第13話 ダイパープレジデント バイズ ランド / 東雲の高速道路
「長いね。まだ右側は購入予定の土地なんでしょ?」
「うん。上から見ると大体東京ドーム2個分。野球とか見た事ないけど」
「そのうち連れてってやるよ。アタシのバンドのライブで!」
3人で会話しながら峠道をムツミさんの車は走る。斜面ばかりで活用はしづらいだろうなと思う。峠の頂上部とさっき見たふもととは反対側にも自動販売機を置けそうな場所があった。
「候補地は3ヶ所だね。どこにする?全部って手もあるけど」
「ふもとの2ヶ所にするわ。頂上も悪くないけど少し狭かったよね?」
確かにと思う。でも、
「買うなら、買ってから考えたら?」
「そだね」
ビジネスの話が終わったと見ると、ムツミさんが口を開いた。
「これで終わり?それとも他に候補地でもある?」
「市役所に行って下さい。持ち主さんと打ち合わせです」
「了解」
車が市役所に向けて、軽やかに走り出した。
市役所で出迎えたのは意外にも若い男性だった。
「君があの山を買いたいって言う、女子高生?僕が持ち主の山中大知です」
「よろしくお願いします。岸本梓です」
あずちゃんが緊張気味に答えた。
「で、見てきたでしょ?どうする?」
良く言えばフランクに、悪く言えば軽薄そうに山中さんは言った。
「購入します」
「OK!じゃあ、市役所の中に司法書士さん待たせているから、中で手続きしよう。それとこの人達は?」
「両親が都合つかなくて、車を出してくださった織田さんと妹です」
大嘘だ。でも山中さんはあまりこちらには興味がないように「ふーん」とだけ答えた。
中で待っていたのは白髪のおじさんだった。あずちゃんに名刺を渡して自己紹介している。あずちゃんも名刺を出す。山中さんもあずちゃんが女子高生の制服を着て名刺を出すなんて思っていなかったのか、慌てたように名刺を出した。
「岸本さんって社長だったの?」
「ええ。と言っても創業1ヶ月の自分1人だけですけど」
「人は見かけによらないとはまさにこのことですな。それなら不動産に興味があるのもうなずける。早速、売買契約書を作成しましょう」
司法書士のおじさんが言った。
「こちらが法定代理人の両親の同意書と印鑑と印鑑証明です」
「それでは、こちらにサインと代金を」
書類にサインして、指示された場所に印鑑を押していく。代金が入っているだろう封筒をあずちゃんが出す。想像よりずっと薄い。
「確認します。額面通り1円ですね」
え、1円?どういう事?
「それとこちらが言われてた登録免許税です。今回だと評価額10万円ですから2000円ですね」
新たに封筒を出す。
「それと、斉藤先生の費用は今回は折半というお話でしたが?」
「ウチは成功報酬制なんです。全部の料金を出して半分に割って請求しますので、同封してる口座に振り込んでいただけば大丈夫ですよ」
あずちゃんが堂々と司法書士の人とやりとりしてるのに驚く。きっとすごく調べたのだろう。
「これで今日できる手続きは終了ですね。県税事務所から不動産取得税が3000円、法務局から登記完了通知が届くと思います」
「ところでさ、あの山何かに使うの?インター側の平地、家を建てようとしたら市街化調整区域とかでダメだったよ?広いけど殆ど斜面で使えないし。相続したけど早く手放したくて1円にしたけどそれでも売れるまで半年かかったよ」
「高校の山岳部なんです。練習用です。この金額なら私でも維持できるかなって」
また嘘ついてる。理由はわからなくもない。売り惜しみされても困るからだろう。
しかし、とりあえず取引は終了した。あずちゃんが立ち上がって、見守っていたわたし達の方に来る。
「終わったよ。帰ろ」
「せっかくだし、メシ行こうぜ」
市役所の静かなロビーにムツミさんの声が響いた。
♦︎♦︎♦︎
(※数時間後)
「沙織ちゃん、寝ちゃいましたね」
私はムツミさんに言った。『昼食』というにはいささか遅い食事を済ませて帰路につき、高速道路に乗った。周囲は茜色に染まっている。後部座席を広く使って沙織ちゃんは寝息を立てている。
「ああ、見た目相応でいいじゃないか」
そう言ってムツミさんは笑う。私も笑ってしまう。
「でも、今日は立派だったよ。実は人生4周目とか?」
「あはは、違いますよ。元引きこもりのニートで今、社長ってだけですけど?」
「そういうの検索するの?『楽に稼ぐ 方法』とか?」
帰宅時間だというのに高速はすいていて、マイペースにムツミさんの車は進む。
「AIは使いますね。チャットGPTとか。この前はクレーム対応の台本作ったり。これは不動産取引サイトで知ったんです。それと沙織ちゃんが元保育所に自動販売機の設置を検討してて、それを見せてもらったの」
なぜだろう、この人には何でも話せてしまう。本当にムツミさんは変で、頼れる人だ。
「ねぇ、2つだけ聞いてほしいの」
「私でよければ」
「梓ちゃんって、おもらしが悪化しているよね?保育士って職業柄、トイレトレーニング中の子と接する事が多いの。少し前まで『間に合わない』から、今は『気づいたら出てる』に変わってるよね?」
(バレてる)
正直に言うしかない。
「はい。お医者さんも匙を投げちゃいました」
「それってどんな感じ?梓ちゃんが言ってくれたからアタシも言うね。最近、アタシ、『おねしょ』が始まったんだ。多分、悪化しているんだと思う」
いきなりの告白。
『聞いていない』と主張するような沙織ちゃんの寝息。
「私の場合、おねしょからでした。その後、家にいて、トイレは距離短いのに『間に合わない』ってなっちゃって、今はもうトイレに行く事もないですね。そうなる前にお医者さんに行くのをオススメします」
「やっぱ、そうなるよね。行くか、恥ずかしいけど」
行きがけに休憩したPAを過ぎる。
ムツミさんはトラックを追い越した。
「それともう1つですよね?」
「ああ、沙織ちゃんの事だ。何でこんなになったかは知ってる?」
「『いじめ』ですよね?」
「そうだ。その時の障害で成長できないし、おむつも使ってる。それともう1つ『羞恥心とか人を理解する』って言うのがないんだ。いや、なかったというべきかな?」
「え?でも」
それだと矛盾すると言うか、腑に落ちない点がある。
「少なくとも梓ちゃんと出会って変わったんだ。だから、仲良くしてやってよ」
「まるで母親ですね。いや、多分『母親役』をやってるんですよね?本当の母親があんな事になったから」
「初めて沙織ちゃんに会ったのは、前のバイト先、今借りてる保育所が最後の年だったんだ。今日みたいに下見に来てて、おむつがすごく膨らんでたの。それで交換してあげたのそれが始まり。バンドで練習場所も必要だったし、あそこを借りて沙織ちゃんの面倒を見てた。でも、沙織ちゃんどこか壊れてた」
ハンドルを握り締めてムツミさんが言う。日が沈むのが早くなって暗い車内では、ムツミさんがどんな顔してるかわからなかった。そんな私などお構いなしにムツミさんは続ける。
「出会った頃のあの子、おむつが丸見えの状態でもコンビニに食事買いに行けてた。ほら、『恥ずかしい』って学校とか社会で感じるものじゃない?だから、梓ちゃんに会ってからのあの子、すごく成長してる」
この人は、ムツミさんはずっと沙織ちゃんを見てきたのだろう。だからこそ、盲点もある。
「ムツミさんの症状が酷くなったのもその頃じゃないですか?ひょっとすると、私の存在は沙織ちゃんに成長を、ムツミさんにストレスを与えてる可能性がありますよ?」
その後は一言も喋れないまま、家に着いた。