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1-19 全能結晶の無能力者(10)

1-19 全能結晶の無能力者(10)


 月下虹子は困惑していた。

 同じ花晶(レムリア)の少女。それを手に入れることが「ark」から与えられた使命だった。

 しかし、今、虹子の前に立ちはだかるは、虹子の知らない未知なる形成。


 黒の中に銀が滲む。

 黒と共に銀を灯す。

 

 時任雪哉の身体はまさに銀で構成されていた。

 両腕が、髪が瞳が。

 その半身は銀で創り上げられ、そしてそれは理愛の面影を浮かばせる。死んだ筈の理愛が此処にいる。

 花晶(レムリア)は結晶であるが、その結晶の中には幼い少女を眠るとされている。それが本当の結晶の形である。そしてその破片が種晶(シード)となる。

 破片でさえ人が手にすれば限定的ではあるが能力を与えるとされている中で、花晶はまさにそんな異能の原型ともされ、そして力の頂点となる。

 五千年も前からわかっていたことだ。人が形を成すより遠い過去。そんな世界がまだ出来たばかりからその結晶は存在していた。

 そしてそんな人を超越させる、神秘の石の存在に人類が気付かなかっただけだ。世界を変革させる禍根は遥か過去からその形を見せていたのだ。


 虹子もまた人ではなく、結晶。

 そして目を覚ましたのは六年前だった。

 花晶の中で眠るのは少女。そしてその眠りは永劫覚めることはない。だから、虹子はどれだけ眠りについていたのかさえわからなかった。千年? 二千年? もっと、もっと長い時間? わからない。しかし目を覚ました時、「ark」がいた。奴ら(ark)が虹子を目覚めさせた。そしてそれは虹子という名を与え、役割を与えた。


 虹子、というその名は与えられたモノであって本当の名前ではない。


 目覚めた後、「月下虹子」として名前を与えられ、月下雨弓の妹という役割を与えられた。雨弓の妹として生きることになった。ただ振りをするだけの、贋物の兄妹だった。

 結晶が与えるその能力の名こそが、真名となる。

 だから虹子の本当の名前は「レイン・ボネルファ」である。全てを遠ざける破壊の力。それだけが虹子の全てだった。だからその能力こそが本当の名。だから虹子は偽りなのだ。人間ではないのだから、叡智を刻んだ全能たる結晶。名前など、最初からその結晶に刻まれている。だから人の名を付けられたとしても、それが自分の名前だとは認めていない。雨弓の妹であるというその役割も演じているだけにすぎない。


 なら、理愛は? 本当の名は?

 そして誰が理愛を目覚めさせた?


「また奇妙な格好になりやがって!」

 考え込む虹子の横で雨弓は拳銃を構え、躊躇うことなく発砲した。それも回転弾層に込められた全弾が雪哉に向けて撃ち込まれた。不可視の凶悪な風弾が雪哉を貪ろうとただ真っ直ぐに飛んで来る。しかし雪哉は動かない。回避の姿勢すら見せることもなく、ただそこで立つだけだった。

 しかし、風の弾が雪哉に当たるものだけを選び抜くように、三発は雪哉の真横に逸れ、そして残りの二発が雪哉に接近した時、雪哉はその光子を放ちながら、光る右腕を振り翳す。結晶の左腕ではなく右腕。その右腕を左から右へと振り払うだけで、雨弓の放った凶弾はまるで無かったことにされ、そして振り払われた腕は光の軌跡を描き、残滓だけが残っていた。

「なんだよ、これは……聞いてねぇぞ、ただ花晶を回収するだけだって、そんな簡単な話だったんじゃねぇか」

 雨弓の言うのも無理はない。

 さっきまで無能な様を見せていただけの男が突然、花晶の力を持つ虹子を殴り、死ぬ一歩手前まで追い詰めれば、今度は死んだ筈の理愛が雪哉の傍らでそっと姿を見せ、そして雪哉の容姿が現実から掛け離れたモノとなった。

 黒の髪に銀を交ぜ、片目は黒から銀へと変色した。そして結晶のような左腕と、光輝く右腕。これをどう見て人間と呼べるのか? どう見たってそれは異形そのものだった。

「化け物……」

「聞き飽きたな、それは」

 再三としつこく言われては飽きもする。

 雪哉には自分の姿が見えないから、今の自分がどれだけ人と異なった形をしているのかはわからない。けれど、十分人間から逸脱していることだけははっきりわかっている。けれど理愛がいて、一緒に戦えるから、だからどうということはない。

 雪哉は一歩足を踏み出すだけで、雨弓の前に立っている。腕を振り被り、そして拳を突き出す。瞬間で距離を縮め、攻撃態勢に入っている雪哉を目にした時、雨弓は全身を戦慄(わなな)かす。雪哉の右腕の形は、左腕の結晶を象ったものよりもずっと凶悪的なフォルムをしていたから。

 爪先はまるで猛獣の鉤爪を模したように鋭く尖り、そして光は白い翅の形を創造つくりながら、そんなを冷酷さだけを視認させるその爪が雨弓に襲い掛かる。

「避けろ、兄貴ぃ!」

 そんな時、虹子が叫んだ。雨弓はすぐにその場から転がる。そして雪哉の前にとてつもない速度で打ち放たれたそれは、樹だった。

「なにっ!」

 力を手にし、変質を遂げた雪哉でもさすがのこれには虚をつかれた。

 まるで樹が巨大な槌のように雪哉に襲い掛かる。

 それは虹子の力によって放たれた脅威。

 触れたものを吹き飛ばし、壊れるまで飛ばすのなら、触れたものを射出し、それを弾丸のように扱うことも出来る。大木をまるで槌のように。

 一瞬で壊れて無くなってしまったとしても、少しの距離ならば凄まじい質量と体積で雪哉を押し潰そうとすることだけは変わらない。雪哉は飛び交う樹木を回転し、回避する。躱した樹木はやはり雪哉の後ろで粉微塵になって消えていく。けれども巨大な砲弾と変わらない虹子が撃ち出す樹。しかし虹子は雪哉に近付くことなく、そんな遠距離からの攻撃を繰り返す。

「どうした……お前は、お前の力で俺を殺さないのか?」

「アンタのその左腕が、厄介だから。だから私は侮ることを止めた。その姿、その力、私も覚悟したわけさ、堅実にもなる」

「そうか」

 虹子はもう嗤わない。

 明らかな異形を前に覚悟し、戦うと決意したその表情はまさに戦士。雪哉は最初から覚悟している。だからこれで同じ位置なのだろう。雪哉は左腕に力を篭める。そして真正面から虹子の槌を受け止める。

 ただ左拳を振り抜き、折れた樹の砲弾に拳をぶつける。痛みなどなく、ただ衝撃による負荷が身体に掛かる。それでも耐えられた。そして高速で振り放たれた拳はその巨木を破砕する。それは何らかの能力が発生したわけではない。ただその腕の硬度が常識を遥かに超えているだけ。

 雪哉の左腕(アンチ・マグナ)は偉大ではない。しかし凡庸ではない。雪哉自身は自分を凡庸であると思っているかもしれない。しかしこの左腕は違う。その腕は雪哉のものではないから。

「死ねぇ!」

 粉砕した樹の向こう、雨弓は飛び跳ね、「ARK(拳銃)」を構えていた。走りながら回転弾層を廻し再び装填。弾層こそ空ではあるがその中には大気が篭められている。雪哉は巨木を破壊し、拳を振り切ったことで一瞬の間が生まれた。雨弓は走る。撃たない。そして雪哉の懐に飛び込んだ。

「こんだけ近付きゃ、さっきの手品(弾消し)は出来ねぇし、躱せねぇだろぉ!」

 雪哉が右腕を振るうことで雨弓の風弾は掻き消された。しかし銃口が雪哉の胸元に突き付けられている。これでは右手を振り翳すこともできない。

「だが、いいのか?」

「何?」

 雪哉は慌てない。何度も危険を前にしてきたのだ。死を目前にしてこうして生きて来た。どんな危機も脱してみせる。だから、雪哉は「左腕」を振る。

「なんだと!」

 雪哉は雨弓を攻撃せず、その武器を叩く。巨木すら塵に変える強固なその腕が「ARK」を粉々にする。雨弓は目を見開き、そして自分の武器が破壊されたことに悪寒が走る。しかしそれでも雨弓はまだ諦めない。両腕を振り、風が揺らぐ。武器を失ったところで力が失われるわけではない。そんな風の刃が至近で放たれ、雪哉の身体を切り裂く。

 たとえ異形であろうとも、身体は人間と変わらない。左肩から抉り裂かれた肉が真っ赤な鮮血を迸りながら地上を染める。それでも、雪哉は崩れない。

「な、なんなんだよ! テメェはよぉ!」

 危機よりも恐怖の方が大きかった。

 肉を裂かれ、骨を砕かれて尚、立ち止まらないこの(雪哉)が。

 それどころか雪哉は膝を地に突くことなく、腕を折り曲げている。右手の五指全てが折り畳まれている。

「ははっ、でも、でもよぉ! テメェはよぉ! 消せないだろう! さっきはビビったけどよぉ! オレの風塵呼応(ゲイルヘイル)はぁ――――」

 雪哉は無言だった。

 理愛は雪哉の首元にそっと寄り掛かり抱き締める。

「俺では、無理だろう。でも、お前は気づいてない」

 雨弓の眼前には竜巻のような壁を織り成し、そしてその螺旋が雪哉を喰おうと口を開く。そんな大きな風に逃げることなくただ拳を、前へ、前へ。

「俺には、理愛がいる」

 風を裂く、光の右腕。翅を生やすその腕がその暴風を殺し尽くす。青藍と輝くその光の中に理愛が微笑む。恐惶の風が止まる。雪哉の右腕が振り上げられる。

「届くかよ、お前の手が、オレに!」

『届きます』

 理愛が呟く。雪哉はその言葉の通りにその手を振り抜く。

 そして完全に風は死に、その死を超えて雪哉が駆ける。

『どれだけ離れていたって、どれだけ届かなくなって、きっと――「リゾン・ラーヴァ(その手は頂に触れる)」――』

 雪哉が振り抜いたその拳が理愛の言葉と共に雨弓を打ち砕く。

 雨弓の右頬に拳は叩き込まれ、雨弓の身体はグルリと何度も回転しながら吹き飛んでいく。そして樹木に身体を打ち付けられそのままピクリとも動かなくなる。

 偉大ではない、けれどその手は頂に触れることぐらいは、出来る。

 どれだけ遠くても、その差が離れていてもきっと届く。この腕はそれを叶える為の腕。

「兄貴、ヤられちゃったか」

「あとは、お前だけだ」

 雪哉が地面に倒れる雨弓から虹子に視線を移す。

「その両腕、お互いの欠点を補っているんだね」

「そういうことだな」

「私の能力も、兄貴の能力も、どっちもその腕に阻まれて届かないなんて、そんなの、ズルいじゃん」

 左腕は花晶を、右腕は種晶の能力を消し去り、封殺するという力。

 それが理愛の力。けれど、

「理愛、「どっち」が本物?」

 その言葉の意味が雪哉にはわからない。しかし理愛は虹子の言いたいことがわかっているようだった。

 結晶には名前がある。そしてそれは一つだ。だが、理愛が雪哉に与えた左腕とその能力。そして右腕にも違う能力が備わっている。

『わたしは……』

 理愛は答えられない。理愛もわからない。

「どっち? どっちでもない。どっちかだなんて言葉はいらない、理愛は俺の妹だ」

 雪哉はその白い右手で理愛の頭を撫でる。どれが本物かなんて、本当の名前なんて、そんなものは雪哉には必要のない答えだ。いま必要なものは雪哉の家族であり、妹である理愛の存在だけだ。それ以外は不必要だし、そんなもの欲することもない。そんな雪哉の言葉に虹子は肩を震わせる。

「本当の兄妹でもないのに、それなのにどうしてそんなことを平然と言えるの? 自分の本当の名前も、ここにいる意味も、何も、無いのに、一緒にいることが出来るの? 手放せばいいのに、そうすれば本当の日常は返って来るのに、このまま理愛と一緒にいたって、この世界で生きていけるわけがない。私達はいつまでも理愛を狙うわ。大きな力は必ず征服されるものよ。一緒に生きるだなんて、兄妹で居続けることなんて、出来るわけがないのよ!」

「ふざけるな」

 雪哉は歩く。

 理愛は不安そうな表情を浮かべる。自分が何者かわからない。結晶であったとしても、本当の名前はわからない。未知が理愛の行く手に影をさす。けれどその陰影で理愛の心に暗闇を満たすわけにはいかない。雪哉が虹子に歩み寄る。そして、雪哉は怒りの形相のままに虹子の胸倉を掴んだ。

「出来る、出来ないを勝手に線引きするな。お前の価値観を俺たち「兄妹」に押し付けるな――」

「押し付けもする、そんな狂った思想、イカレた能力、私だって、「本物」だった筈なのに、私より強いってぇ? じゃあ私がここで負けたら、私は、私は何の為に生まれて来たのさ!」

 虹子の慟哭が森林を覆い尽くす。

 結晶は能力を与える。それだけだ。能力を与えるだけの道具。それは花であろうが種であろうが変わらない。花晶であろうが、それは生きているだけに過ぎない。生きた部品。世界の一部でしかない。能力を持った生きた結晶は、それを目覚めさた者の道具になるしかない。

 虹子は「ark」によって目覚めさせられ、役割を与えられ、そして理愛という結晶を回収しようとこの町に来ただけだ。強大な能力を秘めた花晶として、道具として、そんな道具として行動する虹子の前に同じ境遇に立ちながら、生きる意味を履き違えた花晶を見せられればおかしくもなる。

 しかしそんな絶叫する虹子を前に雪哉は嘆く。なんて悲しい存在なのかとそう感じざるを得ない。

「何の為に、と? 生きてるなら、それぐらい自分で探せ。そんなことも出来ないのなら、お前の言う道具とやらのままで、生きたまま死者のように彷徨っていろ」

 それは雪哉自身にも向けられた言葉。

 雪哉が生きるその意味は、理愛と共に生きること。

 虹子の胸倉を掴む手が強くなる。結局、生きていれば生きるしかないのだ。時間は経過していくのだから、死なぬ限り止らないのならば、足掻くしかない。

「だったら、私はぁ……アンタをぉ!」

 胸倉を掴まれながら虹子は暴れる。そしてその手が光る。虹色の光を付与させたその身体が雪哉の全てを破壊しようと暴走する。そして雪哉は手を離し、左腕を――

「俺は生きる。だから、お前のような小さな壁に阻まれて堪るか!」

 アンチ・マグナという結晶の左腕はただ虹子の腹部に叩き込まれ、そのまま押し出されていく。虹子の身体に埋没する七色の結晶が罅割れ、そしてその光がゆっくりと雪哉の中に流れ込んでいく。花晶を殺す腕。その腕で幾度と無く打ち付けられた虹子の身体は限界だった。そして終にその身は人の形を保つことすら出来ず、花晶は砕け、虹子は消滅した。

「……なら、理愛に、教えて、もらおうかな」

 散り際、虹子は自分の死を理解していながらも消える最中、そんなことを言う。しかし雪哉は答えない。復讐の対象に掛ける手向けの言葉など持ち合わせていない。

『あ……』

 そして虹子が完全にこの世界から消え去ると、理愛がふと声を上げた。

「どうした?」

『いいえ、なんでも……』

「そうか」

『そう、寂しかったのね、アナタは――』

 傍らでそう呟く理愛ではあったが、誰に対しての言葉なのか雪哉にはわからなかった。でも、構わない。雪哉は気にすることなく、構えを解いた。


 だが、


「トキト、ゥウウウウウウウウウウウウウォォオオォッッッ!」


 まだ、終わりではなかった。


 のたうち回り、そしてもがきながら雨弓が立ち上がる。これを倒して初めて終わる。全てが終わる。雪哉は両腕に力を篭める。

「終わりだ、雨弓。終わったんだ、そこを退けてくれ」

「ふざけんなぁ! 虹子ぶっ殺されといて、こっちが潔く退けるわけにはいかねぇだろぉ!」

 ご尤もだった。

 雪哉も理愛が死んだと思い、特攻した。なら雨弓だって同じだろう。たとえ結晶の塊であろうとも、自分の妹ならば、殺した相手を放置することなど出来るわけがない。

「アレだけバケモノを罵りながら、お前もバケモノの妹を手元に置いていた……何故だ?」

「はぁ? バケモノだろうが虹子はオレの妹だぁ! それが悪いか!」

 悪くなど無い。

 もし、同じ道を歩んでいたのなら、共に手を取り合うことが出来るほどに共感できる感情を雪哉は抱いていた。どんな形であれ、自分の信じたモノならば、周囲に左右されることなく真っ直ぐに進むことの出来るその生き方。

「なら、どうして理愛を狙う……俺の世界に攻撃する?」

「……はぁ? 花晶はバケモノなんだよ、そんなバケモノがこの人間様の世界にのうのうと生きていることがオレは気に入らないんだよ!」

 雨弓が大気を纏う。「ARK」を失っている今の雨弓の能力は爆発的な威力を持っている。あの拳銃は自らの能力をコントロールする為に装備していたものだ。

 しかし今は違う。見境無くありとあらゆる万物を切り刻んでいる。そんな暴風域の中心に雨弓が立つ。今、その壁に近付けば輪切りにされてただの肉塊にされてしまうのかもしれない。

「オレの妹はなぁ、花晶のバケモノに殺されちまったんだよ!」

 暴風が縦横無尽に駆け巡る。樹木を切り倒し、自然を裂きながら、雪哉を喰い殺そうと暴れ始める。雪哉はそれを跳躍しながら、竜巻と竜巻の間を飛び抜けていく。少しでも躊躇えば、動くことを止めればその風にその身を貪られ、解体される。右腕に宿りし光であるリゾン・ラーヴァは種晶の力を潰し壊すことが出来る。しかし右腕に触れるということはかなりリスクを伴う行為だ。右腕は無事であっても、他の部位が飲み込まれれば右腕だけが現世に残り、それ以外が喰い破られてしまう。だから今は出来る限り躱し続ける。好機を見つけ、生誕した雪哉と同じ復讐者を穿つ為に。

「虹子の誕生日だったぁ、綺麗な雪が降る六年前だぁ、ケーキを用意してぇ、プレゼントも用意したぁ!」

 回避に専念する雪哉は竜巻を躱すことで精一杯だった。しかし、雨弓の叫びが耳に入る。その声が聞こえる。それはまるで雪哉と同じ。六年前に地獄を見た者の悲痛なる叫び。

「いきなりやって来た。気色の悪い蟲が、オレの家族を喰い散らかしたぁ! 気がついたら、オレだけだ……妹はぁ、虹子はぁ、どうなっていたと思う!」

 雪哉は何も答えられない。しかし雨弓は言葉を続ける。

「はははっ! 上半身が無くなってよぉ、足だけだぁ! しかも片足だけ。おい、おいおい、オレの虹子、どこにいっちまったぁ!」

 雪哉の動きが止まった。前方から、そして後方から襲い掛かる暴風が雪哉を呑み込んだ。躱すことができなかった。一番やってはいけない停止という行動を雪哉は取ってしまったのだ。それは同じだったから。雪哉もまた六年前に、両親を炭にされた過去があったから。

 そんな映像を見せ付けられてしまえば、狂ってしまう。壊れてしまう。だから、あの時は理愛がいてくれたから、理愛が助けてくれたから堕ちてしまうあと一歩のところで踏み留まれた。

 しかし雨弓は? 妹が殺されたとするなら、それは……雪哉も同じことになっていたら、想像するだけでおぞましい。そしてそんなことを思ってしまった時、足がピタリと止まってしまったのだ。だから雪哉の身体は暴風に巻き込まれ、大きく開いた風のあぎとに喰われてしまった。

「だから、オレは殺すぜ。花晶をな。「ark」はオレを選んでくれたよ。オレには力がある。オレには戦う才能がある。そして……「虹子(レムリア)」をくれた。あれから六年だ、大きくなってよ、綺麗になってよぉ、オレが憎んでる花晶でも何でもいい、藁にも縋るって言うだろう! なんだっていいぜぇ、矛盾だろうがなんだろうが、だけどよぉ、もう一度オレの人生が始まるってそう思ってたんだよ!」

 暴風の向こう側、竜巻に呑まれた雪哉に雨弓の言葉が聞こえているのかはわからない。それどころか絶命しているであろう雪哉にその言葉が届くわけがない。それでも雨弓は言葉を続ける。何度も叫ぶ。叫ばずにはいられなかった。雪哉の存在が憎いから。自分と同じように妹を持ち、家族を持ち、それをしつこく守り続け、守り抜き、傍らに一緒になって立ち向かうその姿が憎くて仕方が無かったから。

 虹子と同じ容姿。虹子と同じ名前。それでもそれが嘘だということを雨弓だって理解している。その現実から背を向け、役割を演じる虹子(レイン・ボネルファ)を妹だと、家族だと信じ込ませていた。

 けれど雪哉を前にすると、そんな偽りで塗り固める自分を惨めだと思わせられていそうで、滑稽な自分の姿が許せなくて、だから、憤怒という感情で隠すしかなかった。そうすることしか出来ない自分を更に呪った。

 それなのに、それなのに、まるで戒めのように、もう一人の自分のような、そんな「もしも」の自分が消え去った竜巻の向こう側で立っている。血塗れになりながらも、意識を保ち、呼吸を整え、はっきりとこの世界に繋がっている。

「それで、どうして欲しい? 憐れんで欲しいか? 同情して欲しいのか? それでお前が救われるのか? お前の心は保たれるのか?」

「いらねぇ! そんなもんはいらねぇ! でも、オレはテメェが憎い! オレから何もかも奪っていくのは、いつだって花晶だぁ! またオレは独りになっちまったぁ! 時任ぉ! だから、オレは、テメェを、妹をぶっ殺すッ!」

 大きく両腕を振り、またも創造される暴雨という結界。

 雪哉は回避することを止める。そして左腕を前へ。その光が再び大きな翼を描き出す。しかしその白き光の翅さえも、今の雨弓にとっては妖しく輝く堕天使のモノに見えて仕方が無い。

「なら、俺はお前を殺そう。お前の世界を、お前の全てを」

 理愛の悲しげな表情も、今の雪哉は目もくれず、そして地上が陥没する程に強く強く踏み込む。そして飛翔した。直線的すぎるその行動に、雨弓は呆れ返り、そして再び両手を握り、巨大な竜巻を召還する。

「なんだぁ? その気味の悪ぃ右腕でオレの能力ちからを消してみるってかぁ!」

 竜巻の数は前方に四つ。しかも全てが雪哉を囲むように蠢いている。右手を振り翳しても消し去ることが出来るのは一つだった。だから、どれを消しても雪哉を囲むその檻が雪哉の身体を磨り潰す。

 けれど雪哉は前方の一つの竜巻を消すことしかしない。残りの三方から襲い掛かる、雨弓はその光景を凝視し、勝利をこの手にしたと、心を奮わせた。

 なのに、

「まだだ、まだ、まだだ、もっと、もっと遠くへ――」

 届くのだろう? 触れることができるのだろう? その腕はその光は。頂に触れることだけを叶える腕なのだろう? なら、頂上に指先すら届いていないその右腕の名は偽りか? 雪哉は心の中で叫ぶ。リゾン・ラーヴァ(その手は頂に触れる)という名を冠するその腕が、頂点に触れることが出来ぬなど、その名は嘘かと。真なる力を見せろ。その腕は飾りではない。そうだろう、と。


「届け!」


 雪哉の呼応が、力を与える。

 雪哉の奮起は、力を消せる。

 その左右の腕は、如何なる力も殺すことが出来る。

 右腕の翅が大きく瞬く。その光が風を呑み、喰い返す。風は全て咀嚼され、全ての空間から風が死を遂げる。

「ふざけ、んなぁ!」

 雪哉は歩く。

「そんなふざけた異能ちからがなかったらぁ!」

 雪哉は歩く。

「テメェなんかよぉ……即死なのによぉ!」

 雪哉は歩く、そして、その手が頂に触れる場所へ到達する。

「テメェも、いつか喪うんだよぉ! オレみてぇに!」


 そして、


「そんな結末は来ないさ。理愛を、守護まもる。だから、来ない――」


 ただ結晶の左手が、雨弓の身体を打ち上げた。

 雨弓はそれ以上言葉を口にすることなく、朽ち果てた。意識が完全に途切れ、今度こそ地面の上で動かなくなった。白目を剥き、無様に泡を吹きながら、もう動かない。

 けれどその様を見て雪哉は何も言わなかった。その目もまるで何か思い詰めたように。

 雨弓はまるで雪哉の合わせ鏡のように思えた。もし理愛が、死んでいたのなら、あの六年間の乖離の果てで、理愛も一緒に両親と喪失していたとするなら、自分は雨弓のように壊れていたのかもしれない。背中に悪寒が伝った。恐ろしい、そんなのは御免だと、雪哉は嘆息を漏らす。


『終わり、ましたね』

「ああ」


 そして全てが終わった。


『兄さん、殺さないんですか? この人を……この人を殺すと、兄さんは言っていましたが』

「殺さないさ、理愛が死んだから抱いた殺意だ、理愛が生きているのなら雨弓は殺せない」

 詭弁かもしれない。

 虹子は死んだ。なのに、雨弓は殺さないなんておかしいのかもしれない。それでも殺すことは出来なかった。人間を殺す選択を選ぶことなんて、そこまで強く生きて来れたわけではない。

『虹子のことですけど』

「ああ」

『死んでませんよ、なんだか、兄さんがやっつけたとき、わたしの中に流れて来たような、そんな気がしましたから』

「そうか」

 雪哉はそれ以上何も言えなかった。もしそうだとしても雪哉の手で、雪哉の意思で虹子を殺したことには変わりない。消える一瞬、理愛と同じように七色の結晶の塊になったのだけはわかったが、その結晶もまた粉砕し、そして霧散してしまったから。しかし、そんなことよりもだ――

「理愛、お前、いつまで俺の肩に寄り掛かっているつもりだ?」

 雪哉はついそんなことを言ってしまう。重みも感触も何も感じられないが、このまままるで磁石のようにくっ付いたままというのも考え物である。それにこの異形な容姿。半分が銀と色に染まる雪哉もさすがにこのまま山を降りるのは問題があると思った。

『そ、そんなこと言われましてもわたしもどうすればいいのか……』

「こういった力による融合は、意外と感情で操作コントロールできるものだ。やってみろ」

『に、兄さん……なんか詳しくありません?』

「くくく、装着型の聖異物は古き悪しき時代(グレゴリアム)で見たことがあるからな」

『……相変わらず、なんというか「死ね」といいたくなります』

 帰還かえってきた。

 このふざけた会話。馬鹿みたいな兄の言葉。そしてそれを辛辣なままに剣呑な目で見つめる妹。これがいつもの形。それが瞬間で戻ってきた。あれだけ命のやり取りをし、死の横を歩いていた筈なのに、今はどうしてこんなにも愛おしい。当たり前が、こんなにも美しい。

『と、とりあえず……』

 理愛は雪哉に言われた通り、心の中で「離れろ」とか「外れろ」とかそんな感じの台詞を呟きながら、雪哉の身体から離れたいという意思を浮かべる。すると、どうだろう……雪哉の身体はゆっくりと風前の灯のように光は小さく、そして消えた。白い翅も、銀の髪も瞳も、まるで元通り。雪哉の右腕は人間のものに戻り、左腕は結晶のまま、元の身体へと回帰した。

「す、すごい……兄さんの言う通りなんて」

 まさか雪哉の言う通りにしただけなのに、元の身体に戻れるだなんて思えなかっただけに、こうも簡単に事が運ぶと返って怖いぐらいだった。しかしこの世界に再び生還いきかえることが出来るとは思っていなかっただけに度重なる奇跡の中でこうして再び地を踏む事が出来たことに理愛は感謝する。

 しかし、そんな感謝の気持ちで溢れる理愛を前に雪哉はというと唖然としたままポカンと口を開けたまま動かない。こうして帰って来たというのに、もう少し嬉しそうな顔をしてくれたっていいのに、なんて理愛は不満げに頬を膨らませるのだが――

「理愛、どうしたんだ……その格好は……ッ」

「…………………………………………へっ?」

 自分でもやけに情けない声を上げたと理愛は思ったが、そんなことよりも雪哉が指差す方を見る。それは自分の身体。なんということか、理愛は自分の身体を見た時、驚愕するしかなかった。


 だって、今の理愛の姿は一糸纏わぬ赤子の姿となっていたのだから。


「り、理愛……そんな破廉恥な姿、どうかと思うぞ。たとえ兄の前であっても、そんなことをしては、いけないんだ、うむ」


 雪哉はコホンと咳を。そして理愛は顔が爆発するであろう、ボンッという擬音が聞こえる程に

真っ赤に紅潮し、そして大事な部分を隠しながら、


「に、兄さんが破廉恥です!」


 凄まじい速度で理愛の右拳が雪哉の顎を砕いた。

 雪哉は声を上げること無く、そのまま地面に倒れた。


「ははっ、不味いな……血が出すぎたなぁ、もう、無理だ……」


 そしてそれが決定打。

 出血死してもおかしくない量の血を流し続けた雪哉は限界だったのだ。そして今の一撃はそんな雪哉の意識を繋ぎ止める最後の一本の糸を断ち切る威力だった。雪哉の意識が消えて無くなるには充分すぎる。


 そして、日常への帰還と一緒に、雪哉の意識も遠い別の世界へと帰還したという。

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