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秀色神采  作者: 天崎桐麻
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第一話 逢

 暇で暇で仕方がなくて、ふと思い出したから、足を運んでみた。ただそれだけ。

 財布から適当に数枚の硬貨をつまみ出して、苔むした賽銭箱へと投げ入れる。そのまま目を伏せ、ふうと息を吐き出す。


 しゃらん。


 軽やかな音が頭上に降ちた。次に、新緑たちがざあと風に乗ってやってくる。目が瞑られたが、すぐに目を開く。青々とした新緑に混じり、白が揺れている。


「こんにちは」


 とん。目と鼻の先。目を瞠って、それを見上げる。

 深い碧が愉しげに細められ、薄く形の良い唇は弧を描く。それは賽銭箱の上に屈み込んだままこちらへと手を伸ばす。一際強く吹いた風が裾を、髪を揺らせば細い指に黒がゆるく絡まって、そして解ける。

「君に、良き縁がありますよう」

 目を瞑る。


 次の瞬間、それは光と溶けてなくなった。



✻✻✻



 結局、あれはなんだったのだろうか。

 無意識のうちにそっと右耳を覆うようにして髪に触れ、くしゃりと握った。

「柊ー、居る? ……おーい、柊ってば」

「えっ、ああ、居る!」

 不意に間延びした声がした。ぼやけていた視界に色が染まり、慌てて椅子から立ち上がる。襖を開いて、やや高めの位置にある顔を見上げた。

「呼んでも全く出てこないからびっくりしちゃったよ。兄さんとうとう嫌われたかと」

 なわけないだろと呆れて笑って見せれば、ため息つくなと笑いながら軽く小突かれた。

「母さんが仕事手伝えってさ。一緒に行こうぜ」


 箒で落ち葉などを集めながら参拝客に挨拶をし、時々質問をされれば答えてやる。それだけの仕事。

 もう高校生になって二年と数ヶ月が経つというのに、このような簡単な仕事ばかりで、未だ授与品売り場のレジの一角を任されたこともない。少々子供扱いしすぎではないかとも思うが、実家の神社にそれほどの熱量も持ち合わせていないので、特に不満は無かった。家業に思い入れはない。

 ああ暇だ。一日くらい抜けたって問題ないだろうか。ああほら、あそこに俺バイト飛んだわーなどと大きな声で騒いでいる男子高生もいる。彼も夏休みに入ったのだろう。まあいいか、僕も抜けよう。


 あたりを見回して近場に待機していた巫女に箒を手渡し、「すみません、買い出しを頼まれていたことを思い出したので、ちょっと」と声をかけてから鳥居の方向へ踵を返す。一拍置いて驚きの声が耳に届いたが、気に止めることなく階段を駆け下りた。


 もう一度、あの神社へ行く。


 蝉の声とじっとりとした熱気に包まれながらしばらく歩くと、もといた神社のすぐそこ、鳥居と逆方向に位置する森が見えた。袴姿のまま躊躇うことなく足を踏み入れる。


 その場所を聞いたのはいつだったか、どうやらそこにはうちの神社の祀る神の真の本殿があるそうで。

 小学生頃に両親だったか兄だったか、誰かがした、輪郭のはっきりしない薄ぼんやりとした話を覚えていたのである。昨日業務に飽きてあれこれ記憶の引き出しを漁っていた時にふとそれを思い出した。思い立ったが吉日、ならば探しに行ってみようと。

 ちなみにその神社は鬱蒼とした森の奥にあるものだから人が寄り付かず、かと言って好き勝手に木を切り倒す訳にもいかず、昔の神主────一家の先祖らしい─────がすぐ近くに新しく社を建てるという結論を出したので、今の家業があるそう。


 ほどなくして、深い緑色の中に鮮やかな朱が現れた。蔦が巻きついていてとても綺麗な状態とは言えないが、大きく美しい鳥居である。その中央、扁額(へんがく)に綴られている文字は掠れて読めない。

 一礼。

 細く頼りない参道の端を歩き、土地手水舎を覗いた。蔦が張り苔に覆われ、当然といえば当然だろうが、一滴の水もありはしない。


 比較的大きくはない本殿、及び拝殿を前にし、微かに息を詰める。手をぐっと握りしめ、裾の中へ手を入れる。ああ、財布を忘れた。どうしよう。

 

「…………ええと。賽銭を忘れてしまったのですが」


 ひゅう、と風が吹いた。虚空に向かって話す自分の滑稽さをじわりと自覚し、うわあバカみたい、と振り返ったところで。


「えっ、帰っちゃうの?」

「えっ」

 勢いよく顔を本殿の方へ戻す。背後にもたれかかって腕を組んでいたのか、一歩踏み出した中途半端な姿勢で驚いた顔をしている。

「……えっ」

「早くない? 今来たところなのに?」

 間違いない。昨日の男だった。

 雪のように白い肌に透き通った白の髪が影を落とし、深い碧の瞳が瞬く。端正に整った顔立ち。その片足が戻され、姿勢が正された。昨日は台の上に乗った上で屈み込んでいたので分からなかったが、身長も百八十近くはあるだろうか。

「誰、ですか」

「知らないの?」

「……」

 小首を傾げてそう男は言い放つ。

 よくよく見れば彼は白を基調とした軍服のような服の上に、青の花弁のような柄の入った羽織りを身に纏っていた。日本の神のはずなのに、意外にも洋風の装い。

 若干こちらが引いているのが伝わったのか、困ったように眉を少し下げてそこに佇んでいる。いくらかの空白を挟み、口を開いたのは向こうだった。

「君は、なぜここに?」

 こんな森中まで来て何をしているのか、という話だろうか。

「ええと……暇だった、から」

「ふうん、変な子だね。その歳にしてお山の大将とは中々だ」

 やかましい。

 咳払いをしてその言葉を飲み込み、改めて彼を見やる。社にもたれかかり、こちらを観察するように視線を上から下へと流す。掴みどころのない人だった。


 書物の内容と、神社で祀られていた神の名を思い出す。それは縁結びの神で、確か名は──────。



「あなたが、逢良(おうらん)様?」



「如何にも」



 彼は微笑んで、ゆるく頷いた。

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