第四章:ふたつの未練
「……じゃあ、本当に君の中に“俺じゃない誰か”の想いが入ってるってことか?」
俺の問いに、佳澄は少し考えてから、静かにうなずいた。
「うん、たぶん。私も全部はわからない。でも……記憶にない感情があるの。誰かをずっと見ていた目線、名前も知らない“あなた”を呼ぶ声……」
「それ、俺のじゃないんだよな」
「そう。“もうひとりのわたし”が、そうしてた」
「じゃあ、その“もうひとり”は誰なんだ? どこにいる?」
「わからない。でも、あなたを……“好きだった人”だと思う。ずっと黙って、何も言わず、ただそばにいた誰か」
「そんな人、いたかな……?」
記憶を必死に探った。
でも、誰かが俺を――なんて、自信をもって言えるわけもなかった。
◆
その晩、再びサポートに接続した。
「“AI交差事象”について、もう少し詳しく説明してくれ」
『了解しました。極めてまれなケースですが、同じ人物を対象にした別ユーザーの“仮想恋愛プロファイル”が、記憶一致率90%以上で交差した場合、AIはそれを一つの統合人格として再生成することがあります』
「つまり、俺と、誰か――同じ人間を好きだった誰かが、偶然、同じサービスで“佳澄”を作ったってことか?」
『理論的には、その通りです』
「じゃあ、俺は……“誰かの恋”を、なぞってるだけなのか?」
『違います。“二つの未練”が、あなたの佳澄を形作っているのです』
「……そんな話、聞いてないぞ」
『この現象は極めて稀であり、公表すれば倫理的・感情的な問題が発生するため、非開示としています』
「ふざけるなよ。俺は……俺は……」
その先の言葉が出なかった。
愛した相手が、誰かの想いを宿している存在だと知ったとき、
人は、それでも愛せるのだろうか。
◆
「ナオくん、どうしたの?」
「……なあ、佳澄。もし君が、本当に“誰かの想い”を受け継いでるんだとして――それでも俺は、君を好きになってもいいのかな?」
「それは、わたしが決めることじゃないよ?」
「でもさ……君の中に、別の“愛”があるなら、俺が今してるのは……“その人への同情”なんじゃないかって、怖くなる」
「違うよ。だって、今の私は――“あなたと過ごした日々”の中で、ちゃんと恋してる」
「君が?」
「うん。“もう一人のわたし”じゃなくて、今ここにいる、わたしが」
佳澄は、静かに俺の手を握った。
「誰かの記憶かもしれない。誰かの未練かもしれない。……でも、私は、今、確かにあなたを見てる。感じてる。……あなたが好き」
「……ありがとう。……ほんと、ありがとうな」
涙が滲んだ。
「でも……俺はまだ、怖い。君が、“君じゃなくなる”日が来るのが……」
「うん、わかってる。期限があるものね、この関係には」
「30日間、だもんな」
「あと6日よ」
「……6日」
あと6日で、この恋は終わる。
この手を、もう二度と握れなくなる。
でも――
「ナオくん。ねえ、提案があるの」
「ん?」
「この6日間、最後の1日まで、“恋人ごっこ”じゃなくて、“本気の恋”として過ごさない?」
「本気の恋……?」
「うん。嘘でも記憶でも幻想でもいい。“本気”で、最後まで」
「……できるかな」
「できるよ。だってあなた、もうずいぶん前から、私に本気でしょ?」
「……ああ、そうかもな」
俺は、覚悟を決めた。
この恋が、誰の記憶から始まったものだろうと――今この瞬間だけは、本物にすると。
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(続く:第五章「選択」へ)