかもしれない。けど時任さんが嘘を言うような子じゃないのはわかるよ。だからきっと時任さんが人間じゃなかったとしても、それでもあたしは時任さんと友達になりたい」

 理愛の言葉に戸惑っていたはずの逢離だった。それでもその本質が覆されることはなく、逢離の願いはやはり同じのまま。最後の手段を用いても逢離は理愛を見る目を変えなかった。だから、今度こそこれで最後だ。理愛の双眸は鋭く尖り、逢離を睨み付ける様に見つめる。

「な、なにを?」

「いいから」

 さすがの逢離も理愛に真正面から睨まれると緊張するのか、理愛の目を合わせられないのか正面こそ向いているが視線は逸れている。だが理愛はそんな逢離の両頬に触れては逃がさない。自分の目を見ろと言わんばかりだった。だがそんなこと本来の理愛ならしなかった筈だ。他人と関わる事を一番嫌っていた、他人から距離を置くことを一番としていた。そうして孤独を徹底していたのに今はもうそれをしない。

「わたしの銀の髪も瞳も認めてくれるんですか?」

「も、もちろん! 綺麗な色だって思うよ、ホント幻想的な物語の女の子みたい」

「ありがとうございます――」

 逢離の言葉に感謝し、そして理愛は逢離にあともう少しだけ顔を近づければ唇が重なってしまいそうな程に接近する。逢離はそんな理愛の行動に狼狽え、頬を赤く染めている。しかし理愛はそんな逢離の変化に気付く事なく口を開いた。

「でも、「これ」はきっと藍園さんでも無理だと思う、そうに決まってる」

 理愛は逢離の頬から手を離し、片方の腕を取る。そしてゆっくりと服の裾の辺りまで引き寄せていく。そんな理愛の行動に逢離は慌てふためき、ただ全身を蠕動させていた。

「な、な、何をしてるの時任さん! あ、あ、あたしまだ、その心の準備とか、そのなんだか色んな準備しないと、そういうこと出来ない、出来ないって!」

「……何を言ってるんですか? いいからジっとしてください」

 服の中に手を滑らせながら、ゆっくりと理愛の胸元に誘うように逢離の手は引かれていく。裾から手を滑り込ませていくせいか裾から徐々に捲り上がっていく。白い腹部が露わになり、黒い下着がちらりと見える。だが理愛は別に気にしない。同性に肌を晒すぐらいはなんともない。だが逢離はというとまるで湯気が出る程に顔を真っ赤にしている。理愛はそんな逢離の顔が見えはしたが、気に掛けることはなく、そっと逢離の手を自分の胸元に触れさせた。

「え、なに、これ?」

 そこで逢離はまるで冷水をかけられたように頬から赤の色を無くす。そう、理愛は逢離に自分の不可侵に踏み込ませたのだ。理愛は結晶だ。その事実を知ってからというもの理愛の胸元には花晶としての「核」が姿を見せているのだ。しかし、それは理愛の意思で出し入れが出来る。本来、花晶は全てが髪の毛一本までもが結晶である。しかしその核は人間でいう、心臓や脳のようなものである。だからこそ核を失えば花晶として力は失なわれ、結晶としての生が終わるのである。

 だから、もっとも大事な部分であるそれに理愛は敢えて逢離に触れさせたのだ。自分が人間ではなく、結晶であるということを分かって貰う為にも。

「どうです? 人間に、こんなものはありません」

「で、でも、種晶だって人の身体に埋ってるよ? これは、違うの?」

「そうですね、確かにそうです」

 種晶もまた人に力を与える。

 そしてそれは身体に埋める事が条件である。だからこそ理愛のこの行為だけでは認められないのだ。

「では、これならどうです?」

 雪哉は腹部まで捲れていた服を鎖骨の辺りまで捲り上げる。

 理愛の上半身の殆どが露わになっている。逢離は先程よりか多少マシにはなっているが、頬を赤く染めている。そして逢離はその目で理愛の胸元に手が触れている。理愛の結晶に触れている。そしてその結晶は銀色に神々しく輝いている。

「銀色に光る種晶なんて、見たことありますか? そして、この結晶が埋っているように見えますか?」

「ううん、見たことない。埋ってもない。脈打って、まるで心臓みたいに……でもそうじゃない……なんなのこれ?」

「見て理解できないなら、別に理解してくれなくていいです」

「いや、ごめんごめん、そのこんなの初めてだから、そのびっくりして」

 逢離は手を、首を振って逢離に謝っている。確かに現実から離れた光景を前に驚きを隠しきれないが、理愛が嘘を言っているとは思わない。ましてやこんな事をするぐらいだ。逢離が理愛を笑うことなど出来やしない。

「わかりましたか。わたしは人間じゃないんです。結晶なんです。種晶の力よりずっと強い、花晶なんです。だから、わたしはアナタとは友達には――」

 これでいい。自分の異常さを逢離に伝える事で逢離の間違いを正そうとした。友達にはなれない。友達になれるわけがないということを、対等ではなく、人ではない理愛が、人と友達になれるわけがない。

 自分が結晶であると知る前から、理愛は自分は人は違う別者だとわかっていたから。周囲の目が、声が、理愛をこの世界から遠ざけていたのだから。そして最初に作った友達さえも、理愛を別の者だと言い切って、他の人間と一緒に笑っていた。人と違うというだけで、それはもう別者として扱われる。

 だから、逢離が最初に理愛と友達になりたいと言った時は当然、信用できなかった。信頼できるわけがなかった。きっとこの子も自分を裏切る、なんてそんな風に自分の中で決め付けていたのだから。でも、そうでないとはっきりとわかったら、次は逢離を巻き込みたくないという感情が生まれたのだ。だから、正直に全てを話した。


 だから、これでいい。


 これで逢離はもう理愛に関わらない筈だと、そう思っていたとに。思って――

「ごめんね……」

 それなのに、逢離は理愛を力いっぱい抱き締めていたのだ。

 ギュっと理愛より遥かに大きな身体で抱き締められては、力尽くで振り解かなければ逢離の腕を解く事は出来ない。だけど、そんなこと出来るわけがなくて。理愛はどうして自分が抱き締められているのか、謝られているのかもわからない。だから、「どうして」と心の中で呟き、考えてしまう。

「そんな大事なこと教えてくれて……ありがとう」

 抱き締められて感謝される謂れが無い。

 だからその抱擁を拒絶すればいい。でも、それが出来なかった。大きな身体で理愛の全身が包まれる。温かい。それは温度ではない、そう胸の奥が何故か温かい。

 それなのに理愛の口から出る言葉はいつもと変わらない。

「謝らないで。感謝しないで……アナタ、ホント、変です」

「変かぁ……うん、あたし変だよ。でも、それでも時任さんが全部教えてくれたせいであたしもっと友達になりたいって思っちゃった」

 逢離の心は本物だった。

 どこにもその想いに偽りなどなく、ただ本心から理愛と友達になりたいと、言う。

「逢っても、いつか離れてしまうって言ったよね」

「はい」

 理愛を抱くその腕が強くなる。

「逢ってしまったら、もう、離れることなんて出来ないよ。あたしはそう思ってる。だからさ、時任さんに……ううん、理愛に逢えて良かった。だからもう離れてやるもんか」

 逢離は理愛の名を呼ぶ。呼び捨てでその名を口にする。そしてこの時、初めて、距離が完全に無くなった気がした。理愛の完全なる敗北だった。

 もう覆す事は出来ない。逢離の純粋たる想いの前に敗れたのだ。理愛は初めて考えを改めたのだ。信じてもいいんじゃないかって。

 たった一滴の覚悟を垂らすだけでと、雪哉は言った。

 本当だ。他人を信じてみよう、そう思っただけで、そう覚悟しただけで、こうも世界は鮮明に映し出される。

「理愛、よく聞いて。あたしもね理愛に聞いて欲しいんだ。あたしの秘密。理愛だって自分が嫌われるって前提で本当のこと言ってくれた。だからあたしも言う」

 抱き締めた手がゆっくりと解かれていく。そして両肩に逢離の手が触れ、ジっと理愛を見つめている。理愛もまたコクリと無言のまま頷いて、逢離の言葉を待つ。

「どうして――――なんて、ホント理由なんてないんだ。ただの自己満足。でも、今からあたし、ホント寒いこと言うからよく聞いて」

 すーっと大きく息を吸っては、大げさに溜めた息を吐いて行く。

「あたし、男の子より女の子が好きなわけで、その、理愛に一目惚れしちゃったわけなの」

「……………………………………その、………………えーっと、…………いま、なんて?」

 刹那、世界の時間が停止した気がした。いや、理愛の時間が停止しただけなのかもしれない。だが、逢離の言葉で時を止められたのだけは確実だった。だがそんな理愛が静止しているのをよそに逢離は喋ることを止めない。

「えーっと、その、ほら、なんていうのかなぁ。男の人はなんとも思わないんだ、でもね、あたし初めて理愛を見た時、そのなんていうの? 頭の中に音が鳴ったみたいな?」

「すみませんごめんなさいわかりません母国語でお願いします」

 逢離は間違いなくこの国の言葉を話している筈なのだが、理愛には逢離の言っている言葉の意味がさっぱりわからない。異性には興味が無く、同性に対して好意を寄せる。そしてその好意の度合いは他人より遥かに大きい。

「だから、あたし、その……ごめんね、理愛のことが好きでね、ははっ、気持ち悪いよねぇ」

 純粋だったのかもしれない。その感情は確かに無垢なる想いから生まれたものなのかもしれない。しかしそれは人よりズレが生じているのは確かだ。歪んでいると見られても仕方がないのかもしれない。それでも、それを、愚考だと、愚行などと、区別してはいけない。理愛は逢離のその告白に驚きこそしたが嫌悪など抱く事はしなかった。歪んでいるのは、きっと理愛だってそうだったからだ。

「自分を卑下しないでください。アナタの本当の言葉、確かに伝わりました。ありがとう、こんなわたしでも好きになってくれて」

 そこで初めて理愛はきっと他人には決して見せることのなかった柔和な笑みを逢離に向けたのだった。冷たい刃のような銀の瞳からはまさにその言葉の通りに刃の如く、刃先を向けては威嚇を繰り返し、全てと敵対し続けていた。そんな理愛が初めて、雪哉以外の誰かにその本当の素顔を見せたのだ。

「え、えへへ……理愛って、ホント天使みたいだね」

「な! 何を言ってるんですか! アナタは! ホント変なことばっかり言わないでください!」

「えー? 変なことじゃないよ。その銀の髪も目も凄く綺麗なんだもん。だから――」

 また逢離は理愛の身体をギュっと抱き締める。理愛は厭そうに顔を顰めるのだけれども、それでもその腕を解くことだけはしなかった。きっとこれが欲しかったのだろう。誰かを信じられる心が欲しかったのだろう。でもそれを欲することもせず、欲する意思すらも今までずっと殺し続けて来たのだろう。

「でも、本当にそれだけなんですか?」

「それだけってぇ……それだけだよ。それだけの理由。でもホント気持ち悪くないの? 女の子が、好きだなんて」

「好きの感情は人それぞれでしょう……何を好きになっても、誰かを好きになっても、それをわたしが否定出来るわけがありませんから。正直わたしから言わせてもらうと、「なんだそんなことか」です。どうしてわたしはこんなにも悩んでいたのだろうって馬鹿らしくなってしまいます」

 逢離を否定すれば兄を好きと想う理愛もまた否定することになる。だから、絶対にそんなこと出来るわけがないのだ。だから、ただ素直に逢離の想いを受け止めることが出来るのだろう。そしてそうやって受け止めることがこんなにも簡単だから、こんな簡単なことがどうして今までできなかったのだろうと、そう思うだけで本当に自分自身が愚かで仕方が無いのだ。

 だからもうこれで終わり。これ以上、続ける必要もない。だから、次に進むことにする。

「逢離、わたしはわたしを狙う敵と戦わないといけない。だから関係の無いアナタは隠れてジっとしていて欲しいんです」

「関係無いなんて――」

「関係、無いの。お願い、わたしの言うことを聞いて。関係なくていいの、そうじゃないといけないから。でも、それでも、わたしと友達でいてくれる?」

 自分で言っておきながら無茶苦茶な事を言っていると理愛は自分自身を笑った。逢離の好意は嬉しい。それでもここから先はもう日常も現実も何もかもが失われる世界の理だ。そんな逸脱に逢離を巻き込みたくは無い。だから拒絶する。しかしそれは逢離そのものを拒んでいるわけではない。だから、

「お願い、本当にわたしのことが好きなら言うことを聞いて、聞いて欲しいの、「逢離」――」

 それは逢離に向けられた切実な願い。そしてその切望は逢離に届いていた。逢離は理愛の言葉の意味を理解した。そしてその名で呼ばれたからこそ、はっきりと理解できた。逢離はわかった。自分がここにいてはいけない。ここにいれは理愛に迷惑がかかる。そして逢離は理愛を困らせてはいけない。「友達」を惑わせてはいけない。

「理愛、あたし待ってるから」

「そうして、逢離……そうしてくれるだけで、わたしは救われる」

 祈ってくれるだけでいい、願ってくれるだけでいい。

 それを誰かがしてくれるだけで、理愛の心は救われるのだから。

 だからそれ以上、言葉を交わす事はなく、逢離は理愛から手を、身体を離す。しかしそれは別離ではない。理愛も、逢離もそう思っている。

 そして逢離はいなくなった。和らげな表情を見せていた理愛も、逢離が消えた途端にその温かさを失った事がわかるといつものような冷たい仮面に付け替えていた。

「さっさと始めませんか? こんなつまらない林間学校なんて行事、明日で終わるっていうのに、やっと家に帰れるっていうのに、ちょっぴりいい事もあって良い気分だったのに、そんな気持ちを抱いたまま家に帰りたかったのに、アナタ達のせいで全部一切合財がぶち壊しです」

『なら終わりニしなイ? ソチラが諦メてくれれバ丸く収マスのだケレどね』

 湖を照らす月光に照らされるように、闇黒が晴れる。

 しかし黒い塊が一つ、光を呑み込むようにして佇んでいる。そしてそれが放つ言葉は雑音が入り混じり、不協和音を撒き散らしながらやって来る。

「それが出来ないから、こうして厭な気分になっているんでしょう? さっさと掛かって来なさいな……」

『カカッ、やる気十分のヨウで、ではこうしヨウ』

 木陰から現れるのはそんな闇の塊に手と足を生やす異形たち。

「クラスメイトのみんなは……どうしましたか?」

『ああ、木偶ハ放置してキタ。こちらも万能デハないのでね、所謂今のこの状態は戦闘形態のヨウナものでね、「一つ」しか使えないンダヨ』

 そして黒い闇はゆらりと揺れ動きながら理愛の前へ。

『さて、終わりにシヨウカ、花晶ヨ……反抗は止めタほうがイイな、死にたくナケレバ』

「ご心配なく、死にませんし、死ぬのはアナタでしょうし」

 理愛は敵の前で強気の姿勢ではあるが、理愛自身はまだ単独で敵と戦える方法が無い。もしかすれば何かあるのかもしれない。しかし今、この状況下では何の方法も持ち得ていない。

『どウした? 掛かッテ来ナイのか?』

 理愛は答えない。

 どうすればいい、どうすれば……もし、あの人がいればと理愛は心の中で自分の弱さを補ってくれるあの人の名を呼んだ。

「なら俺が掛かって行こうか?」

 まるでそんな理愛の弱さに呼応されたかのように、それはやって来る。絶対にやって来る。どれだけ遅くとも、理愛の窮地に駆けつけるのだ。

『遅かっタ、か……』

 そんな突然の登場に、黒い闇は驚くこともせず現状を受け止めていた。

 理愛は、いつものように当たり前のように現れるその姿に安堵する。

 そう、時任雪哉はまるで最初からそこにいたかの如く、木々の合間から姿を見せていたのだ。

「全く、「喰われた」時はさすがに終わったと思ったが、本当に殺すつもりは無かったみたいだな。ましてや「一つ」といった、どうやら能力を複数持ち合わせえているようだが、俺を束縛していたあの闇……どうして俺を自由にしたのかと思ったが、別の能力を使ったから効力を失ったのか?」

『その通りダ、単純に厄介なお前ハ、花晶を手に入レル間、邪魔できヌように時間さえ稼ゲレバよかったわけだ。しかし、おぞましい行動力だ、よく見つけタな』

「何を馬鹿な、意識がはっきりした時、山の上まで連れて行かれていたことには驚いたが、この程度、理愛に追いつくことなど造作ない」

『まるデ、どこにいるノカわかったよウナ言い方ダナ』

「わかったよううな、ではない」

 雪哉は前髪を掻き分け、そして腕を組みながら長い前髪を弄りながら、

「わかっている、だ。間違えるなよ小虫、お前のような下賎が「それ」に触れていいものではない、だからとっとと面前から消え去れ、でなければ、俺がお前の行為を阻止する」

『別に、イイさ。ならさっさと殺シテ、動かナクなってから花晶ヲ頂クとしようかナ』

 そしてその闇黒は、人のように二本の足で立っていた筈だったが、前に倒れ出し、四つん這いになって雪哉と理愛に対峙する。まるでそれは宛ら猛禽類の如く、人ではなく猛獣のような形態に変態していた。変形などと格好のいい言葉は似合わない。異質な音を立てて、気味の悪い形状のまま、ただ不気味に姿を変える様は完全に怪物の類だ。

『殺シテやろう、時任雪哉。大事ナものを奪わレル前に、死ぬがイイ。そして死んでから、奪わレテしまエ』

「お前は愚かだな、闇黒の迷宮に囚われようとも、この意志は迷わず、惑わず、だからこそ止まらない。お前に俺は止められない。俺を止めたくば、最初からその(アギト)でこの身を食い千切っておけば良かったのだ」

 そして雪哉は理愛を一瞥する。

 けれどそれだけ。「何をしていたのだ」、「心配させやがって」と、そんな言葉は雪哉の口から出ることは無い。そして理愛もまた「何をしていたの」、「心配させないで」と、そんな言葉を理愛が使うわけが無い。信じているから、大丈夫だって、わかっているから。

 だから、こうして来てくれたことも理愛は感謝している。だけど口には出さない。ではどうするのか。決まっている。絶対の信用と、信頼。共に生きると誓った「家族」は無知なままに、ただ敵に追われる格好になってしまった不条理に立ち向かう為に戦うと決めたのだから、だから敵が目の前にいるのなら、どうすればいいのか決まっている。

「行くよ兄さん」

「ああ、往くぞ理愛」

 どうすればいいのかまだはっきりとわかっていない。

 けれど、望み、願い、与えるとその想いが理愛から雪哉へと謙譲された時、白銀の煌きは雪哉を包む。

 そしてゆっくりと右腕には薄っすらと紋様のように雪哉の腕を描く。そこから放たれる光子によって翼のような形が創られていく。そして雪哉の背中を守護するように理愛がふわりと浮遊する。銀の光の布を身に纏い、天使となりて雪哉を祝福する。

『やっぱり慣れないです……この格好』

「そうか? まさに俺を守護する天使そのものだ。今ならば全ての邪悪さえも消し祓える事だろう」

『兄さんのよくわかんない言語は置いておいて、あの気味の悪いオバケ、やっつけちゃいましょうよ』

「ふむ、俺の言うことは放置されるのか……穏やかじゃないな」

『兄さんの未来に平穏なんてありませんから』

「俺は安穏とした生活を送る事すら許されないのか?」

 どう見たってただ兄妹同士で会話しているだけにしか見えない。

 しかしそれはどう見たって現実から掛け離れている。光を放出しながら、半身は銀と化した雪哉。そしてその銀を身に纏う理愛は傍らで浮遊しながら笑っている。幻想世界から飛び出した次元違いの住人。そんな逸脱者がこの世界の中で生存している。だって兄妹(ふたり)は何であっても、何になっても、変わる事なんて無いのだから。

「まぁ、いい……俺の安静は禍根を断ってから幾らでも味わえる。今はこの蟲のように這い上がる闇黒を潰すのが先か」

『蟲、そう呼んダか?』

「ああ、まるでお前のその闇は蟲のようだ。小さな虫を何匹も何匹も寄せて固めたただの塊だ。お前の存在に興味など無い、さっさと潰す事にしよう、小蝿を叩くようにな」

『カカ、カカカッ、蟲――――蟲! その通りダその通りナンだよ! 時任、雪哉!』

 一つの蟲も膨大な数が集えば巨大な一匹の蟲として形成される。

 そしてその闇黒の名が似合う異形の蟲が大きく口を開く。口を開けばまるで涎を垂らすように、ボトボトと吐き気を催すようなおぞましい音を立てて闇を落とす。いや、それは蟲だった。闇の一部は蟲の一部。地面をのた打ち回る夥しい数の蟲が、蠢きながら理愛と雪哉に寄って集る。

『ひっ!』

「狼狽えるな」

 と、雪哉は言うものの理愛が悲鳴を上げるのも無理はない。小さな声を上げる程度だからまだマシと言うべきだろう。雪哉もまた平静を装ってはいるが背中の悪寒は止まらなかった。数え切れぬ蟲の大群で構成された化物。そんなものを前にして冷静でいられるのもおかしなものだ。あの蟲の怪物に喰われてしまったら、なんて思うだけで身震いは止まらない。雪哉も今の今までそれに気づかなくてよかったと思っている。

 つい先程、この蟲の大群に喰われたところなのだから。よく砂糖に群がる蟻のように食い散らかされなかったものだと溜息を吐いた。

『さぁ、戦おうジャないカ。掛かって来イ、結晶を身に宿らせたオカシナ人間ヨ』

「そうだな。そうしよう。反撃しよう。覚悟しろ陳家な糞蟲使い、この俺に懈怠な術で惑わせた事、悔恨に抱かれ悶死するがいい」

 雪哉は左腕を掲げ、右腕は理愛が掲げる。二人で一つの存在。戦う為だけの形態。世界から外れてしまった。でも、それでも構わない。二人が互いを守りあう。それだけでいい。それを成す為に道を外しただけだ。

「お前は俺の大事な人を略奪(うば)おうとした。ただ只管に強奪(うば)おうとした。赦されざる事だ、だからお前はここで終わりだ。だから、一つ、やがて終わるお前に手向けの言葉を送ろう」

 人族から遥か超越せし結晶の左腕が真っ直ぐと伸ばされる。そして握られていた拳、たった一本、指を差し――


贖罪(あがな)え、罪を背負い、ただ罰を受けろ」


 ここに嘘吐きな無能力者が立つ。本来は力など持たぬ能力を知らぬ者。しかし与えられし異能は、その者に戦いを選ばせる。

 そう、その戦いは……己が大切に、ただ想う者を守るたった一つの固定概念によるものでしかない。

 しかし、戦うのだろう。喩え相手が、如何なる存在であっても。だから雪哉は戒めの言葉を放つ。理愛を守る為にも、そしてこの時を経て「増加」した守護対象。これさえも守ってみせると奮起する。そう、だから――


 ――時任雪哉は背かない。

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