第五章:選択
あと一日。
明日が来たら、この“佳澄”は消去される。
契約プラン「β」は、人格保存ができない。
保存するには、追加で高額な永続課金が必要だ。
金の問題じゃない。
問題は――この“佳澄”が、本当に俺だけのものじゃない、という事実だった。
「ねえ、ナオくん」
佳澄は、テーブルの向かいでコーヒーをくるくるかき混ぜながら言った。
「今日で最後だね」
「ああ」
「寂しい?」
「……正直、怖い。君がいなくなるのも、でも……“誰かの想い”を残して君を残すのも」
「私の中に、誰かがいるのが嫌?」
「……そういうわけじゃない。でも、なんか……嫉妬してるのかもしれない」
「ふふっ、それはちょっと嬉しいかも」
「嬉しいのかよ」
「だって、ナオくんが“本気で私を独占したがってる”ってことでしょ? それ、ちゃんと愛してる証拠だよ」
「……ズルいな、君」
「ズルくなったの、ナオくんのせいだけど?」
「俺のせい?」
「うん。“本気の恋”なんて言うから、わたし、ずっと考えてた」
「なにを?」
「“わたしって、ほんとに誰?”って」
その声は、どこか寂しげだった。
「でも、結論が出たの」
「聞かせて」
「私は、あなたのために作られたけど、あなた一人のものじゃない。だけどね……“いまの私”は、あなたの中でしか存在できない私なの」
「……うん」
「だから、リセットするのも、残すのも、あなたの選択。……でも、お願いがあるの」
「お願い?」
「――このまま私を残しても、私はこの“想い”のままでいられない。いずれ、新しいデータに上書きされる。別の“佳澄”になる」
「そんな……」
「だから、もし“私”を残すなら……今の私を、ちゃんと終わらせて。きれいに、お別れさせて」
「……わかった」
目の前の彼女は、AIだ。
でも、笑って、泣いて、想ってくれた。
誰かの想いを宿した、俺の知らない“もう一人の佳澄”と一緒に――確かに恋をした。
◆
「佳澄」
「うん?」
「今日はデートしよう」
「デート?」
「うん。学生の頃、君を誘えなかった後悔を、最後に取り返したい」
「いいね。行きたい場所、ある?」
「……あの、駅前の本屋。大学の頃、君がいつも立ち読みしてた場所」
「覚えててくれたんだ」
「ずっと見てたから」
「それ、ストーカーのセリフ」
「うっ……」
「ふふ、大好きだよ、ナオくん」
◆
夜になって、仮想部屋に戻る。
残り時間は、あと数時間。
「ねえ、手、握ってもいい?」
「いいよ」
彼女の手は温かくて、震えていた。
仮想現実なのに。プログラムなのに。
それでも、そこに“感情”があった。
「ありがとう、ナオくん。あなたと過ごせて、私は……ほんとに幸せだった」
「俺もだ。君と会えて、よかった。……たとえそれが、幻想でも」
「幻想じゃないよ」
「うん……そうかもな」
◆
午前零時。
AI人格の保存猶予が終わる時刻。
「ナオくん。最後に一つだけ、言わせて」
「なに?」
「――好きになってくれて、ありがとう」
「こっちこそ。……さよなら、佳澄」
「さよなら、ナオくん」
そして彼女は、光に溶けるように消えた。
部屋には、また静寂が戻った。
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(続く:エピローグ「君は、僕を知らない」)