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11話 スポンサーと悪徳大家と元エース

出発時間は8時。アタシは愛車の軽自動車を、元保育所の駐車場に停めた。予定より10分早い到着だ。


「ムツミさん、今日はお願いします。それとこれ、今日のバイト代です。あと、こっちは高速代とガソリン代。領収書は後でお願いします」

「おっ、あざーす社長! 先渡しとは、太っ腹!」


先払いとは、なんとも気前がいい。

彼女は梓ちゃん。アタシと同じくこの保育所を借りてる『店子』で、なんと15歳にして会社の社長。紺のブレザーに、灰色チェックのスカート。ブラウスの襟元にも同じ柄のリボン。清楚で優等生感たっぷりなその制服は、県内屈指の進学校・東高のもの。


「東高だったんだ?」

「はい。久しぶりに袖を通しました」

「わたしも、初めて見た」


トコトコと歩きながら口を挟んだのは沙織ちゃん。梓ちゃんと同級生だけど、見た目は完全に小学校低学年。それもそのはず。彼女は、国から手帳が交付されるレベルの障害を抱えている。脳の一部が壊死しているらしい。そしてこの保育所のオーナーであり、アタシから家賃を徴収する極悪大家でもある。


(まあ、相場よりだいぶ安いけど)


「それじゃ、行こうか。……トイレとか大丈夫?……あっ、ごめん」


言ってしまってから、空気が一瞬だけ凍りついた。


そうだった。沙織ちゃんも、梓ちゃんも、おむつを使っている。アタシも似たようなのを使っているから、あまり言えた義理じゃないけど。


アタシは、中学までバレー部だった。2年生からエースアタッカーで、夏の大会では全国ベスト4まで行ったこともある。高校の強豪校から推薦の話も来ていた。でも――中3、最後の大会ですべてが終わった。


その日、完成したばかりの市の体育館に歓声が響いていた。


アタシの中学は優勝候補で、当然のように準決勝まで勝ち進み、チーム全体が楽勝ムードだった。相手は、今まで一度も負けたことがない中学。誰もが、今日も勝てると信じていた。でも、試合はなぜか苦戦した。いや――理由は明白だった。

アタシのスパイクが、決まらない。


なぜって、アタシは別の敵と戦っていたのだ。『尿意』と。

新設の体育館には空調が効いていて、熱中症対策のためにいつもより水分も摂っていた。それが、裏目に出た。


2セットずつ取り合い、勝敗を決める最終セット。もう、試合どころではなくなっていた。


そして――最後のスパイクの瞬間。


ジワリ。

温かい感覚が、ユニフォームの内側で広がる。

観客の歓声は、一転してざわめきに変わった。


その瞬間、アタシはすべてを失った。

スポーツの世界は、結果がすべて。勝てば賞賛、負ければ無視。もし県大会まで行けていれば違ったかもしれない。でも、地区大会で終わった敗者に、誰も目を向けない。


どうでもいい話だけど、アタシはこの2人――梓ちゃんと沙織ちゃん――に、勝手にシンパシーを抱いてる。

小学校からの不登校。進学校をたった3ヶ月でドロップアウト。そして、おむつ。――最高にロックじゃないか!


「そういえば、新事業ってなんなの?」


沈黙を破ったのは、沙織ちゃん。さすが、悪徳大家。


「簡単に言うと、不動産事業かな。今日はその下見ってところ」


15歳とは思えない単語がサラリと出てくる。アタシは26だけど、『不動産事業』なんて言葉、自分の人生に出てくると思ってなかったよ。


車は市街地を抜け、景色は緑が多くなっていく。やがて、軽自動車はスムーズに高速道路へと滑り込んだ。


「そういえば、バンドっていつ始めたんですか?」


梓ちゃんが聞いた。


「高校の時にね、ライブハウスでバイトしてたの。お父さんの知り合いで学校に内緒で。そこでたまたま、同じ高校の奴がギターでバンドしてて、文化祭でアタシがボーカルでやるってなって、楽しくて、もう結成10年だよ。16からだから」

「へぇー、聞いてみたいです!」


あの時の失敗があるから今がある。それはアタシも梓ちゃんも一緒だろう。でも、今は聞かれたくない。そんな願いもむなしく、悪徳大家が言い放つ。


「確かYouTubeに公式があるよ」

「お願い!ここではやめて!」


思わず懇願した。


「あはは、そこのPAで休憩にしましょうか」


スポンサーである梓ちゃんの言う事は絶対だ。正直、慣れない高速道路の運転で少し休憩したい気持ちもあった。


「ムツミさん、おむつ交換して!遠出するからテープタイプなの!」


沙織ちゃんが言う。トイレと自販機しかないPAだから車は少ない、遠くにトラックが2台だけ、普通車や軽自動車はアタシの1台だけだ。


「ハイハイ。行くよ!」


高速道路のトイレは『みんなのトイレ』が確実にある。そこに3人で入る。

梓ちゃんはスカートを脱いで、おむつのギャザーを破っている。沙織ちゃんはベビー用のおむつ交換ベッドに登ろうとしているが、少し高いようで難儀している。


「ほーら、寝かせるよ」


沙織ちゃんの脇を持ってベッドにあげる。その時にじわりと嫌な感覚が股の部分に広がる。腹圧性尿失禁。アタシの人生を滅茶苦茶にした病気だ。お母さんもおばあちゃんも苦労していた。遺伝なのだ。失禁パッドはしてるし、慣れっこなのでそのまま沙織ちゃんのおむつを交換しようとすると、自分の交換を終えた梓ちゃんの声がした。


「ムツミさん、スカートが濡れてます」


――え?

反射的に自分の足元を見た。スカートの前の方、太ももにかけて、しっとりと濃くなっている。


やっちまった。立ち上がるとき、沙織ちゃんを持ち上げたあの瞬間だ。力を入れた拍子に――。

失禁パッドも運転中にズレていたっぽい。


「ごめん、梓ちゃん、沙織ちゃんのおむつお願いできる?アタシは自分の始末するから」

「わかりました」


アタシは1度車に戻って着替えを取る。職業柄、着替えは車に2着は用意がある。


「入るよー」


沙織ちゃんの交換も終わったようでベッドから降りている。ここまで見られたのだからと覚悟してスカートを脱ぐ。そして、失禁パッドのついたショーツも。


「はい」


と短くおしり拭きを渡してくれる梓ちゃん。綺麗に拭き上げて、新しいショーツを膝まで上げる。新しい失禁パッドを開封して、履く。


「大きい。おむつみたい」


無邪気に言う悪徳大家。スポンサーがたしなめる。


「言っちゃダメ。恥ずかしさは私達もわかるでしょ?」


そうだと思う。これは多分、2人とも通った道なのだ。梓ちゃんも沙織ちゃんも。


敵わないなと思う。収入も、器の大きさも。本当に大人とか子どもとか分類に意味がないことを実感する。なら、せめて正直であろうと思う。


「腹圧性尿失禁って言ってさ、笑った時とか、重たいものを持った時、モレちゃうんだよね。保育士なんてやってるとそんな事、日常茶飯事だからね。こんな大きいパッドなの」

「夜用ナプキンみたいですよね」

「あずちゃん、さっき言っちゃダメって言ってなかった?」

「あ!」


3人で笑ってトイレを出る。


そして梓ちゃんがPAの後ろに見える山を指さして言った。


「あれが目的地。あの山を半分、買うわ」


え、山?

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