2-3 諦観
2-3 諦観
時任雪哉は諦めない。
最後まで決して、微塵ともそんな感情を抱くつもりはなかった。切刃の提案通りに「先生」である瀧乃曜嗣を利用する為に校内を駆け巡っていた。
しかし、昼休みまで瀧乃曜嗣を発見することが出来なかった。一時限目が終了と同時に駛走したものの曜嗣はいなかった。その次の時限も、次も、いつしか昼休みに入り、やっとのことで保健室にいた曜嗣を発見することが出来た。とはいっても曜嗣の行動原理を読めるわけもなく、雪哉はいつも曜嗣を保健室以外では見たことがなかったわけで。だから保健室にしか足を運ばなかった。もしいなければ、十分の休憩時間内で発見できる自信もない。だがやっと四度目の探索で発見することが出来た。いや、それを探索というものかどうか怪しいところだが、見つかったのだから問題あるまい。
雪哉は保健室で待ち伏せをしていただけに過ぎない。昼休みが終わるまでただ静止していただけだ。だが賭けには勝った。昼休みが始まってから十分後、瀧乃曜嗣は大袈裟に扉を開いては機嫌良く、スキップしながらやって来たのだから。
「探しましたよ、先生」
「どしたの? 金なら貸さないよ?」
「お話があります」
曜嗣の軽口に付き合うつもりなど毛頭無い。寧ろ少しでも反応してしまえば曜嗣の世界に引き込まれるだけだ。なら最初から何も言わない。何も聞かない。ただ自分の意見だけを押し付ける。強引かもしれないが、この男にはそんな意思で押し通らなければ会話すら成立しない。
「理愛のこと、なんですが」
「やっぱり「その」ことだよねぇ。ホント、雪哉くぅん……キミはいつだって遅すぎるよね。待ちくたびれたよぉ。疲れた、ああ、疲れた」
雪哉がそう口にした途端に、曜嗣は呆れては回転椅子の上に腰掛け廻り出した。
「林間学校のことだよねぇ?」
「え? ええ、そのことなんですが――」
「オラチンの代わりに行って来てよ。あれ三日も拘束されてちょー面倒な行事でさ、あの間、ネットは出来ないアニメも見れないゲームで遊べない! 死ぬしぃ、ちょー死ぬしぃ。ホント臨時教師まで何で行かなきゃいけねぇんだって。だからさ、代わりに行ってよ。エラい人には適当に都合つけるからさ」
曜嗣は無茶苦茶なことを言っている。
そんな自分の都合で、どうこう出来るなどと、そんな子供じみた思考で。
けれどそれは願ってもいないことであって、雪哉にとっては好機でしかない。そんな転がってきた幸運を黙って見過ごすわけにもいかず、雪哉は首を縦に振る。それでも、違和感を抱かずにはいられない。
「なんで……」
「なんで――なんて、聞くなよ。予言してたとでも思ってる? ねぇーよ。そもそも「いつ」来るか待ってたぐらいなんだから。雪哉くん、理愛ちゃんが林間学校行くから、それで孤立しちゃうから困ってたんでしょう。そんなもん行事始まる前からわかってたことでしょうに? それとも何か? 「この前」のことでそんなことも忘れてた? おいおい、しっかりしてくれよ。頭蓋骨の中には何が入っていやがりますかぁ? 豆腐ですか? 豆腐が入っていやがりますかぁ? だったら豆腐マンにでもなって子供に夢でも与えてろよぉ! ねぇ? こんなことになるのは最初から決まってたことなんだよぉ? しっかりしてくれませんと困りますなぁ」
小馬鹿にしている。しかし正しい。
そして雪哉は迂闊だった。
最初からわかっていたこと。その通りだ。
理愛が人ではなく、結晶であって――それを狙う「敵」がいるとして、理愛が孤立するであろう林間学校の日程がわかる前より早く、曜嗣に相談できた余裕は腐るほどあった。その余裕を失念のままに投棄したのは雪哉だ。それは明らかな雪哉の失敗だった。曜嗣が嘆くのも無理はない。曜嗣は何もしてはくれない。助力さえ与えてはくれない。だがこちらの意思さえ向ければ拒絶はしない。だから助けてくれた。
今回だって、こちらから動けば助けてくれたのだ。それを咄嗟にしなかったのが雪哉の失態。申し訳ない気持ちになる。
「いやね、まぁ、オラチンはそれに参加したくない。雪哉くんはそれに参加したい。わかりやすい利害一致ってるしさ、そうじゃなけりゃオラチンだって雪哉くんに手を貸す真似しないさ。わかってるでしょ、オラチンとキミらはどう足掻いても他人だし。だからその辺は履き違えないでください。だけど今回は運がいい、だから力を貸そう」
いつだって、力を貸すわけではない――そういうことだろう。
理愛が一人で戦いに向かった日も、その戦闘に勝利し雪哉が倒れた日も、曜嗣は雪哉に助言を与えてくれた。
たった一つの個人的理由――「面白くない」という理由で。
だからずっと曜嗣は雪哉の手助けをしてくれるわけではない。きっとただの気紛れでしかない。そう、曜嗣は善人ではないのかもしれない。しかしそんな人間は雪哉を、理愛を引き取り、保護者として現存している。だから、どれだけ読めない男であったとしても、面妖な男であったとしても、雪哉は頼るしかない。曜嗣は「大人」なのだから。どれだけ強く振舞っても「子供」では、上手く立ち回ることなど出来ないのだ。だから雪哉は曜嗣に頼るしかない。曜嗣が雪哉を利用していたとしても、一人では何もできないのだから。
「ありがとうございます」
「じゃあ金くれ」
「無いです」
「そうでしたか」
雪哉の返しに曜嗣はつまらなさそうにつぶやいた。
逆に雪哉から言わせてみればさっき金は貸さないと言っていたのは何だったのだと尋ねたいところだったが出そうになる言葉を呑み込んでおく。
「ところで雪哉くん、昼休みあと十分ぐらいで終わるけどゴハン食べた?」
「ああ……」
曜嗣を見つけることだけに頭がいっぱいで、自分の昼食のことは頭から完全に抜け落ちていた。誤算ではあったが、大きいものではない。我慢もできる。あれだけ時任雪哉は諦めないと豪語してはいたが、今日の昼食は諦めることになった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
時任理愛は諦めている。
独りでいることを選んでいる。誰かと共に行動することは、決してしない。信じられるのは雪哉だけで、それ以外の者を信用することなどあり得ない。信頼することなどきっと無い。
それはきっと世界のせい。
銀の髪と瞳を認めぬ世界のせい。
理愛は、迫害された。幼き頃に、そして――
(何を今更、別にどうってことない)
一ヶ月も経過すれば、周囲の視線も和らげなものに変わっていた。最初こそまるで珍妙な生物でも見るような、そう、「人」を見る目では無かった。いつものことだ。誰だって黒色が通常なのだ。その中に銀色などと、異常を混ぜ込んでも不思議がる、奇妙と思う。
しかし、それも時間が解決する。時間というものはおぞましいものである。異常がいつしか正常へ。理愛の銀色に対して怪訝そうな視線も感情も、今や殆ど向けられることはない。
そう、世界そのものが異常なのだから。
能力などと、そんな世界の端くれに銀色の髪など、そんなことで突っかかる様に反応することの方が余程におかしい。先天性のものであって、髪を染めてこうなったわけではない。ただそれだけ。そう言うだけで誰も彼もがそれ以上を尋ねない。
世界が異能で満ち溢れた中で唯一の役得と言えよう。もしそうでなければ理愛の容姿はもっと非難されていたに違いない。
だから誰もが時任理愛を蔑まない。声には、出さない。小さいが未だに理愛の見てくれに対して厭な視線を向けるものもいる。だがそれは仕方が無いことだ。この世全てが「個」を愛してくれるわけがない。必ず嫌悪を抱く者は存在する。仕方が無いことだ。敵は必ずいる。全てが「個」を正当に評価してくれるとは限らない。だからこそ理愛は感謝しているのだ。この世界全部、一切合財が理愛を不評しているわけではないと。たった一人、そう一人、雪哉だけいれば。
他は何も言わず、放置してくれればそれでいい。銀色を帯びた人間がいた。その程度の記憶が残っているだけでいい。寧ろ忘却してくれれば僥倖だが、それは難しいだろう。
「あ、あのあの、あのさ」
そうやって孤立を徹底する理愛に声が掛けられる。
思えば一ヶ月前も、「こんなこと」があったような気がする。
此方は結界を張り、不可侵領域を築いているにも関わらず平然と侵入してくることが。
「……はい?」
突然、声を掛けられた。理愛は、人間が苦手だともうしつこい程に説明しているが、冷徹というわけではない。声を掛けられれば返答するし、一匹狼を装って敵意を剥き出しにしているわけでもない。
だから今回も声を掛けられたから返す。ただ事務的に。機械のように、感情すら篭めず。冷たい銀の瞳で凝視する。その冷たさは敵意すら篭っていない。そう、無感情である。視線は逸らさず真っ直ぐに。そんな直線的な視線とは裏腹に、理愛の感情は目先の人間には決して向けられることはない。
だからそんな無感情な、ただ刃のような光を見せる銀の瞳に見据えられれば、大抵はこの時点で相手がただ声を掛けただけだと、それだけで終わる。
諦めた銀の少女は、孤独を願っている。
他人と関わりを持つことが、おぞましいから。ただこの銀を愚弄されることを恐れているから。なら最初からその道を破壊しておけば、最初から何も発生させなければいい。そうしておけば、まず傷つくことは無い。だからこそ瞳には一切の感情を篭めず、氷海のような銀をその少女に放出する。
これでおしまい。
だからきっとこの長い黒髪を後ろで結った少女も同じだろう。座高が理愛より高い時点で、明らかな身長差が垣間見れる。元々、身長や体重が平均以下の時点で、殆どの人より背は低く、軽いのだ。だが、その差に劣等感を抱くことはない。生まれてからずっと抱いた劣等に憎悪を感じる方が愚考であろう。そして、周囲に視線を向けぬ理愛にとって他人の姿など何でもいいのだ。
「あ、あたし、あ、藍園逢離。よ、よるしくね!」
最後の辺りが間違っていた。噛んだのだろうが、だが理愛は指摘しない。その少女が噛んで言い間違えた箇所は、文字にすれば案外似ているな――なんてつまらないことを考えてしまった自分を呪い、ただ殺す。
一ヶ月も経っている筈なのに理愛はクラスメートの顔と名前を一致させることが出来ない。関心というものが欠如しているのが原因か。もっと酷いことを言えば、「こんな人いただろうか?」と言わせる程に理愛は「藍園逢離」という人物を知らない。付け足すならば理愛のクラスは数日前に席変えをしている。運が良いか悪いのか、理愛の席は同じ位置だった。前回、月下虹子が座っていた場所にこの藍園逢離が座っていたというところか。
――なんて、他人に対して思考したこと自体、どうでもよかった。
すぐに自分の世界へ戻る。そして愛理には会釈だけして終わらせる。理愛の中ではもう会話が終了しているのだが、藍園逢離と名乗る少女は言葉を噛んだことに羞恥し独り言を呟いていた。
そんな逢離の様子など気にも留めず、理愛は教科書とノートを机の中に仕舞う。
四時限目は終わったばかりだ。昼食の時間は少し過ぎたが大丈夫だ。理愛はそのまま逢離を置き去りにしたまま教室を後にした。