第1話:朝
――穏やかな春の朝日が、緑豊かなこの大地に一日の始まりを報せる。
小鳥たちが歌い、風はそよそよとどこかへ気ままな旅をする。
そんな平和な町のとある一軒家から、カンカンとフライパンを叩くけたたましい音が鳴り響く。
「こら〜二人とも起きなさ〜い!朝食のパンが冷めちゃうわよ〜!!」
フライパンとおたまが大激突する音と共に、轟音とはひどくかけ離れた優しそうな声色の女性が目覚めを誘う。
「うーん⋯⋯母さん、うるさいよ〜」
「えへへ♪あと5分だけ〜」
可愛らしい子供部屋の両隅。
ネコ耳族の男の子と女の子が、寝言を口にしたまま楽しそうな夢の中を彷徨っている。
「もうっ!二人とも、こんな歳になって寝坊なんて恥ずかしいわ!こうしてあげるんだからっ!それ〜♪」
リス耳族の女性はため息をつき、フライパンをカタンと床に置いて、二つの毛布を次々に引っぺがしていく。
「うわっ!?いきなり何するんだ、母さん!!」
「ぅぅ⋯⋯寒いよ〜ママ〜」
男の子は抗議の視線を送り、女の子は体を丸めてブルブルと震えている。
「リオンちゃ〜ん?アビィちゃ〜ん?時計をよーーーく見なさ〜い?」
リス耳族の女性は穏やかな笑顔で、しかしどこか恐ろしい雰囲気で、ニコニコと子どもたちの意識を覚醒させる。
「なんだよ――って、うわっ!もう9時じゃないかっ!!」
「あうぅ⋯⋯ごめんなさい〜怒らないで、ママ〜」
驚きのあまり、ベッドから落ちそうになる黒い髪のネコ耳族の男の子――リオンと、うるうるした瞳で許しを乞う、ピンク色の髪のネコ耳族の女の子――アビィ。
「⋯⋯とりあえず、早く着替えて降りてきなさい。朝ごはんのパンが冷めちゃうわよ!」
「パン!?私、ママの焼くパンがだーいすきっ!早く着替えないとっ!」
そう言って、アビィはその場でもぞもぞとパジャマを脱ぎ始めようとする。
「わぁっ!?アビィ!ちょっと待て!」
「ん?お兄ちゃん、どうしたの?」
いきなり騒ぎ立てるリオンに、アビィはキョトンとした顔を向ける。
「ぼ、僕がまだ部屋に居るんだから、まだ着替え始めないでくれよ!恥ずかしくないのかっ⋯⋯?」
赤面しつつ、アビィからサッと目を逸らすリオン。
一瞬ボーッとしていたものの、アビィもまた、自分のしていたことに恥ずかしさを覚え、酷く赤面した。
「――お兄ちゃんのえっち」
「はぁっ!?なんで僕が悪者みたいな扱いをされるんだ!」
あまりにも酷すぎる濡れ衣を着せられ、大声で騒ぎ立てるリオン。
そんな二人の茶番のようなやり取りに呆れつつも、どこか微笑ましさを感じたリス耳族の女性――リン。
(ふふふ⋯⋯♪なんだかんだ言って、仲のいい子たちだわ)
リンは栗色の長い髪をたなびかせ、二人の前からこっそり立ち去って一階へと降りていった。
――少し経ち、ようやく寝巻きから着替えたリオンとアビィは、一階の洗面台で顔を洗っていた。
「なあ、アビィ」
「なぁに?お兄ちゃん?」
「お前はもう、年頃の女の子なんだからさ、少しは恥じらいを持ってくれよ⋯⋯」
顔を洗いながらぺちゃくちゃと喋る二人。
リオンは、先程の光景をかき消すかのように、勢いよく顔をわしゃわしゃと洗い流していく。
「お兄ちゃんになら、少しぐらい見られたって平気だよ⋯⋯?」
サラッと、とんでもない発言をするアビィ。
歪んだ羞恥心を直してやる必要がありそうだ。
「お前なぁ――例えばさ、町の他の男の子がアビィの事をジロジロと見ていたらどう思う?」
「それは――少し恥ずかしいよ」
「そうだ!その恥じらいが大事なんだ!」
リオンは、腕を組んで力強く頷く。
「でも⋯⋯お兄ちゃんは別なの。お兄ちゃんが近くにいると、とーっても安心するの♪」
「あーはいはい。アビィはいーっつもこうだよな。早く顔を洗ってパンを食べに行くぞ」
「はぁい♪」
(全く、手のかかるやつだな⋯⋯)
心の中でそうぼやき、リオンはそそくさとダイニングへと向かうのだった。
――木でできた大きなダイニングテーブルの上には、豪華な朝食が並べられていた。
「うわぁ、凄い量の朝食だぁ⋯⋯僕、こんなに食べきれないよ」
「あら?男の子はしっかり食べないとダメよ?」
「そうは言ったって、この量はさすがに無理があるよ、母さん⋯⋯」
どう考えても、朝食とは思えないようなパンの数の暴力がテーブルを覆い尽くす。
もはや、パンがテーブルであった。
「うーん⋯⋯実はママね、ちょーっと張り切りすぎちゃって、作りすぎちゃったの♪許してちょうだい♪」
呑気な様子で、舌をちょこっと出しながら微笑むリン。
「まあ、我慢するしかないか⋯⋯」
「――そもそもっ!」
呆れ果てたように諦めるリオンに、リンが頬を膨らませ抗議する。
「今日は、アビィちゃんが朝食を作る当番だったんでしょ!?だーかーらー、アビィちゃんが悪いのよっ!(ぷくーっ)」
さらに頬を膨らませ、あたかも自分は悪くないように振る舞うリン。
(ああ、なんて見苦しい言い訳なんだ⋯⋯僕は将来、こうならないように気をつけないと。p)
そう心に誓ったリオンは、静かに手を合わせて食事の挨拶をし、むしゃむしゃと朝食の山を食べ始めるのであった。
それにしても、食べ始めてから少し経ったが、何故かアビィはダイニングに現れない。
「そういえば、アビィがまだ来ないな。一体、何をやっているんだ?」
「そうね⋯⋯ちょっと様子を見に行ってきてくれないかしら?」
「はぁ、めんどくさ⋯⋯」
リオンは渋々と立ち上がり、洗面台へと向かった。
「おーい、アビィ。早くしないと――って、どうしたんだ?」
洗面台に着き声をかけようとすると、毛玉のように縮こまってブルブルと震えているアビィの姿が目に入った。
「お、お兄ちゃん。そこに⋯⋯居るの⋯⋯」
アビィは、洗面台の下の暗い隙間を震える手で指さす。
「こんな狭い隙間に、一体何が居るって言うんだ。全く――(ゴソゴソ)」
リオンは細い隙間に手を突っ込み、ゴソゴソと物色してみる。
すると、小さな黒い子グモが一匹、ちょろちょろと隙間から出てきた。
その瞬間、アビィの顔が真っ青になる。
「ひゃっ!こっち来ないでぇ〜!助けて、お兄ちゃ〜ん!(ぎゅっ)」
「全く、この程度のクモで大袈裟だな。――ほれ、窓の外に逃がしてやったから、早くパンを食べに行くぞ。あと、重いからいい加減に抱きつくのをやめてくれ」
リオンは子グモを窓の外に逃がし、抱きついてきたアビィを冷たくあしらった。
「お兄ちゃん」
「何だ?」
「腰が抜けちゃって歩けないよぉ~テーブルまで、私のことを連れてって〜」
「⋯⋯ったく、世話のかかる奴だ。」
不満を口にしながらも、リオンはアビィをひょいっと抱き抱え、ダイニングへと向かった。
お姫様気分のアビィは、少しだけ顔を赤らめて俯いている。
「⋯⋯本当に、少し重くなったな、アビィ」
「もぉーっ!女の子に対して失礼だよ!(ぽこぽこ)」
「悪かった、悪かったから。だから、ぽこぽこと叩くのをやめてくれよ」
「ふんっ!」
ツンとそっぽを向かれてしまった。
乙女心は実に複雑である。
仲良し兄妹のようなやり取りをしながら、二人はようやくダイニングへと辿り着いた。
二人を首を長くして待っていたリンは、その様子を微笑ましく迎えた。
「あらあら〜♪とーっても仲のいい子たちだわ~♪さて、早く朝食を食べちゃいましょうか」
リオンはアビィをイスに下ろし、ようやく三人揃って朝食を食べ始めるのであった。




