3話 有限会社りす組、始動
「なんでこの保育所の鍵、持ってるの?」
和風パスタをフォークで巻きながら、私は訊ねた。沙織ちゃんはおにぎりのフィルムを器用にはがしながら、さらりと答える。
「買ったの。ママが亡くなったときの保険金で。1200万円。あとは、家にいたらパパにイヤなことされそうで……それで、ここに住んでるの」
「え? え……?」
一気に詰め込まれた情報に、思考が追いつかない。混乱しながらも、少し質問して整理する。
どうやら、こういうことらしい。
7年前にこの保育所は公営から民間へ運営が移行した。そして、3年前――少子化の影響で閉業が決定された。閉鎖が決まった後、不動産として売りに出される前に、それを買い取ったのが沙織ちゃん。
購入資金は、沙織ちゃんのお母さんの遺産だった。お母さんは、小学3年の時に交通事故で亡くなった。それは私も覚えている。
問題はその後だった。
お母さんを失ってから、沙織ちゃんのお父さんは精神的に不安定になり、壊れてしまった。次第に、沙織ちゃんの中に亡き妻の面影を重ねるようになっていった。
「……ちょっと怖かった。でも、パパも自分でわかってたみたい。だから、一緒に離れることにしたの」
彼はおかしくなっていたけど、それを自覚していた。だからこそ、沙織ちゃんがここへ逃げることにも協力したのだという。
自分の異常性に気づき、それを止めようとしたのだと――それを、沙織ちゃんはまるで他人事のように淡々と語った。
それなのに、沙織ちゃんの笑顔はずっと変わらない。まるで、全部乗り越えたって顔で。
「そういえば、なんでそんなに変わってないの? 沙織ちゃん……」
少しの沈黙の後、沙織ちゃんはふっと笑って答えた。
「長い話になるよ?」
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「先生、そこ間違えてますよ?」
わたしの指摘に、疲れきった様子の担任教師はうんざりした様子で答えた。
「そうか、すまない」
『6年生の漢字も算数ドリルも終わらせたらしいよ』
『中学受験模試の偏差値が70だったらしいよ。まだ小3なのに』
わたしは自覚がなかった。人よりも優れているという事実に。でも、それは他の子も同じ事。だからわたしは『ちょっと頭はいいけど、変わった子』ですんでいた。
『IQ=170』不躾な数字が決定打。
こうしてわたしは除外されてもしょうがない、『異物』になった。
何が原因だったか覚えていない。でも確か些細なことだった。わたしはグラウンドの隅にある倉庫に閉じ込められた。実行犯は同じクラスの同級生6人。ご丁寧に縄跳びで手足を縛られて口にはティッシュ、タオルで塞がれてどうしようもない状態で放置された。
放置されたのは金曜日で発見は日曜日の夕方。つまりわたしは丸2日間、倉庫に放置された事になる。12月の寒空でわたしは低体温症になり、脳にダメージを負った。具体的には今のまま成長できない事と排尿機能だった。
さらに不幸は連鎖する。わたしを探すために街中を駆けまわっていたママは、交通事故にあい、亡くなった。
極めつけは学校の対応だった。縄跳びで締められた跡という物的証拠を悪ふざけで片付けた。「1人の被害者のために6人以上の加害者を処分できない」とか「最大多数の幸福」とかの理由をつけて事件を揉み消して、表向きは事故とされた。
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「小学校→中学校→高校、多くの場合は大学と、子どもはベルトコンベアに乗って『社会人』として、世間に出荷されるわ。そのコンベアから外れたわたし達は『不良品』と言ったところね」
静かに、でも確かな怒りを沙織ちゃんから感じる。すっかり和風パスタは冷めている。
「ねえ、あずちゃん、高校に戻った場合とこのままでいた場合の自分、2人の『3年後の自分』をイメージできる?」
片方の自分は大学生になっていて、もう片方の自分はイメージできない。どちらかと言えばこっちが今の自分から近いはずなのに。それを見透かしたように笑う沙織ちゃん。
「それが学校教育の正体だよ。『不良品』になったわたし達には未来がないと信じ込ませる」
今からでも高校に戻った方がいいのだろうか。『高校に戻る』それだけの事が死刑宣告のように感じる。
「もっと言おうか?今から戻っても、遅いよ?仮に戻っても『コレ』があるでしょ?」
ジャンバースカートの裾を持ち上げて言う。そこには私がさっき交換したテープタイプのおむつがあった。文字通りのハンデキャップだ。泣きたくなってきた。
「じゃあ、条件を変えようか?このままでいても半永久的に年間500万円もらえる未来と、大学に行って就職して働く未来。どっちが『自由』だと思う?」
「そんなうまい話、あるわけない!」
即座に否定する。ところが、いつのまにかタブレットPCを持っていた沙織ちゃんは操作していた画面を見せる。それは沙織ちゃんの銀行口座のログ。定期的に証券会社から振り込みがある。
「そんな、どうやって?」
「簡単な事よ。投資信託にお金を預けているだけ。振り込みはその儲け分よ。プロがやっているから、絶対ではないけどこのぐらいの利益がでてるわ」
それがどんなに難しい事かはわからない。でも沙織ちゃんの言った通り、もう『コンベアの未来』は目指せない。今更戻っても、私はトイレの近くでおむつを隠しながら生きていくだけだ。
「沙織ちゃん、どうすればいいか、教えて」
「その言葉を待っていたよ。ようこそ『有限会社りす組』へ!」
『りす組』それは今話しているこの教室の隣、年少組のクラス名だった。