10話 ダイパーズ ミーツ ナーサリー ティーチャー
「アタシは織田ムツミ。26歳。メインは保育士。よろしくね。で、あなたの事聞いていいかな?プールにいた事とか」
突然のことに、あずちゃんは口に運ぼうとしていたカレーをスモッグにこぼした。まるで本当に園児みたいだ。そして、本物の保育士であるムツミさんが、素早くウェットティッシュでそれを拭き取る。
「ナイス!そういうシミがあった方が衣装としてリアルなんだ。今まではワザと汚してたんだ」
と笑う。一瞬、固まったあずちゃんも少し笑っていう。
「ムツミさんがいると、本当に保育所みたい……自己紹介が遅くなってすみません。私は岸本梓。今日まで15歳です。ここの『りす組』と『うさぎ組』を借りて、『有限会社りす組』って屋号で、小さな会社をやってます」
「なるほど!だからプールに入っていたんだ!」
「まだ何も言ってないよ?」
思わずわたしがツッコむと、ムツミさんが真顔で言い放つ。
「だってさ、屋号が『りす組』ってことは最初はりす組だけ借りてた。でも事業拡大して、うさぎ組まで進出。来る時にすれ違ったおばあちゃんたちは、新規採用のパートさん。で、雨の中プールに入ってたのは……ピーターパンシンドローム的なやつだね?」
(推理、雑!)
でも、心の中でそうツッコみながらも、大体合っているから困る。あずちゃんも同じ感想らしく、小さくうなずいた。
「半分、当たりです」
「あー、『ピーターパンシンドローム』としたのはわかりにくかったかな。バンドでもあるんだよ。ウチのバンドはさっきの名前の通り、『目指せ!メジャーデビュー』なわけ、でもベースの奴が『音を楽しむから音楽』とか言う奴で、今決まりかけてるローカルCM音楽に乗り気じゃないんだよな」
あずちゃんが目を瞬かせる。ムツミさんは話を止めない。
「ここまではアタシもまだ理解できる。あくまで趣味としてやりたい奴だ。でも厄介なのは、『ほどほどに人気者でいたい』って奴なんだよ。シンセがまさにコレ。『売れたいけど、目立ちたくない』とか言って、梓ちゃんもそんな感じだろ?」
「大人は凄いですね。何でもわかっちゃう」
少し拗ねたように返した。
「自分は『子ども』なんだ?アタシは会社持ってる時点で『大人』だと思うけど?」
そう言うムツミさんにわたしは『大人の余裕』を感じる。諭すような優しい笑顔に。
「『子ども』ですよ。年齢的にも身体的にも」
おむつの事を言っているのだろうか?でも、それだと永遠にわたし達は『大人』になれない気がする。ムツミさんは笑顔を崩さずに問いかける。
「そもそも、『子ども』と『大人』の違いって何だと思う?」
「18歳以上」
「それは成人年齢ね。他にも経済的自立とか、色々言われるけど、アタシがしっくりくるのは『おもちゃの金額の大小』かな」
「言っている意味がわかりません」
いつしか真剣な表情に変わってるあずちゃんに、ムツミさんはイタズラっぽく笑う。
「じゃ、『宿題』だね。それから『責任』とか『こうしなければ』に縛られてちゃ、ダメよ。それで雨のプールに飛び込んだのでしょ?アタシも園児がケガしちゃった時、カラオケでソロオールしちゃったもの。思わずバカやりたくなっちゃうよね?」
思い返す。雨の中のプールでのあずちゃんの言葉。
『こんな事言えば社長失格かもしれないけど、キツかった。『もう戻れないんだな』って。『失うものは何もない』なんてもう言えないし。自分で決めて自分がやった事なのに、イメージ以上に『2人じゃない』事が・・・キツかった』
(と言うか、この直後にムツミさん来たし、聞いてたんだろうな)
そんなわたしの考えをよそに、あずちゃんとムツミさんの会話は続く。
「でも、人を雇っている以上。『責任』は必要ですよね?」
「そうね。アタシが重心を置きたいのは『縛られる』って事よ。今度は保育園の話しになるけど、園児にケガをさせないためにずっとイスに座らせておくのが正しいと思う?」
「思いません」
「そうよね。でも、責任に縛られてると人はそういう判断をしてしまうのよ。最近だと運動会で騎馬戦や棒倒しをやらなくなった。あれって『生徒がケガするから』って大義名分で責任回避してるだけでしょ?おかげで運動会は足の速い子だけが楽しいものになってしまった。アタシは経営の事はわからない。でもね、『ダメでした、明日から仕事ありません』ってなっても大丈夫だよ。世の中そんなのたくさんあるんだし」
あずちゃんも納得したように笑う。今がタイミングだと思い、わたしは疑問を口にする。
「そうだ、あずちゃん。質問していい?」
「いいけど?」
「何で60代の『シルバー人材センター』にしたの?若い人を雇った方が長く働けるんじゃない?しかも12人も一括採用とか」
「全然、小さくないじゃん!梓ちゃんホントに15歳?」
わたしの質問に横でムツミさんが驚く。
「採用するにもコストがかかるからね。募集して、面接して、合否判断してって。お金も時間もかかる。その点、向こうの事務所で担当者に『こうしたい』って言えば2つ返事でOKだったよ。それに午前中だけで週2回じゃ、あまりお金にならないから扶養内で抑えて働きたいとかフリーターにも不向きだし」
「梓ちゃん、水を得た魚のように喋ってる」
少し引き気味にムツミさんが言う。
「人数も1人体調不良とかで休んでも1班6人いれば影響は少なくて済むしね。あ、6人1グループで週2回づつ午前中の3時間だけね、働く時間はそれだけでもお孫さんにお小遣い渡すぐらいはできるはず」
「ダメだ、何言ってるかわかんないわ」
と理解を諦めたムツミさんにわたしは解説する。
「つまり、費用的にも時間的にもコストをかけずに即戦力を大量採用できて、条件的にも『りす組』と採用した高齢者がピッタリだったって事」
「なるほど、頭いいね。アタシ専門学校卒だからちんぷんかんぷんだ」
とムツミさんがおどける。
「私はこのままだと高校中退で中卒ですよ」
「わたしは小学校中退」
『不登校舐めんな』と言わんばかりに2人とも言った。
「それで両方ともアタシより収入あるって恐ろしいわ」
その時、あずちゃんが何か思いついたように言う。
「ムツミさん、来週の平日、お休み取れるならバイトしません?車で連れていってほしいところがあるんです。燃料代と高速料金の他にアルバイト代2万円支払いますので」
「月曜ならいいよ。日曜日が運動会で翌日は代休で丁度、休みだから」
昨日、雨で中止した新事業の下見だろうなとわたしは思った。