1-15 全能結晶の無能力者(6)
1-15 全能結晶の無能力者(6)
月下、闇黒の淵に顕現われたのは、理愛のたった一人の正義の味方だった。
しかしその正義が抱くのは憎悪と敵意。
憎しみを胸に、理愛に背中を向け、雨弓と虹子を睨む。
そんな憎悪の塊は雪哉自身。
一切の能力も持たず、異能も知らぬまま生きてきた男が、そんな能力者を前に卒倒することなく胸を張り、ただ立ち向かう。
「ふざけやがってぇ! オレの、オレのぉ、オレのぉおぉ、ふざけやがって、殺す殺すコロスゥウウウウウウウウ!」
起き上がる雨弓は顔を押さえたまま、目を見開き、怒りに奮えていた。額からは血管が浮き上がり、口から煙でも出る程に荒れた息を吐き散らす。。
そんな人の形をした獰猛な獣の顔面に雪哉は膝蹴りを浴びせてしまったのだ。
しかし雪哉にとってはそれがどれほど危険な存在であっても、強く跳び、顔面を破砕してやろうと思い膝蹴りした。
だって、それは理愛に殺しの武器を突き立てて、今にも撃ち抜かんとしていたから。大きな脅威が理愛に襲い掛かる前に早く、速く、排除しようと思っただけに過ぎない。
だから、雪哉は戦うのだ。一度の敗北で、何が失われるというのだ。
威信がどれだけ損なわれたとて、そんな自尊心、今はいらない。
雨弓に苦汁を舐めさせられたことが何だ、どれだけ侮られ、罵られたとしても、それで何が失われるのだ。だから雪哉は大丈夫だった。理愛がいるのなら。
「来い、貴様の能力が如何なる存在であったとしても、その力で、俺を止められるものか」
力は弱くとも、心は強く、虚栄を張れ、自分を偽れ。大きな嘘で心を強化しろ。
絶対なる力の前で、刹那的な終焉を迎えぬ為にも、今はただ生きる選択を。
「ふざけやがってぇ、時任ぉ……テメェ、死んだぞ」
黒き銀の銃身が不気味に煌き、真っ暗な銃口が向けられる。
まだだ、まだ早い。
内心は焦慮し、恐怖していた。
吊り上っているこの目蓋さえ憂惧していることを認めてしまえば、情けないモノへと変わり果ててしまうことだろう。だからこそ虚像を描く、言葉を用い、嘘を構築しろ。それしかできないのなら、それだけをすればいい。
「いいのか? もうすぐ、俺の呼びつけた精鋭が駆け付けて来るぞ」
「アナタ、また同じ手を使ったの?」
雪哉が携帯電話をチラ付かせてみれば、虹子が忌々しげな顔をしては鋭い眼光を雪哉に放つ。だが、雪哉は答えを返すことはしない。前に一度、理愛を襲った虹子を警察に突き出したわけだが、どんな手を使ったのか咎めは無く、飄々と姿を見せていた。それを雪哉は知らない。それでも、こうして目の前にいるのなら、その時点でおかしいと気づくことは容易だ。
だから同じ手は通用しないのはわかっている。だって敵は未知なのだから。背後には「Ark」という見えない敵が聳え立つ。無尽蔵たる未知を前に法的な手段が有効とは思えない。
だから今はただ虹子でも雨弓でもどちらでもいい。とにかく挑発を繰り返し、標的を自分に向け、照準を変えさせればそれでいい。それだけで解決する。
「言っておくけど、ムリよ。来ないよ。私たちがどういう存在か、わかっていないの?」
「知っているさ暴行者、俺の妹に穢れを与える悪しき敵……俺の世界を狂わせる憎き敵。お前は敵だ。お前も敵だ」
虹子に人差し指を、雨弓にも人差し指を向け、そして指は突き立てたまま動じない。
「私が? 暴行? 違う、違うよ、何いってんの? わけわかんない言葉並べ立てて、まるで病人。おもしろくない、理愛と違ってやっぱ全然おもしろくないよ、アンタ」
虹子は呆れ返るように、雪哉を見るだけで倦怠感でも生まれるのかだるそうに首を傾け、そのまま頭を掻いている。理愛から雪哉に対象が変われば一番いい。それが無理でも、時間が稼げるのならそれでもいい。だから、雪哉は不快感を露わにする虹子を見て、口撃を再開する。
「お前たち有能力者が、複数で能力を持たぬ者を蔑ろにする――ただの暴力じゃないか。傑作だ、これは傑作だよ。お前たちが能力を開発し、未来を開拓している「あの」素晴らしい「Ark」だとはな、いや、俺はまた事実に近付けて心底幸福なんだ。やっぱりお前たち力があるものは、おぞましいなって、再確認できたのだからな」
大袈裟に両手を広げ、高らかに笑う。
小馬鹿にしたようなそんな笑い声は月下兄妹の神経を逆撫でするには十分すぎた。
だが雪哉の言葉は本心だった。
表舞台では「能力」を開発し、それを世界の為だと……振興させている。
しかし今まさに裏を垣間見ている雪哉にとっては、「Ark」が世界を歪ませる闇そのものにしか思えない。たった一人、妹を殺そうとしたそんな連中が、未来を明るい方へと導くとは信じられない。けれどその行く末に興味は無かった。何が待っていても、世界が滅んでも、そんなことは重要ではない。大事なのは理愛の存在。雪哉は理愛が蔑まれていたところを見ていた。バケモノだと罵られているのも見ていた。それを見て、走り出し、そして武力を行使した。
人を怪物呼ばわりしただけでは飽き足らず、殺害しようとだなんて、そんなこと許されるわけがない。それを平然と、躊躇うことも無く遂行しようとしたことが許せない。
協力はそこにはなく、一方的な虐殺を試みようとした。
月下兄妹は「Ark」の一員。
だからやはり戦うしかないのだ。世界をいくら大きく変えたとしても、能力が世界を新しいものに作り変えることができたとしても、それで誰かが死ぬのなら世界に挑まなくてはいけない。だから雪哉は逃げることを選ばない。
大きすぎる敵の前に、雪哉の存在はちっぽけだ。
足掻いても、届かない。
しかし結論が見えているから、それで諦めてしまえと――だれが決めた。
目先の暴力はまさにそう言っているようだった。
銃口から放たれる不可視は、雪哉の側らを簡単に吹き飛ばし、その力が雪哉に触れれば瞬く間に消えて無くなりそう……だからもう止めろ、諦めろだなんて、そんなことだから雪哉は前を見てしまうのだ。
「俺は、負けない――理愛だけ守る、それだけでいい! お前に、俺が、殺せるか!」
「ふざけんなよ、生かしてやってんのわかんねぇのか? お前みてぇなクソが吠えてんじゃねぇよ。負け犬すぎて、笑えてくるわ」
「やめろ、俺のこの左腕の聖骸布を解けば……それはお前たちを敵と認識したことになるぞ」
「はぁ? 気色悪いんだよ! 日本語喋れやゴラァ!」
顔を摩り、鼻血を拭い、銃口が水平にしたまま雪哉を狙う。
そうなのかもしれない。生かされているだけなのかもしれない。力が有る者の同情か? そんな情けはいらない。おぞましい力の前に、雪哉の成す術など歯が立たないのかもしれない。
それでも、
「させない。理愛だって、殺させない……」
理愛の肩を、足に手を。
胸元に抱え、走り出す。
それは逃亡なのかもしれない。
あれだけ啖呵を切っておきながら、最後に選ばれたのは早々たる逃走。
覚悟が、その想いだけで戦えるのならば、最初からやっている。否、やっていた。
それでも敵わない。
だから、生きる為の戦いだ。
敵に打ち勝つことが勝利ではない。敵の脅威を振り切ることこそが本当の勝利。
無能力者らしい、勝利と言えよう。
「誰が逃がすかよ!」
射撃。
雪哉は右へ跳ぶ。手の中で理愛が震えている。一撃でも受けてしまえば兄妹諸共に肉塊に成り下がる。それでも、もう、今は何も考えず走ることしかできない。
戦いの知識が、生きる為の術が雪哉にはない。臆病であろうとも、逃げるという選択肢を迷い無く選び抜くことしか今の雪哉には出来ない。
その迷いの無い動きが功を成したのか螺旋を描く目に見えぬ死の弾が雪哉がいた場所を呑み込んで抉り砕いていた。すかさず走行し、後ろは絶対に見ない。無心で走る。背中ががら空きになっても、的にしか見えなくても雪哉は走る。迷いだけ捨てて、疾走する。
「おいおい、運良過ぎんだろぉ! 時任ちゃんよぉ!」
狙いを絞らずに射撃したことが命中しなかった理由だったのだろう。
雪哉が立っていた場所を夢中になって撃っただけだ。だから、雪哉の身体を呑み込むことなく弾が地面と樹木を食い潰しただけだ。
だから驚きながらも三連続と雨弓は暴力を放出する。水平に構えたままの大口径の巨大な銃から噴出した爆音。それでもマズルフラッシュさえ見せず、反動など一切無い不可思議な銃器。そんな幻想を銃の形に模した武器から放たれた見えぬ弾丸が雪哉の背中目掛けて撃ち出される。
「兄さん!」
けたたましい音が耳に響き、脅威が迫っていることを嫌でも判らされる。
「勝てない戦は、好きじゃないんだ――」
「そんなこと、言ってる場合じゃ!」
逃げることを非難しているわけではない。
ただ自分を置いて逃げろと言いたいのに、それなのに言葉が続かない。
そして放たれた三発の弾丸が雪哉に襲い掛かる。
「こっちだ……」
雪哉が小さくそう呟く。
左へ曲がる。それと同時に大木が死角になり、雪哉を呑み込むことはなく巻き込まれるのは樹木だけだった。あまりの強運の前にさすがの雨弓も首を傾げることしか出来なかった。
「なんだ、アイツ? ふざけすぎだろ……後ろも見ずにバカの一つ覚えみてぇに走り出したくせに、なんだかちっとも当たらねぇ」
空のままの回転弾倉を回しながら、撃ち放った弾丸が雪哉に直撃しないことに違和感を感じていた。そしてその横で虹子が眉を顰めながら考え込んでいた。
「虹子ぉ、何してんだ? ったく、妹の方まで取り逃がしまったぜ」
「いや……もう、いいの」
「はぁ?」
あれだけ固執していた虹子がやけに冷静にそんな物言いをするものだから雨弓は怪訝そうな顔で虹子を横目で見てしまった。そんな異質な視線を向けられているというのに、ただ考察を繰り返す虹子はそんな視線に気づかない。手を開いたり、閉じたりを繰り返し、雨弓の耳に届かないほどに小さな消え入る声で何かを呟いている。
「まさか、ね……」
なんて思い詰めたように、虹子の中で出たその答えは否定される。だから何を考えていたのかなんて口にすることもなく、押し黙ることにした。
「兄貴、さっさと殺しにいくよ」
「わかってるって、逃がすかよ、オレの顔面に膝蹴りかましやがったアイツはぜってぇコロス」
「それは単純に兄貴が悪い、油断しすぎ」
「うっせぇ、お前はいいよな……チートだしな、羨ましいぜ」
「それでも、不便は不便よ。「触れれば壊れる」なんて、何がいいのさ……」
そんなやり取りをしながら、暴れ続けたせいで廃れ死んでいく山の中を月下兄妹は歩く。標的を発見し、逃亡を阻止する為にも。